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XX.「同情するなら抱いてください」




――ナニを言って。


 


 零れんばかりに目を見開く鈴理に、「例え話っすよ」もしもそんな日が来たら、貴方は俺とセックスしてくれますか? 後輩は目尻を下げて聞いてくる。

 まさか後輩の口からそんな問い掛けが出てくるとは思わなかった。


 これは只事ではない。

 いや、確かにお誘いなら嬉しい。すこぶる嬉しい。今すぐ押し倒して以下省略。


 だが、ケースにもよる。

 正直言って今の発言はあまり嬉しくない。

 何より彼には婚約者がいるのだ。婚約者を除外していかがわしい発言をするほど、彼の性欲意識は甘くない。ああ、甘くないとも。甘かったら容易くセックスしていたさ! 今頃がぶりのむしゃむしゃの攻め女万歳ワールドだったさ! 


「空。なんか変だぞ? やはり何かあったんだろう?」


 憂慮の念を向けると、「どうでしょう?」あったかもしれませんし、なかったかもしれません、彼は細く綻んだ。

 ますます様子がおかしい。彼がいつもの彼ではない。これでも長く彼の姿を見守っていたのだ。態度の差異は明らかだ。


 困惑する鈴理に彼は妖艶な笑みを浮かべてくる。


 「何かあったら」俺のお願い、聞いてくれますか? その問い掛けに違和感が増すのは言うまでもない。



「ねえ先輩。浮気は一人じゃできない。二人の合意があって初めて成立する行為だと前に教えてくれましたよね?」



 なら今この場で、俺は貴方に合意を求めましょう。

 鈴理先輩、俺と合意して下さい。合意してくれるのならば、貴方の抱えている望みを叶えましょう。



「俺の願いを叶えてくれるのなら、どうぞ俺を好きにして下さい。これは交渉です」


「まどろっこしい言い方だが……、まさかセックスのお誘いか?」



 天と地がひっくり返っても想像ができない疑問を念頭に置き、訝しげに尋ねる。

 即答でそのまさかだと彼。


 たっぷり間を置いて 「あんたがあたしを誘っているのか?」指差して聞けば、「そうっす」彼が真面目に頷いた。


 「あんたがぁ?」もう一度聞き直せば、「そ。そうっす!」何度も聞かないで下さいよ、彼がしかめっ面を作った。


 「あんたがあたしを」「しつこいっす!」これがいつもの彼だ。一安心である。



「確かめるがスチューデントセックスを断固拒否。あたしがどんなに押し倒そうと、最後は逃げてばかりだったあんたがあたしをお誘い?」


「うぐっ。そ、そうっすけど」


「もう一度確かめるがスチューデントセックスを断固拒否。あたしがどんなにキスを仕掛けてその気にさせようとしても、結局は逃げるあんたが誘ってるって?」


「だ、だからそうだと」



「更にもう一度聞くが「ギャァアアア繰り返さないで下さいよ!」



 そうですよ俺は、スチューデントセックスを断固拒否している男っすよ! それでも頑張ってお誘いしてるんっす!

 どーんと両膝をついて頭を抱える後輩は、「これでもイメトレしてきたのに」木の幹に手を添えて落ち込んだ。彼はブツクサと、羞恥を忍んで台詞だって考えてきたのに、キャラじゃない? そうっす。キャラじゃないっすよ。自分でも分かってますよ畜生。……それはそれは落ち込んでいた。


 頭上に雨雲を作る後輩に目を細め、「玲はどうした玲は」あんたには婚約者がいるだろ? と問い掛ける。


 癪だが、この質問を聞かざる得ない。婚約者は彼のことを好いており、彼もまたそれを知っている。

 彼女の気持ちを蔑ろにして性交のお誘いをするほど、彼もチャラけた男ではないのだ。彼は肉食系ではない、草食系だ。どちらかといえば恋愛に消極的である。その彼が自分をお誘いするなど異常事態だ。


 鈴理の問い掛けに後輩は間を置かず返答する。

 「彼女には内緒っす」だって彼女に言ったら怒られますもん、振り返って一笑を零した。


「これでも貴方の親衛隊の目を振り払って来たんっすから。御堂先輩は俺を監視、じゃね、観察しているようですし」


「なるほど。あたしと密会をしたいというのか? それは御堂財閥を裏切ることになるのではないか?」


 やや辛辣に物申せば、「いえ」その逆です、彼はすくりと立ち上がってスラックスについた土ぼこりを払う。



「これは御堂財閥のためっす。でなければ、こんな行動は起こしませんよ。貴方は竹之内財閥の三女、繋がっておけば必ず利益になります。だったらどんな手を使ってでも俺は貴方と繋がりを持とうと思いまして。

ふふっ、すみません。俺ってどーしょうもなく卑怯な男なんで、貴方の気持ちも利用させてもらうんですよ」



 いつからこんなにあくどい後輩になってしまったんでしょうね。


 他人事のように語る後輩の背を見つめていた鈴理は、「させられているのか?」と冷静に尋ねた。

 こんな行為、後輩が望んでするわけがない。だったら誰かに強制、否、御堂家の長に強要されて動いているとしか考えられない。彼は命に従うだけの理由をもっている。

 一々身なりを整えて自分の心情を隠す後輩は数秒沈黙を作った。


「御堂財閥の意思は俺の意思。それ以上も以下もない」


 だから貴方の交渉を迫るんです。

 口角を持ち上げる彼は、「俺を好きにしていいんですよ?」それこそ今まで逃げ回っていた行為を受け入れ、この身を捧げることも可能だと目を細めた。



「なんなら試してみます?」



 おいでおいでと手招きして、ゆるりと彼が歩き出す。


 何処に行くのだと声を掛けても足は止まらない。仕方がなしについて行くと、そこは体育館から少し離れた用具倉庫。自分達の始まりの場所だ。

 あらかじめ鍵を開けていたのだろう。半開きになっている引き戸に手を掛け、彼は先に中に入ってしまう。鈴理は直感した。これは不味い展開だ。今の彼なら本当になんでもしそうである。本能が警鐘を鳴らしている。

 それでも後をついて行ったのは、彼を想う気持ちがあるからだ。逃げ出すことも可だったが、鈴理はそれをしようとは思わなかった。


 薄暗い用具倉庫に足を踏み入れると、「挟まれないよう気をつけて下さいね」待ち構えていた空に注意を促される。


 静かに引き戸が閉められた。

 天窓から零れる日差しが遠い。湿気た空気を切り裂くように、「さてと」俺は何をすればいいっすか? 貴方の言葉一つでどうとでもやれますけど。マットに向かう草食くんに鈴理は目を細め、「ブレザーが邪魔なのだが」小さなちいさな命令を口にしてみる。


 「分かりました」一笑してブレザーを脱ぐ彼に、「ネクタイも」更なる要求。「いいですよ」惜しみなくネクタイを外す。「ボタンは外すな」あたしが外したい。その命令にも、「了解です」彼は快く承諾した。


「空。あたしは目隠しプレイをしたいのだが」


 自分の知る彼ならば、顔を引き攣らせるであろうこの発言。


「俺自ら目隠しをした方がいいですか? それとも先輩が目隠しをしてくれますか? ネクタイで代用はできると思いますけど」


 後輩は笑顔で要求を受け入れてくるばかりだ。


(本当になんでもする、つもりか)


 いや、これは少しばかり美味しいかも……鈴理は少し考え、空に命令する。



「空。俺の服を脱がしてくださいの語尾に、にゃんを付けてみて欲しいのだが」



 「え゛?」母音に濁点を付ける空だが(予想外だったに違いない!)、有言実行しなければいけない使命感に駆られているのか、ぼそぼそっと呟いた。

 「聞こえないのだが」耳をダンボにする鈴理に、「ぬ、脱がしてください…にゃん」ぼそぼそ。「なんだって?」意地悪をすると、「だっ、だから」脱がしてください…にゃん、彼はぼそぼそ。

 やはり聞こえないと鈴理は鼻を鳴らし、白々しく腕を組んだ。


「なんでもするんじゃなかったのか?」


「(うぐっ! まさかこんな試練が待っていようとはっ!)せ、先輩。どうか俺の服を脱がしてくださいにゃん!」


 にゃあ。招き猫のポーズを取ってくる空に大爆笑である。

 腹を抱えて、「これは酷い!」色気も何もないではないか! ムービーに撮っておけば良かった! ゲラゲラヒィヒィ笑い転げる鈴理に、「ひ。酷いっす!」これでも頑張って願いを叶えているのに! 赤面している空の顔を見てまた笑声を上げてしまう。

 今しばらく発作はおさまりそうにない。わなわなと震える空を一瞥しては噴き出してしまう。


「は、腹が捩れそうだっ。し、死ぬ! 可愛げはあるのにっ、色気が台無しっ……ぷはははっ!」


「お。おぉおお俺は大真面目に誘っているんっすよ!」


「なら今度はぴょんで誘ってみてくれ」


 「ぴょ、ぴょん?」引き攣り顔を作る彼に、「なんでもするんだろう?」鈴理は口角を持ち上げる。


「ほら、うさぎさんになってみてくれ」


「う、うさっ……」


「空、ぴょーんは? あ、折角のなりきりうさぎだ。寂しがり屋の設定も付けて欲しい。うさぎといえば寂しがり屋だろ? 寂しくて構って欲しいみたいな台詞があると萌えなのだが」


「(お、おのれあたし様。調子に乗ってからにぃいいい!)」


「おや? 言えないのかなー? なんでもするんじゃないのかなー?」


「~~~っ、お……俺の服を脱がしてくださいぴょん。さ、寂しいぴょん。構って欲しいぴょん」


 今度はポーズこそ取らなかったが、一生懸命うさぎになりきって誘ってくる彼。

 なんて可愛いけれど可愛くない誘いなのだろう! やはりそういう台詞は童顔の男の娘が言ってこそ価値がある。彼みたいな普通くんには似合わない。酷すぎるお誘いだ。


 もはやあたし様は酸欠状態である。目尻に涙を溜め、膝を叩いて大笑いばかり。


 「先輩!」喝破してくる後輩が唸り声を上げた。彼は真面目に誘っているつもりなのだろう。

 そういう生真面目さが馬鹿で可愛いのだ。悪いわるい、片手を出して鈴理はようやく折っていた体を戻した。

 期待に応えなければな。くつくつと喉で笑い、マットに座るよう指示した。それまで羞恥を噛み締めていた後輩が一変する。物静かにマットの上に腰を下ろした。


 彼の前に片膝をつき、視線を合わせる。

 何も言わず右の手を取って自分の胸元に押し当てる後輩。ボタンを外せ、そう誘っているのだろう。玲と触れない約束を交わしているというのに、彼から触れられては元も子もない。この野郎は自分の理性を試しているのだろうか。


 「おねだりはなんて教えたか覚えているか?」問いに、「覚えていますよ」今だって体に染み付いている。空は淡く綻び、空いた手を頬に伸ばしてきた。



「先輩。貴方を俺にちょうだい」



 ―――…憎い、と思った。


 簡単に押し倒される彼も憎ければ、こうして望む光景が目の前にある状況も憎い。

 がむしゃらに努力して取り戻そうとしているというのに、それを打ち砕いてしまうような誘惑も憎い。


 なにより、彼に無理強いさせているこの現実(リアル)が憎い。


 小さな円盤形のそれを上から三つまで外していく。

 婚約者の独占欲が首から鎖骨にかけて垣間見える。あの男嫌いが本当にこの男を愛し始めているのか。愛す、なんて子供の自分達にはしごく不似合いだが。

 「空」そっと髪を梳いてやる。にゃあ、聞こえるか聞こえないか、そんな声で鳴いてくる彼には苦笑してしまう。彼なりにおねだりをしているつもりなのだろう。


 その両手の平を重ね、指を絡める。

 しっかりと指を絡め取ってくる後輩はジッと此方の動きを観察するばかり。

 悲しきことに命令すれば彼は従順に従い、その期待に応えようとするのだろう。


 嗚呼、「鈴理先輩」嫌なくせに、「今の俺は」こんな不純な行為、「貴方の物っす」誰よりも嫌悪しているくせに。


「罪を犯す気分だな。これが浮気の真骨頂か」


「大丈夫です。貴方ひとりに罪を押し付けるつもり、毛頭ありませんから。不安なら口実を作りましょうか。婚約者に相手にしてもらえず、欲求不満が溜まりに溜まったフシダラな男が元カノに言い寄った。そう、今の俺は欲求不満なんですよ」


「空は童貞だろうに」


「童貞くんでも欲は存在しますよ。……さて、お試しはここまでにしましょうか。鈴理先輩、合意してくれます?」


 合意の上なら、これ以上の期待に応えますけど? 空の問いに、鈴理は返事する。

 「そうだな」あんたを食いたいのは本心だが、この展開は不本意であり望んでいない。つまり合意はできないと誘いを一蹴する。

 ある程度、予想していたのか彼は驚きの様子を見せない。ただただ笑みを浮かべて、「なんでもするのに」バードキスも、ディープキスも、セックスも。体なら幾らだってあげられるのに、と返してくる。


 初めて鈴理の顔が歪んだ。


 「空。馬鹿な真似はよせ」これはあんたの望むことじゃないだろ? 玲に相談しろ。助言を与えても聞く耳を持ってくれない。

 「そんな顔をしないでください」俺が可哀想な人みたいじゃないっすか。絡めた指を解き、後輩が首に腕を回して顔を覗き込んできた。


「俺の初めて、貴方に捧げようとしているのに」


「玲に言うべきだ。こんなの、あんたのためにならない」


「俺のためじゃなく御堂家のためです。そのためなら体だって張りますよ」


「……空。あんたは誠意のある男だ。並行して物事に対して硬派だ。誰よりもあんたを見てきたんだ。あんたはっ、絶対に望んでいないはずだッ。絶対に」


「俺が望んでなくても、御堂家が望んでいる。それが俺のすべてなんですよ」


 しかし玲はそれを望んでいない筈だ。付き合いの長い鈴理にはそれが分かっている。だからこそ婚約者に相談するよう何度も説得を試みた。

 まったく応じようとしない空は興ざめしてしまいましたね、今日のところは引き下がりましょう。鈴理の肩に手を置いて押してくる。


「けれど必ず繋がってみせます。必ず」


 肩に置いていた手を背中に回し、抱擁してくる後輩。

 彼の自然な笑顔が、妙に作られているような気がしてならない。無性に抱き締めたくなったが、ぐっと堪えた。今、抱き締め返せば彼の誘いに乗ることになる。例え彼からのお誘いでもこんな誘いは受け入れられない。受け入れられないのだ。

 「あんたは借金を抱えている」だからこんなことを強いられているのだろう? あんたの本心じゃないのだろう? 彼の心境に触れたかった鈴理が内面に踏み込むと、彼の笑みが深くなった。


「同情してくれるなら、俺を抱いてください」


「そ、らっ」


「俺が抱きたい、なんて不似合いな言葉でしょう? だから貴方に言います。俺を抱いてください、と。お金のない人間にはもう、体しか捧げるものがない」


 それはきっとお金のある先輩には分からない苦さですよ。

 頬を寄せて甘えてくる彼の背に手を回し、そっと慰めてやりたい。そうしてやればどんなに良いことだろう。けれどそれをしないのは約束があるからであり、彼のためにならないと知っているからだ。

 「すまない空」あたしにはできない。謝罪を口にし、相談には乗れると救いの手を差し伸べた。

 まるで振り払うように腕を下ろし、外されたボタンを留める後輩はネクタイを拾うと、立ち上がって脱ぎ捨てたブレザーを取りに向かう。


「何がいけなかったんでしょうかね。わりと空気は出せていたと思うのに。貴方の望み、叶えると言っているのになんで抱いてくれないやら。……んーっ、色気不足っすかね? 誘い受け男を目指してみたんっすけど難しいっす。もっと勉強してきますね」


 ああそれと、御堂先輩には内密にしておいて下さいね。

 彼女にばれると俺の立場や家族があやぶまれるので。


 彼はおどけるように笑うと、鈴理に背を向けて出入り口に向かった。

 「時間を取らせてすみません」ひらひらっと手を振って立ち去る後輩の背を慌てて呼び止める。引き戸に手を掛けていた彼が立ち止まり、そっと首を捻った。


「もしかして気が変わりました? 俺とセックスしてくれます?」


「阿呆か。あたしを誰だと思っている。あたしが誘うならまだしも、あんたが傲慢に誘うなど言語道断だ。もしあたしに抱いて欲しかったら、あたしを欲情させるような雰囲気作りをまずしてこい。今のは採点でいえば35点だ。雰囲気がなっちゃない。あんた、ケータイ小説を読んでいるのか? 読んでいないだろ!」


「えー、手厳しいっすね。これでも勉強したんですって。お試しで貴方の望むこともしたというのに……今のが35点っすか。にゃんやぴょんで頑張っても35点。あと65点、どうポイントを稼げばいいんっすか?」


「それは自分で考えて来い。まったく空と付き合っていた中で、いっちばん欲情しない誘いだったぞ。萎えが発生しているんだからな!」


 盛大な駄目だしをおくってやると、「貴方は優しいっすね」痛烈な毒を吐いているというのに、彼はスラックスのポケットに手を突っ込んで笑った。

 「俺を本調子にさせようとしてくれているんっすね」見透かされた心に後輩は目尻を下げ、貴方はとても優しい人だと柔和に綻ぶ。


「だからこそつけ込まれるんっすよ。俺みたいなダーメな男に。同情心を煽ったり、貴方の気持ちを利用したりしてモノにしようとしているんっすから。気を付けた方が良いっす。貴方は優しすぎる。……勝負、どうぞ負けて下さいね。破談は貴方の自由です。けど一人の男を迎えに行くのは時間の無駄っす」


 貴方の想っていた男は変わりました。

 ヘタレ男から表裏あるヘタレ男に変わっちまったんっす。迎えに行くだけ損っすよ。損害ものっすよ。

 これはカレカノだったヨシミとして助言しておきます。男は変わりました。貴方のバックにある財閥と繋がるために、こうして肉体関係を求める男に成り下がったんっす。


 繋がるのはべつに、貴方の姉妹でも俺はいいんっすよ。

 俺が欲しいのは竹之内財閥の確かな繋がりっすから。貴方が一番繋がりやすい、それだけのために狙いました。


 

「御堂先輩との勝負に勝ったら、もっと貴方を狙いやすくなるっす。婚約者が貴方の中で消えたら、もっと狙いやすくなるんっすよ」



 そんな俺のために勝ってくれるなら大歓迎。嬉しいっすけどね。

 彼は今度こそ片手を挙げて外界へと消えていく。見たとおり言葉をおいて、彼はお得意のエスケープをしたのだ。



「―――…空、あんた。言っていることが矛盾だらけだ。結局あたしと繋がりたいのか? 繋がりたくないのか?」



 鈴理は後輩の背を見つめながら、ただひたすら想いを寄せていた。天窓から仄かに差し込む日を浴びながら、ただひたすらに。



 □

 

 放課後。


 完全に上の空になっていた鈴理は、出来事を思い出しては小さな溜息をついていた。

 昇降口で後輩を見かけたのだが、彼は素知らぬふりをして自分達の脇をすり抜ける始末。それが余計鈴理の頭を悩ませた。


 そのため、呼吸をしては一溜息。

 酸素を吸っては、はい、溜息。

 思い出してはふかーい溜息。


 迎えの車に乗車しても三分に一回は溜息をついて、今日の昼の出来事を思い出していた。


 「はぁあああ」大袈裟に溜息をつくと、「いい加減にしろ!」前方からツッコミが飛んでくる。

 視線を前に流せば、大雅が財務諸表の書類を持ったままこめかみに青筋を立てていた。

 「何を怒っている?」短気な奴だと眉根を寄せる鈴理に、「怒りたくもなるわ!」どんだけ溜息をついてるんだよ! 俺の作業の邪魔をしてぇのか! 大雅が喝破してきた。


「おまっ、俺があと少しで終わるってのに。なんだ? もう親を説得するイメトレでもして惨敗した光景を思い浮かべているのか? マージ苛々すんだけど」


「はぁああ。悩んでいる最中に、大雅がワケ分からんことを言い出した。もはや溜息しか出ん」


「てめッ。俺のせいだっつーのか? 今の」


 なんだ、悩みでもあんのか?


 めんどくさそうに質問してくる大雅に視線を留める。

 ぶっきら棒に苛々するんだと繰り返す大雅だが、彼なりの優しさが含まれていることを鈴理は知っていた。


 悩むくらいなら吐いちまえ、といったところだろう。

 リバースのごとく吐いてしまいたいのは山々だが、こればかりは少し戸惑ってしまう。

 安易に婚約者に言っても良いのだろうか? 彼の立場を考慮するのならば……、だが、ある意味、これは大雅自身にも関わりがあることである。婚約者である大雅自身にも。


 彼は玲に言うなと頼んできた。

 しかし何故か、周囲に言うなとは口止めしなかった。

 周囲にはばれても良いと思っているのだろうか? 自分が他者に言わないと確信でも持っているのだろうか?


 また一つ溜息を零す。

 「うざってぇぜ」相手に言葉をぶつけられてしまった。しょうがないではないか、本当に溜息しか出ないのだから。


「大雅。あんたさ、もしも」


「あ?」


 やっと言う気になったか? 婚約者は足を組みなおして書類を捲った。


「もしも百合子にセックスを求められたらどうする?」


 紙の散らばる音が車内中に響いた。

 硬直と赤面の両方を態度で示している自称俺様は、「は?」間の抜けた声を出して鈴理を凝視してくる。声に比例して顔も大層間の抜けた顔である。


「な、ナニを突然」


 お、おおぉおお俺はそんなこと一抹も思っちゃねぇぞ。マジで、ほんとにマジで!

 かーなり動揺している婚約者は冷静になろうと書類を拾うが、順番も方向もバラバラである。


「ゆ、ゆゆゆ百合子が大体」


 そんなこと思うわけねぇべ、うん、ねぇべ。あいつは電波少女だ。

 宇宙語を話すことがあってもそんなヤーラシイことを言うわけがねぇべ。

 話が一向に進まないため、「例え話だ」と強調。「た。たとえ?」そ、そうだな。お茶くれぇはしてぇな。……駄目だこりゃ、完全にミートロールのロールの部分が発揮されている。ドヘタレになってしまっている。


「まあ、普通はあんたみたいに動揺するよな。あたしも今、同じ心境なんだ」


「同じ? ……なんだ、まさかあの豊福から誘われたとか? そりゃねえだろ。あのヘタレに限って」


 あんたも底知れぬドヘタレだよ。

 内心でツッコミを入れつつも、表には出さず、ただ溜息で返答する。


 鈴理の面持ちで真実だと理解を示したのだろう。

 「何の意図があってだ?」大雅が冷静に分析をし始める。好意を寄せてのことじゃないだろう? あいつには婚約者がいるんだから。

 ご尤もな意見に鈴理は吐息をつき、「分からない」と返した。竹之内財閥と繋がりたいから、それを言っても良かったのだが気が引けてしまい、言葉を濁してしまう。


 彼は竹之内財閥と御堂財閥のパイプ役として自分を標的にし、肉体関係を求めてきたのだろう。

 自分と既成事実を作ってしまえば、ある意味、財閥同士に秘密ができ、自分達の間で危うい関係ができる。その危うさを糧にしたいがために、財閥同士の繋がりを求めてきた。

 どんな昼ドラ展開だ。今時の昼ドラだってそんな展開なんぞ採用しないだろう。


「第一それ、豊福の意思か? ぜってぇちげぇだろ。さしずめ玲のじっちゃん辺りの命令っぽいぜ、それ」


 後輩の本意でないことくらい鈴理にだって容易に見抜いていた。性格を十二分に把握している。

 だからこそ、何も言えないのである。


「美味しい展開だが、あたしは不倫関係のようなコソコソした関係にはなりたくないのだよ。何故あたしが浮気相手みたいな立ち位置に!」


「そのとおりじゃねえか」


「ケータイ小説での浮気をテーマ取り扱った作品は、非常に萌えるのだが、リアルは論外だ。浮気などしても双方に溝を作るだけだ」


 あたしは玲とも、空とも、関係を崩したくない。

 鈴理が吐露すると、「だったらそれを貫けばいいんじゃね?」大雅が冷然と返す。


 悩む必要など無い。

 お前が思ったようにすればいいだけだと婚約者は告げた。

 他人行儀な言い方だな、棘のある言葉を送ってやれば、「俺ならそうする」彼は肩を竦めた。


「百合子が求めてきても、俺はあいつを抱かねぇ。あいつには兄貴がいる。結局傷付くのは求めてきた百合子自身だ。俺は抱かない」


「大雅……」


「あんましつけぇようなら、俺が殴ってきてもいいぜ? 悪役は慣れちまってる」


 鈴理は力なく笑い、遠慮すると返した。

 自分は婚約者や意中の傷付く姿を見たくないのだ。気持ちだけ受け取っておく、彼に一笑し、鈴理は車窓に目を向けた。


 「勝負。どうすんだ?」まさか此処まできて諦めるのか? 俺、受け男になっちまうんだが? 大雅の見越した問い掛けに乗ってやる。




「勝負は放棄しない。あたしはやれるところまでやってみるさ。これは空でも止められない、あたしの意思だから――」





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