07.Knock on the door
□
俺と先輩が最後だと言って交わしたキスやおまけの戯れは、俺達なりのけじめだったんだと思う。
勿論けじめを付けたからって俺達が立ち直ったかと言ったらそれは否。どこかで引き摺っている、お互いに。それでも現状が変わるわけじゃない。
俺は相変わらず給料カットという不況の波に悩まれているし、土日はバイトだし、勉強だってしなきゃだし。先輩は先輩で令嬢として多忙な毎日を送っている。
少し変わったことといえば大雅先輩とよく一緒にいるところを見かけるようになったことかな。
とにかく手探りだろうと俺達は現状を通して前を向いて歩かないといけない。
だから俺は昼休み。
奢るからと売店に誘ってくれたフライト兄弟と一緒に廊下を歩いていた時、偶然彼女(と大雅先輩。宇津木先輩や川島先輩)とすれ違った時、軽く会釈した。そりゃあ両者のご友人は不味い。しくった。顔を合わせてしまったって気まずそうにしてくれたけど、当事者同士はわりとすんなりすれ違った。
お互いに見栄を張っているのかもしれない。
その見栄がいつか友人関係に発展できるまで持つようになったら、俺は彼女を良き先輩として慕いたい。
そう、いつか。
「あ、いらっしゃいませ。お客様、何名……御堂先輩じゃないっすか。いつもありがとうございますっす」
そうそう。
俺の日常の些少な変化といえば、勤務しているバイト先に御堂先輩が高い割合で出現するようになったってことだ。
あの日あの時あの瞬間に崩れそうな俺を支えてくれた王子は、俺がバイトに入っている土日によく顔を出してくれる。
彼女が来るたびに鈴木さんが半べそになるから、なるべく俺が接待をするようになった。
彼女はいつも、おはぎと抹茶の抹茶Aセットというものを頼む。
おかげさまで席に着くや「いつものですか?」と聞くようになった。まさしく御堂先輩はいづ屋の常連客だ。
御堂先輩はいづ屋で台本を読むのが習慣みたい。
演劇部として自分の受け持った役、いや劇自体を熱心に頭に叩き込んでいる様子がいつも見受けられる。時々読書を嗜んでいたりもするけど、大半は台本に目を通していた。感心したよ、あんなに熱心に台本を熟読しているんだから。
俺があがる頃に彼女もいづ屋から出て、途中までの帰路を一緒にすることも多くなった。
彼女が俺を待ってくれているんだ。
約束しているわけじゃなかったけど、毎度待ってくれていることを知っていたから俺もあがった後、先輩が店内に残っているか目で姿を探すようになった。
そうして自然と一緒に帰る流れになる。
送ってくれることもあったけど、毎度送ってもらうのは悪いし(そして送ってもらう度にちょっかい出されるし)、分かれ道まで先輩と歩いた。会話はしごく他愛も無いことばかりで、お互いの学校生活や部活のことをもっぱらの話題にしている。俺は勉強メイン、先輩は部活メインって具合だ。
それは友人間で交わす会話で、普通に会話は盛り上がる。友達としてなら御堂先輩とは上手くやっていけそうだとつくづく思ったよ。
……恋愛としてはどうだろう。
彼女は俺を好きと言ってくれたけど、俺は鈴理先輩のことを完全に引き摺っているから今のところ恋愛はおごちそうさまです。おわかりはいりません状態だ。
好きって言ってくれたんだし、俺も真剣に考えないといけないんだろうけど、今はそのまだ……って感じだ。そこまで俺もできた人間じゃないから。
御堂先輩もあの日以来、あからさまな好意を口にすることはなくなった。俺を気遣っているのか、それとも別の思惑があるのかは分からないけど、一友人として接してくれる。
だからこそ俺も気兼ねなく会話できた。
変わった日常、戻った日常、戻らない日常。
複雑に交差していく生活の中で俺は時間を過ごしていく。
些少の変化はあれど、俺の人生の節目において大きく変わったことはない。鈴理先輩とはギクシャクでも、俺の恋敵というべき大雅先輩や本当の意味で先輩の宇津木先輩や川島先輩とは喋られる。
ほんっと人間って単純なようで複雑な生き物だよな。割り切って人生を生きてきたら、どれだけ楽なことか。
(あ。鈴理先輩だ。大雅先輩と帰るってことは、今日も二人で会合に出るのかな)
向かっている正門の外に元カノと大雅先輩の姿を見つけ、つい目で追ってしまう。
もう俺には関係ないって分かってはいても、今日も会合なのかな。財閥の令嬢令息は大変だなって思う俺がいた。それは同情であったり、隣に立てない憂いであったり、彼女の隣に立てる大雅先輩を嫉視したり。
そんな自分に自己嫌悪交じりの苦笑を零すこともまちまちだ。女々しいったらありゃしない。
変に避けても向こうに気付かれてしまうだけだと思ったから、俺は平常心を保って正門を潜った。
迎えの車を待つ婚約者カップルが視界に映ったし、前を通らないといけなかったから会釈して横切る。
大雅先輩は軽く挨拶を返してくれたけど、鈴理先輩は無言だった。代わりに視線が飛んできたからけど、それを受信することはできない。俺があの二人に深入りすることはもう二度とないしできないから。
婚約者カップルの気配を背中で感じながら角を曲がり帰路を辿っていると、側にある道路に黒光りしている車が停車した。それは背後で迎えを待っているカップルの車ではなく、別の目的を持った車。
下車してきた見知った人物に俺は呆気取られる。
「連絡をしたら迎えに来てくれ」
そう言って扉を閉めた学ラン男装プリンセスは、よっと手をあげてきた。
よっとつられて手をあげる俺は、こんなところで何をしているのだと尋ねた。
破顔する御堂先輩は俺に歩んだと思ったら、「さて行くか」人を軽々肩に担ぎ上げてきた。ギョッと驚く俺を無視して、御堂先輩はさっさと早足で歩き出す。
え、何がどうしたら行くかで担がれて歩き出すんっすか?! ちょ、おろして下さいよ!
俺の主張も彼女にスルーされてしまった。
嗚呼っ、女性に担がれる俺って惨め。まーだ受け男の受難は続いているのか? ……御堂先輩も攻め女だから、男ポジションに立ちたい人だってのは分かっていたけど、挨拶直後のこれはあんまりだよな。下手に抵抗できないところが悲しい男のサガだ。
「先輩」御堂先輩に視線を流すと、「いづ屋に行こう」僕が奢るからと御堂先輩。
「え。いづ屋っすか? 先輩、いつも土日に来てくれているじゃないっすか」
「あそこは何度行っても飽きないんだ。今日も抹茶Aセットを頼むつもりなんだ。あ、Bセットでもいいな。たまには駄弁るのも悪くないだろ? 土日じゃいつも店員と客だし」
綻んでくる彼女に、「だからって食べ過ぎっすよ」俺は呆れ笑いを零して承諾をした。
「その前に下ろしてください。逃げませんから」
相手に強く主張すれば、やっとアスファルトに足を突くことが許された。安堵の息を漏らす俺に、部活の話を聞いて欲しいんだと御堂先輩が話を切り出してくる。
その顔はややしかめっ面に近い。何か嫌な事でも遭ったのかと尋ねれば、今度するお芝居の配役が決まったらしい。
なんでも王女役に抜擢されたとか。
まさしく彼女に相応しい役だと思うんだけど、何が問題なんだろう? 話をよくよく聞けば、彼女は女役がとても苦手らしい。
普段の言動が男だから(格好も男装だから)、女性らしい女性の振る舞いがどうしてもネックになるとか。
「姿は王女になれても、言動が雄々しくなってしまう」
「おかげで初っ端からNG連発だ」大きく溜息をつく御堂先輩に、俺はこれからじゃないっすかと励ました。
「先輩ならできますって。雄々しくても女の子っすよ。こういう時こそ女の子の先輩を開花しても良いと思うっす」
「僕は女の子を口説くことが楽しくて仕方がないんだ。なのに貰った台本にはっ……人から口説かれろと指示されてある。しかも横抱きされるシーンがあるんだが、僕はされたいのではなくしたい側なんだ。す、ストレスだ!」
「えーっと。たまには女の子を楽しめってことじゃ」
「口説かれて何が楽しいんだい? わりと背丈のある僕を横抱きにして何が面白い?! 僕が一番にストレスに感じているのは面子。今度の芝居には野郎が関わってくるんだ。僕の通う高校は付属校で男女別れているんだが、まさか男と合同でするなんて。しかも王子は男。何が悲しくて男に口説かれないと……横抱きにされないといけないんだ。嗚呼、先輩に頼んで配役を変わってもらいたい」
今ほど女に生まれたことを呪ったことはないぞ。
むむっと眉根を寄せている御堂先輩のおかしな顔に、俺は笑声を零してしまう。
「先輩は王子っすもんね」
でも一度は、そういうのを経験しておくのもいいんじゃないかと相手に促す。
貴重な体験だろうし、普段から女子の王子しているんだ。たまには素直に女の子になるのもいいと思う。
折角女の子に生まれたんだ。利用しないと勿体無いじゃないか。
俺の言葉に、「なら豊福がいい」御堂先輩がきっぱりと言い放った。
面食らってしまう。呆ける俺に、「女になるなら君相手がいいな」と彼女は口角を持ち上げた。
「まあ、君相手なら女になる必要もないだろうが。何故なら僕が王子だから。僕は死んだって男ポジションを譲らないし、譲ってやらない」
これが僕のポリシーだと目尻を下げると、彼女は俺の手をしっかり取って歩き出す。
よろめきながら彼女の隣を歩く俺は、「手は握る必要ないでしょ」反論して手を振る。
「あるさ」
どっかの誰かを挑発するために。挑発くらいないと、あいつは立ち直らない。彼女の独り言は俺の耳に届かず、ただただ強引に歩く彼女に引き摺られるばかり。
「ところで豊福。君は敷布団とベッド、どっちが好きだい? 僕は前者が好きなんだが」
突拍子もない質問。
俺は目を点にするしかない。
「……一体なんの質問っすか?! それを聞いてどうするんっすか!」
「相手の燃えるシチュエーションを聞くのは最低限のマナーじゃないか。合意の上なんだ。しっかり話し合って」
「話をぼかしてますけど、疚しい話だってことはすっげぇ分かりますから! いつ、誰が、どこで合意しましたか! それに手は放して下さいよ」
「――放してやらないさ。絶対に。君はフィアンセなんだから」
その言葉が間もなく現実になることを、俺も、発言者自身もまだ何も知らない。
俺の首筋には既に赤い痕がなく、彼女の首筋にも付けていた筈の痕も消えている頃だろう。
それはまるで俺達の関係のように、その存在を主張していた赤は音なく色をなくしていた。




