そういうところですよ、と冴えない夫人は苦笑した
「あの人たちは私たち女の苦労が何も分かってないのよ」
その日、王都にあるブロワ子爵家の別邸で、貴族のご婦人方がお茶会を開いていた。参加者は四人。全員が子爵で帯剣貴族の夫を持つ貴族夫人だ。この国では貴族の多くが定期的に領地と王都とを行き来し軍務や宮廷での政治活動を行っている。彼女たちの夫は宮廷における同僚のような間柄で、その縁から彼女たちも定期的に交流を持っていた。
ただし貴族夫人のお茶会と言えど、その内容は優雅で華やかなものとは限らない。最近の彼女たちの話題は、もっぱら夫に対する不満だった。
「うちの人ときたら、まるで子供たちに無関心なのよ。仕事が忙しいとか何とか言い訳して、躾や教育は全部こっちに丸投げ。口を開けば『それは母親の仕事だろう』ですって。じゃあ父親の仕事は何? 外で働いてくればそれで終わりなの? 働くなんて人として当たり前のことじゃない。どうして父親になっても以前と変わらないままでいられると思ってるのかしら」
そう子育てについての不満を口にしたのは今日の主催者であるブロワ夫人。華やかな美貌の持ち主で学生時代から常に人の輪の中心にいた。
「本当にそうですわよね。仕事なら私たちだってしているのに、そんなことを理由にされても……」
頬に手を当てて同意したのはギレム夫人。眼鏡姿の長身女性で、領地経営にも積極的に関与する賢女として知られている。
「疲れてる妻を見て、平気でそれを無視できることがまず信じられませんわ。どうして殿方ってああも無神経でいられるのかしら」
冷笑を浮かべたのはコルベール夫人。彼女は文化や芸術の保護に積極的で、そうした活動を通じて王家とも繋がりを持っていた。
「…………」
ただ一人、黙ってニコニコと話を聞いていたのはデュノア夫人。他三人と比べると目立った特徴も功績も無く、見た目も平凡。他三人は彼女の反応を特に気にも留めていなかった。
ブロワ夫人の不満は続いた。
「一番腹立たしかったのは二人目を出産した時のことね。私が子供を産んでボロボロになっているっていうのに、あの人ときたら『よくやった』の一言だけよ。上の子の面倒を見るわけでもなく、家中の仕事を代わりに引き受けてくれるわけでもなく、命懸けで子を産んだ妻に対してそれで終わり。一応、同僚の方が気を遣って休みは下さったみたいだけど、あの人ときたら本当にただ休んでるだけだったわ。私を労って私の代わりに家中のことを差配するための休みだってことを何も理解してないの」
ギレム夫人も頷いて同意する。
「うちもそうでしたわ。結局使用人の差配は普段通り全部私がして……領地から上がってくる数字のチェックもあるから、使用人に任せるにも限界がありますのに……」
「休むだけなら邪魔でしかありませんし、いっそ普段どおり外で仕事をしていてくれた方がまだマシですわね」
コルベール夫人も夫に思うところがあるのか、冷やかな目で毒を吐いた。
「大体、男の人たちはよく『仕事が忙しい』を免罪符にしていますけど、その仕事にしたって自分たちがどれだけ恵まれた環境にあるのか理解していないんじゃないかと思うんです」
ギレム夫人がまた別の不満を吐き出す。
「私たちは皆他家から嫁いで来た立場でしょう? 自分の為に組織された家臣団がいる夫とはまるで勝手が違いますもの」
「分かります! 家ごとに流儀も違うし、人間関係を一から構築していかなくちゃいけないしで大変なんですよね!」
ブロワ夫人が力強く同意して続けた。
「慣れない中で何とか家中を回しているっていうのに、母親と比べて『もっと手際よくできないのか』ですよ? 何十年とその家を差配してきた方と同じ仕事ができるはずがないって、どうして理解できないのかしら」
「そうなんです。それにその家のやり方や仕事だって、本来なら私たちに合わせて変えていくべきじゃありませんか。一言夫が使用人にその辺りを言い含めてくれればいいのに『家中のことは私には分からないから』の一点張り。そのせいでどれだけこっちが苦労したことか……」
かぶりを振って嘆くギレム夫人の言葉を受けてコルベール夫人が言った。
「おまけに四六時中義理の家族と一緒で気が休まることがありませんもの。夫たちは職場の人間関係がストレスだなんて言いますけど、家ではのんびり羽を伸ばしているわけでしょう? じゃあ一体、私たちはどこで羽を伸ばせばいいんだって言いたくなりますわよね」
『本当、それ』
ブロワ夫人とギレム夫人が力強く頷いた。
コルベール夫人は更に続ける。
「こう言うと夫は、君たちは社交の名目で遊んでいるじゃないかと言うけれど、的外れにもほどがありますわ。これが道楽ではなく形を変えた一つの戦争だというこということが全く理解できていないのよ」
コルベール夫人の発言は決して大袈裟なものではなかった。例えば貴族の女性はしばしば芸術家や思想家のパトロンとなり、その活動を支援する。それはただの道楽ではなく、外部からの情報を仕入れ自分たちの領地を外部に好意的に宣伝してもらうマーケティングを目的としていた。更にその支援した文化人が名を馳せれば、その者を通じて貴族社会や王宮内に伝手を得ることもできる。貴族女性の社交は遊びではない、というのは全くその通りだった。
「それを男の人たちときたら、休みになれば男の付き合いだ何だと言い訳して、狩りに行ったり飲み行ったり遊び歩いてばかり。これも仕事の内だなんて言いますけど、ならいったいその仕事でどんな成果が得られたのか、しっかりと説明して欲しいものですわ」
『ですよね~』
コルベール夫人の皮肉に、ブロワ夫人とギレム夫人が笑った。
「…………」
夫への不満や愚痴が飛び交う中、一人沈黙を保っているデュノア夫人にふと皆の視線が集まる。元々デュノア夫人は他三人にとって夫の職場の関係や領地の付き合いなどから交流を持っているだけの存在だ。いつも目立たず黙って話を聞いていて、こう言っては何だがいてもいなくてもどちらでもいい。ただ、こうした場では皆が愚痴を吐いて共犯者になるというのが暗黙の了解。彼女にも何か言ってもらわないと収まりが悪かった。
「デュノア夫人はご主人への不満はないのかしら?」
ブロワ夫人が三人を代表して言った。
「そうですね……」
デュノア夫人は少し考える素振りをしてから答えた。
「私は特には。完璧とは言いませんが、夫は夫なりに私のことを気にかけてくれていると思いますので」
優等生な発言に他の三人が気色ばむ。デュノア夫人はニコリと笑って付け加えた。
「それに私は皆さんと違って何の取り柄もありませんから。大したことをしているわけでもないのに、夫を責めるというのは筋違いでしょう」
その言葉に優越感をくすぐられ三人の表情が緩んだ。ブロワ夫人が言った。
「まぁ、そんな卑下なさらなくともよろしいのに。デュノア子爵が家庭に協力的なのも、きっと夫人のお人柄あってのことだと思いますわ。もしよろしければ、夫婦円満の秘訣でもお聞かせ願えませんこと。ねぇ、皆さん?」
「ええ、是非」
「お願いできまして?」
口々に言われ、デュノア夫人は少し困った風な顔をして言った。
「そうですね……ありきたりですが、感謝を伝えることでしょうか」
「感謝?」
ギレム夫人が首を傾げる。
「ええ。私は夫のように男社会で働いたこともなければ、王宮勤めの苦労も分かりません。皆さんとは能力も環境も違います。だから誰が誰より大変だとかそういう話はさておいて、家族のために働いてくれている夫には出来る限り感謝を伝えています」
「感謝って……働くのは人として当然のことでしょう?」
「それでも、ですよ」
ブロワ夫人の言葉に、デュノア夫人はキッパリと言った。
「皆さんだって、ご主人から『自分は家の外で歯を食いしばって働いている。お前は使用人に囲まれて家の中でぬくぬくと過ごしているのだから、それぐらい完璧にこなせ』なんて言われたら、例えどんな些細なことでもご主人を助けたいなんて思わないでしょう? 男性だって同じだと思います」
「……でも、実際に夫たちより私たちの方が大変なんだから、手伝うのは当然のことでしょう?」
コルベール夫人の言葉に同調して、ブロワ夫人とギレム夫人も頷いた。その反応にデュノア夫人は苦笑し、それ以上意見を述べようとはしなかった。
「……そうかもしれませんね」
そしてデュノア夫人は主催のブロワ夫人に断りを入れる。
「申し訳ありませんが、今日は先に失礼させていただきますね。急遽夫のご友人が遊びに来るそうで、おもてなしの準備をしなくてはなりませんの」
「あら。それこそ勝手をしたご主人に相手をさせればいいのではなくて?」
ブロワ夫人の言葉に、デュノア夫人はニコリと笑ってそれ以上何も言わず席を立った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あら、皆さまもういらっしゃっていたの?」
デュノア夫人が屋敷に戻ると、夫の客人たちは既に到着し、めいめい自由に過ごしていた。広間に夫の姿はなく、その友人二人が子供と遊んでいる。
「いやぁ、すまんすまん。あまりにここが居心地がいいもので気がせいてしまってね」
「母様! おじさんから玩具貰いました!」
息子が木製の絡繰り玩具を掲げて見せる。
「まぁ。ちゃんとお礼は言った?」
「言った!」
「……すいません、ギレム子爵。いつもいつも気を遣っていただいて」
「ああ、いや。気にせんでください。私が好きでやっていることですから」
デュノア夫人が頭を下げると、男の一人が照れたように頭をかく。もう一人の男が思い出したように言った。
「そう言えば夫人。ご子息に教育係を探しておいでと仰っていませんでしたか?」
「ええ。お願いしようと考えていた方が身体を壊してしまって、どなたか良い方がいないか探しているところです」
「私の知り合いに一人適任がおりましてな。国務省の参事官を務めた男なのですが、些か堅物で上と揉めてしまい先日職を辞すことになったのです。働き口を探しておったので、もし宜しければこちらを紹介させていただきたいのですが」
「まぁ、是非お願いします」
デュノア夫人が改めてお礼を言うと、男は面映ゆそうに「気にしないでくれ」と笑った。
そうこうしていると、屋敷の二階から夫がその友人の一人を伴って下りてきた。
「おや、もう帰ってたのかい? ゆっくりしてくれば良かったのに」
「そういう訳にはいきません」
夫は横にいる友人に視線をやって言った。
「ちょっと領地のことで相談に乗ってもらっていたんだ」
「まぁ! ブロワ子爵、せっかくのお休みですのに、お仕事をさせてしまって申し訳ありません」
「はは、気にせんで下さい。彼と奥方には休みの度にお邪魔してご迷惑をおかけしておりますから、これぐらいはさせていただきませんと」
男はデュノア夫人に対して茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。
「すぐおもてなしの準備をしますね」
「ああ、僕も手伝うよ」
夫はデュノア夫人に申し出るが、夫人はそれを固辞した。
「大丈夫よ。それより貴方は皆さんのお相手をしていて」
そう言って、デュノア夫人は部屋を後にした。
屋敷に遊びに来た夫の友人とは、つい先ほどまで一緒にお茶会に参加していた三人の夫だ。
彼らは休みになるとこうしてよくデュノア子爵邸を訪れていた。そして来るたびに子供の世話や、家中のことに色々と手を貸してくれている。妻たちから家中のことに非協力的と文句を言われていた彼らが、自分の家ではなく他人の家で。
最初はデュノア夫人も申し訳ないので自分の奥様に気を遣ってあげて欲しいと伝えていたが、今は素直に好意を受けるようにしていた。彼らだって感情のある人間だ。妻から自分の仕事を見下され、手伝って当然という態度を取られれば、妻の為に何かしたいとは思うまい。
決して褒められたことではないが、彼らが家にいたくないという気持ちは理解できてしまった。
実際に夫と妻、どちらが大変かなんてことは誰にも分からないし言っても意味がない。例えそれが正論であったとしても、敬意を欠いた言葉が相手に届く筈もない。そしてどれほど言葉を尽くしたところで、彼らの妻にそれが理解できるとは思えなかった。
「…………」
ふと、自分の夫が他所の家では献身的に尽くしていると知った時、彼女たちはどんな反応をするのだろうと思った。
怒るか、悲しむか、あるいは下衆な勘繰りをするか。何にせよ、自分の言動が夫を追い詰めているなどとは想像もしないのだろう。
──そういうところですよ。
デュノア夫人は三人の女に胸中でそう苦笑し、それ以上彼女たちについて考えるのをやめた。
どっちが大変とか悪いとかじゃなく、例え正論でもそれを言ったらおしまいだぞ、という話。
性別を逆転すると割と酷いことになります。




