食べて、飲む
小学生の頃、ある試みをした。
今となっては、というか、
当時でもくだらないことなのだが、
消しゴムを飲み込むということだ。
友だちの前でやった。
大変驚かれたし、
一部の友だちは恐れていた。
この行為を経てからというもの、
食べ物ではない、本来飲み込む、
ということを想定されていない物、
を飲み込むということに、
自分の価値の置き所のようなものが、
作られた気がする。
つまり私は、
その行為に強い達成感と幸福感を覚えたのだ。
それからはその行為を繰り返した。
消しゴムから始まったその行為は、
例えばピンポン玉だったり、
ぬいぐるみだったり、
靴紐だったりと、
口に入る程度の大きさの物は、
大抵が私の胃に入ったと思う。
そして、それも奇妙なことなのだが、
私の体には何の異変もなかった。
最初の頃は、
体が変になるのではないか、
とそわそわしていたが、それもなかった。
いつも通りに過ごせるし、
健康診断でも全く問題ない。
体外に便として排出されることもない。
消化されたのか何なのか分からないが、
おかげでその行為を続けられた。
しかし、なぜか、若干、
何も問題ないことに胸が詰まった。
それから大人になっても、
その行為を続けていた。
まるで使命のように。
ただ、さすがに社会的常識が身につき、
これは他人に知られると良くない、
と分かっていたので、こっそりとするようにした。
趣味は趣味なのだが、
人を不快にさせてまでするつもりもない。
そんなある日のこと。
私はいつも通りに自宅で物を食べていた。
一般的な飲食物ではない物のほうを。
その日は変だった。
いつもは食べ終わった時には、
充実感に溢れているのだが、その日は、
全くと言って良いほどに、何も感じない。
それどころかひどく虚しく、途方もなく、
寂しい。
普段そんなことを考えないのに、
もしかして体に不調が?
そう思って病院に行ったが、全く問題ない。
ならば思い違いだった。帰ろう。
なのだが、トイレにあった石鹸。
食べたい。そう思った。
いつもは公共の物は食べないようにしていた。
迷惑がかかるし、申し訳ない。
でもなぜか手が勝手に石鹸へと伸び、
気がついたら食べていた。
独特の匂いと食感、石鹸はもちろん経験済み、
なので、特に思うこともなく、
そのまま食べ切ろうとした。
鏡を見る。
私の顔が映る。
衝撃を受けた。
その顔は楽しくもなく、充実感など微塵もなく、
ただ、絶望と悲しみだけの表情だった。
目は涙で溢れ、まるで何かを渇望するような、
そんな目だった。
唐突に扉が開き、人が出てきた。
個室トイレに人がいたのか。見られてしまった。
その人は石鹸を貪る私を見て、
驚くでも怖がるでもなく、
何も言わず出て行った。
良かった。
違う。
今感じているのは疑問と怒りだった。
なぜ何も言わない?
なぜ心配しない?
なぜ見てくれなかった?
自分で思って自分で驚いた。
何を言っている。
見られないようにしていたのにも関わらず、
見てくれなかったことに、怒りが湧く。
そもそもなぜ私はこんなふうになった?
昔を夢想する。
当時私は何もなかった。
つまり、私には趣味も特技も、語ることが何も、
人を惹きつける何かが無かった。
なので私を見る人はいなかった。
寂しかった。見て欲しかった。こんな私を。
誰かに私という存在を認めて欲しかった。
消しゴムが見えた。皆を見る。
人は突飛な行動に目が引かれるものだ。
だから食べた。
そしたら皆が私を見た。
驚くもの、褒めるもの、恐れるもの。
差はあれど、見てくれた。
心底嬉しかった。こんなことで見てくれる。
だから繰り返した。
その理由も忘れてしまうくらい、ずっと。
そうか、そうだった。
私はずっと、ずっと見て欲しかった。
なのにこの行為そのものに何かを見出し、
結局一人でこんなことをしている。
誰も見てなんてくれないのに。
恐らく内心、いつか誰かに気づかれる、
そんなことを期待していた。
自ら他者に接しようとする勇気も度胸もない。
それなのに、見て欲しかったなんて、
傲慢もいいところだ。
それからすぐ、その行為はやめた。
自分がとんでもなく寂しがりで、子供だと、
そう気がついたから。
そう。私に必要だったのは、
奇怪な行為に逃げることではない。
他者と向き合う、接しようとする、
そんな勇気と覚悟だった。




