第一話
街の底には、いつだって腐臭が溜まっている。
広大な地下ダンジョンの上に築かれた大都市、巨大迷宮都市「アウレリア」。都市のインフラのすべては迷宮で採掘される「魔石」で賄われており、地上には途方もない富と欲望が渦巻いていた。だが、その光が強ければ強いほど、足元に落ちる影は濃く、そして汚れきっていく。
「おい、クソガキ。話が違うじゃねえか」
スラムの湿った路地裏で、鉄錆と安い酒の匂いを纏った巨漢の男が唾を吐き捨てた。
男の胸元には、都市最大の冒険者クランにして、実態は街を牛耳る巨大マフィアである「オプス・マグナ(大いなる業)」の紋章が刻まれたプレートが揺れている。
「話が違うのはそちらでしょう」
男の威圧的な態度に対し、壁に背を預けていた少年――レオンは、ひどく冷ややかな声で返した。
彼はスラム出身の平民であり、世間からは役立たずと蔑まれる最下級ジョブ【錬成術師】である。身なりは貧しいが、その双眸には一切の感情が読み取れない深い闇が宿っていた。
「今回の迷宮第一層での魔石回収任務、事前の契約では取り分は六対四でした。しかし、あなたがたが提示してきたこの銀貨の額は、どう計算しても二割にも満たない。スラムの平民だからと算数もできないと思っているなら、随分と舐められたものです」
「あぁん? スラムのゴミ虫風情が、オプス・マグナの正規メンバーに口答えしてんじゃねえよ!」
男の背後にいた二人の取り巻きも、嘲笑を浮かべながら武器に手をかけた。彼らにとって、レオンのようなスラムの平民は使い捨ての道具でしかない。
「お前みたいな最下級ジョブが迷宮に入れただけでもありがたく思え。それともなんだ? そのゴミみたいな錬成術で俺たちとヤるってのか?」
男たちが下品な笑い声を上げる中、レオンは微かに目を伏せた。
恐怖からではない。彼らの矮小な精神に対する、純粋な軽蔑からだった。普段は礼儀正しく冷静に振る舞う彼だが、平民を犠牲にして肥え太る外道に対しては、一切の容赦をしないという静かなる冷徹さを抱えていた。
(……やはり、この組織は根元から腐りきっている)
レオンの脳裏に、かつての記憶が蘇る。
彼がまだ幼かった頃、今日のようにクランの冒険者に理不尽に虐げられていた泥濘の記憶。絶望の中で彼を救い上げてくれたのは、一人の「名もなき高潔な冒険者」だった。その人は、時々ではあったが、スラムに訪れ、子供にも分け隔てなく接し、本当の冒険者のあり方を教えてくれた。
だが、数年後、その恩人はクランの深い闇を暴こうとした結果、何者かの手によって暗殺されてしまった。
『レオン。いつか、お前がこの街の本当の朝焼けを見てくれ』
恩人の最期の言葉が、レオンの心臓で赤黒い炎となって燃え続けている。
この腐りきった街と組織を正す。邪悪な巨大クランを乗っ取り、スラムの子供たちが二度と犠牲にならない街を作る。それが、レオンの抱く夢であり目標だった。
「……交渉は決裂ですね。残念です」
レオンが小さく溜息をついた瞬間、男が怒声と共に大剣を振り下ろしてきた。
「薄汚い平民風情が!これ以上生意気な言葉を吐かないようにたたき切ってやるゥゥ!」
しかし、レオンは動かない。直接的な攻撃力を持たない彼が、力任せの暴力に正面から対抗する術はない。
だが、ここは彼のテリトリーだった。
「なっ!?」
男の剣がレオンの頭上に届く寸前、足元の石畳が不自然に隆起した。
【生命錬成】。無機物や魔物の死骸の「構造」を書き換え、植物や小動物などの「生命体」として再構築する、それがレオンの異能だった。
石畳の成分を強引に書き換えられ、一瞬にして成長した茨の蔓が、男の足首に絡みついた。ただの蔓ではない。レオンは環境を利用したトラップ構築に長けており、あらかじめ路地裏の壁の成分を劇毒の植物へと変成させて潜ませていたのだ。
「ぎゃああっ!?」
棘が皮膚を突き破り、劇毒が瞬時に男の血管に流れ込む。大剣を取り落とし、男は口から泡を吹いてその場に崩れ落ちた。
「な、なんだ!? 魔法か!?」
「ただの錬成術師じゃねえのかよ!」
取り巻きの二人が慌てて武器を構えようとするが、遅い。レオンは既に彼らの武器の構造に干渉していた。彼らの持つ安い鉄剣は、レオンの能力によって脆い虫の集合体へと変成させられており、力を込めた途端にボロボロと崩れ去った。
「ヒィッ……! 化け物……!」
戦意を喪失し、後ずさりする男たち。レオンは無表情のまま、彼らの首元へ毒を持った茨の先端を突きつけた。
「足りない分の魔石と銀貨を置いて、二度と私の前に姿を見せないでください。次は、脳を直接花壇に錬成しますよ」
男たちが悲鳴を上げて逃げ去ろうとした、その時だった。
「――そこまでだ、街を汚すネズミ共」
路地裏の入り口を塞ぐように、一人の男が立っていた。
洗練された装飾の革鎧。腰に下げられた業物。何より、その眼光の鋭さが先程のチンピラとは次元が違う。
彼こそが、オプス・マグナの中級幹部であり、汚れ仕事に手を染めつつも現状に強い怒りを抱く正義の魔法剣士、ヴィンセントだった。
「クランの正規メンバーを相手に、随分と面白い真似をしてくれるじゃないか。スラムの錬成術師」
ヴィンセントがゆっくりと剣を抜く。その刀身が、空間そのものを歪ませているように見えた。「概念の境目」を斬り裂く剣技、【境界斬り(ポータル・スリット)】の構えだ。
レオンは毒の茨を解き、静かにヴィンセントへ向き直った。相手が中級幹部であることは、その立ち振る舞いから瞬時に理解した。
「そちらの部下が、正当な報酬を支払わなかったまでのことです。私はただ、自分の権利を主張したに過ぎません」
「だとしても、やりすぎだ。お前のような力を持つ者がスラムで野放しになっているのは、組織の秩序に関わる」
一触即発の空気が流れる。
ヴィンセントの剣技が放たれれば、レオンのトラップごと空間が両断されるだろう。互いの本質を見抜くような、ヒリつくような視線の交錯。
レオンの唇に、初めて微かな弧が描かれた。
「秩序、ですか。貴族への賄賂のために平民を使い潰し、スラムにまで薬を蔓延させている組織の幹部が、随分と立派な口を利く」
ヴィンセントの肩が、ピクリと反応した。彼が内心で強い怒りを抱いている「薬」の蔓延という事実を突かれたからだ。
「……お前、どこまで知っている?」
ヴィンセントの声色が変わる。
レオンは両手を軽く広げ、まるで古い友人に語りか
けるような、狂気を孕んだ静かな声で告げた。
「すべてですよ。そして私は、この腐りきった巨大クランを乗っ取るつもりです」
路地裏に、冷たい風が吹き抜けた。
スラムの最底辺から放たれた、あまりにも無謀で、不遜な目標の宣言。
これが、腐敗した迷宮都市を内側から喰い破る、反逆の物語の幕開けであった。




