第三話 魔法の言葉
「はい。それでは10時に待ち合わせでお願いいたします。はい。では、また」
会話の終わりを告げる電子音を耳にしてから、スマホをスーツの胸ポケットへと仕舞う。一応通話が終わったのは確認しています。以前、小細工をしてきたお客さんもいましたので。それはさておき。
何時ものように食事のお誘いかと思っていましたのでこれは予想外でしたね。二人っきりを強調していましたので、レヴィ様の感覚では食事の誘いに近いのかも知れませんが……。
腕時計を見ると時刻は8:30を指しております。約束の時間まで、まだ時間はありますね。10時から予定が入りましたので、それまでに片付けられる仕事を進めておきましょう。
「……まだ、起きそうにはありませんか」
9時を過ぎても起きなかった場合は、叩き起しましょう。レヴィ様は二人っきりと言っておりましたが、私としてはやはり梓さんが近くにいた方が心強い。
向かう先がダンジョンであるなら尚更です。万が一に備えた方がいいでしょうね。
「さ、仕事といきましょう」
ソファで眠ったまま身動き一つしない梓さんを一瞥してから、デスクへと向かいパソコンと向き合います。溜まりに溜まったメールを見て、気分が下がったのは致し方ありません。
時計の針が9時を指しましたが未だに梓さんは起きそうにありません。
「ダメですよボス……こんな所で……へへ」
それどころか大変愉快な夢を見ているではありませんか。
「……はぁ」
思わずため息が出ました。
まぁいいでしょう。急ぎの連絡は全て済ませました。重要度の低いものは部下に回す事にしましたので、10時から仕事を置いてダンジョンに向かっても問題はないでしょう。
その前に梓さんを起こして説明をしなくては。
「梓さん、起きてください」
ソファで眠る梓さんに声をかけますが身動ぎ一つしません。小さな呼吸音がするだけです。
声をかけてもダメならと、体を揺さぶってみましたがコレでもダメです。ちなみに寝ている女性の体に触るだけで、セクハラとして訴えられる事例が世界が変わる前は普通にありましたね。今の世界では逆なのでノーカンという事で。
しかし、全く起きる気配がありませんね。強めに揺すっても反応なしです。あまり使いたい手ではありませんが、軽く電撃を与えてみましょう。
首にかけた雷の模様のネックレスに触れてから、梓さんの頬に手当てます。その瞬間、パチッと静電気が走ったのが分かります。
最大主力なら梓さんを黒焦げにする事は容易いですが、大事な部下にそのような真似をするつもりはないので、最大限の手心を加えます。電流を上手く調整したので、少し痛い程度だと思うのですがどうでしょうか?
「……んん」
身動ぎはしましたが、まだ起きませんね。もう一度、試してみましょうか?
「……ん……んん」
ネックレスに手を当ててから、梓さんの頬に当て電気を流すと少しだけ反応がありました。しかし、起きるまではいかない。
もう少し電流を上げましょうか?梓さんの耐久性がどれくらいかは長い付き合いなので分かりますしね。起きないのならギリギリまで責めてもいいでしょう。
「……言葉……」
「おや?」
梓さんの頬から手を離したタイミングで、か細い声が聞こえましたね。聞き間違えでなければ梓さんの声ですが。
「……愛の……言葉を……」
言えとおっしゃいますか?
というより、もう起きてますね。寝たフリをして私に構って欲しいだけじゃないですか、これ?
「はぁ……」
全く……。
「梓さん」
彼女の肩にポンっと手を置いて、できる限り優しい声で名前を呼びます。起きる気配はないですね。愛の言葉を言わないと、起きないと強く意思表明をしているようにも感じます。全くもう……。
「起きなかったら、嫌いになりますよ」
冷たく言い放つと身動ぎしましたが、まだ起きません。その代わり震える声で『愛の言葉を』と呟いていました。
どうやら嫌いになる、という事は梓さんに効くみたいですね。ですが、意地になってるようなので……多分起きないでしょう。困った部下です。
「梓さん」
優しい言葉遣いを心掛けます。
「起きてくれたらキス───」
「起きましたボス!!!」
バッと飛び起きた梓さんを冷たい目で見てしまったのは仕方ないと思います。現金な方だ。
「の天ぷらが美味しい店に連れていきますよ」
「え?」
「おや?私はキスをするなんて言っておりませんが?」
私の言葉を最後まで聞かずに飛び起きた梓さんが悪いですよコレは。だからそんな非難するような目を向けないでください。
「……乙女心を利用された」
「はい。利用しました。それが何か?」
「……キスしてくれると、僕は信じたのに」
「何年この組織に所属しているんですか、あなたは。 何度も言ってますよね……騙される方が悪いと」
私たちは表社会に生きる者とは違います。裏の深い闇の世界で生きる住人です。そこには善意も施しもない、あるのは底知れぬ悪意と欲望です。自分が得をする為ならば他者を蹴落とす事も厭わない。騙してなんぼがこの世界です。
「……酷いよボス……信じてたの」
とはいえ、大事な部下にこのような反応されるのは少しばかり思うところはあります。……仕方ないですね。
「梓さん」
「最低だよ……大好きなのに」
「これからダンジョンに向かう事になりました」
「そうですか。お気をつけてー」
いつもなら、護衛します!と元気よく返してくれるんですがね。
ショックを受けていると取るか、乙女心を利用して怒らせたと考えるべきか。両方ありそうですね。
「お客さまの依頼で新層へ足を踏み入れる事になります。分かりますね、梓さん?」
「……ボスが危険な目に合う……」
「そうなる可能性は高いでしょう」
「……僕はボスを護るのが役目……」
自分自身に言い聞かすように口にしていますが、納得はいかない様子。世界が変わってから扱いが難しくなったと改めて思いますね。
梓さんならここまで言えば、私の護衛をしてくれるでしょう。けれど、心にしこりは残ってしまう。
───騙される方が悪い。なんて意地悪に言いましたが、裏世界だからこそ信頼関係は重要です。
反省しましょう。乙女心は利用しない方が良さそうですね。ロクなことにならないと今、学びました。
「私を護ってくれませんか、梓さん」
「……それが僕の役目だし」
「はい。それで……無事に此処に帰ってこれたら、してあげますよ」
「……?」
性別が変わる前の梓さんならばお礼の言葉と一緒に食事に誘うか、あるいは彼が望む報酬を与えるだけで良かった。それで彼は満足していた。
ですか、女性になった事で梓さんの欲求が変わってしまいました。梓さんが欲しているのは金や言葉ではなく───私の身体。
本当にイカれた世界ですね。
まぁいいでしょう。
私は目的を達成する為なら使える手は使います。出し惜しみをして後悔はしたくないタイプなので。なので使えるならこの身体であっても使いますよ。
このイカれた世界では、どうやらこんな身体でも価値はあるようなので。
「飛び起きるくらい欲しかったんでしょう?だから無事に帰ってこれたら、してあげますよ。キス」
「天ぷらじゃなくて?」
「言い換えましょうか?口付け、してあげます」
「本当に?」
肯定するように頷けば、飲み込むようにゴクリと音がしました。飲み込んだのは唾か、あるいは私の言葉か。数秒の沈黙の後、梓さんが飛び跳ねました。
「好感度イベントきたーーーー!!!」
私の記憶の中の梓さんが壊れていきます。悲しいですね、これが現実です。
───『ボスの命は必ず俺が護ります!』
記憶の中の梓さんは、覚悟の決まった顔で力強く宣言してくれました。それがどれ程心強かったか。
「ボスの純潔は僕が貰う!!!」
目の前の梓さんは、未来を想像してニヤけた面で、欲の籠った視線を向けながら僕に宣言しました。
この対比がなんとも辛い。
選択肢を間違えた気もしますが、部下の心を得たと思えば些細なものです。未来を見据えるなら、部下の心が離れるような事はあってはならない。私たちの敵は強大です。だからこそ纏まる必要がある。
「これからダンジョンに向かいます。梓さんは影に潜んで付いてきてください」
「任せてくださいボス!必ず護ります!」
心做しか何時もよりもやる気に満ちている気がしますね。
力強い言葉と共に私の影の中へ梓さんが沈んでいったのを確認してから、事務所を後にしました。




