第二十九話 エレベーター
大通りの道を進んでいると、人の多さに嫌気がします。元々が田舎出身だからというのもあるかも知れませんね。
「梓さん、万が一には備えておいてくださいね」
「僕に任せてよ、ボス」
私の足元から梓さんの声が聞こえます。
休憩室で眠っていた梓さんを叩き起し護衛として連れてきた訳ですが、一度体の関係を持つとこれまで培ってきた関係の線引きが可笑しくなるのか、目覚めのキスをしないと起きない等と駄々をこねてくれました。
あくまでもこれまでの活躍や成果に対する見返りであるという事を忘れて欲しくはないですね。
一度寝たから恋人になったと勘違いしているのでしょうか?恋愛初心者の男子じゃあるまいし、そのような勘違いはしないで頂きたいです。
いや、しまった。世界の価値観が大きく変わっている事を忘れていました。
この世界の女性の多くは男性と接する機会が極端に少ないです。元の世界と違って異性と交際はおろか、会話すらろくに出来ない人生を歩むとか。
世に出回っているラブコメやアダルトな雑誌を読んでは男性への憧れを大きくし、いつかは自分もフィクションのような恋をするんだと夢を見る。そういった環境が今の世界では出来上がってしまっています。
梓さんを勘違いしたのも仕方ないという事でしょうか。
だからといって、その勘違いを許す訳にはいかないんですよね。私自身が恋人を持つ気がないのもありますが、今の世界で梓さんと恋仲になるとそれはもう厄介な事になりそうです……。
気分はガチ恋売をしているアイドルですね。
組織が円滑に回るように私と部下の関係は一律同じでなくてはいけません。そんな訳で梓さんが勘違いしないようにしっかりと突き放しましたね。
『ご褒美はもうあげましたよ?何を勘違いしているのですか?そんなにしたいのなら恋人を作ってください』
『それより仕事の時間です。幹部として、私の護衛としてちゃんと働いてくれますよね梓さん?』
『私は成果をあげる有能な者が大好きです。逆をいえば組織の足を引っ張るような無能は嫌いなんですよ。仕事しないで寝ているような者は特に。意味は聡明な梓さんなら分かりますよね?』
『もう一度関係を持ちたいのなら成果をあげなさい。梓さんがこれまで同様に任せて仕事をこなしたのならまた相手をしてあけますよ』
『それと、梓さんと過ごした夜はとても楽しかったです。また、共に過ごせる機会を頑張って作ってくださいね。期待しています』
以上がベッドで駄々をこねる梓さんへかけた私の言葉です。最初の方は恋人気分でウキウキでしたが、表情が徐々に引き攣り……次第に顔は青ざめプルプルと震える始末。
一応、また機会はあるよと伝えれば安心するように息を吐いていました。決め手になったのは次を期待する言葉ですね。
言った瞬間にスイッチが入ったのか、急にやる気を出してベッドから飛び上がっていました。裸で。
先日の夜に一度みた裸体ではありますので、特に言及する事はありませんが……もう少しだけ羞恥心はお持ち頂けると助かりますね。
テキパキと衣服を来て準備を終えたと宣言し、影に潜ろうとする梓さんを説得してシャワーと歯磨き等を済ませてから共に事務所を後にしました。
外に出るに当たってそのまま、良くないですからね。
梓さんへの説明は道中で簡潔に行いましたね。彼女の役割は単純であり、そして長年の付き合いから梓さんであればそれだけで十分と判断したからです。
「さて、ここですね」
「ボス……音が」
桐生院様から共有された場所はダンジョンから5分程歩いた距離にある高層ビル。ルカさんが自慰行為……もとい、休憩する為に桐生院様が用意した部屋が最上階に存在します。
桐生院様曰く、事が落ち着くまでルカさんの動向を把握する為に用意したようですね。ルカさんが予定と違う人物を殺してしまったので、場合によってはもう一仕事ルカさんにして貰わないといけませんから。
目的地に到着するや否や、影の中に潜む梓さんから報告が上がります。どうやら戦闘音を察知したようです。
「もう既に戦闘が始まっているのですね」
「うん。戦っているのは二人じゃなくて、三人かな……。そのうち二人は僕も見知った相手」
「見知った二人は珠魅さんとルカさんですかね?知らない人物が気になりますが……」
ビルの入口からですと梓さんが言うような戦闘が起きているかどうかを把握する事は出来ません。場所を移動していなければ最上階にいますからね。
いくら冒険者とはいえ、地上の喧騒が響く中で300メートル以上上の戦闘音までは聞き分けることは不可能です。
梓さんが所持する魔道具のように戦闘を察知する能力がなければ……。
「どちらにせよ、急いで現場に向かった方が良さそうですね」
「僕もそう思います」
外から見る限りではまだ大きな戦闘には発展していないように見えますね。お二人は私の組織で幹部に位置する者たちです。実力は折り紙付き。
ダンジョンならともかく、一般的な建設で造られた高層ビルの一室では戦闘の余波に耐えきれません。ビルが倒壊するような事があれば、流石の桐生院様もお怒りになるでしょう。
戦闘が激化する前に止める必要がありますね。
ビルに入る為のカードキーはあらかじめ桐生院様に頂いていますので、入口で足止めをくらうなんて事は起きません。
オートロックの扉をカードキーで解除し、そのままエレベーターの元まで向かいます。一つの誤算が生まれたのだとすれば、それは。
「あっ───!」
「レヴィ様?」
エレベーターから降りてきたレヴィ様と鉢合わせした事でしょうか?
「ボス!!」
私を見て固まっているレヴィ様になんて声をかけたらいいのか思考を巡らせていると、影の中に潜む梓さんから声が飛びます。
そうでしたね。今はそれどころではありませんでした。
「すみません、先を急ぎますので」
レヴィ様の横を通りエレベーターに乗り込み、最上階である30階のボタンを押します。エレベーターを降りたレヴィ様とはここでお別れになる、そう思っていたのですが……一度降りたエレベーターにレヴィ様が再び乗り込んできました。
「mein Schatzと話がしたい」
私の目を真っ直ぐに見据えレヴィ様が言います。私と話ですか……。
「今は急ぎの用があります。後でも構いませんか?」
「構わないよ」
優先すべきはレヴィ様との会話ではなく、部下を止める事。こうしている間にも私の部下は戦いを繰り広げている事でしょう。
レヴィ様には悪いですが、彼女と話している場合ではありません。幸いにもレヴィ様は私の用事が終わってからで構わないと仰ってくれました。
お言葉に甘えて現場へ向かおうと思いますが、エレベーターに共に乗っているレヴィ様は降りる様子はありません。もしかして、共に来るつもりでしょうか?
「御一緒するつもりですか?」
「その様子だと荒事だろう?ワタシの手は必要ないかな?」
「…………そうですね、お力をお貸しいただけますか?」
「任せてくれたまえ」
確実に場を治める為にレヴィ様に同行して貰いましょう。レヴィ様は組織に加入はしていませんが、既にこちら側の人間。事情を知られてもそれほど痛くはありません。
レヴィ様の意志を確認してからエレベーターの『閉』ボタンを押します。高層ビルですので、目的の最上階まで到着するのに時間がかかりますね。
この時間がなんとも煩わしい。
「mein Schatz」
「なんでしょうか?」
エレベーターに乗って30秒ほど無言の時間が続いた後、レヴィ様がおもむろに私の事を呼びました。
着ぐるみを着ておりますので表情は読めませんが、レヴィ様の声が緊張を腹んでいた為重要な事である事を察します。
とはいえ、今はそれどころではありません。後にしてくれませんかと、その一言を言う前にレヴィ様が言葉を紡いでいました。
「君は異なる世界から、この世界へとやって来たんじゃないのかい?」




