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異世界で一目惚れした騎士は×××


 我ながらにつまらない人生だと思う。


 必要なものだけが置かれた素っ気ない部屋で目覚め、最低限の身だしなみを整えて出勤する。仕事を終えるとまたこの部屋に閉じ籠り買ってきたコンビニ弁当を食べて寝る。

 そんな生活を繰り返しているうちに学生時代の友人とも疎遠になっていった。もちろん恋人なんていないし職場の同期と仲が良いわけでもない。どこにいたって一人ぼっちだ。

「はぁ」

 ベッドに寝転んでため息を吐き天井を見上げる。人付き合いを避けるように伸ばした前髪が滑り落ち部屋の電気を眩しく感じた。本当に、“ヒカリ”なんて良い名前を付けてもらっておきながらどうしてこうなったんだか。そう考えていると自己嫌悪が増したので考えるのを止めて布団に潜った。

「恋愛とか、してみたかったなぁ」

 そんな願望を呟きながら目を閉じる。するとまだ眠くないはずなのに意識が闇へと落ちていった。


  ◇◆◇


「ん、……んぅ〜〜」

 なんだかよく眠れた気がする。爽やかな風に花の香りが心地良い。ゆっくりと意識が覚醒していくのを感じながら時間を確認するために手探りでスマホを探す。

「…………ん?」

 しかしスマホは一向に見つからなくて、意識がハッキリしていくのと同時に違和感を感じた。ここ、布団じゃない。爽やかな風に花の香り? どういうことだ、鳥の鳴く声まで聞こえてきたぞ。

「え」

 慌てて目を開けるとそこは一面の花畑だった。こんな安売りしていたTシャツと短パン姿で見るだなんて申し訳なくなってくるほどに美しい景色だ。きっとこんな状況でさえなければ芸術に疎い僕でも感動したことだろう、しかし今はただ意味が分からない。

(僕、死んじゃった!?)

 浮世離れしたその景色に思考が追い付かず茫然とする。夢なのか現実なのか、はたまた生きているのか死んでいるのかも分からない。

 取り敢えず頬を抓った。痛い。手元の花も撫でてみた。うん、普通に触れるし、触った感触もある。

(僕部屋でいつも通り寝たはず……、夢、にしてはリアルだし。やっぱりここは天国?)

 死因に心当たりはなかったがもしかしたら日頃の不摂生が祟ったのかもしれない、そんな風に考えていると遠くから聞き慣れない音が聞こえてくる。それは何かが走る足音と鉄のぶつかる音。この音は一体。

「いたぞ!! あそこだ!!」

「ヒェ」

 振り向いた先には馬がいた。そしてその馬に跨るのは腰に剣を差した騎士のような人たち。

(え、ええええ)

 いよいよここが日本かどうかまで怪しくなってきた。もう何から考えて良いのかも分からず取り敢えず立ち上がり逃げる体勢をとってみる。

「わ、……わっ」

 けれど馬相手に逃げるなんてどう考えても無理で、モタモタしている間に騎士たちに囲まれてしまった。近距離で見る馬、凄く怖い。

「ああああのっ!」

「…………」

「僕、怪しい者じゃありません!!」

 武装した人に囲まれるなんて人生初めての経験で緊張から声が裏返る。すると真ん中にいた騎士が馬から降り足元で膝を付いた。

「……え?」

「私達は貴方様を保護しに来ました。知らぬ世界に来て不安であることは重々承知しておりますが、どうか私達と共に城の方までお越しください」

「……し、ろ?」

 目元を隠す前髪の隙間から見えたその人は綺麗な赤い髪をしていた。その美しさに目を奪われていると赤髪の騎士が顔を上げる。

(……うゎ、カッコいい)

 その美しさに息を呑んだ。芸術品のように整った顔立ちに意志の強い目元、その瞳に見つめられるだけで僕の中に知らない感情が湧き上がってくる。

 なんだこれ、死んじゃうんじゃないかってくらい心臓がバクバク跳ねて苦しい。凄く嬉しくて、苦しくて、落ち着かなくて、泣いちゃいそうで。

「ッ、あの……どうかされましたか」

「え!? ぁ、うそ、……えっと、その」

 気付けば涙がボロボロ溢れていた。なんでか分からないけれどずっとこの人に会いたかった気がしたんだ。

 とはいえ彼の驚いた顔を見て我に返り人前で急に泣くなんて、と隠すように目元を擦る。すると赤髪の騎士が他の騎士たちを下がらせ僕の手を取りハンカチを渡してくれた。

「貴方様はこの世界に来たばかりだというのに大人数でゾロゾロと。……配慮が足りませんでした、申し訳ありません」

「いえ、そんなっ」

「ただ私達は貴方様の安全を一番に考えております。どうか私達に貴方様を守らせてください」

 手を握られながらそんなことを言われるともう頷くしかなくて。僕はそのまま赤髪の騎士に手を引かれ馬へと乗せられた。



「あまり速度は出しませんので、ご安心ください」

「……ッ」

 馬に乗せられた僕はそれはもう大切に運ばれていた。

(ち、近い近い近い!! 緊張し過ぎて心臓痛い!)

 僕の身体を囲むように背後に座った赤髪の騎士が馬の手綱を握る。そのせいで抱き締められているみたいになっているし、触れたところから体温が伝わってくるし、その、なんていうか、凄く、良い匂いがする。

(なんだこれ、……頭、いっぱいになる)

 こんな変態みたいなこと考えたくないのに彼の香りを無視することができない。懐かしいような愛おしいような、もっと欲しくなってしまう香りだ。

「街へ着いたら馬を降りますが、私の側から離れないでください」

「ひぇ、ッ、へい!」

 急に耳元で囁くから寿司屋みたいな返事をしてしまう。それが恥ずかしくて悶えていると馬の蹄の音が変わった。

「…………うわぁ」

 広い石橋の先には見上げる程の大きな門。開かれた門の両端には同じ格好をした騎士が立っておりこちらを見るや否や綺麗な敬礼で迎えてくれた。

「では馬を降りましょう」

 門を潜ると馬から降ろされ僕を中心とした陣を組まれる。どうしてここまで厳重に警護されるのかも分からないまま歩いていると辺りが賑やかになってきた。

(凄い……人がいっぱい)

 こんな仰々しく歩いているからか徐々に街の人からの視線が集まる。数分も経てば人集りができていて、皆こちらを見てはコソコソと話していた。

「あれってもしかして」

「凄いわ、これでこの街も」

 何を言われているのかは分からないけれど僕についてだということだけは分かる。探るような視線を受けなんだか居た堪れなくなった僕はソッと視線を下げた。

 本当に、僕は一体どこに来てしまったのだろう。街並みは外国のようだけれど言葉は通じているし、もう流石に夢ではなさそうだけれど騎士や馬での移動など現代では考えられないことばかり。やはりここは天国なのだろうか。いやしかし天国というには日常的というか、この街からは凄く生活感を感じる。

 分からないことだらけだ。なんかもう分からな過ぎて気にならなくなってきた。だってどうせ考えたって分からないんだ、ならもうこれ以上考えなくたって良いのかもしれない。

「こちらへ」

「え?」

 現状への理解を諦め開き直っていると急に赤髪の騎士に肩を抱かれた。それに驚き顔を上げると辺りが騒がしくなる。

「俺の、俺のオメガだ!!」

「うわ!」

 ドキッとしたのも束の間突如背後から男が飛び掛かってきた。しかし男はすぐに他の騎士に捕えられ隣に立つ赤髪の騎士が安心させるように背中を撫でてくれる。

「ご安心を。貴方様の安全は我々が保証します」

(え…………カッコいい)

「ぁ、りがとうございます」

 なんとかそう答えたがただ赤髪の騎士がカッコいいということしか分からなかった。

「あと五分程度で城に着きますので、もうしばらく辛抱されてください」

「……はい」

 何事もなかったかのようにまた歩き始めたので僕は少しだけ後ろを振り返る。取り押さえられた人はまるで獣のようにこちらを見ながら叫んでいた。

「返せ!!」

「オイ、暴れるな!」

「俺のオメガ!!」

 男は僕をオメガと呼んでいる。聞いたことのない言葉だ、この世界ならではの言葉なのだろうか。もしかしたら襲ってきたのはそのことが関係しているのかもしれない。

 あれ? もしかしたら僕は今とんでもなく危険な状況なのではないだろうか。こんなにも守られているということはあの男の人のように僕のことを狙っている“誰か”がいる訳で。

「…………」

 不安ばかりが募り少し俯く。するとそれに気付いた赤髪の騎士がそっと顔を寄せてきた。

「大丈夫」

 短く告げられたその言葉は優しく少しだけ気が緩む。そしてその後同じようなことが数回ありながらも僕は赤髪の騎士にしっかりと守られ城へと到着した。


「よくぞお越しくださいました」

 煌びやかに飾られた長い廊下の奥、通された大広間の先にいたのは絵に描いたような“王様”だった。白い髭に優しそうな目元、大きな王冠に赤いローブ。きっと誰がどこで見ても王様だと分かるはずだ。

 王様は柔らかく笑った後立ち上がり軽くお辞儀をした。まさか王様に頭を下げられるとは思っておらず慌てて同様に頭を下げると王様は再び柔らかく笑う。

「そう畏まらず、まずは自己紹介から。私はこの国の王エリック・ガーランド」

「僕は光莉です、春田光莉……と、申します」

 王様と話す時のマナーなど分からずぎこちない言葉遣いになってしまう。しかし王様はそんな事気にせず優しくこちらを見つめた。

「ヒカリ殿、暖かく素敵なお名前だ」

「……そんなっ」

「色々と聞きたい事があるでしょうが先ずはこの世界についてお話しましょう。……ルーク」

「はっ」

 返事をしたのは赤髪の騎士で、彼は一度頭を下げると淡々と説明を始めた。

「まずこの国は貴方様の住んでいた場所とは別世界であり、貴方様はなんらかの原因でこの世界に飛ばされてきたことになります」

「え」

「過去にも事例がありますが、元の世界に帰る術はまだ分かっておりません」

「…………」

 なんとなく戻れないのだろうと覚悟はしていたけれどこんなにハッキリと告げられショックを受ける。元の世界に未練があるわけではないが、もう二度と戻れないとなるとこれからどうすれば良いのか不安でたまらない。こんな見知らぬ世界でどう生きていけば良いというのか。

「そしてもう一つ。貴方様方異世界の人々は“オメガ”と呼ばれ特定の人々を誘惑するフェロモンをお持ちです」

「……………………は?」

「オメガのフェロモンに強く影響を受ける者を“アルファ”そうでない者を“ベータ”と呼んでいます」

「ちょっと待ってください、オメガ?」

「先程街で貴方様に襲いかかった村人は全てアルファ。貴方様のフェロモンに当てられ自制を失っていたのです」

「……あれって僕の、せい」

「貴方様のせいではありません。ただオメガに対する自然な反応なのです」

 予想していなかった内容に混乱する。急にそんなフェロモンだなんて言われても、僕はイケメンでも美人でもないしそんな人を誘惑できるような身なりはしていないのに。

「しかしご安心ください。貴方様の衣食住はこちらでご用意させてもらいますし、私が護衛に就きますので不自由なく暮らしていただけることと思います」

「……どうして、そこまで」

 聞いたところオメガという人種はこの街を乱す存在のように思える。しかし彼らはこれでもかというほど丁重に接してくれて、その意図が読めない。

 そんな僕の気持ちを察したのか王様がこちらを見て微笑む。そして僕の側まで寄り優しく手を取ってくれた。

「我々にとって異世界からの来訪者は“幸福の象徴”とされているのです」

「…………」

「ですから私は貴方にここで快適に暮らしてもらいたいし、何よりこの国を愛して欲しい」

「……僕、は」

「…………」

「…………」

 僕はそうまでしてもらえる人間ではない。どこにでもいる、冴えないサラリーマンだ。

「色々なことがあり今はお疲れのことでしょう。部屋は準備してあります、どうぞゆっくり休まれてください」

 王様はそう言うと赤髪の騎士、ルークに合図を送る。そして僕はルークに連れられ用意された部屋へと案内された。


「う……わぁ」

 もうここまできたらちょっとやそっとじゃ驚かないと思っていたが、目の前に広がる部屋の広さにはただただ驚いた。

「もはや家だ」

 しかもただ広いだけじゃない。なんだこの高そうな家具の数々。僕の指紋つけても大丈夫なのか。

「それではヒカリ様、この部屋は自由にお使いください。私は隣の部屋におりますのでお呼びくださればすぐに駆け付けます」

「はい、……ありがとうございます」

 あぁ、なんか、流石に頭がいっぱいだ。容量を超えていて思考が上手く動かない。変に一息ついてしまったからか現状が重くのしかかる。色々考えなきゃならないのだろうけど何も考えたくない。

「…………」

「……ヒカリ様、明日は街へ出掛けてみませんか」

「街……ですか」

 街のアルファを思い出し顔が強張る。いくらルークが守ってくれるとはいえあんな風に人から感情をぶつけられるのは正直怖い。

「ご安心を。しっかりと対策さえすれば今日のような事は起こり得ません」

「ぇ」

「オメガのフェロモンは薬である程度抑制できるのです。ヒート中はどうしようも出来ないのですがヒート前は体温が上がるので毎朝体温チェックさえしていればそれも予防できます」

「ヒート?」

「はい、オメガの発情期のことです。その事についてもまた詳しくお話していきますね」

(……え? 発情期? オメガの発情期? オメガって僕のことらしいから……え、僕が!?)

「ただ今日はお疲れでしょう。難しいことは明日に回して今日はゆっくりお休みください」

(発情期って……あの、発情期?)

「それでは、失礼致します」

 発情期という言葉に引っ掛かっている間にルークはあっさり部屋を出ていってしまう。広い部屋に一人取り残された僕は、僕は……。


(発情期って何ーーーーーー?!)


 今日一番に混乱していた。


  ◇◆◇


「あのっ、本当に大丈夫なんですか?」

「朝の体温も正常、抑制剤もしっかりと服用しましたしそのコートは特別な物で、オメガの匂いを抑制してくれます」

 朝、起こされたかと思うとあれよあれよと身支度を済まされ街へと連れ出された。朝食の後に飲んだあの薬、あれで本当にフェロモンは抑えられているのだろうか。目に見えるものでないが故に確かめる方法がなく不安に思う。

 しかしルークは大丈夫、と僕を安心させるように笑い手を引いた。けれどそんなルークを見て僕は更に考える。ルークは「念の為目立たない格好で」と騎士としての正装ではなく地味目のコートを羽織ってくれていた。

 しかし……しかし、だ。美しい赤髪は勿論のことなにより顔が良過ぎるせいでもう既にかなり目立っている。きっと僕よりもルークにこそ美しさを抑える特別なコートが必要だ。

「それでは参りましょう」

「ぇ、あ……はいっ!」

 なんて、そんな事言う勇気はなく僕は貸してもらったコートの前を締めフードを深く被る。そしていつまでもモタモタしてはいられない、と覚悟を決めルークの後を追った。

「う、わぁ」

 少し歩くと市場に着き、お祭りのようなその活気に思わず声を漏らす。

(ゲームの中の世界みたい)

 見渡せる範囲だけでも様々な露店が並んでおり皆買い物を楽しんでいた。その中央には大きな噴水があり、周りでは芸を披露している大道芸人達。どれもが新鮮で我慢出来ずキョロキョロと見渡しているとそんな僕を見たルークが少し笑った。

「ヒカリ様、気に入っていただけましたか?」

「っ、はい」

「それは良かった。……ですが、今日は人も多いので」

(わ、うわぁあ!)

 自然に手を取られ隣へと誘導される。その慣れた手付きに心臓が跳ねた。ああもう、僕の心臓はどうなってしまったんだ。

(なんでこんなにドキドキするんだろ)

 落ち着かない。ソワソワしてムズムズして変な感じだ。——それに。

「まずは服を買い足しましょう。ヒカリ様の好みのものがあれば良いのですが」

 ルークのこの匂いがどうしたって僕を惹きつける。香るたびにルークのことしか考えられなくなって胸の奥がギュッと苦しくなった。

「こちらです。さぁ、ご覧になってください」

 忙しい心臓に振り回されている間に一軒の店へと案内される。そこは服屋で様々な服が綺麗に並べられていた。

「どうぞお好きなものを」

 こんなちゃんとした服屋で服を選ぶのなんていつぶりだろう。普段はスーツばかり着ていたし、部屋着はスーパーの隅っこにある安売りのTシャツばかり。

「……えっと」

 どうしよう、困った。服を選ぶスキルが乏しい上に目の前にあるのは馴染みのない服ばかりでどう組み合わせて良いのか分からない。けれどせっかく連れて来てもらったし、自分が決めなければルークが困ってしまう。さてどうしたものかと悩んでいるとルークが一歩踏み出し一枚の服を手に取った。

「こちらなど如何ですか? ヒカリ様は肌が白くあられますのでこういったお色が似合うかと」

「ッ! じゃあ、それで」

「……本当に良いのですが?」

「はい。……その、お恥ずかしながらこういったことには疎くて。……ルークさんが似合うって言ってくれたやつが良いなって……思って」

 言いながら変なこと言ってないよな、と不安になる。ああ、自分の着る服すら満足に決められないなんてなんて情けないんだ。

 こんなことではルークに呆られてしまうと思いチラリと様子を伺うとルークは少し考えて他にも何着か服を取った。

「それでは、こちらの服に合うものをいくつか見繕わせていただきますね」

「はいっ、よろしくお願いします」

 僕の服を選んでくれているルークの背中を見つめる。カッコよくて気遣いもできて、本当にどこまでも素敵な人だ。

「……ヒカリ様はどういったことがお好きなのですか」

「え?」

 ふと、服を選んでいるルークに問いかけられた。その意図が分からず首を傾げるとルークは選んだ服を店員に渡し振り返る。

「いえ、私にはヒカリ様と同じくらいの弟がおりまして。弟はよくあれを買えこれを買えとせがむのでヒカリ様もこういったことがお好きなのではと思ったのですが……違っていたようなので」

 それを聞きルークが僕を楽しませるつもりで連れ出してくれたのだと知る。その優しさに胸は締め付けられ嬉しさが湧いた。こんな風に人に優しくしてもらえるのなんて、いつぶりだろう。

「ヒカリ様の好きなことを、私に教えてください」

「ぁ、えっと」

 言われてみて考える、僕は何が好きだったっけ。働き始めてからは趣味もなくただ何となく一日を過ごしていたからパッと出てこない。

(…………ぁ)

 でも、そうだ、もうすっかり忘れていたけれどあった、僕の好きなこと。

「……料理が、好きです」

「お食事ですか?」

「はい。色んな料理を食べるのも好きですし、僕が料理を作ってそれを人に食べてもらうのも好きでした」

「それは素敵ですね」

「いえ、そんな。最近は全然だったので今ルークさんに聞かれて思い出したくらいで」

「…………」

 一人暮らしになってからというもの夜遅くまで残業して帰るから自炊をする余裕なんてなくて、ただ生きていくために適当なコンビニ弁当ばかりを食べていた。でも、そうだ。僕にも好きな事はあったんだ。

「それではヒカリ様、少し早いですが昼食といきましょう。この街で一番のレストランをご紹介します」

「ッ! それは、嬉しいです!」

 ルークが優しく笑ってくれるから僕は嬉しくなる。異世界で生きていくなんてどうなることかと不安だったけれどルークが一緒にいてくれるなら。きっと僕は大丈——


「これで守ってるつもりかよ、バァカ」


「……え?」

 身体がフワリと浮き後方へと引っ張られる。そして誰かに抱き止められ振り向くとそこには青髪の男がいた。

「ヒカリ様!!」

「おっと、ここじゃゆっくり話せねェからな。コイツ借りていくぜ」

「え、え、ええ!?」

 強く風が吹き荒れ目を瞑ると青髪の男に身体を担がれる。そして十秒と経たないうちに男は僕を連れ、その場から姿を消した。



 風がおさまり目を開けると知らない森の中に居た。僕を下ろし適当な岩の上に座った男は胡座をかき意地悪そうに笑う。

「お前、名前は」

「…………」

「怯えんなって。別にとって食うつもりじゃねェし、どうせ話せても十分程度さ」

「どうして」

「おっと、質問する前に言うことがあるだろ」

「……ヒカリ」

「おっけ、ヒカリん。よろしくな」

「…………」

 連れ去られたのだから充分に警戒しなければいけないのだが男がヘラヘラと笑うからどうも気が抜けてしまう。

 グレーの混じった青の髪は雑に後ろで束ねられており、服装も乱れている。開いた胸元から覗く身体は筋肉質で肌も綺麗に日焼けしており野生的な獰猛さを感じた。

「俺はこの国一の盗賊リリック様だ! 宝だろうが人だろうが、その気になればお前の心だって盗めるぜ」

「…………」

「ははっ、すげェ警戒してんなァ」

 敵意は感じない。しかしだからといって気を許すには状況が怪しすぎる。どうにかして逃げなければ。

「まあそう焦んなって」

「え、……うわっ!」

 リリックが指を鳴らすと辺りの風が僕の身体を押すように吹く。そして気付けばリリックの前まで押し出され後退りしようとするとそれを阻止するように身体が浮いた。

「なに、これ!!」

「なんだ知らねェのか。じゃあ特別に俺が教えてやる」

「……わ、わぁ!」

「この世界の人間はそれぞれ適性のある自然の力を借りることができる。俺の場合はこの“風”だな」

「か、……風?」

 リリックは説明しながら遊ぶように空中で僕をクルクル回す。怖くて抵抗したいのに空中では掴むものすらなくて僕は間抜けにもワタワタするしか出来なかった。

「つっても基本は微々たるもの、同じ風使いでも微風程度しか操れない奴が殆どさ」

「わあああ、ああ!」

「城の騎士でさえまともな力が使える能力者は数人。まぁ、どいつも俺の相手になりやしないがな」

「わっ、分かった、分かったから! 下ろして!」

「なんだよ、子供にはウケいいんだぜ? これ」

「僕! 子供じゃないから!!」

「へーへー」

 つまらなそうに返事をしたリリックはそのまま僕の身体を高く浮かし風を引いていく。そして最後にもう一回転させた後ゆっくり着地させてくれた。

「お前オメガなんだろ?」

「ッ!」

 リリックが手を伸ばしてきたから反射的に後退る。すると風を使ってフードを脱がされ立ち上がったリリックが首元に顔を寄せてきた。

「なっ!」

「あー? でも匂いしねェな。……つーか、相当マーキングされてンじゃねェか」

「……マーキング?」

「アイツの匂いがべったり、うえっ」

 顔を離したリリックは嫌そうな顔をして舌を出す。そんなリリックに「アイツって誰」と聞くとリリックは更に嫌そうな顔をした。

「一緒に居ただろ、ルークだよ。あの猫被り野郎」

「ルーク?」

「今日、アイツに首周り触られただろ」

「…………」

 そういえば、出かける前に匂いを抑えるためと頸を撫でられた。それがリリックの言うマーキングというものなのだろうか。まぁでもそのマーキングによってリリックが嫌そうな顔をしたということはこれも対策の一つなのだろう。

「……お前には関係ない」

「おーおー、反抗的なこって」

 リリックは僕の反抗的な態度を特に気にした様子もなく再び岩の上で胡座をかく。

「どうしてこんな事したの」

「どうしてって、そりゃ……俺は盗賊だぜ?」

「…………」

「オメガなんて滅多にお目に掛かれねェし、そんな貴重なモンは盗みたくなンのが盗賊としてのサガってやつよ」

「……僕を売り払うの」

「馬鹿言うな、俺ァ盗んだモンは大切にする派だ。つーかそもそも、まだ盗めてねェし」

「え?」

「……時期に分かるさ」

 そう言ってリリックはポケットから懐中時計を出し時間を確認する。そして「そろそろだな」と呟いた。その意味が分からず聞こうとしたが口を開くよりも先に辺りが騒がしくなる。


 ——バサバサバサッ!


「わ!?」

「ははっ、思ったより怒ってンなァ」

 辺りの木々が揺れ鳥が音を立てて羽ばたき逃げる。まるで何かが迫ってきているかのような威圧感に怯えるとリリックが肩に腕を回してきた。

「もちっと話したかったンだが、タイムオーバーだ。アイツかなり怒ってるから怪我しねェようヒカリんは一旦避難な」

「へ、……避難って」

 何か察しているっぽいリリックに詳しく聞きたいのにどうやら時間がないようで聞いてもらえない。

「ッ、暑い?」

 すると一瞬で異様な程の暑さが襲ってきた。それを合図にリリックは僕の身体を風で包み高くまで飛ばしていく。

「え、え、……ええ〜〜!!」

 先程とは比べ物にならない高さに恐怖し叫ぶが球体のような風の中、僕は出ることが出来ない。

 何でこんなことをするんだと戸惑いながら下にいるリリックを見る。すると対面に赤髪が見えた。

(ルークだ!!)

 助けに来てくれたのだと分かり嬉しくなる。しかし次の瞬間僕は耳を疑った。


「リックてめェ……、ぶち殺してやっからな」


「……………………へ?」

「なんだよルーク、俺とお前の仲だろ?」

「今すぐヒカリを返せ」

「どうしよっかな。俺もヒカリん気に入ったし」

 リリックが言い終わる前にルークが飛び出す。その速さは人の域を超えていて次の瞬間にはリリックに向けて拳を振り上げていた。しかしリリックはそれを風で飛びながら軽く交わし会話を続ける。

「可愛い子じゃねェか。童顔だけど顔は綺麗系でさ」

「ぶっ殺す!!」

(あれ、本当にルーク?)

 距離があるからハッキリとは見えないがここから見るルークは眉を険しく寄せ大きな口でリリックに怒鳴っている。僕が見てきたルークとは真逆の表情に言葉遣い。

「ははっ! ガチじゃねェか! ちょーっと借りただけなのに!」

 ルークはコートを脱ぎ捨てリリックに拳を振るう。それをリリックが楽しそうに避ける。その度に下から熱風が吹き上がってきて背中にジワリと汗をかいた。

「あっつ! ……おいおいおい、マシがよ」

 一見リリック優位に見えた戦いだがふとリリックの表情が曇る。その理由はルークの手元だ。ルークは手に猛々しい炎を握っていた。

「森に火は御法度だろ?! 騎士様がここら一帯燃やす気かよ!」

「俺に燃やして欲しかったンだろ? 喜べゲス野郎」

「うわー……、ガチの目だ。こりゃやべェな」

 下にいるリリックが僕の方を見上げる。その瞬間嫌な予感がして身構えるとリリックが上を指差し笑った。

「ルーク! 今日は場所が悪ィからここまでだ!」

「逃すわけないだろ」

「しっかり“受け取れ”よ?」

「は?」

「え!」

 リリックが指を鳴らすと同時に僕を囲ってた風が消える。そうなるとどうなるかなんて考える間も無く僕の身体は落下していった。

「うわぁああああああああああああ!!」

 ああ、死ぬ、これ死んじゃう!! やだやだ死にたくない!!

「ッ、ヒカリ!!」

 怖くて丸めた身体が力強く抱き締められ大好きなあの香りに包まれる。そして強い衝撃の後恐る恐る目を開けると眉間に深くシワを寄せたルークの顔。

「ざっけんな!! この世で一番丁重に扱え!!」

「…………」

「ヒカリーん! また遊ぼうね!」

「またなんてあるか! クソリック!!」

「…………」

 怖い顔で怒鳴るルーク。僕はそんなルークから目が離せない。あれ、なんだこれ、高いところから落ちたからかな、胸はドキドキ煩くて、嬉しくて、落ち着かなくて頭の中がルークのことばかりで埋め尽くされていく。優しいルークも、眉間にシワが寄ってて荒れた言葉で怒鳴るルークも、全部、ぜんぶ。

「ヒカリ様、あのクソに何かされませんでしたか」

「………………き」

「え?」


「好き!!」


「……は?」

「僕! ルークのこと大好き!!」

「はァ?!」

 駄目だ、なんだこれ、好き過ぎて気持ちが溢れてくる。我慢出来ない、大好きだ、すっごくすっごく大好きだ!!

「大好き!!」

 意味が分からないと言わんばかりに顔を顰めるルークの首元を掴み言い寄る。なんだか不思議な感覚だ。自分の中にこんなに強くて積極的な感情があったなんて。

「落ち着いてください、ヒカリ様」

「ねぇ聞いて! 初めて会った時から思ってたんだ、僕にとってルークは特別だって」

「…………」

「カッコいいし優しいし強いし! それにとっても良い匂い」

「……ッ」

 ルークの顔が強張るが初恋に浮かれる僕はそれに気付けない。

「だからね」

「そろそろ抑制剤が切れるお時間です。一先ず城へ帰りましょう」

「でもっ」

「ヒカリ様」

「……」

「帰りますよ」

「…………はい」

 有無を言わさない空気に押し負けた僕は渋々と頷く。するとルークは僕を立たせ服についた汚れを払いフードを被せてくれた。

「……ルーク」

「ヒカリ様のその感情は、オメガによるものなのです」

「…………」

「ですのでヒカリ様、……そんな悲しい顔をなさらないでください」

「…………」

「大丈夫です。少しずつ慣れていきましょう」

 ルークは優しく慰めてくれたけれど、その態度が僕の気持ちを本気だとすら思ってもらえていないのだと知らしめた。まるっきり相手にされていない。

(……どうすれば)

 ルークの少し後ろを歩きながら考える。全く相手にされてないけど、このまま諦めるなんてありえない。


 春田光莉二十三歳、初恋。


 この恋が波瀾万丈な日々への入口だなんて、この時の僕は知る由もなかったのだ——。


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