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その夜、晴臣と玲は昨夜と同じ離れの部屋に再び結界を張った。四隅には盛り塩、襖には符を貼り、灯りは行燈がひとつ。呼ばれた啓太郎は部屋の隅で膝を抱え、小さく丸まって震えていた。
玲が静かに目を閉じ、指を組むようにして手印を結ぶ。晴臣は燈守神社に伝わる言霊の祝詞を口の中で小さく唱え、気配を呼び寄せる。
「……御霊ましますならば、いま一度、言の葉にて告げ給え……」
部屋の空気が、ぴたりと止まった。時が凍りついたかのように、音も気配も消え失せる。風一つないはずの室内で、障子が微かに軋んだ。
その瞬間——玲の身に、何かがすっと降りた。
気配が変わる。空気が重くなり、玲の表情が僅かに歪む。
玲の口が、静かに開いた。けれど漏れた声は、彼自身のものではなかった。老いた男の、掠れた声だった。
「……啓太郎……」
啓太郎がびくりと身体を震わせた。
「……神棚……証文を……」
その言葉を最後に、玲の体がぐらりと揺れる。晴臣がすぐに肩を支えると、玲ははっとしたように息を吸い、目を瞬かせた。
室内に張りつめていた気配が、すっと消える。空気が静かに緩み、灯りの揺らぎも元に戻った。
沈黙の中、啓太郎は呆然とし、口をわずかに開いたまま動けずにいた。
「……神棚?」
ぽつりとつぶやいた声は、どこか呆けていたが、次第に確信めいた響きへと変わっていった。
「——店の神棚です。あの奥には、父しか触れない箱があります……!」
啓太郎は立ち上がり、転げるように部屋を飛び出した。
その神棚は帳場の奥にあった。御札の脇に、小さな木箱が目立たぬように置かれている。
啓太郎は踏み台を使って手を伸ばし、慎重に箱を取った。蓋を開けると中には、封をされた封筒がひとつ。
中から古びた一枚の書面が現れる。紙の縁はわずかに黄ばんでいたが、文字はしっかりと読めた。
「……金壱千円借用。山形屋宗右衛門……」
場の空気が、静かに沈み込んだ。
啓太郎は証文を両手に持ったまま、長く息を吐いた。
「……父は、山形堂に金を貸していたんだ。あの店がまだ小さな頃に」
晴臣と玲は、黙って啓太郎の様子を見守っていた
しばらくの沈黙ののち、啓太郎は絞り出すように言った。
「……明日、山形堂に行って、話を聞いてきます。この証文を見せて……あの人が、何を言うのか、確かめたい」
その声は、怒りとも悲しみともつかない、不器用な決意に満ちていた。