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その夜、和傘問屋の老舗「嶋屋」の裏庭の土蔵の前で、男が倒れていた。当主の嶋岡嘉兵衛。頭部に打撲傷を負い、横たわる姿を翌朝発見したのは、朝の掃除に出た女中だった。
「旦那さまが……!お、お庭に……!」
雨で足跡は流され、争った形跡も見当たらず、警察は、滑って頭を庭石に打ちつけた、転倒による不慮の事故と結論づけた。だが、女中や使用人の間では、ある“噂”がささやかれていた。
死の前日もまた、父と息子は激しく言い争っていた。
「もう和傘の時代じゃないんだ! 洋傘も合羽も扱うべきだよ、父さん!」
「おまえは口を慎め。嶋屋の誇りは和傘にある。洋物などに魂はない!」
女中はそれを、居間の襖越しに聞いていたという。
「俺の代になったら、好きにするさ!」
そう言い捨てた啓太郎が、まさか翌朝、父の遺体と対面することになるとは、誰が想像しただろうか。
それから数日後、屋敷の中で、奇妙なことが起き始めた。
夜中、廊下を歩く影を見たという小間使い。庭に白いものが動いていたと証言する下男。最初は気のせいだと思われたそれが、やがて屋敷全体を不穏な空気で満たしていく。
——ついには、若旦那・啓太郎の枕元に現れるようになった。
啓太郎は寝床から出られぬほど怯え、食事も喉を通らなくなった。
「……親父が怒っている……俺のせいだ……喧嘩なんてするんじゃなかった……」
そう繰り返すばかりの姿に、番頭の長吉は黙っていられなくなった。
しかし、家の名に関わる話を外に漏らすことはできない。相談相手は限られていた。
「どうか、静かに……祓っていただきたいのです」
そう頼った先が、神在坂の燈守神社だった。古来より“見えざるもの”に関わる祈祷を引き受けてきたとされる神社。宮司の灯神敬道は番頭の訴えを受け、静かにうなずいた。
「では、私の息子と甥を行かせましょう。派手な装束では目立ちすぎますから、普段着で向かわせます。ご安心を」