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(4)

 

 宮殿に到着して『ディナーの間』に入ると、見たこともない料理が並んでいた。

 ダイオウイカの姿焼き、

 アブラボウズの煮つけ、

 アカザエビの素揚げ。

 料理長が詳しく説明してくれたが、食欲がそそられることはなかった。

 しかし、それを遠慮と勘違いしたのか、

「うまいぞ。早く食え!」と富裸豚に促されてしまった。


 仕方がないので恐る恐るダイオウイカを口に入れたが、余りの不味さに吐き出しそうになった。

 それでもなんとか鼻をつまんで飲み込んだが、それ以上は箸が進まなかった。


 すると、「遠慮せず全部食え!」と富裸豚の檄が飛んだ。

 見ると、富裸豚はダイオウイカをすべて平らげ、アブラボウズの煮つけに箸を伸ばしていた。


「トロトロの霜降りが半端なく旨いんじゃ」


 富裸豚は一心不乱にむしゃぶりついていた。


 本当かな? 


 テーブルにどんと置かれたグロテスクな魚体をまともに見ることができなかったが、今度も恐る恐る口に入れた。


 ん? 

 美味い! 

 しかし脂が半端ない。

 大トロよりトロトロだ。


「食べ過ぎると下痢をする方もいらっしゃいますから、お気をつけください」


 料理長の忠告に、さもありなん(・・・・・・)と頷いた。


「アカザエビの素揚げを冷めないうちにどうぞ」


 勧めに従って口にすると、これはうまかった。

 パリパリとした感触と甘みがなんとも言えなかった。


「デザートは深海深層水シャーベットをお楽しみください」


 深海牧場で飼っているマッコウクジラのミルクと深層水のミネラルが融合した甘じょっぱい風味が口の中の脂分を忘れさせてくれた。


「いや~、食った食った」


 富裸豚は一段と大きくなった太鼓腹を擦りながらソファへ移動した。


 *  *


「アルマニャックでもどうじゃ」


 フランソワが頷くと、黄金で装飾されたブランデーグラスが運ばれてきた。

 富裸豚は琥珀色の液体に鼻を近づけてしばし香りを楽しんだあと、惚れ惚れとしたような声を出した。


「コニャックも悪くはないが、アルマニャックはまた格別なんじゃ」


 促されたフランソワは両足で温めたあと、口に含んで舌の上で転がした。

 すると、上品な香りが鼻に抜けて熟成した甘さが口の中に広がった。

 そのまろやかな味わいにすべてを忘れそうになったが、ハッとして富裸豚に向き合った。


「先ほどの続きですが」


 大型移動船での続きを促した。


 すると富裸豚は頷いたが、口から出てきたのは権力のことではなかった。


「赤字は悪じゃ!」


 えっ? 赤字って……、


「日本は借金大国と聞く。毎年赤字を垂れ流し、その借金総額は1千2百兆円を超えているというではないか」


 確かに、そのことを報じたニュースを見たことがある。


「日本の去年の収入は税収が主で約79兆円、それに対して支出は約114兆円。引き算をしたらどうなる?」


 79引く114だから、

 えーっと、マイナス35か。


 ブツブツ言っていると、それが聞こえたのか、富裸豚は相槌を打ってから質問を繰り出した。


「そうだ。35兆円の赤字だ。それを国債で埋めている。つまり借金だ。借金をしたらどうなる?」


「えーっと、お金を借りたら利子を払わないといけないと思います」


「そうだ。その利払いにいくら払っているかわかるか? 8兆円だぞ、8兆円! それがどんどん増えて10兆円、15兆円になったらどうする、考えただけでもゾッとせんか?」


 富裸豚は何度も頭を振ったあと、フランソワの目を覗き込むように顔を近づけた。


「お主が会社の社長だとする」


 えっ、僕が社長? 

 いきなり何を言い出すの? 


「その会社が大赤字を出したらどうなる?」


 そりゃあ、大赤字を出せば、そして、それが続いたら社長は間違いなくクビでしょ、


 ブツブツ言っていたら、すぐさま声が返ってきた。


「そうだよな。なのに歴代の首相や財務大臣はなぜ首にならない?」


 ん? 

 会社と国は別物だから?


「そんなことはない。組織という意味では一緒だ。収入と支出、黒字と赤字、全部一緒だ」


 でも、国債残高が増えても日本は潰れないと言っている政治家もいるけど……、


「知っておる。日本の国債のほとんどは日本人が買っていて、それもすべて円で買っているから、満期になって返済が必要になったらお札をどんどん刷って買い取ればいいだけの話だって言っているんだろ」


 富裸豚は理解できないというように両手を広げた。


「お札を刷ればいくらでも借金できるって、そんなことあるのかね? 借金が2,000兆円になっても3,000兆円になっても日本銀行がお札を刷り続ける限り日本は潰れないなんて信じられるか?」


 確かに。

 日本はどうなっちゃうんだろう? 

 借金地獄に陥って潰れちゃうのかな? 

 でも世界第4位の経済大国が潰れたらどうなる? 

 大変なことになるぞ。世界大恐慌が勃発するんじゃないの?


 フランソワは顔から血の気が引くのを感じて、正常ではいられなくなった。


 そんな様子を察したのか、富裸豚が一人の男を呼んだ。

 財務大臣だった。


 大臣が部屋に入ってきて自己紹介をしようとすると、それを遮るように裸豚が問うた。


「借金大国である日本が生き延びる道はあるのか?」


 すると大臣はしばし考え込んだのち、「私見ではありますが」という断りをした上で静かに語り始めた。


「最悪のシナリオとしましては、日本の財政に対する信用が落ちて国債が暴落し、債務不履行が起こり、日本が破産するということが考えられます。日本の対GDP純債務残高は危機に瀕した時のギリシャと変わらないのです。つまり、世界最悪レベルといっても過言ではありません」


 すると富裸豚は大きく頷き、「では、ギリシャ危機が起こったように日本危機も起るのじゃな」と確信の声を出した。


 その自信満々の目力に威圧されたように見えた大臣だったが、一呼吸置いたあと、慎重に言葉を継いだ。


「いえ、そうとは限りません」


「なんでじゃ!」


 自らの確信を否定された富裸豚は間髪容れず声を荒げた。


 しかし、大臣はすぐには答えなかった。

 富裸豚の気が落ち着くのを待っているようだった。


 富裸豚はしばらく大臣を睨んでいたが、表情を少し和らげて、「理由を言いなさい」と続きを促した。

 大臣は一度頭を下げてから再び口を開いた。


「ギリシャ国債の約8割が海外で保有されていたのに比べ、日本国債の海外保有比率は1割未満と推定されております。しかも、すべて円建てなのです」


「それがどうした」


 大臣の話に納得がいかない富裸豚が貧乏ゆすりを始めた。


「言い換えますと、ギリシャ国債は外国人が持っている資産、対して、日本国債は日本人が持っている資産ということになります」


「だ・か・ら!」


 貧乏ゆすりが激しくなった。


「つまり、ギリシャの借金はその多くが外国から借りたものですが、日本の借金はほぼすべてが国民から借りたものと言えるのです」


 ん? 

 どこから借りたって借金は借金でしょう。


 同意を求めて富裸豚を見つめると、彼も同じように怪訝そうな表情を浮かべていた。

 しかし、それを気にする様子もなく財務大臣は言葉を継いだ。


「日本の国債はそのほとんどを日本人が持ち、しかも、すべて円建てで発行されています。つまり、外貨建ての国債は存在しないのです」


 それはもうわかったから!


「このことがとても大事なのです」


 円建てが?


「日本政府は円という通貨の発行権限を持っています。ですので、いざという時には日本銀行に通貨を発行させて市中にある国債を買い取らせばいいのです」


 じゃあ、ギリシャもユーロを発行して国債を買い取ればよかったじゃない、


「それができないのです。ユーロの発行権限があるのは欧州中央銀行だけなのです。ギリシャにはありません」


 あっ、そうか、EUに加盟した時、ギリシャが独自で通貨を発行する権限が無くなったんだ。


「それに、当時のギリシャは長年経常収支が赤字であり、対外純負債国になっていました。ですので、国内の貯蓄が少なく国民から借金することもできませんでした。更に、粉飾会計による信用力低下や高インフレなどに直面しており、現在の日本とはまったく状況が違っていたのです」


 なるほど、当時のギリシャとの違いはわかったけど……、


「もちろん、通貨発行権限があるからといって、やみくもにお札を刷って国債を買い取ることができるわけではありません」


 そうだよね、


「市場に大量のお金が出回ると、お金の価値が下がります。ということは、物の値段が上がることになります。これがインフレです。もし、そのインフレが手に負えないレベルになったら国債の買い取りはしてはいけないのです」


 そうか……、

 で、今は大丈夫なの?


「日本は長いデフレ状態をやっと脱したところです。それに、ギリシャと違って経常収支の黒字が続いており、世界最大の対外純資産国となっています。その上、国内の貯蓄は有り余るほどあります。ですので、その状態が変わらない限り、円建ての国債を発行しても問題はないと思います」


 本当? 

 限度はないの? 

 いくらでも発行できるの?


「色々な考え方があります。『現代貨幣理論』というものを提唱する人たちは、独自の通貨を持つ国は債務超過による財政破綻はあり得ない。だから、高いインフレを招かない限り政府の債務がいくら増えても問題はないと言っています」


 えっ、

 そんなことあり得ないでしょう、


「もちろん、経済学主流派の考え方とは大きく違います。しかし、日本が正にそれを実証しようとしていると主張している人たちもいるのです」


 今の日本がそれに当てはまると?


「日本の財務省や日銀の首脳はこの考え方を真っ向から否定していますが、アメリカではこの考えを支持すると公言する議員もいるようです」


「で、君はどう思うんだ!」


 イライラしながら聞いていた富裸豚が結論を促すと、大臣が落ち着き払った声で返した。


「日本が今後持続的な成長ができるかどうか、それが大きなポイントだと思います。つまり、名目GDPが増え続けることが大事なのです」


 ちょっとまって。

 GDPって、国内総生産だっけ?


「そうです。個人消費と民間投資と貿易収支と政府支出の合計が名目GDPになりますので、日本が成長するためには、個人が消費を増やし、企業が投資を増やし、輸入以上の輸出を実現することが必要になります。それを実現するために仕事や雇用を増やす目的で政府が支出する分にはなんの問題もないと思います」


 借金が増えても?


「そうです。名目GDPが増えていけば、つまり、プラス成長が続けば、当然のことながら税収が増えます。そうすると、財務体質の改善が図られるのです。逆に言うと、赤字国債という借金を減らすためには、GDPと税収を増やすしかないのです」


 卵が先か、鶏が先か、


「もし日本がまたデフレ状態に戻ってGDPがマイナス成長に陥るとどうなると思いますか?」


 さっきの話だと、個人消費が減り、企業の投資も減り、貿易赤字になり、日本の国力が落ちていく……、


「不景気なんだから公共事業も減らせという意見が強くなって政府の支出も減ると、悪性のデフレになる可能性が出てきます。そうなると、もう手遅れです」


 どうなるの?


「円建ての国債発行に限界がくれば、大幅な増税しか手段が無くなります。それでも金が足りなくなれば、外貨建ての国債発行に踏み切ることになります」


 それって、あの時のギリシャと同じ……、


「日本は少子化によって人口が減っていきます。半面、高齢者比率がどんどん高くなっていきます。つまり、生産人口が減る中で社会福祉関連費用が大幅に増えるという未曾有の事態を迎えるのです。それでも成長をしなければなりません。成長が止まれば、地獄の悪循環が始まるからです」


 はっ? 

 なんか凄いこと言ってない? 

 地獄の悪循環? 

 気絶しそう……、

 日本はどうなっちゃうの?


「現状をしっかり認識することが重要です。辛いかも知れませんが、日本が置かれている厳しい現状から目を逸らしてはいけないのです」


 それはそうだけど……、

 で、どうしろっていうの?


「先ず、人口減少に歯止めをかけなければなりません。

 そのためには、若者が子供を産み育てる環境を整備しなければならないのです。

 低賃金を余儀なくされている非正規社員は結婚を諦めている人が多いですし、結婚できたとしても子供を産み育てる余裕はありません。

 そんな状況だから出生数が減っているのです。

 だから、非正規社員をゼロにするための法改正を早急に行う必要があります。

 更に、男女平等賃金を実現するのはもちろんのこと、技術革新による働き方改革を行って男性の育児参加を促す必要があります。

 と共に、子供を産み育てたいと願っている人たちに対して出産や育児へのきめ細かな支援をしなければなりません。

 それも、今すぐに」


 確かに。


「一方、直近の課題である生産人口の減少を食い止めるためには女性と高齢者の労働参加が必要です。特に人生100年時代と言われている今日、60歳や65歳で定年を迎えるという考え方を根本から見直す必要があります」


 そうだよね。最近の高齢者は元気だものね。


「再雇用制度も見直すべきです。60歳で一旦退職して再雇用された場合、同じ仕事をしているのに給料が半分以下になるのはどうみてもおかしいと思います。給料が変わらないまま70歳まで働けるようにすべきだと思います」


 いいね、いいね!


「給料が安定し、老後の心配が減れば、個人消費が確実に増えます。所得と消費が増えれば税収も増えます。当然のことながら国の財政にもプラスになるのです」


 そりゃそうだ。


「それに、働くことによって社会に貢献し、生き生きとした毎日を送ることができれば健康にもプラスに働きます。そうなれば、医療や介護などの社会福祉費の増大に歯止めをかけることができます」


 正に一石二鳥! 

 日本の政治家さん、企業経営者さん、よく聞いてよ。


 ちょっと気持ちが前向きになってきたフランソワは、嬉しくなって鼻唄が出そうになった。

 富裸豚も同じだろうと思って顔を覗き込んだが、彼の顔は曇っていた。



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