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第3幕:呂嗚流と椙子(1)

 

「3ヵ月後に戻ってくるからね」


 そう言い残して呂嗚流が旅立っていった。

 大規模なワールドツアーが始まるのだ。

 椙子にとって3か月という期間は余りにも長すぎるものだったが、ロックスターの宿命として受け入れざるを得なかった。


 でも本音は違っていた。

 付いていきたかったのだ。

 どういう形でもいいから付いていきたかったのだ。


 しかし、両親に紹介していない段階で人目に付くようなことはできなかった。

 パパラッチに見つかったらゴシップ紙の一面に載ることは確実だからだ。


「浮気しないでね」


 呂嗚流が乗ったリムジンの後姿を椙子の呟きが追いかけた。

 錠付きの貞操帯を付けておけばよかったと今になって思ったが、後の祭りでしかなかった。


 視界からリムジンが消えると、心の中が空っぽになった。

 それだけでなく、耐えられないほどの寂しさが涙を誘発して止まらなくなった。

 両手で顔を覆っても指の間から零れ落ち続けた。

 3か月も待つなんて無理だと思った。

 立っていられなくなると、崩れ落ちそうになった。


 でも(こら)えた。

 必死になって堪えた。

 呂嗚流との約束があるからだ。

 期待に応えなければならないからだ。

 目を瞑ると、昨夜のことがまざまざと蘇ってきた。


 *  *


「美ロックスのデビュー曲は2人の合作にしよう。俺が作った曲に詩をつけてくれないかな」


「えっ、詩?」


「そうだよ」


「でも、作詞なんてしたことがないし……」


 椙子は困惑したが、呂嗚流は「大丈夫」と言って一枚の紙を差し出した。

 そこには『内面と真摯に向き合う』と書かれていた。


「君の心に問えばいいんだ。君が大切に思っていることは何か? それをどんなメッセージにして発信したいのか? 問い続ければいいんだ。時間は十分にある。3か月もあるんだ。君ならできる。自分を信じて!」


 包み込むような目で見つめられると、逆らえなくなった。

 無理ですとは言えなかった。


 しかし、どうしていいかわからなかった。

 内面に真摯に向き合えと言われても、すべての関心が〈美〉に向いている自分にそれ以外の何かを発見できるとは思わなかった。


 それでも弱音を吐きたくはなかった。

 愛する呂嗚流が期待してくれているのだ。応えなければならない。

 でも……、


 *  *


 嗚流が旅立ったあと必死になって頭を絞ったが、何も浮かんでこなかった。

 テープに録音された呂嗚流のハミングに詩を載せようとしても一言も浮かんでこないのだ。


 その理由はわかっていた。

 誰かに伝えたいことが何もないのだ。

 すべてが満たされている自分の中にメッセージなんて存在するはずはなかった。


 呂嗚流様……、


 椙子は、彼が残していった銀紙が貼られたアルバムを手に途方に暮れた。

 内面と真摯に向き合っても何もないことに気づかされるだけで落ち込むばかりだった。


 呂嗚流様……、


 救いを求めるような呟きがアルバムに落ち、帯に書かれている対自核という文字に吸い込まれていった。


 わたし自身の核に向き合う……、


 掠れた声が口をついた。

 もう何度呟いただろう。

 しかし、対自核は何も教えてくれなかった。

 冷ややかに見つめ返されるだけだった。


 何か言って……、


 しかし、沈黙以外に返ってくるものはなかった。

 それが続くと、瞼が次第に重くなってきた。


 もう何日も寝ていなかった。

 気力、体力共に限界に達していた。

 あくびを止めることはできなかった。


 ダメ、ダメ! 


 両頬を強く叩いて目を覚まそうとした。

 しかし両瞼は重く、1ミリも開けていられなかった。


 あ~もうダメ……、


 こっくりこっくりと舟を漕ぎ出した。

 そして遂に銀紙の上にうつ伏した。

 その瞬間、吸い込まれるように異次元の世界へ落ちていった。



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