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【第1章完結】滅びの種:Doomed-Seed  作者: 椎名ユシカ


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24「訓練生Cクラス船員ルカ・ヴァルディ⑩」


 ルカの指先が差し出された手に触れる寸前、空間全体が“息を潜めた”ような気がした。


 白い床と白い壁、そしてどこまでも続く穢れの祓われた純白の天井。そのすべてが、まるでノイズひとつ許されない秩序で構成されているかのように静まり返っている。


 そんな空間の中心で彼女――“案内人”は明らかに異質だった。顔の一部を覆うのは黒く乱れたグリッチ模様。波打ち、滲み、刻々とその形を変える乱数ノイズは、現実に存在する何かを意図的に塗り潰しているように見える。それは顔の代わりに貼り付けられた“代替品”としか言いようがなく、観測者の視界をじわじわと侵食し、正しさの基準を歪ませていく。


 不安と好奇心の境界を揺らすままに、ルカはその手を取った。いや、取らざるを得なかった。


「案内を開始します。あなたの内側にあるものと、対面する準備はできていますか?」

 

 唐突すぎるその問いに、彼は眉をひそめた。


「……内側? 何の話だよ、それ」


 彼女――いや、“それ”は答えない。ただ、一歩だけ引いた足で方向を示すと、滑るような足取りで歩き始める。ルカは僅かに躊躇しながらも、背後に残された静寂の圧に押されるようにしてそれの後を追った。


 歩くたびに、床のガラスが微かに反射する。二人の影は溶け合うことなく、それぞれ異なる速度で光を受け進む。やがて、純白の空間の一角に、ゆっくりと“それ”が現れた。


 金粒の砂時計。高さはルカの身長を越えている。中の粒は金属や砂でもなく、微細な光を反射する粒子で構成されており、天から落ちる星の破片のようにゆっくりと落下していた。だが奇妙だったのは、その粒子が途中で何度も跳ね返るように空中で反発している光景。


 それらは重力に従っているのか、それとも記憶に従っているのか分からない。


「ここに来てから、あなたは何を見ましたか?」


 突然、クサンが問いかける。その視線は砂時計ではなく、ルカの横顔に向けられていた。


「……何って、バイオリンとか時計とか。音も鳴ってないのに……音がした気がした」

「それは、“正しい反応”です」


 クサンの声は無機質だったが、どこか満足げだった。そして、まるでそれ以上は語らないと決めているかのように、彼女は砂時計の前で一切立ち止まることなく、そのまま通り過ぎていく。しかし、ルカはふと立ち止まり砂時計を見上げた。その瞬間、喉の奥にほんの僅かな違和感が走る――乾いた痛みでも、哀しみでもなく、それは形にならない確かなザラつきだった。


 彼の視線が上へと向かう。天井まで届く巨大な砂時計――中に満たされた金色の粒子が、その上部からゆっくりと滴り落ちていた。一粒ごとに、まるで“何かの終わり”が積み重なっていくような静かな重みがある。


「それは“時間”ではなく、“証拠”です」


 クサンティは振り返り、砂時計に視線を向けた。


「ウプシロンが“不要”と判断したもの。その記録の回収量を可視化した展示です」


 金の粒子がまた一粒、波打ちながら堕ちていく。

 ルカは僅かに眉をひそめたが、すぐにその場を離れた。この時、彼は金粒の正体に、まだ気づいてはいなかった。


 彼女の足取りに導かれるように、ルカもまた進む。

 やがて、空間の曲がり角を抜けた先――別の展示エリアが視界に入った刹那、彼の鋭い眼差しはとある奇怪な展示物に吸い込まれる。


 そこにあったのは、胎児のような“何か”だった。透明な球体の中央に浮かぶのは、金属光沢を帯びた構造体。まるで生きているように、規則的に鼓動しながら確かに脈動している。その胎児の劣化品の周囲には幾筋もの管が絡みつき、羊水に似た液体が音もなく循環――だが、それは明らかに生命の気配を欠いた“模造品”だった。


 何よりも奇妙だったのは、それだけ脈動しているのに音が何ひとつ聴こえないという事実だった。視覚だけが循環機関の情報を伝え、他の感覚が拒絶されているような錯覚。

 

「……なんだよ、これ……」


 思わず声に出た。彼の瞳に宿るのは、驚きと微かに湧き上がる怒りの感情。何が怒らせたのかは分からない。だが、その展示物を“作ろうとした意志”に、彼の内側で眠る何かが反発した。


 胸の奥がざわめき、鼓動が早くなる。

 ルカは球体から目を離せなかった。


「これは“可能性”という名の罪を形にしたもの。かつて彼らの種は、魂のない命にも希望を見た。でもそれは“痛みのない死”より残酷な結果を生み出しました」


 クサンの声が背後から降ってくる。

 彼女の顔を覆うノイズは、何かを憂うように一瞬だけ明滅した。


「……誰の可能性だよ。誰が、こんなもんを……」


 だが彼女は何も答えず、ただ笑みを溢した。

 それは軽蔑でも憐れみでもなく、“そこに意味を見出せなかった者に対する”落胆の意を込めた微笑。


 しかし、ルカは知ることになる。いつか、この“母胎機関”を再び見たとき――この時に感じた怒りすら、もはや思い出せなくなっている自分と向き合うことになると――そして次の瞬間、クサンが問いを返す。


「――あなたの夢に、声が混ざることはありませんでしたか?」


 不意に投げかけられたその言葉に、ルカが目を細める。


「……は?」

「眠っているとき。誰のものでもないはずの声が、夢の中で何かを囁いたこと。覚えていませんか?」


 問いは柔らかく、だが明確に“何かを確認する意図”を持っていた。


 ルカは口を閉ざして思い返すが、過去にそんな経験があっただろうか――思い出そうとするが記憶は曖昧だ。


「……あんた、何が言いたい?」


 クサンは少しだけ首を傾げた。


「あなたは、ここに呼ばれた。自ら来たのではなく、誰かの意思によって“選ばされた”のです」


 その言葉に、ルカの眉がぴくりと動く。


「……またかよ。それ、尋問室の連中も言ってたな。“お前は選ばれた”って。勝手に決めやがって……」

「でも、あなたはここにいる」


 その一言に、ルカは返す言葉を見つけられなかった。


「この空間にあるすべては、“観察”のために存在します。けれど――ただの観察ではない」


 クサンの足が再び動き出すが、彼はその背に問いかける。


「……何を観察するんだよ。こんなもん見て、何になるってんだ」

「それは、あなたが決めることです。が、1つだけ……“観察されるもの”は、常に“あなたの中に痕跡を残す”のです」


 その言葉を最後に、クサンは壁際の一角へと身を滑らせた。そこには、一見してただの装飾品のような、円環状の奇妙な装置が鎮座しているが、その円環の装置はまるで臓器のように微かに脈打っていた。だが、それは生命の鼓動ではない。静かに、そして確かに何かを待ち構えているようなリズムを打ち続けている。


 クサンは装置の前で立ち止まり、ルカの方へとわずかに顔を向ける。ノイズに覆われたその“顔”の代替品は、何の感情も読み取れないほど乱雑に蠢いていた。


「……準備は、できていますか?」

「……何の?」

「あなたが“観察される側”になる可能性の話です」


 ルカは息を詰まらせた。

 この白の領域において、ずっと“見ていた”つもりでいた自分が、実は“見られていた”のかもしれない――そんな感覚が背筋を凍らせる。


 クサンの手が静かに円環へと触れた瞬間、空間の光が僅かに揺らぎ、装置の中央に淡い像が浮かび上がる。


 誰かの記憶。

 何かの終わり。

 かつて存在した青い星の最後の光景。


「……あーあ、クソったれ……これが“観察”ってやつかよ」


 ルカはゆっくりと歩み寄った。

 何かを知るためにではなく、何かを思い出すために。

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