第6章 がりがり共同研究
共同研究が始まったとはいえ、最初の一ヶ月はお互いの研究を別々に進める日々だった。リリスは自室で魔導モーターの設計や魔法陣用インクの改良に没頭し、セスは自分の研究室で研究を続けているようだった。
──まぁ、放任主義なのかな?好きにやらせていただいてありがたい限り。
リリスは、セスが全く連絡を寄こさないことに特に不満も感じず、自分のペースで研究を進めていた。むしろ、自分の好きなように試行錯誤できる時間が楽しかった。
そんなある日、リリスのもとに一通の手紙が届いた。
「えっと……誰からかな?」
封筒を開けると、怒ったような勢いで書かれた筆跡が目に飛び込んできた。
「来週、進捗を報告しに来い」
送り主はセスだった。
──放置プレイじゃなかった!?
リリスは驚きつつも、軽く反省した。
──そうだよねー、お金もらってる以上、報告は必要か。でも、あっちが嫌がるかと思って遠慮してたんですけど……。
自分の行動を振り返り、リリスはレポートをまとめて報告の準備を始めた。そして、指定された日を迎えた。
セスの研究室の扉をノックすると、すぐに中から短く「入って」と声が聞こえた。リリスはそっと扉を開けて部屋に入る。
「失礼します。進捗の報告に来ました」
セスは机に向かっていたが、リリスを見ると無言で手で促す。リリスは用意していたレポートを取り出し、淡々と説明を始めた。
「魔導モーターの設計は魔石を使ってここまで進みました。コンピュータに関しては次の段階では実験用の魔力インクが必要なので……」
リリスの説明は正確で、必要なデータや計算も整っていた。セスは頷きながら聞いていたが、報告を終えるやいなや、そそくさと帰ろうとする彼女を呼び止めた。
「ちょっと待って」
振り返ったリリスは、苦虫を噛み潰したような顔をしたセスと目が合う。
「これからは週一で報告に来て」
「えっ?」
リリスは一瞬驚いたが、すぐに不満げな顔をした。
──週一で報告って……予想より高頻度。できるだけ実験してたいんだが......。
しかし、すぐにセスが予算を握っていることを思い出す。
──お金出してもらってる以上、逆らえん。
「わかりました。週一で報告に来ます」
渋々ながらもそう答えると、セスは小さく頷いた。
一方のセスは、リリスの態度や報告を見て、ふと思った。
──前は付き纏うための言い訳だと思ってたけど……週一って言ったら露骨に嫌な顔したな。
これまでのやりとりを振り返り、セスはリリスを「一端の研究者」として少しずつ見直し始めていた。
そうして、二人の関係は少しずつ形を変えていくのだった。
セスの研究室での進捗報告は毎週の日課となり、リリスもそれなりに慣れてきていた。そんなある日、報告会の最中に異変が起きた。
リリスが魔導モーターの改良案を熱心に説明している途中、セスが突然ぐらりと前に倒れ込んだのだ。
「ヴェルナー先生?!大丈夫ですか?!」
慌てて駆け寄ったリリスは、セスを仰向けにし、肩を軽く揺するが反応はない。顔色も悪く、冷や汗を浮かべている。
──ちょっと、これどうしよ!
リリスはすぐに立ち上がり、近くのカシウス先生の研究室へと走った。扉を叩き、息を切らしながら声を上げる。
「カシウス先生!助けてください!ヴェルナー先生が倒れました!」
扉を開けたカシウス先生は、少し驚いた表情を見せたものの、すぐに溜息をついた。
「またか……。全く、困ったものじゃ。」
そう言いながらカシウス先生はリリスと共にセスの研究室へ向かい、魔法でセスをふわりと浮かせて簡易ベッドへと寝かせた。
「先生、大丈夫なんですか……?」
心配そうに覗き込むリリスに、カシウス先生は疲れたような笑みを浮かべる。
「大丈夫じゃよ。この男はよく徹夜で研究をして、こうして倒れるんじゃ。休ませておけばすぐに元気になる。」
カシウス先生はそう言うと、セスの額に手をかざして回復魔法を施しながら続けた。
「セス君はのう、ほとんど自分の研究室から出ることもなく、ずっと一人で研究に没頭しとる。あまりに熱心すぎて、時々こうして限界を超えてしまうんじゃよ。」
リリスはその言葉に驚きつつも、どこか納得したような気がした。セスの目の下のクマや無理をしている様子は、ここ最近ずっと気になっていたのだ。
「そんな、どうしてそこまで……?」
リリスの疑問に、カシウス先生は穏やかな顔で言った。
「君なら......それは本人が起きた時に、今日のお詫びとして聞き出してみるといい。」
そう言い残して、カシウス先生は立ち去った。
リリスはセスの顔を見つめながら椅子に腰掛けた。普段は嫌味で皮肉っぽい彼が、こうして無防備に眠っているのを見るのは初めてだった。
──そんなに無理してたのか。
夕方になり、セスがうっすらと目を開けたのを見届けたリリスは、そっと部屋を辞した。
「進捗報告はまた来週でいいですよね。体を大事にして、少しは休んでくださいね。」
リリスの声が微かに届いたのか、セスは薄く目を開けたまま「……ごめん」と小さく呟いた。
次の週、進捗報告の時間になり、リリスはいつものようにセスの研究室を訪れた。前回倒れたセスのことを少し気にしながらも、まずは淡々と自分の進捗を説明する。
報告が終わると、セスは小さく息をついてリリスに向き直った。
「……先週は、迷惑をかけました。」
謝罪の言葉に驚いたリリスは、少し戸惑いながらもカシウス先生に言われたことを思い出し、思い切って切り出す。
「いえ、大丈夫です。......それより、先生、カシウス先生に『研究の動機を聞いてみなさい』って言われたんです。もしよければ、教えていただけませんか?」
一瞬、セスの顔に険しい影が走る。断られるかもしれない、とリリスは思ったが、やがてセスは例の苦虫を噛み潰したような顔で、重い口を開いた。
「……話しても、誰もまともに聞いてくれなかったんだけど、それでも聞く?」
リリスが黙って頷くと、セスはポツポツと語り始めた。
魔石の技術が発展し、魔力を持たない人々でも、魔石を使えば精霊を呼び出して魔法を使えるようになった。それは一見、便利で素晴らしい進歩のように思える。
「でも、精霊には限りがある。そして、魔道具で使われるのは小さな精霊がほとんどだ。小さい精霊は、自分の限界がわからない。その結果、同じ精霊が何度も何度も酷使されて、疲労し、最終的には消えてしまう可能性がある。君も知っているだろう、精霊疲労だ。」
セスはその言葉を絞り出すように続けた。
「……僕は、小さい頃に仲良しだった小さな精霊を失った。研究の中で、その理由が精霊の酷使だと気づいて……。それが、僕がこの精霊疲労を解決する研究を始めた理由だ。」
セスは顔を伏せたまま、続けた。
「だが、そのためには僕自身も魔道具を使わざるを得ない。この矛盾に耐えながら研究を進めるのは……正直、辛い。」
さらに、研究の成果を発表しようとすると、精霊の酷使を当然と思っている周囲の研究者や学生からは馬鹿にされることも多かった。
「くだらないと言われるのは慣れた。だから、僕は部屋に閉じこもって研究だけに集中するようになった。」
その言葉には、諦めと悲しみが滲んでいた。
リリスは慎重に言葉を選びながら、口を開いた。
「……確かに、引きこも...部屋に閉じこもりすぎるのは良くないかもしれません。でも、先生のように目的を持って一生懸命研究をしている姿は、尊敬します。私の父も、そんな風に研究をしていました。」
「……尊敬?」
セスは驚いたように顔を上げた。周囲から馬鹿にされることが多かった彼にとって、その言葉は想定外だったらしい。
「はい。」
リリスの何かを懐かしむような切ない表情に、セスは思わず視線を逸らした。そして、逆に問いを投げかけた。
「……じゃあ君は、なぜそんなに研究に打ち込んでいるの?」
リリスは少しだけ考えてから、正直に答えた。
「......私が研究をしている理由は、もう会えない大好きな父から教えてもらった科学的な考え方が、私の中で大事な拠り所になっているからです。若い娘としては意味不明かもしれませんけど……。」
少し照れたように笑うリリスに、セスは黙って耳を傾けていた。リリスの父親は研究者で、亡くなっているのか。
リリスはふと真面目な表情になり、続けた。
「……それと、以前付き纏ってしまっていたこと、本当にすみません。今は、そういうつもりはありませんから。」
「……うん。」
セスの短い返事を聞き、リリスは安心して席を立った。
「それでは、今日はこの辺で。また来週、報告に伺います。」
そう言ってリリスが研究室を後にすると、セスはしばらく椅子に座ったまま動かなかった。リリスの言葉が、妙に胸に引っかかっていた。
その次の週、リリスはいつものように進捗を報告するためにセスの研究室を訪れた。報告を終えた後、セスが何やらメモを取り出し、話し始めた。
「君の魔法陣のインクについてだが、いくつか素材の候補をあげてみたんだ」
セスが提示したのは、特定の魔法反応を強化する鉱石の粉末や、魔力に反応する植物由来の成分など、リリスが思いつきもしなかった画期的な素材の提案だった。
「やば!確かにその成分ならトランジスタがより安定する可能性が高いですね!先生、さすが!」
リリスは瞳を輝かせて無邪気に喜ぶ。その反応に、セスは少し照れたように口元を手で隠しながらも、軽く咳払いして続けた。
「まあ、君のインクがまともに機能するかどうかは試してみないとわからないけど。」
「もちろんです!先生のアドバイスを試して、結果が出たらお知らせしますね!」
一方で、リリスもセスの論文に関心を持ち、その内容について質問を始める。彼女は魔導モーターの研究を進める中で、精霊疲労が大きい魔道具をいくつか挙げ、それをセスに提案する。
「先生、この魔道具なんですけど、魔導モーターを使えば精霊を呼び出す頻度を減らせるかもしれません。どう思われます?」
その具体的で斬新な発想に、セスは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに頷いた。
「……なるほど。それは確かに効果的......かも。実現できれば、かなりの革新になる。」
それ以来、二人の間でお互いの研究についての議論が少しずつ始まり、週一回の進捗報告は、より活発な意見交換の場となっていった。
「君……本当に変わったよね。その斬新な発想、すごくいいと思うよ。」
「はい!転んで頭打って人格が変わったんですよね!」
「君が言うと冗談に聞こえないね……。」
「先生のマドクガエルの分泌物を半導体の不純物として没食子インクに混ぜるというアイデアもすごく良かったですよ!先生最高!」
「はいはい、褒めなくていいから、今度は何が必要なの?」
「やっぱり魔電磁気学の関係を定量化して係数を測りたいので、精密魔流計測器を貸してください!一番最初に貸さないって言われたやつ......」
「そういうことは早く言いなよ!好きに使って!」




