第0章 ひんやりファーストコンタクト
リリス・アストリアは、学園内でも一際目立つ古びた塔を見上げて、深く息を吸い込んだ。ここが魔導工学科の研究塔だ。魔導工学の理論や応用を学ぶ研究者たちが日夜実験と研究に没頭する場所で、この学園に入学してから幾度も聞いた場所。しかし、彼女が転生してから訪れるのは今日が初めてだった。
──精密魔流計を借りるだけ。簡単なお願いのはずだ。
自分にそう言い聞かせながら、塔の扉を押し開ける。中は静まり返っていて、わずかに魔道具の発する微かな機械音が響いている。リリスは足音を忍ばせながら最上階を目指した。
目的地は、セス・ヴェルナーという名の研究者の部屋だった。彼はこの学園で最も優秀な研究者の一人で、精密魔流計を独自に改良して使用していると聞く。その計測器を借りられれば、リリスの「魔流と力学の関係」を検証する実験が飛躍的に進むはずだ。
──問題は、彼が「人嫌いの変人」だということ。
リリスは苦笑しながら扉の前で立ち止まった。扉には「セス・ヴェルナー研究室」と書かれた小さなプレートが掛かっている。
「……よし」
意を決してノックをすると、しばらくして中から疲れたようなため息と共に、低く冷たい声が響いた。
「君さ、もう付き纏わないって言ったよね?」
リリスは一瞬、その言葉の意味が分からなかったが、しばらく元の体の記憶を探り、やがて理解した。彼は、前のリリス──つまりこの体の元々の持ち主が彼に付き纏っていた過去を指しているのだ。
「あー、その……今回は実験に必要な精密魔流計を借りに来たんですけど……」
リリスはできるだけ柔らかい声で言ったが、返事は無かった。代わりに、扉がガチャリと開いて、目の前に現れたのは、ぼさぼさの髪に無精髭、そして無駄に整った顔立ちの青年だった。冷たく光る眼鏡越しに彼女を見下ろしている。
「あのね、君にできるとは思えないんだけど?」
その一言に、リリスの眉がぴくりと動いた。心の中で「元のリリス、どんだけ嫌われてたの……」と突っ込む一方で、実験のためにはここで引き下がるわけにはいかない。
「精密魔流計があれば、実験が定量的になるんです。魔流の強度と力の関係を測定するには絶対必要で──」
「興味ない。それに、君には貸さないと決めてるんだよ。じゃあね」
セスは淡々と言い放つと、再び扉を閉めようとした。リリスは慌てて手を挙げたが、無情にも扉は彼女の目の前で閉ざされた。
「はぁ……」
リリスは肩を落として、仕方なくその場を立ち去ることにした。
──この顔、どこかで見たことがあると思ったら……元のリリスが執拗に追いかけてた相手だったんだ。
そんなことを思い出して、微妙な気持ちになる。けれど今は、実験に集中することが優先だ。精密魔流計がなければ進まないことが分かっていても、しばらくは別の手段を考えるしかない。
塔を後にし、リリスは夜の寮へと戻った。部屋に入ると、机の上に並べた手作りの実験機器たちが彼女を迎えた。
「まぁ、次に行くときはもうちょっと別のアプローチを考えようかな」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、リリスは簡易的な魔力測定器を手に取った。彼女はまだ諦めていなかった。この異世界の仕組みを科学的に解き明かすのは、始まったばかりなのだ。
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