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蛇崩れ  作者: 阿羅田しい
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《中編》鎌淵の竜

 ぱったん、とんとん、からり。ぱったん、とんとん、からり、ぱったん、とんとん……。

 村はずれの竹林のそばに住む(たけ)老夫(おきな)の家からは、毎日毎日、(はた)織りの音が聞こえてくる。ほら、今日も、ぱったん、とんとん、からり、ぱったん、とんとん、からり……てなぐあいに。

 機を織るのは竹老夫の娘、()()()だ。踏み板を踏んではぱったん。上下に開いた経糸(たていと)の間に()につないだ(よこ)(いと)をくぐらせ、(おさ)を手前に打ってはとんとん。延々とこれのくりかえし。おひさまが昇って沈むまで、休むことなくやっている。

 気立てのよい娘だった。その上、色が白くて美しい。年老いた父親の面倒を見ながら、機織りにも精を出す、申し分ない自慢の娘だ。

「じゃあ、おとさん、鎌淵まで水汲みに行ってくるよ」

 機を織りはじめる前のひと仕事。とはいえ水汲みは、細腕のか弱い娘には重労働だ。だがさゆるはいやな顔ひとつせず、笑顔で出かけてゆく。

「竜にさらわれねぇように気をつけるんだぞ」

「大丈夫。これがあるから」

 そう言ってさゆるは髪に巻きつけた竹のこうがいをちょんとつついた。竹細工職人のおとさんに作ってもらったものだ。竹には魔除けの力があるとの言い伝えがある。本当かどうかは知らないが、毎日無事に戻ってくるところ見ると、今のところ効き目はあるようだ。

 くるりと身をひるがえして、さゆるはかろやかな足どりで鎌淵へと走っていった。その背中を竹老夫が目を細めて見送る。

「あれが、まさかこんなに元気になるなんて夢みてぇだ……」




 鎌淵というのは入間の山奥、名栗村穴沢にある淵だ。この淵には昔から竜が棲むとのうわさが絶えない。

 それともうひとつ、このうわさには尾ひれがついていた。竜がさゆるに恋をした、というものだ。こんなうわさが立ってしまうほど、さゆるの美しさは村中の評判になっていたということだ。だが、どれほど美しい娘だろうが、村には竜をおそれてさゆるに言い寄る男はひとりもいなかった。

 今朝も無事に水汲みを終えて帰り道を歩いていると、さゆるの耳にかすかなうめき声が聞こえてきた。おそるおそる声のするほうへと近づく。茂みをかき分けると、そこにはなんと若い男が行き倒れていた。

「もし、大丈夫ですか?」

 男の肩を揺り動かす。う……と、男はかすかに吐息をもらした。生きているようだ。ほっとしたさゆるは男に肩を貸し、家まで連れていった。言うまでもなくおとさんはおどろいたが、行き倒れの人間をほっとくわけにもいくまい。父娘の懸命な介抱もあって、男は間もなく元気を取り戻した。

 竹老夫は男の顔をふき、無精ひげを剃ってやった。なかなかの男前にさゆるは頬を赤らめた。

「おめぇさん、どこから来なさった」

 竹老夫がたずねると、男は答えた。

「秩父の両神だ」

「ここよりももっと奥だな。その両神のもんがなしてこんなとこで行き倒れてたんだ?」

 男はふいに黙りこくった。なにか言いたくないわけでもあるのだろうと察した竹老夫は立ち上がり、部屋の片すみから一張(ひとはり)の弓を持ってきた。

「おめぇさんが持ってたやつ、こわれてたから作り直しといたよ」

「こりゃ、ありがてぇ」

 竹で作った弓に張られた(つる)をはじくと、びいいいんと勇ましい音が鳴り渡った。

「おめぇさん、なまえは?」

 男はややあってから口を開いた。

「太郎佐」




 太郎佐はしばらく竹老夫の家で厄介になることになった。拾ってくれたことと世話になっていることへの恩を感じたのか、猪などの獲物を獲ってきたり、薪を割ったり、さゆるの水汲みを手伝ったりして、それはそれはよく働いた。

 それから幾月も過ぎただろうか。月のきれいな晩のこと。さゆるが寝息を立てるのを待ってから、竹老夫が太郎佐に語りかけた。

「太郎佐よ、おめぇがよく働いてくれるおかげで大助かりだ」

「こっちこそ、命を助けてもらったんだ。これくらいのこと、あたりめぇだよ」

 太郎佐は照れくさそうに鼻をこすった。竹老夫がほほ笑む。

「なぁ、太郎佐、おめぇ、さゆるのことどう思う?」

「ああ、いい()だよ。働きもんで、気立てもよくて、おまけにべっぴんだ」

「そうか。なら、おめぇ、さゆるの婿にならねぇか」

 ふと押し黙った太郎佐の表情をうかがいつつも、竹老夫はつづける。

「さゆるはおめぇのこと、気に入ってる。あれは、どこに出してもはずかしくない娘だ。わしゃあ、おめぇにならくれてやってもいいと思ってる」

 太郎佐はうつむいて、じぃっと自分のにぎりこぶしを見つめていた。やはり口を閉ざしたままである。だが、竹老夫はあきらめなかった。

「実はな、さゆるは前はあんな元気じゃなかった。病でずっと寝たきりだったんだ」

 太郎佐がようやっと顔を上げた。話をつづける竹老夫の顔を見つめる。

「それがある日、鎌淵の竜が来て言ったんだ。さゆるを嫁にくれたら病を治してやるってな」

 そのときはもう、藁にもすがる思いだった。ふたつ返事で竜の申し出を受け入れたのだ。次の朝、さゆるは寝床から起き出し、嘘みたいにぴんしゃんと元気になった。竹老夫は竜との約束などすっかり忘れて天にも昇る心地で大喜びしていた。それを知って怒った竜はふたたび竹老夫の家へとやってきた。

「あんまりおっかなかったもんだからよ、半年経ったらかならず嫁にやると言ってしもうた」

 ここまで話したところで、とつぜん竹老夫はさめざめと泣き出した。

「その約束の半年があと5日で過ぎる」

「なんだって?」

 それにはさすがに太郎佐もおどろいた。

「約束を守らなかったらどうなる?」

「山引きをして、村をまるごとぶっつぶすと……」

 頭を抱えた太郎佐は、山崩れであとかたもなく消え去った煤川の下の集落の光景を思い出していた。下の集落の村人たちはひとり残らず死んだ。自分のせいだ。罪の意識におそれおののき、逃げるようにして両神村から離れた。何日も何日も秩父の山の中を彷徨(さまよ)って、どこをどう歩いているのかさえわからないほど疲れ果てて倒れこみ、もはやこれまでかと覚悟を決めたそのとき、さゆるに助けられたのだ。

「おめぇの弓の腕はたしかだ。たのむ、このとおりだ、竜を仕留めてくれ」

 竹老夫は土下座をして敷板にひたいをこすりつけた。話は意外な方向へと飛んだが、命の恩人の頼みとあっては断るわけにいくまい。

 気づくと太郎佐は、竹の弓をにぎりしめていた。




 竜の山引きの話をすると、さゆるはそれを封じる方法を教えてくれた。山のまわりに(おさ)を立てて囲むといいそうだ。そうすれば山崩れは防げるのだと。

 なんで彼女がそんな方法を知っているのか、太郎佐は不思議に思ったが、今はそんなことを考えている暇はない。ただちに村中の筬を集め、足りない分は竹林の竹を切り出して竹老夫が作った。

 村中総出で山のまわりに筬を立てていると、そこへまたも旅の老法師が通りがかった。

「なんの騒ぎかな?」

 たずねた相手は太郎佐だった。かくかくしかじかと説明する太郎佐の顔を、老法師はまじまじと見つめた。

「若いの、死相が出ておるぞ」

「ふん、一度は死んだも同然の身だ。命なんか惜しくねぇ」

 たいしておどろきもせず鼻であしらい、太郎佐は作業にもどった。背中で()く。

「あんた、なにもんだ。どっから来た」

「わしは信濃(しなの)の国、諏訪(すわ)から来た。わしの村は、大蛇の起こした山崩れでのうなってしもうた。わしはその大蛇を追って諸国を旅している。だが、いくつもの山をこえて武蔵の国にたどり着いたときにはもう手遅れだった。両神村の煤川の下の集落が押し流されて消えていたのだ」

 老法師の話にぎくりとした。が、邪念を振り払うように、太郎佐はふたたび作業に没頭しはじめた。




 その晩、老法師は鎌淵のほとりに呆然とつっ立っていた。思いもよらない光景に開いた口がふさがらない。

「これはいったい、どうしたことか……」

 ()からびた淵の底で竜が竹串に刺さって、身動き取れないでいたのだ。鎌淵の竜は老法師に向かってしわがれた声をしぼりだした。

「どうしたもこうしたもない。あの白蛇にやられたんじゃ」

「白蛇? 山崩れを引き起こすという、あの大蛇のことか?」

「ああ、そうじゃ。あれはとんでもない悪党じゃ。病の娘を食い殺し、自分がその娘になり代わってしまった。ほれ、あの竹林のとこに住んでる娘よ。さゆるとかいったかの」

「さゆるはおまえさんが嫁にするつもりじゃなかったのか? 嫁にできなかったら山引きをするとおどして」

 竜は法師の言葉に目ん玉が飛び出しそうなくらいたまげた。

「ばか言え。わしゃあ、村の守り神じゃぞ。なんで村をつぶすようなことせにゃならんのじゃ。それより、はようこの竹串を取ってくれ。取ってくれたら大蛇を封じる方法を教えてやるぞ」

 それを聞いた法師は、あわてて竜に刺さった竹串を抜いてやった。自由の身になった竜は、さっそく法師に大蛇退治の方法を教えた。

 竜が言うには、山崩れを止めるには(ひのき)(くい)を山のまわりに打ち込まなければならない。こうすると蛇は山から出られなくなって、やがて死に、その身は朽ち果て、しまいには骨だけになってしまうのだと。

「檜だと? なら、(おさ)を立てるというのは?」

「ありゃあ、わしを消すための罠じゃ。村人たちはみぃんなあの蛇にだまされとる」

 びっくり仰天した法師はすぐさま山を下り、村へと走った。やがておてんとさまが顔を出したころ、ひとりの男が山を登ってきた。太郎佐だ。法師は息を切らしてことの真相を洗いざらい伝えた。

「いいかげんなことぬかすんじゃねぇ」

 太郎佐は不快感をあらわにした。さゆるが大蛇などということがあるはずがない。だましているのはこの法師のほうだ。太郎佐は聞く耳持たずにさっさと山を登っていった。

「この村がつぶれてもいいのか!」

 だが法師の必死の忠告も、彼の耳には届かなかった。




 夜、太郎佐が縁側で月を仰いでいると、さゆるが近づいてきた。

「堪忍ね、あたしのせいで厄介なことに巻き込んでしまって」

 太郎佐の背中から細い腕を回して抱きつく。甘い香りがする。どこか懐かしい匂い。ほっとするような、それでいて思い出したくないような。

 太郎佐は目を閉じた。老法師の言葉が頭の中をぐるぐる回っている。気になってしかたがない。

 法師のいた信濃国諏訪の村は、大蛇の起こした山崩れでなくなってしまったという。両神村の下の集落と同じだ。大蛇を追ってきたとも言っていた。まさかその大蛇とは……。

 ——つきね……。

 目裏に恋女房の顔が浮かぶ。法師は大蛇を退治するために、檜の杭を打ち込もうというのか。つきねを殺すために……。

 さゆるの白い手をにぎりしめる。さゆるは紅いくちびるを太郎佐の頬にそっと寄せた。

(わり)ぃ、疲れてるんだ。さきに休ませてもらうよ」

 さゆるの腕をふりほどき、太郎佐は寝床についた。

 この名栗村を救うためにはなんとしてでも竜を仕留めなければならないのだ、と自分に言い聞かせる。さゆるを信じてやりたいという気持ちはいっぱいなのに、どうにも法師の言葉が打ち消せなかった。

 法師の言うとおりさゆるが大蛇だとしたら、「さゆる」は「つきね」ということになる。いとしい恋女房と赤子の顔を思い出す一方で、下の集落の無残な最期も記憶に焼きついている。

 おもむろに懐からふたつの鱗を取り出した。大きいのと小さいの。故郷の村を出たあの日からずっと肌身離さず持っている。

 胸の前で二枚の鱗をぎゅっと握りしめる。もう、なにがなんだかわからない。脳ミソと心がぐちゃぐちゃにこんがらがってこわれそうだ。

 太郎佐は頭から(ふすま)をすっぽりかぶって、朝が来ないことをひたすら祈った。

次回は「《後編》ふたりしずか」です。

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