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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

女神の国で窮鼠猫を噛む

作者: 神崎みこ

「いやだ、こんなに強いのだったら、あの子傷ついちゃうじゃない」


どこから現れたかもわからない女が、ぶつぶつと言いながら異形のものへと近寄っていく。

ここは誰も近寄りもしない洞窟の奥底で、異形のものは人知れず育っていた。目に付く生き物たちをすべて糧として、徐々にその体を大きくしていった。自我、というものが生まれたころにはこのあたりでは最上位に位置する強いモノとなった。

足りない、足りない。

――何が?

常に何かに飢え、獲物を狙う。そこに複雑な感情はない、ただひたすら手の届く範囲のものを食らう。

洞窟の外に広がるうっそうとした森に潜むものたちをも食らい続けた結果、さらに強いモノへと変化していった。

その存在は周囲の人の国にも認知され始め、それをどうするのかを協議されはじめた。

もう、人にすら脅威であると認知された存在。

それが、この洞窟の主であった。

女が、軽やかに指先を振るう。

モノは、叫び声一つ上げることもかなわず、その身が細切れとなっていく。


「はぁ、あの子の髪の毛一本傷つけられるのも我慢ならないっていうのに」


当然、という顔をして女がその結果を満足そうに眺める。


「ちょっとだけ善戦してみせる、ぐらいの敵じゃないとねぇ」


その呟きは細切れとなったモノへと降り注ぐ。

そして、ふいにその存在がこの洞窟から消えていく。

もう少しで、魔王と呼ばれる存在となるはずであった異形のものの怨嗟だけを残して。





――ニクイ。


最初にその思念を受け取ったのものは、うまいこと身を隠し続けて生き残ったネズミの類である。

こま切れとなった魔王となるものの身を食らい、賢いとは言えない頭に「何か」がじんわりとひろがっていく。

もちろん、それを判断する理解力は伴っていない。

ただ、ひたすらに何かが憎い。

それだけに体が支配されていく。

何かに追われるように洞窟を後にして、そろそろと森へと向かっていく。

そして、普段ならば絶対にしないであろう油断しきった足取りで移動する。当然、そのネズミはもう少し大きい動物に捕食される。そしてその思念はまたもや、その動物を支配していく。

繰り返し繰り返し、支配され、食われ、支配される。

最終的には、その思念は最弱な魔獣であるスライムに受け継がれた。

別段なんの特徴もないそれは、偶然大型の動物が倒れていたからそれを食ったまでだ。

じわりじわりとその肉を浸食していき、そしてじわりじわりと思念が浸食していく。

食べ終わるころには、すっかりと何かを強烈に憎むという思考だけに支配されていた。

ずりずりと森を移動していく。

粘菌類のようにゆっくりと、他の動物たちからすればまるで動かない何かのように、けれども着実に町がある方向へと進んでいく。

日が昇っておち、それを繰り返し繰り返し、気が遠くなるほどそれが続いたのち、その最弱な魔獣は町近くの浅い森の部分へとたどり着く。

ふわり、と何かが匂う。

それを認知したとたん、スライムの中の何かが騒ぎ出す。

憎い、憎い、憎い。

ただそれだけの思いに突き動かされる。

その匂いの元には一人の少女が立ちすくんでいた。

迷子になったのか、一人きりで突っ立っている少女は酷く無防備だ。

何かを象ったペンダントを下げ、森歩きには少し不似合いな真っ白いローブを身にまとっている。

人が見ればそれは、この国の国教ともなっている宗教に仕える少女である、と知ることができるだろう。

しかし、あいにくとこの魔物にはそんな知識はないし、それを知ることができる知能もない。

ただ、この少女が発する匂いをきっかけに、ただ純粋な憎悪だけが体を占めている。

じわじわと、少女の元へと近寄っていく。

まったく気が付く様子のない少女は、きょろきょろとあたりを見渡している。

物音ひとつ立てずに、そろり、と少女の足元へと忍び寄る。

体の形を変え、足首へととりつく。

じんわりとそれを捕食すべく、溶かしていく。

少女は突然の激痛に、声をあげる。

痛みの元凶に目をむければ、素人でも知る魔物が右足首にとりついていた。

無我夢中で足を前後に蹴り上げ、排除しようとする。

それでも取れないそれを、今度は手づかみでちぎって捨てる。

小さくむしり取られたそれらは、集まっては再びつながり、そしてまた足首へと戻っていく。

絶え間なく続く痛みの中で、少女は必死にそれを取り払おうとする。

ずっと続くかに思えた攻防は、少女が気絶したことで終了した。

そして、魔物はまたじんわりと彼女を捕食した。


スライムは、この国ではそれほど脅威ある魔物ではない。

むしろ廃棄物などを消去してくれることから、便利に使っている部分もあるぐらいだ。

人間を積極的に襲うはずもなく、踏みつけたらケガをすることから、そういう注意喚起がされる程度だ。

こんな風に人一人まるごと食べられる、などということがあるはずもない。

少女が人知れず食べられたころ、一人の男がその浅い森へと入り込む。

ゴミ処理に使うスライムを捕獲するためだ。

いつものように、草や木のうろなどに隠れ住むそれらを探し出し、丁寧にかごへと詰め込んでいく。

普通のスライムよりも少しだけ大きい、少女を食らったスライムも何の疑問も覚えずに拾いあげていく。


下水道の行きつく先、処理施設としている貯水場に運ばれたそのスライムは、仲間たちとぷかぷかと浮いては沈んで過ごす。あれほど支配された憎いという気持ちは少し薄れ、それでも決して消えることはない。

どれほどそうしていたのだろうか、ある日このスライムにとっては、強く突き動かされる匂いがもたらされた。

その匂いのもとにたどりつきたくて、あっさりと鉄格子の合間を抜けていく。そもそもそんな簡単な仕切りで、この魔獣を隔離できるはずはない。ただ、別にこの場にいることに不都合はないからこのままでいただけだ。それを人間は知らない。

水の上をすいすいと、地面を歩くよりもははるかに早く移動していく。

ようやく地面にたどり着いたそこには、この町の住人総出で向かい入れて見送った何かが立ち去ったあとだった。

それは、この国の一粒種の王子が魔王を倒して凱旋してきたパレードなのだが、そんなことはスライムは知りえるはずもない。

すでに過ぎ去ったそれらの痕跡を辿りながら、ずりずりとスライムは進む。

無害なそれを気にするそぶりも見せずに、人々は素早く日常へと戻っていった。






「はぁ、やっぱりいい。この顔いいわぁ」


いつぞやかに洞窟に現れた女が、寝入った王子の横に座り、ねっとりとした手つきで顔をなでていく。

だらしなくにやついた顔を隠そうともせず、なんどもなんども丹念にその顔をなぞる。

王子は、外からの力が働いているのか、身動き一つしない。


「やっぱり、加護を与えただけはあるわぁ、いいわぁ、この顔」


たっぷりと王子を堪能して、またその女は音もなく消える。

そして、王子の周りの時はまた動き出す。


「大義であった」


謁見の間で、王子が父王へと魔王討伐の成功を告げると、重々しくその一言が返された。

王の隣には王妃が、安堵した顔で座っている。

突然の神託、からの魔王討伐の旅はこれで終わりを告げた。

ただ一人の王子を、勇者選定の神託からそれに認定するのはためらわれたが、今となっては国にとってはすべて良い方へと進んでいる。

周辺国家において、魔王の誕生、というのはあらゆる災厄が降り下りるのと同義だ。魔王は人の言葉を介することもなく、ただひたすら欲によってあらゆる生物を取り込んでいく何かだ。

物理的な攻撃は効かず、ただ神によってもたらされた勇者による討伐だけがそれを排除できる唯一の力となる。その勇者も神によって選ばれ、それはどういうわけかこの国において出現する率が高い。いや、この国の祖たる王が女神の加護を賜ってからは、この国の王子がその役を担うことばかりだ。

だからこそ、この国は周辺国家からは一段上とみられ、尊敬と敬意を一手に集めている。

今回も、この国以外でかなりの災厄を引き起こしたそれを、王子があっさりと屠ることができた。

この国の地位はまた上がり、王子も英雄王としてこの国を引き続き治めていく未来すらみえる。

王子は王、王妃への奏上を終え、次にはこの国の主教たる女神像への上奏を行う。

美しい姿を象った像を見上げ、仲間とともに女神への報告を行う。

賜った剣を女神像の前に返すために王子が足を進める。

丁寧に、その剣を下ろすと、上から光があふれ出す。

一瞬視界が奪われ、徐々に戻っていくと、王子の目の前には像通りの、美しい女が立っていた。

それが、神だと気が付いたのはただならぬ圧力からだ。

仲間たちは額づき、立ち上がるそぶりすらない。

ふわり、といい香りがして女神に抱きしめられ額に口づけられる。

そして、現れた時と同様に女神は唐突に姿を消した。

静寂ののち、見守っていた神官や役人たちからの歓声が沸き起こる。

今代の王子もまた、過去の勇者たちと同様にさらなる加護を賜ったのだと。


平和な時間が続き、王子は妃を迎え、次世代が生まれる。その子は妃に似て美しい子ではあったが、女神からの加護は賜れなかった。そのことは多少気にかかるものの、そもそもこの王子の加護が規格外であり、父王はそれと比べればかすかな加護しか賜っていない。そんなものだろう、と安穏とすごしていた。この国の立場は盤石なものであり、国民の忠誠心も周辺国家での立ち位置も力強い。

ずっとこの日々が続くと信じて疑うことはなかった。

光の象徴たる王子の姿が忽然と消えてしまうまでは。


スライムはずるずると、進み続ける。

執念深く、最初から要因すら気にすることなく、ただひたすらに引き継いだ思念をもとに、スライムは進む。

強烈に感じた匂いから数年、魔物はようやくその中心地へとたどり着く。

途中でまた下水道へと放り込まれ、そこから抜け出し、さらに進む。

執念めいたそれで、魔物は城内へと入り込む。幾重にも張り巡らされた堀にたたえられた水と、城内へと続く下水道の水が、魔物に有利へと働いた。人に気が付かれることなくたどりついた魔物は、最も強い匂いを発するものがいるはずの部屋へと、じわじわと近寄っていく。

数日ののちには、魔物は王子の部屋へとたどり着く。そこに妃はおらず、彼は一人で就寝していた。

広い室内をはいずり、徐々に王子へと近寄る。

枕元まで近寄れば、そろりと王子の口と鼻をふさぐように形を変える。

それは、少女を捕食したときに得られた一つの知恵だ。まるで何も考えられないような魔物が、こうすれば楽に獲物が得られるのだと体得してしまった。

突然呼吸ができなくなった王子は、もがき苦しみ、のたうち回る。

べたりと張り付いたそれを取り除こうと必死に手を動かす。

ちぎれる感触はするものの、いっこうにそれを引きはがすことはできなかった。

やがて王子の動きは緩慢となり、ふいに止まる。

ゆっくりと、ゆっくりと魔物は王子を捕食していった。


「ちょっと、何してくれんのよ!」


そこへ、女神が現れる。

あの洞窟に現れ、魔王となるものを簡単に屠った女だ。


「やだ、ちょっと!」


頭が消えてしまったそれに駆け寄る。


「魔物風情が」


巨大な炎の玉が魔物を焼き尽くす、王子とともに。


「あー、もう、やりなおしかぁ。せっかくこの顔気に入ってたのになぁ。あの子に似てて」


激高した顔から、すぐに真顔へと戻る。

その顔は、やはり人形じみたまでに美しく、象ったはずの像が色あせるほどだ。


「次の子は、きれいだけど、そんなの鏡みればよくない?はぁ、気に入った子が出るまでまつかぁ」


現れたときと同様に、女神は消えた。

この国に残されたはずの加護とともに。


この国は、それから神託も加護も現れることはなかった。

女神の愛し子と呼ばれた王子が消えてからは。




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