5話 作戦会議
チリンリンリリン
扉を開けると、店内に軽快な鐘の音が響いた。
出入り口近くのレジに立っている店員がその音に反応する。
「何名様でしょうか?」
「待ち合わせなんですけど」
指を一本立てそうになるのをグッとこらえ、人生で初めて使うセリフを言った。
他に待ち合わせの客はいなかったのか、それ以上の確認をされることなく案内された。
店の奥側へと進んでいくと、窓側にある四人掛けのボックス席に三人の女子が座っていた。
「あ、やっと来た!」
二人と机を挟んで座っているポニーテールの女子が、右手を大きく振って合図してくる。
「すまない、ホームルームが少し長引いてな」
高校帰りの俺は、袖をまくった長袖の襟シャツに黒長ズボンの制服姿をしている。
Dogfightのアップデートで学生服が追加された等ではない。
今日は、現実世界で二回戦に向けた作戦会議をするために集まったのだ。
「まさか、本当に隣の学校だったとは」
そう言って、つり目の少女がグラスに入った水を一息に飲み干した。
こうしてオフラインでの作戦会議ができているのは、俺と彼女たちの生活圏がほぼ同じだったおかげといって過言ではないだろう。
彼女たちが着ている制服は中林東高校のもので、俺の通う中林西からは自転車で十分と離れていない。
「中西の子と喋るのは久しぶりだな~。さ、座って!」
ボックス席は四人掛けで、空いているスペースは一人分だけ。
つまり、女子高生と肩を並べて座るということ。
リアルでも万年ぼっちな俺が、そのスペースに腰をおろすには大きな勇気が必要だ。
目を閉じて息を深く吸い込んでゆっくりと吐き、覚悟を決めてつばきの隣に座る。
気まずくなり、なかなか話を切り出すことができない。
「そういえば、自己紹介とか全然してなかったよね」
ボックス席に流れた沈黙をつばきが払いのけた。
「伊座利 椿です! 中林東高校二年、モアホーム部所属してます。改めてよろしくね!」
「私は由岐、同じくモアホーム部所属。よろしく」
「ちょっとー! 自己紹介ぐらいはフルネームでやりなよ!」
つばきが机に身を乗り出して注意するが、ゆきの目は窓の外に逸らされている。
「ごめんね、ゆきのフルネームは木岐 由岐なんだけど、それがコンプレックスらしくて。だからこれからも、ゆきって呼んであげて」
「ひらがなだと四文字あるのに、どうして三文字も『き』なんだ……」
本人にとってはよっぽどのことなのか、深い深刻な顔をしている。
木岐由岐が敵機一機撃墜を記録したなんて早口言葉になりそうだ。
「……大砂 鯖瀬」
「さばちゃんは私の幼馴染なんだ~。家が隣なんだよ」
さて、次は俺の番か。
「赤松 剣、部活には所属していない。これからもよろしく頼む」
「それはこっちのセリフだよ! つるぎ君がいなかったら勝てて無かっただろうしさ、二回戦もよろしくね!」
自己紹介を終えると、対角線上に座っているゆきがいつの間にかメニューを開いていた。
メニュー表の上から目を出してこちらに向けてくる。
「つるぎは何か飲む?」
「うーん…… ブレンドにするよ」
「私はアイスココア! アイスをホイップに変更で!」
「……バナナジュース」
ゆきはコクっと頷いて、窓際に置かれている呼び出しボタンを押した。
学校終わりの時間なので店員はすぐにやってきた。
「紅茶のストレート、ブレンド、バナナジュース、アイスココアを一つづつ、ココアはホイップに変更で。それと味噌カツサンドとハムサンド、マルゲリータ、ホットドッグをお願いします」
「おうおう、今日も飛ばすねー」
なんかめちゃくちゃ注文してないか?
この店は提供される商品がメニューの写真よりも明らかに大きい、逆写真詐偽がよく知られている全国チェーンの喫茶店だ。
一つ食べるだけでも結構腹が膨れるってのに、こんなに頼んで大丈夫なんだろうか?
機械に注文を入力し終えた店員が去り、ゆきはメニューをスタンドに戻した。
「お、俺も何か食べ物を頼んだ方が良かったか?」
「あー心配しないで、いつものことだから。あれはゆきが一人で食べる分だよ」
一人で…… だと? いったい全部で何カロリーあるんだ?
しかし、ゆきは健啖家にはとても見えない、すらっとした体つきをしている。
あの体のどこにそんだけの食べ物が収まるんだ……?
「……会議」
脱線しかけていた俺の思考を、真っ正面に座っているさばせが軌道修正した。
「そうだ、二回戦の作戦会議をしに来たんだったな。ちょっと待ってくれ……」
通学に使っているリュックサックの中に手を突っ込み、無地のクリアファイルの中に入っていた紙の束を取り出す。
「これがつるぎ君の言ってた、二回戦で当たる相手が乗ってる飛行機?」
束の一番上に出ていた、楕円形の翼を持つ戦闘機の三面図を見てつばきが呟いた。
「スーパーマリン スピットファイアMk.XIV。救国戦闘機と呼ばれたイギリスのスピットファイアに、二千馬力を超えるグリフォンエンジンを搭載した戦闘機だ」
「なんかすらっとしててかっこいい。気に入った」
スピットファイアは流線形の美しいデザインで、官能的なボディの曲線はもはや芸術品のような美しさだ。
「俺もスピットファイアはかなり好きな戦闘機の一つでな、特にグリフォンエンジンを搭載した前期型なんかはもう最高だぞ!」
スピットファイアは零戦よりも前に運用開始されていて、驚くことに派生型は五十年代になっても運用されていた。
そのような長い運用期間で度重なる改良が行われていて、なんとMk.IからMk.24までの型が存在する。
まあ他にも艦載機型や偵察機型だったり、翼端形状の違いや防塵フィルターの有無などの違いがいろいろあるが…… 俺がダントツで一番好きな型はMk.IXだな。
二段二速スーパーチャージャーを備えたマーリン61を搭載したタイプで、Fw190に対抗して作られた――
「お待たせしました」
って、いかんいかん。自分の世界にのめり込んでしまっていた。
目の前に置かれたコーヒーを一口飲み込み、気持ちを切り替える。
「次の二回戦で当たる相手の一回戦の戦闘記録によると、このスピットファイアを出してくるようだ」
「あっ、私もそれ見た! 確か三人しかいないんだよね?」
「そうだな、相手は一人欠けている」
「……有利」
「試合が始まる前から私たちが数で勝ってる。一回戦と同じように戦えば勝てる」
ボックス席の中にある種楽観的な雰囲気が流れる。
しかし、そんな簡単な話で終わるなら、今日の作戦会議も必要ない。
「いや、そうとも言えないんだ。問題はスピットファイアの性能で、同高度でも最高速度は零戦よりも百キロ早く、高度を上げればスーパーチャージャーの力もあって最高速度が七百キロを超える」
「へぇ~、百キロってイメージ沸かないな~。でも、そこのなにが問題なの?」
「撃とうとしても逃げられる。つばきが落としそこなったのと同じ」
「はいはい、どうせ私は戦果なしですよー!」
つばきがヤケ気味に言葉を返すと、ホイップクリームの横に刺されたストローからココアを吸い上げた。
「まぁ問題点はゆきの言った通り、速度が早くて逃げられるってのだ。速度を活かして一撃離脱戦法でも取られようもんなら、単機だと手出しすらできん」
「敵に賄賂を送ろう。握らされた人間は弱い」
「なんでそんなすぐにゲスな考えになっちゃうかな…… それに私たちに送れるお金や物なんてないよ! ……でも、私たちは二回戦も勝たなきゃいけない。どうしよう?」
「対抗する手立てがないわけじゃない。さっき言ったのは単機、一人で戦った場合の話だ」
味噌カツサンドを口に運ぼうとしていたゆきの手が止まった。
「つまり、協力して戦うと?」
「そうだ、二回戦ではロッテ戦法を取り入れようと思う」
「その…… ロッテってなに?」
「二機一組ペアにした編隊をドイツ語でロッテと言うんだ。乱戦になってもロッテは決して離れず、互いを援護し合う。ロッテ戦法はそんな戦い方だ」
ロッテ戦法は、一九三八年のスペイン内戦でドイツ空軍のヴェルナー・メルダースによって考案された。
長機を僚機が援護する形を採っていて、長機が攻撃を行っている間、僚機が上空や後方に付いて援護を行う。
攻撃を行う長機は後方を警戒する必要がないため、攻撃に集中する事ができる。
日本では陸軍航空隊がこれを積極的に導入していた。
海軍は三機一組の期間が長くなかなか定着しなかったが、一九四四年に編成された第三四三海軍航空隊ではロッテ戦法が取り入れられ、米軍からは二機一組の編隊空戦を行う熟練者として認識されていた。
「ペアをどの組み合わせにするかを決めないといけないが……」
全員の顔が俺に向けられる。
「つるぎ君のペアなら私がなるよ!」
「いや、つるぎは私と組んだ方が良い。私がひきつけている間に敵を落とせる」
「……私と」
「お、おう…… ちょっと考えさせてくれ」
……三人とも俺と組みたいと言い出すとは思わなかった。
それぞれの特徴を考慮して決めるか。
まずはつばき、一回戦では撃墜戦果こそなかったものの、あともう少しというところまで追い込んでいた。
援護に入るタイミングも良かったので、三人の内で一番状況判断力に優れているだろう。
ゆきは二機の敵機に追われていたものの、卓越した回避能力で敵を翻弄してさばせに射撃機会を提供していた。
ロッテ戦法の一つとして、敵機に後ろを取られた場合は、僚機が自分の後ろに食いつく敵機を落としやすいように誘導するという形がある。
つまり、ただ攻撃を避けるために回避行動をするのではなく、回避しつつも自機を餌として敵を罠にはめるのだ。
あれだけ撃たれていたのに動じている様子がなかったので、それを実行する素質は目を見張るものがあるだろう。
さばせは敵機の後ろで射撃の機会を伺い、やってきたチャンスを決して逃さず確実に敵機を撃墜していた。
二十ミリを全て使ってオーバーキルをするという予想外な出来事もあったが、敵の戦闘続行を不可能にする撃破だけでも良いと教えれば、その射撃技能は大きな武器となる。
頭脳型に防御型、攻撃型と、三人それぞれ違った特性を持っている。
なかなかに悩むな……
軽く握った拳を額に当てて頭をフル回転させて、ようやく決断を下した。
「決めた。まず、ゆきはもう一つのロッテを率いる長機を頼む。俺もそっちの方まで手が回らないかもしれない。僚機のことは頼んだぞ」
「そうか、残念……」
少ししょんぼりとした様子で、マルゲリータの一切れに手をつけた。
「そしてさばせ、ゆきの僚機を頼む。ゆきの生み出したチャンスを存分に活かしてほしい」
「……頑張る」
コースターの上に置かれた樽型の容器を握る力が強くなっている。
「つばき、俺の僚機を頼む。次こそは敵を落とそう」
「やった! 私、頑張るよ!」
机の向こうに座っている二人の目線が少し冷たい気がする。コーヒーがちょっと冷めたからか? きっと気のせいだろう。うん、そうだ、そうに違いない。
「それでは二回戦も張り切っていこう。俺たちが目指すのはトーナメント優勝、こんな所で足踏みをしているわけにはいかない。スピットファイアを全機落として、三回戦への切符を必ず手にするぞ!」
「うん!」
「おおー」
「……うい」