3話 一回戦
「イナーシャ―まわせ!」
俺の合図で二人のNPC整備員が、エンジンの右下に差し込んだクランク棒を回し始める。
ギュゥゥゥゥゥゥウウウウウウウ
イナーシャ―のフライホイールが回り、甲高い音が鳴る。
ィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイ
イナーシャ―回転計が毎分八十回転以上になったことを確認する。
「コンターック!!」
片足で操縦桿を引きながら、右手を頭の上で振り回して、左手でスターター結合レバーを引く。
するとエンジン回転軸とイナーシャ―が結合し、プロペラが回り始めた。
エンジンスイッチを回して、エンジンを始動させる。
ブルブッブルルップブブバババババババババ
排気管から吐き出された白煙に零戦が包まれる。
しかし、すぐに無煙の排気になり、白煙はプロペラの押し出した空気で吹き飛ばされた。
「んんん~、いつ嗅いでもこの匂いはたまらん!」
車とは比べ物にならない、四万ccの大排気量エンジンから排出された窒素酸化物が鼻孔をくすぐる。
おっと、楽しむのもそこそこにして計器類のチェックをしないとな。
チェックを終えて、ウッズワン、ツー、スリーの状況を確認する。
三機ともエンジン始動を終えて、滑走路へのタキシング許可を待っているところだった。
『ウッズ、こちら管制塔。滑走路へのタキシングを許可』
『ウッズワン、了解!』
『ウッズツー了解』
『スリー、――解』
無線の向こうから返事が聞こえた。
一二三と来たら、次は四だ。
「ウッズフォー、了解」
整備員に合図を送って、前輪にはめられた輪止めを外してもらう。
駐機していた場所が滑走路端のすぐそこだったので、タキシングにそこまで時間は要しなかった。
滑走路に進入して縦一列に並び、前の飛行機から順に離陸していく。
三番機が滑走路から離れたのを確認して、ゆっくりとスロットルレバーを押し込む。
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ
風やプロペラの回転による半トルクで左に曲がっていくので、右にラダーペダルを踏んで真っすぐ滑走させる。
速度が上がって尾部が上り、離陸規定速度まで速度を上げるとふわっと機体が宙に浮かんだ。
車輪とフラップを格納し、先に離陸した編隊に合流する。
『おはよう、諸君!』
ウッズ隊の中で交信するために設定した周波数で、編隊長機のウッズワンが元気な挨拶をしてきた。
「おはよう、今日の目覚めは悪かったみたいだな」
『さばちゃんがなかなか起きてくれなくて…… 時間通りに集合してもらってたのにごめんね』
昨日伝えられた集合時間は朝九時だったが、つばきと呼ばれるウッズワンが来たのは九時半で、試合開始まであと三十分しかなかった。
そんなわけで地上で駄弁る時間もなく、スクランブル発進のようにして飛び立ったのだ。
『……朝はダメ』
『さばせはフクロウの家系で、夜行性の生態だから』
ウッズツーは何を言ってるんだ。さすがの俺でも嘘だとわかるぞ。
まぁ要するに、夜型人間ということなのだろう。
『って! また名前で呼んじゃってるし。んぅ~、まぁもういっか、もう名前でもコールサインでもなんでも呼んじゃえ!』
『レッドタイの名前を知らないけど、なんて呼んだらいい?』
『え? レッドタイって名前じゃないんだ』
レッドタイは巷でつけられた通称で、俺のプレイヤーネームは『Tsurugi』だ。
本名の赤松 剣から取っている。
「ツルギと呼んでくれ、それがプレイヤーネームだ」
『じゃぁこれからは、ツルギ君って呼ばせてもらうよ』
ええと、確認だけしておくか。
ウッズワンがつばき、ウッズツーがゆき、ウッズスリーがさばせだな。
『レッドタイのプレイヤーネームはツルギ…… フフフ、私は今、誰よりもレッドタイについて詳しい』
『それで、早速ツルギ君に頼みたいことがあるんだけど……』
「なんだ?」
『私このゲームのこと全然知らないから、戦う時は代わりにリーダーになって欲しいんだ』
つまり、代わりに戦闘指揮を取れってことか。
ずっとソロプレイヤーだったから指揮経験はないが…… 頼まれたからにはやるしかないか。
「わかった、ありがたく拝命しよう」
『よし! それじゃぁ、もうすぐ試合開始なので訓示をお願いします!』
再び無線のボタンを押すのに少し時間がかかる。
訓示をすることになるとは思っていなかったので、何を語るか少し悩んだ。
「落とせなくてもいいから、とにかく落とされないようにしろ。生き残れば、必ず攻撃の機会はやってくる」
『『『了解!』』』
正面に固まった四つの機影、あれが対戦相手の連中だろう。
開始時刻の十時が近づき、頭の中にカウントダウンの音が鳴った。
五、四、三、二、一、〇。試合開始のゴングが鳴る。
「いよいよだ、始めるぞ。敵機正面! 各機突入、高度を取れ!」
空戦では、高度と速度を足した空戦エネルギーとよばれるものを消費する。
高度と速度は両立しないもので、速度を増やせば高度を失い、高度を増やせば速度を失う。
それに速度は旋回をすることによって失われるので、一度接敵してしまえば回復することはない。
速度に関しては、最高速度で頭打ちになってしまうので、頭打ちまでが遠い高度を取って、相手よりも空戦エネルギーを稼ぐ。
『……敵、上昇』
俺たちが上昇して普通なら下に見えていくはずだが、機影は変わらず水平方向に見えている。
いや、むしろこっちより上か?
つまり、相手も上昇していて、なおかつこちらよりも上昇力があるということだ。
「シルエットが見えた。主翼が胴体中ほどから生えている、中翼機だ。零戦はヘッドオンに強くない、正面から敵が向かってきたら必ず避けろ!」
中翼の単発戦闘機としてパッと思いつくものは、米海軍の艦上戦闘機シリーズと、紫電一一型くらいか。
どの戦闘機も零戦を一撃で落とす火力があるので、博打に近い正面反航は避けるのが賢明だ。
敵機との距離も縮まったので、機体を水平に戻して速度を稼ぐ。
どうも敵さんはヘッドオンをやる気満々のようで、機軸が真っすぐこちらに向いている。
機体を左右に振って、敵の射線を躱しつつギリギリまで接近する。
まだまだ、まだ引っ張れる…… よし、ここだ!
ヴヴゥゥン
操縦桿を右に倒すと同時に、スロットルレバーを一瞬引いてエンジンの回転数を一気に落とす。
こうすることで、反トルクにより機体が右に回転する力が生まれ、ただ操縦桿を右に倒すよりも素早い横転ができる。
ゥヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ
機体が宙返りの姿勢になったところでスロットルレバーを再度押し込み、操縦桿を両手で思いっきり引いた。
体中の血液が下半身に押し流されてくる感覚を噛みしめながら、縦方向にUターンする。
スプリットSと呼ばれる空戦機動だ。
眼前での急速な反転急降下は、敵にはエンジンカウルの下に飛行機が一瞬にして消えたように見えただろう。
OPL照準器の中心が地平線を超えたところで上方を見る。
狙い通り、真っすぐ通り過ぎた敵の後ろにつくことができた。
これが空戦機動その二、ツバメ返しだ。
正面からすれ違うヘッドオンの状況で、交差する前に百八十度ターンし、ターン終了後に相手のすぐ後ろにピタっとつける機動だ。
「敵はF6Fヘルキャット! 旋回性能ならこっちの方が断然上だ! そこを狙え!」
F6Fはアメリカのグラマン社が開発し、米海軍が第二次世界大戦中盤以降で使用した艦上戦闘機だ。
愛称のヘルキャットは直訳すると地獄猫だが、スラングでは性悪女なんて意味もある。
『わわわっ! すごい撃たれてる、誰か助けて!』
無線からつばきの叫び声が聞こえてきた。
後ろをとられているのか? クソ、すぐに助けにいかねば。
上下左右に首を振ってつばきの機を探すと、一時方向に敵に追われている零戦を発見した。
フラフラと左右に避ける零戦に向けて、ヘルキャットに搭載された六丁のM2ブローニング機関銃から、五十口径弾がレーザービームのように発射されている。
せっかく後ろをとった敵への攻撃を諦めて、つばきの方へと向かう。
「そのまま逃げても落とされるだけだぞ! 右か左に急旋回しろ! 零戦の旋回性能なら躱しきれる!」
『き、急旋回って…… ううーん、えいや!』
左に九十度バンクをとったつばきの零戦が、一気に機首を引き起こして急旋回した。
速度が早かった敵は、その旋回についていけずに上方向に離脱する。
一旦離脱してから、再度攻撃に入るつもりなのだろう。
しかし、俺はその隙を逃すことはしない。
タタタタタタタタッ
ひとまず七ミリだけで射撃する。
グラマン鉄工所とも呼ばれる堅固なヘルキャット相手には豆鉄砲もいいところだが、七ミリは二十ミリに比べて弾数が多いので、当たりを付けるにはもってこいだ。
曳光弾に気づいたヘルキャットは右にロールをして回避しようとするが、高度を取って速度を失った鈍重な機体がろくな機動をとれるわけもない。
ダダダダダダダダッ ダダダダダダダダダダダッ
高威力の二十ミリをもってしてもヘルキャットの毛皮は硬い。
二連射してしまったが、その二連射目で左翼をもぎ取った。。
「敵機撃墜! って、後方敵機か!」
撃つときこそが撃たれるときとはよく言ったもので、俺が味方機を救おうとしていたのと同じように、敵もまた追われている敵を救おうとしていたのだ。
操縦桿を前に押し込む。
ジェットコースターとは比較にならないマイナスGが体を上方に投げ飛ばすが、しっかりと締められたベルトがそれを抑え込む。
強烈なマイナスG環境下でも、短時間であればエンジンに混合気を供給し続けるキャブレターの働きにより、栄エンジンの鼓動は途切れることはなかった。
左に四分の三回転して、そのまま右旋回を行う。
後ろを見ると、ヘルキャットの射線が俺の針路にもうすぐで合わさるところだった。
味方を落とされて怒り狂っているのだろう。
両翼に発砲炎が見えたと同時に右へ捻り、ブローニングの弾幕を回避する。
左を見れば、赤い閃光が雨のように流れている。あの弾幕を浴びればひとたまりもないだろう。
機体を水平に戻し、最後に確認した敵機の機動から考えて、今は俺の左側を飛んでいるはずなのでそこを探す。
二百機も落としていれば、直接見ずとも相手がどこにいるのか、だいたい勘でわかる。
しかし、視線の先に敵機は見えなかった。
そこには、燦々と照りつける太陽しかない。