2話 彼女たち
「ウッズ、こちらレッドタイ、無事か?」
管制塔との交信で聞こえたコールサインで、三機で編隊を組んでいる彼女達に話しかける。
すると、先頭で他の二機を率いている人物が、機内をごそごそと探り始めた。
編隊の右後方上方を占位しているので、その様子がよく見える。
彼女らが乗っているのは零戦二一型で、俺の愛機と同型だ。
エンジンを覆うカウルを黒色、それ以外の部分が飴色で塗られていて、つい最近手に入れたことがわかる綺麗な塗装をしている。
対する俺の零戦は、二二型仕様の深緑塗装に塗り直しているが、塗ってからしばらく経っているので、所々に下地の灰色が姿を見せている。
『レ、レッドタイ、こちらウッズワン! 何とか無事です、助けてもらってありがとうございました』
『あれは危なかった。買ったばかりのつばきの零戦が、さっそく落とされるところだった』
『ちょっと! 空の上ではコールサインで呼び合おうって決めたじゃん! 私がウッズワンでゆきちゃんがウッズツー、さばちゃんがウッズスリーだからね』
『……通じたら何でも良い』
『ああもう! ごめんなさいうるさくて、すごく上手でした』
無線での会話だとしても、こうして直接褒められるとちょっと照れるな。
「ありがとう。ところで、これからどこに向かう予定なんだ?」
『明日のトーナメントに参加するために、ラッドロー飛行場に行くんです』
トーナメント……? ああ、そういえばダブルエレメントとかいう大会が開催されるんだっけか。
最大四機のチームで行われるトーナメントで、DogFightが人気ゲームになったこともあって参加者はなかなか多いらしい。
まあ、俺は万年ソロプレイヤーだから関係ないけどな。
「それにしても、その零戦でトーナメントに出るのか? 性能が違うからかなりきついはずだぞ」
DogFightでは、第二次世界大戦で使われたレシプロ機に乗ることができる。
つまり、上下に翼がついた複葉機のグラディエーターも、史上最高のレシプロ戦闘機とも評されたP-51も同じ空の下を飛ぶ。
それはトーナメントにおいても同じであり、年代の区分なしに対戦することになる。
当然、金にものを言わせて大戦後期の戦闘機で固めるグループもわんさかいるので、開戦前に作られた零戦二一型では太刀打ちできないだろう。
零戦でトーナメントを勝ち抜こうと思ったら、性能の向上した五二型か六四型を使いたいところだ。
『出るのを決めたのが最近で、これしか用意ができなかった』
『……廃部』
『あはは、私たちの部活が実績が無いって理由で廃部になりかけてて、このトーナメントで優勝したら廃部は取り消しにしてもらえるので、藁にも縋る思いで参加するんです』
「勝てる見込みは…… あるのか?」
無線に沈黙が流れる。
『今のままだと間違いなく勝てない』
沈黙を破ったのは、ゆきと呼ばれていたウッズツーだった。
『けど、勝てるかもしれない方法はある』
『え、あるの!?』
『レッドタイが一緒にトーナメントに出てくれれば優勝できるかもしれない』
え、俺が?
確かに、そんじょそこらの連中が四機同時にかかってきたとしても、全機叩き落して勝つ自信はあるが……
『その…… レッドタイさんてそんなに強いの?』
『……撃墜王』
『半径十キロ圏内に入った戦闘機は、皆帰ってこないと言われてる』
『え゛っ、私たちが今乗っているのって……』
『そう、戦闘機。つまり、私たちはもうすぐで落とされるということ。嗚呼、さらば』
『……さらば』
いやいや、いくらなんでも脚色しすぎだ。
俺に落とされまくった奴が、適当なことを言いふらしているのだろう。
「いや落とさないって。でも、俺なんかが入って良いのか?」
『良いんじゃないかな? 確か四人までは大丈夫なんでしょ?』
『私は歓迎する』
『……数は多い方が良い』
諸手を挙げて歓迎してくれているようだ。
せっかくの機会だし、複数人での空戦をやってみるのも悪くない。
「よし、参加させてもらうよ。やるからには本気でいくぞ」
『やった! コールサインはどうしようか?』
『順当にいけばウッズフォーになる』
『そんな凄腕の人を従えるのは緊張するけど…… レッドタイさんはそれで良い?』
返答で使うコールサインはもちろんこれだ。
「ウッズフォー、了解した。そういえば、ウッズというのは何か由来があるのか?」
『……林』
『私たちの高校名に林が入ってたから、そこから取っている』
「おお、奇遇だな、俺の高校にも林の文字が入ってるんだ」
俺の高校は中林西高校で、過疎化まっしぐらの県の割には、それなりに多い生徒数を誇っている。
『高校ってことは…… 歳近いよね!?』
「十五だな、今高一だ」
『……一緒』
『こんな偶然あるんだね~。って、左見て! なんかいるよ!』
十時方向に、右へ向かって飛ぶ機影が一つ見えた。
「距離はあるが大きい、双発以上のクラスだな」
エンジンが一つだけの飛行機を単発機、二つついていると双発機と呼ぶ。三つ以上は、三発機や四発機といった具合だ。
ミッション中の輸送機か、輸送機狩りの重戦闘機かのどちらかだろうな。
『このまま進めばじきに近づく。明日の練習をするには絶好のチャンス』
「……やるなら機種を確認してからにしろ。相手に銃座があったら手痛い反撃を食らうぞ」
機動性が低く、単発戦闘機に後方からの襲撃を受けやすい爆撃機や重戦闘機には、操縦手とは別の乗員が操る旋回機銃が装備されている。
機体後方に向けて射撃するものは後部銃座と呼ばれ、戦闘機の攻撃から自機を防御するのが目的だが、侮れない火力を有している。
後部銃座の弾が一発でも当たれば、防弾装備が無いに等しい零戦二一型は致命傷を負いかねない。
『なんかイルカみたいな形じゃない?』
そう言われて、目を細めて機影を確認する。
互いに新幹線よりも早い速度で飛んでいるので、距離が急速に縮まって機影が大きく見えるようになっている。
大きな二つのエンジンにずんぐりとした胴体、アメリカのダグラス社が開発したDC-3で間違いないだろう。
一万五千機以上生産された優秀な機体で、コロンビア空軍では現在でも現役で活躍しているらしい。
「あいつは輸送機のようだな」
『あれは反撃してくるやつ? 早く撃ってみたい』
DC-3を近くから見たことは何度もあるが、銃座のついた機体は一つもなかった。
撃てば簡単に落とせるだろう。だが……
「見逃してやれ。常日頃から輸送機を落としていたら、いざ金欠で自分が乗ったときに落とされることになるぞ」
俺の中のルールで、輸送機は攻撃しないと決めている。
そのルールを作ったのは、俺がまだDogFightを始めたばかりの頃で、この零戦二一型を買うために輸送機に乗っていた時だった。
零式輸送機というDC-3をライセンス生産した輸送機で輸送ミッションをしていた時、P-38ライトニングというメザシのような戦闘機の襲撃を受けた。
機体を目一杯横滑りさせて回避しようとしたが、反復攻撃によって翼には大穴が開けられていた。
もうだめかと思ったその時、颯爽と現れた一式戦闘機『隼』によって、P-38の右エンジンが滅多打ちにされた。
P-38は残りの左エンジンで離脱していき、隼は俺に翼を何回か振ってどこかに飛んで行ってしまった。
あんな気高い戦闘機乗りになりたいと思い、俺は大空の皿洗いになった。
『まあいいか、明日たくさん撃つし』
『そんなに戦う気なの!?』
『私は四機落とす予定。つばきも頑張って』
『だからウッズワン! 相手を全部落とすって、どれだけ腕に自信があるのさ!』
『孤高の撃墜王レッドタイは、一機で百機を相手にしたという。だから、私が四機落とすのも理論上は可能』
いやだから脚色しすぎだ。
俺が一度にお相手したことがあるのは、せいぜい十機まで。それ以上になったら一目散に逃げている。
『ほら出た! ユキ…… ウッズツーの理論上は可能ってセリフ。今月で何回目?』
『……九回目』
『月初めなのにもうそんなに!? この前はテストの赤点――』
女子高生たちの華やかな会話を耳にしていると、いつの間にか目的地のラッドロー飛行場にたどり着いていた。
そこは飛行場以外なにもない砂漠で、だだっ広い平原には小さい草が少しばかり生えていて、遠くには岩だらけの山が見える。
砂地を転圧しただけの滑走路を一本持つ飛行場は、明日のトーナメントに参加するために集まった戦闘機で溢れかえっていた。
普段使用しているのであろう駐機場だけでは足りず、臨時で場外駐機場を開設している。
それでも着陸要請を出して、『周回待機せよ』を何度も聞いた後にようやく着陸できた。
管制塔から言い渡された駐機場は、飛行場の管理棟から程離れた滑走路端付近の臨時駐機場だった。
零戦は車輪の配置が尾輪式という方式で、機首が上に向いて前方が見えないので、左右に蛇行しながら割り当てられた駐機場に向かう。
エンジンを止めると、垂直尾翼にシートを被せ、燃料弾薬、整備の申請のため管理棟へと急ぐ。
敵機を百機落として撃墜王として知られ始めていた頃、着陸した後にコクピットで呑気にボーっとしていたら、レッドタイが来たと興奮した群衆が詰めかけてきて大変だったことがある。
あの時は、まだ暖かいエンジンを再始動して、栄エンジンの咆哮で群衆を押しのけて逃げたな。
申請を終えて、後から着陸したはずの仲間を探す。
零戦から下りてしまえば、俺も見た目はただの一般プレイヤーだ。
管理棟の屋上から駐機場を見渡すと、容易に発見することができた。
「零戦二一型に乗ってるのは俺たちだけか」
駐機場に置かれているのは、F6FやLa-7なんかの大戦後期に活躍した高性能戦闘機ばかりだ。
固まって駐機されていた彼女たちの零戦に近づくと、女子が向き合って会話をしていた。
DogFightの女性プレイヤーは数少ない。一人足りないが、ウッズ隊の彼女たちと考えて良いだろう。
「すまない、待たせたな」
「その声はっ!」
長いポニーテールを揺らして、少女がこちらへ振り向いた。
「あともう少しでつばきが旗を引っ張って飛んでくれそうだったのに……」
ボーイッシュな雰囲気を醸し出す少女が、残念そうな顔で俺の方を見てくる。
「旗? なんのことだ?」
ポニーテールの少女が指を指した先には、大きい横断幕のような布に何かを書き込んでいる黒髪の少女がいた。
布には『レッドタイを探しています』と書かれている。
俺は迷子犬かなんかかよ。
「これをつけて飛ぶ羽目にならなくてよかった…… 明日は十時から試合開始だから、九時にはここに集まろう!」
「……寝坊」
「あーはいはい、ちゃんと起こしにいくから。それじゃあウッズフォー、明日はよろしく!」
太陽が地平線の向こうに沈み、滑走路に照明が灯される。
明日は彼女らの廃部がかかったトーナメントの初戦、気張っていかねばな。
剣の零戦の塗装のイメージは、第二五一航空隊所属西沢広義乗機の零戦二二型の塗装です。