1話 大空の皿洗い
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ
スロットルレバーを押し込むと、エンジンの回転数が上がって、九百五十馬力を叩き出す栄エンジンが唸りを上げた。
更なる推進力を得た零戦がグンと加速し、俺の体を座席の背もたれに押し付ける。
「さぁ、ちょっとは楽しませてくれよ?」
数百メートルは離れているので聞こえるわけないが、後ろを追いかけているP-51マスタングに語りかけた。
マスタングは機首を上げて上昇し、俺の追尾から逃れようとしている。
操縦席を半球型に覆っているガラスの向こうには、首をこちらに向けている人物が見えた。
そのまま上昇していくかと思ったが、左に横転して旋回しながら斜めに降下し始めた。
左にラダーを蹴って機首を左に振りつつ、おもいっきり左に横転させて追いかける。
「格闘戦最強の零戦に巴戦で勝てると思っているのか? さっさと速度を生かして逃げれば良かったものを」
相手よりも旋回を強めて、マスタングを照準器の中に入れる。
狙うのは進行方向のちょい先だ。
弾は音速以上の速さで飛んでいくとはいえ、数百メートル離れた距離に飛んでいくのには少し時間がかかる。
目標を照準のど真ん中に入れると、その時間の間に狙った場所から目標が外れるので、飛んでいく時間を加味して少し先を狙う必要があるのだ。
ダダダダダダダダッ
っても大体勘だけどな。
零戦に搭載された武装は、七・七ミリ機銃と二十ミリ機銃の二種類。
七ミリの方は豆鉄砲だが、二十ミリは戦闘機クラスなら一発で致命傷を負わせることができる。
ボッ ォォォォォォ
二十ミリが数発着弾すると、燃料かなにかに引火したのか、マスタングの右主翼付け根から鮮やかな炎が噴き出した。
「よし、あれじゃもう戦えないだろう。一機撃破だ」
そのままマスタングは真っすぐ真下に急降下して、雲海の中に姿を消した。
速度を上げて風圧で火を消そうとしているのだろう。運が良ければ飛行場に帰還でき、運が悪ければ言わずもがなだ。
また、『レッドタイ』の歴史に新たな一ページが加えられたな。
レッドタイは俺のプレイヤーネームでなく、いつの間にプレイヤー達に付けられていた二つ名だ。
垂直尾翼に一本の赤帯を締めた塗装の零戦で、ひたすら戦闘機だけを落とし続けていたらこう呼ばれるようになった。
俺は敵機撃墜二百機を超える有数の撃墜王の一人として、オープンワールドMMOフライトシミュレーター『DogFight』で名を馳せている。
「そろそろ二十ミリが切れる頃か? 飛行場に帰るか」
今回の撃墜機数は四機、これなら次は撃墜報酬で質の良い燃料を入れてやれるだろう。
日銭を稼ぐのでいっぱいいっぱいの俺にとっては、それでも結構な贅沢だ。
ゲームの報酬システムが違ったら、もっと贅沢ができるんだけどな。
DogFightのシステムは、輸送ミッションで高報酬を得られるようになっている。
対して戦闘機で航空機を落としたとしても、雀の涙程度の報酬しか得られない。
そういうわけで、DogFightで金を稼ごうと思ったら輸送機に乗って輸送ミッションをこなすか、戦闘機で輸送機をひたすら落とすかが定石である。
自分も落とされる可能性のある対戦闘機は、落とされれば高額な修理費を払う必要があり、ハイリスクローリターンな道楽として捉えられている。
それでもなお戦闘機と狂ったように空戦し、その日飛ぶ分の資金を稼ぐ者々を、人々はいつしか『大空の皿洗い』と呼ぶようになった。
もちろん俺もそのうちの一人だ。
戦闘機乗りは花形だってのに、悲しいもんだな。トホホ……
俺は輸送機を攻撃しないというルールを作っているので、自然とそうなってしまった。
「管制塔、こちらレッドタイ、着陸許可を要請する」
飛行場に近づいて、滑走路を目視できるところまで来たので管制塔と交信する。
『レッドタイ、管制塔、着陸を許可する。滑走路手前に、離陸待ちのルーキーが三機いる。百点満点の着陸を見せてやれ』
「了解、ばっちり三点着陸を決めてやるさ」
車輪とフラップを下ろし、着陸準備を整える。
この時が、戦闘機が二番目に無防備になる時だ。ちなみに一番は地上にいる時。
しかし、この間に攻撃されることはない。
DogFightでは飛行場の周りにPK無効空域が設定されていて、その圏内であれば攻撃によるダメージは無効化され、安心して飛行場に降りることができる。
念のため周囲を確認すると、正面上空に一つの黒点が見えた。
高度を取って、飛行場の周りをクルクルと周回飛行している。……リスポーンキル狙いだな。
PK無効空域は、もちろん離陸した航空機にも適用される。離陸直後は一番燃料を積んでいて鈍重で重く、速度もついていないので狙うには格好の獲物だからだ。
しかし、PK無効空域外に出てしまえば攻撃したい放題なので、そこを狙う輩が少なからず存在する。
高い場所から一気に急降下して速度を稼ぎ、目標の上空から一撃を加えて、稼いだ速度を使って離脱していく様は、まるで猛禽類の狩りのようだ。
襲われていることに気づかなければ、為す術もなくやられてしまう。
「なぁ、離陸待ちの連中はルーキーって言ってたか?」
『そうだが…… どうした?』
しばらく考え込んで、無線のボタンを押す。
「すまん、用事ができた。ゴーアラウンドする」
『そうかい、また来いよ』
車輪とフラップを格納し、スロットルレバーを再び押し込む。
ヴヴヴヴヴヴヴヴ
『ウッズ、こちら管制塔、待って貰ってたのにすまんな、離陸を許可する』
『やっと来た! ウッズワン了解! 離陸します!』
『ウッズツー了解』
『……スリーラジャ』
無線から機内に明るい声が聞こえてきた。
離陸を待ってたのは女子達だったのか。こんな硬派なゲームに、華やかな女子が来るなんて珍しいな。
となれば、なおさらあのリスポーンキル野郎を叩き落としてやらんとな。
是非ともこのゲームを続けて、将来俺の獲物になってもらわねば。
上昇を続け、飛行場の周りを旋回している機影の後ろにつく。
後ろにいることが悟られないように、すこし下方で死角に入るようにしている。
奴の操る機種はFw190。ドイツのタンク技師の手によって生まれた傑作戦闘機で、高いエンジン出力と四門の二十ミリ機関砲から放たれる大火力は、リスポーンキルをするにはうってつけの戦闘機だ。
今ここで撃てば確実に落とせるが、まだ射撃ボタンは押さない。
俺の体感として、飛行場の周りを周回している戦闘機の九割はリスポーンキルを目的で、残りの一割はただ遊覧飛行している奴だ。
俺は残りの十パーセントの可能性に賭けて、こいつが行動を起こすまで待つことにした。
離陸を終えた三機は空中で合流して、逆V字に編隊を組んで飛行場を離れていく。
やはりルーキーと言うべきか、編隊飛行に安定感はなく、前後左右にフラフラとぶれていた。
PK無効空域外にでたところで、奴が行動を起こした。
Fw190の特徴である、効きの良い補助翼を生かして機敏に背面飛行に姿勢を変え、お手本の様な反転急降下で、ルーキーに向かって突進を始めた。
置いていかれないように急いで追従する。
武装の選択スイッチで七・七ミリを選択して、奴を光学照準器のど真ん中に入れる。
二十ミリを使わないのは、俺と奴の距離がぐんぐんと離れているからだ。
タタタタタタタタッ
機首に搭載され、撃った際にプロペラに当たらないようプロペラ同調装置のついた、七ミリ機銃が火を噴く。
二十ミリに比べて初速と弾道特性に優れる七ミリは、Fw190の胴体で何回か火花を散らした。
しかし、低威力の豆鉄砲なので、奴にとってはドアをノックされたくらいにしか感じないだろう。
それでも、俺に狙われているのに気づいて、上下左右にフラフラと回避機動をとった。
あれなら軸線がぶれて、ルーキーへ狙いを定めるのは不可能に近いだろう。
タタタッ タタタッ
当りはせずとも、七ミリによる牽制射撃を続ける。
発射される数発のうち一発に曳光弾というものが含まれていて、発射されると発光してどのように飛んだのか軌跡を示す。
この軌跡が目に入ることで、自分は今狙われているんだというプレッシャーになる。
奴は急降下をやめて、三十度くらいの緩降下に切り替えた。
機体の限界に近い右旋回を行ったと思ったら、もうすぐで俺の照準に入ろうかというところで切り返して、強烈な左旋回を始める。
再び照準に入るところで右、また左と切り返される。
これは…… シザース機動だな。
切り返しを繰り返して、相手を押し出すことを狙う機動で、特に補助翼の効きの良いFw190とは相性が良い。
現に、さっきまで数百メートル後方に位置していたというのに、今は横並びになるくらいまで押し出されている。
このままでは押し出されてしまうので、機体を減速させなければ。
プロペラピッチというプロペラの傾きを変えるレバーを操作して、最も傾いた状態にする。
それからスロットルレバーを下から二割くらいの位置にしてやれば、車のエンジンブレーキのような感じで減速を始めた。
速度が低下して、戦闘機動を行うためのエネルギーを失う諸刃の剣だが、艦載機として運用するために低速での運動性も確保された零戦なら問題ない。
こうも回避機動をとられては、二十ミリを当てられないので狙い方を変えるか。
奴が右に切り返したところで、俺は一気に左旋回をかます。
零戦の優秀な旋回半径であれば、奴の描く円よりも内側に入ることができる。
狙いは機軸の交差する一瞬、そこに二十ミリを叩きこんで撃墜する。
ググッ グググググ
前部胴体と一体化された主翼が軋む音がする。
しかし、もう少しの辛抱だ、耐えてくれよ!
ダダダダダッ
反対から右旋回で回ってきたFw190の正面上方から、零戦の強力な火力を浴びせる。
エンジンに二十ミリを被弾した奴は、黒煙を噴き出しながら離脱していった。
「勝負あり、一機撃破」
自分の機体の特性をよく理解した、なかなかに腕のあるやつだったな。
次は正々堂々と真っ向から戦いたいもんだ。
奴の襲撃から守った三機の近くに寄り、無線のボタンを押す。
DogFightでは、周囲のプレイヤーと交信するための周波数が用意されている。それを使おう。
「ウッズ、こちらレッドタイ、無事か?」