9 数式の汎用について
短めの投稿が続いています。
「足を投げ出しおって、歩き方が王族の振舞いから外れておる」
ヴィクトールにはできない軽やかなジルベルトの姿は、受け入れやすいはずだ。十六歳の黎明の乙女も、好む姿だろう。
扉が閉まった音を背で捉えてヴィクトールは、椅子に身体を投げ出した。
「任せておく。ジルなら、成し遂げる。女子学生は苦手だ。アンナニーナも私を怖がる」
ヴィクトールは、自分を遠巻きにするアンナニーナの姿を覚えていた。楽しくジルベルトを話す時の柔らかさが、ヴィクトールの登場で霧散する。
「十歳も下なら、当然の反応だ」
執務室の扉が叩かれた。誰何に応じたのは、財務部のダリルだった。
ダリルはラズンマ学園で共に学んだ同級生だ。今は王宮の財務部の文官で、すこぶる秀才だ。ラズンマ学園の在学中のに魔法数理論で類い稀な才能を示し、財務部門の文官へ抜擢された。人柄は、裏表なく真摯で、実直。駆け引きに疎く、ダリルは数字バカだと評されていた。
「朝からダリルの書類を見るのは、気が重い」
「ヴィクトール王太子殿下が理解できないものは、ありませんよ。見てください。万全の資料を揃えてあります。ジルベルト第二王子殿下からの、留学の成果報告が上がってきています。復学なさったのですね」
指に褐色の魔法の光を灯し、宙に数字と記号を書き連ねる。
「ダリルにも妹がいたな。可愛いって、しょっちゅう聞かされたが、妹とは十歳も違う。ダリルは怖がられておるだろう? 本当に仲が良いのか? 妹の体調は如何だ? 息災だろうか?」
「質問攻めですか? おかしいな、資料は十分です。執務から逃げる姿は、珍しいですね」
ガルガドル伯爵家から、入学辞退の書類が出されたのがヴィクトールの目を惹いた。貴族子女にとって、ラズンマ学園は家門の誇りとなる。願っても、家門に不正や汚職があれば入学が許可されない。
穢れなき名門の伯爵家が、入学を避ける意味をヴィクトールがダリルに見舞いと称して質したのは、春の前だった。
「妹は入学しました」
ダリルの目が、窓を通してラズンマ学園に注がれる。空色の瞳が微かに翳ったのは、憂慮だろうか。
「可愛い妹です。学園寮に荷物も届けました」
「その、ダリルは年下に怖がられなかったのか?」
瞠った目を音が出るほど、ダリルは何度も瞬いた。
「十歳も下だからこそ、慈しみました」
ダリルは怖がられる前に、相手へ慈愛を与える機会があったようだ。
「一考に値する」
ヴィクトールも、年下と気軽に接する時が持てるかもしれない。ダリルの言葉を促すように、じっと見つめ返した。
「食い付いていますね。数学も教えたし、学問の初歩を伝えました。理解力も優れていて、良く学びました」
得意の学問を通して、ダリルは年下を篭絡した。ヴィクトールの得手は、何があるだろうかと考えを廻らす。
「方法論としては理解できる。だが、頭でっかちに、育ったようだな」
「失敬ですよ。王太子殿下と言えども、シャルロッテへの暴言は看過できません。マチルダからはダンスの手ほどきと、所作を学んで淑女の嗜みは十分です」
シャルロッテが妹の名前だと分かった。ダリルは挑発に乗り易い。口の中で転がすように、シャルロッテと名前を唱える。
「マチルダの指南なら、弓矢と剣の間違であろう? 難しい年頃だろうか?」
「其方は、父が授けています。僭越ながら、王太子殿下は女性関係でお悩みがあるのですか?」
珍しく、ダリルの察しが良かった。答えたくない。いや、答えられない。
黎明の乙女を求めて、弟のジルベルトをラズンマ学園に送り込んだ。女子学生を追わせて、捕縛せよとも言いつけた。恋心さえも、黎明の乙女に繋がるなら弄べと嗾けた。王族の醜聞だ。
「私は結婚もしております。王太子殿下より、幾ばくか先達となりますゆえ、色々と、教えてさしあげることもできます。懊悩の時は過ぎゆくものですよ。女性における変数は、マチルダと育みました」
ダリルは、ヴィクトールの思いも悩みも願いもやはり察していなかった。小さく安堵した。
猛烈な勢いで、ダリルの指先が数式を編み出していく。恋も結婚も、ダリルにとっては数で捉えられるようだ。
黎明の乙女の出現時期と場所を計算して欲しいと言い掛けて、ヴィクトールは、願いを吞み下した。
「些事だ。執務には関わらぬ。深刻に悩んではおらぬ。無駄話は止めだ。執務を始める」
書類を読み飛ばして、ダリルの説明を受け流す。
ダリルの数字の羅列と、数式の奔流は昼を迎えて納まった。
「数字以外の物を見にいく」
ヴィクトールは執務室を出て、ラズンマ学園の庭を歩き出した。
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