6 女子会、初開催
アンナニーナが部屋のソファに座り込んだ。
「驚きました。カレンが黎明の乙女だったとは、知りませんでしたわ」
身体を横に倒し、頬に獣耳が垂れた。
どの部屋も同じ造りだった。窓際には黒橡の深い色で、猫足の低い本棚とデスクがある。学校寮のため、学習スパースは十分に確保されている。二脚のソファとテーブルのセットは共に煤竹色で、部屋の中央寄りある。女子学生の部屋にしては、落ち着いた色調だ。廊下側の壁には、作り付けの広いクローゼットがある。廊下から離れた壁際のベットは、胡粉色の薄い紗の天蓋で覆われ中は見えない。バスルームに繋がる扉が少し開いていた。アンナニーナの趣味だろうか、瑠璃色のレースが付いたクッションが、ソファに添えられている。陶器の花瓶には花が溢れ、ガラスの小物も品よく飾ってある。デスクの上の羽ペンや、瑠璃色や青藍色のインク壺が愛らしい。既に、アンナニーナの部屋として機能していた。
「全くね。何が黎明の乙女よ。馬鹿々々しい」
オリヴィアはデスクから椅子を引いてきて、すぽんと腰を下ろした。目で、ソファを示して、シャルロッテに着席を促している。押しが強い。
ソファの端に腰かけて、シャルロッテは首を捻った。
「カレンの主張には、何のエビデンスもありません。一部の事実が、不確かな童話の表記と僅かに一致をしているだけです。エビデンスになり得ません」
思い込みの中には、エビデンスはない。黎明の乙女が提唱したエビデンスは、客観的事実の積み上げだ。エビデンスの多くは、数値を持って示される。
「身体的特徴の一致をエビデンスとするなら、十一代の黎明の乙女の、全てに渡っての検証が必要です」
「そっち? 難しい話ね。私は、童話を信じている事実が、吃驚だったわ。男子学生も、黎明の乙女の話をしていた。でも、うふふっ、可愛い顔してシャルロッテは優秀なのね」
「確かに、守ってあげたくなりますわ」
何度も愛でるように言葉をかけてくるオリヴィアとアンナニーナの様子に、シャルロッテは言い知れない不安を感じた。上目遣いで、二人を見上げた。
「惹き付けられちゃうんだもん。そんな目で見ると、抱きしめたくなっちゃう」
オリヴィアの放った一撃が、シャルロッテをいたぶる。家族や使用人からはいつもかけられた言葉だ。だが、破壊力が違う。首を振るって、否定する。
「可愛くないです」
手を握り締めて、オリヴィアが悶えた。
アンナニーナが獣耳が、薄紅色を濃くしている。
「もう、降参ですわ、愛らしいシャルロッテ。確かにエビデンスの指摘は正しいですわよ。王宮が出している本とも、カレンの姿形は異なります」
「確かにね。全然違うよ」
オリヴィアが、半眼で本を覗き込んだ。
「色合いで言うなら、シャルロッテの方が似ているわ。童話と違ってずいぶんと、くすんで地味だけどね」
常に切れ味の鋭いオリヴィアの慧眼には、注意が要るとシャルロッテはツルペタンを装着した胸に刻んだ。
「でも、ジル兄様とカレンは悔しいくらいにお似合いです。引かれ合うのでしょうね。残念ですわ」
アンナニーナの言葉の意味が、全く掴めない。第二王子のジルベルトとカレンが、どうして似合いなのだろう。アンナニーナが悔しがって残念に思う気持ちも、全く理解できない。顔を上げた。
「口があんぐりって開いてるよ、シャルロッテ。乙女の嗜みから外れていて、カレンの言分が正しいのかな? 見た目で、二人が似合っているのは、まあ、認めるわ」
木賊色の瞳を光らせて、オリヴィアが二人に顔を寄せた。
「で、アンナニーナは第二王子殿下に恋しているって訳ね」
次々に明かされる事柄に、シャルロッテはついて行けなかった。更に開く口を閉じながら、音を搾り出した。
「好きなの?」
誰が誰をと問う前に、答えが飛んで来た。
「ジル兄様をお慕いしています」
オリヴィアが身を乗り出す。
「ねえ、王太子殿下って、やっぱり遠い存在ってこと? そっちには恋しないの?」
「ヴィー兄様は王太子殿下だから、威厳があります。迷いなく決断する胆力も、持っています」
アンナニーナも勢い込んでいる。
「つまり、怖いのね」
「ジル兄様は優しくて、軽やかで、幼い私を笑顔にしてくださる。快活に振舞って、時にはおどけて見せる陽気さだってありますわ」
「ただ軽い男って感じ?」
「違いますわ。軽快で、典雅で、笑顔を絶やさないの。きっとカレンとも、直ぐに恋が始まりますわ」
「何で、カレンと恋するのでしょうか?」
マチルダも王族と黎明の乙女が恋をすると喜んでいた。何があるのだろうか?。
「知らないのですか? 黎明の乙女と王子様が手を握り合う場面です。童話の中に必ずあります」
アンナニーナがページを繰る。
「王子様と出会って、黎明の乙女は恋に落ちます」
微かに指先を震わし、辛そうにアンナニーナが応えた。
「あれは、王子様が黎明の乙女に縋っていく感じだよね。ほら『黎明の乙女の願いなら、何だって叶えます』って書いてある」
オリヴィアの声に頷いた。確かめるように、ペーに目を走らす。間違いない。
「明言しています」
頭を抱えそうになった。荒い息を吐くと、眼鏡が曇る。辺りが見えない。二人の声が遠く聞こえた。
「だから、私の恋は諦めるのよ」
「身を引くかあ。悲恋だね。ジルベルト第二王子殿下が、黎明の乙女を求めて紅雨の式典に参列したって話だったわ。土砂降りだったし納得だけど、でも、童話よ」
納得できない話に、シャルロッテは混乱を深めていく。浮かび上がる疑問が多い。確かめたい事実が積み上がる。
雨と黎明の乙女と王族の関連が、掴み切れない。雨の中に、カレンとジルベルトとアンナニーナの恋模様があるらしい。
問い掛けたいと顔を上げると、アンナニーナの寂しそうな笑顔が見えた。辛い。アンナニーナの恋を、何も知らないぽっと出の黎明の乙女如きが、破っていいはずがない。シャルロッテは、邪魔はしない。でも、黎明の乙女だと名乗りたくない。明確なエビデンスを示すこともできない。
「諦めないでください。だって、黎明の乙女と王族が結婚するとは書いてない」
出てきた言葉は、勝手な励ましになってしまった。
「シャルロッテの発言が、恋から結婚に飛躍してるよ。でも確かに、カレンは結婚を狙っていそうだよね。うちの兄様達にも興味を示していた。恐るべき男爵令嬢」
「結婚って、ああ、辛いわ。ジル兄様が復学すると知って、ラズンマ学園に私は入学したくなかったのです。黎明の乙女と恋をするジル兄様の姿に、耐えられるかしら?」
「恋って」
考え込んでいたシャルロッテの顎を、オリヴィアが人差し指で軽く持ち上げた。
「シャルロッテって、面白いね。正しいエビデンスを語って、寮の規則を直ぐに理解している。タツフジ王国の地理や歴史も詳しそう。で、恋には疎い」
「そうですわ。共に学ぶのに、心強いお友達で嬉しいです」
「でも、黎明の乙女の基礎知識を知らな過ぎよ」
「本当に、残念ですわ」
童話が手に押し付けられた。
「お学びなさって。先代の国王陛下の御代に書かれた童話です」
「知ってたほうが良いよ。色んな本があるけど、王宮から出ているのが一番、真実に近いって評判よ」
十二分に事実を理解しているとの反駁を呑み込んで、シャルロッテは童話を読み始めた。
「私は金平糖と和三盆の干菓子を持ってきました。お分けしますわよ。ささっ、お茶にしましょう。読書中のシャルロッテには、食べさせてあげましょうね」
「ああ、ずるい。私だって、食べさせたいのよ」
香り高い緑茶が、白磁の器に注がれた。
オリヴィアとアンナニーナから差し出されるお菓子を、シャルロッテは懸命に食んだ。時折、二人の注釈を聞きながら、シャルロッテは初めて黎明の乙女の一般的で、歪んだ知識を学んでいく。
「ちゃんと読んで、お利巧さんですね。可愛いシャルロッテ」
アンナニーナがシャルロッテの頬を突いた。
今の状況も、本の内容も、驚愕で消化できない。
オリヴィアが手ずから緑茶を飲まそうとしているのを阻んだ時に、シャルロッテは疲労困憊で倒れそうだった。
「第八巻は必読よ!」
シャルロッテは十一冊の本を抱えて部屋に戻った。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
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