5 掃除の時間です
投稿再開です。
雑巾を投げて、カレンが廊下を闊歩し始めた。
「やってらんないわ。アンナも、掃除は嫌いでしょう? ああ、手が荒れちゃうわ。入学の日に、もう寮の掃除だなんて、ありえない。止め、止め」
「カレンは、ちょっと不真面目ね。シャルロッテだって、こんなに小さな身体で頑張っているのよ。見習いなさい」
ずいっとオリヴィアが前に出た。
「自らの身の回りは、各自で整えるのがラズンマ学園の規則です」
横から俯いたまま声を上げたシャルロッテの顔を、カレンが覗き込んだ。
「へえ。兄が王宮の文官だと、規則にうるさいのね。私が男爵令嬢だから侮っているわ。許せない。近衛騎士団長の父親がいるからって、随分と威張っている。伯爵家って上から指導するのね。気に入らない」
「父様も兄様も、此処では関係ありません」
カレンは既に学年全て学生の氏名や家族構成を把握していた。滔々と個人情報が紡がれていく。
「二学年のクラスには、男爵家が男子学生が四人いる。それなりに羽振りも良いし、まあ見目も許せる。イングラハム伯爵家には、男が三人いる。そうね、領地経営の長男なら考えてやるわよ」
オリヴィアの家族構成まで及んだところで、カレンは気が済んだように鼻を鳴らした。
「兄様達に、注意喚起の手紙を書こうかな。でも、えらいねシャルロッテ。しっかり規則を覚えている」
アンナニーナが真剣な目で、シャルロッテに向かって何度も頷いていた。
各自の部屋の扉は開け放たれている。掃除中の寮の規則だ。数名の女子学生が、掃除を済ませ階段を下りて行った。
廊下に塵はない。だが、艶が足りない。シャルロッテは掌を廊下の板に翳した。床板が輝き出した。
「生活魔法を使えば、手は荒れませんわ。一度艶出しをすると、後の掃除が楽なんです。我が家での掃除方法です」
シャルロッテの声に、アンナニーナが眼を剥いた。
「そんなに幼気なシャルロッテが、生活魔法を駆使できるんですの? 掃除も? お湯を沸かすのは? まあ、水も出して、火の調節もできるんですね。素晴らしい遣い手です。私は防御魔法しかできません」
「私は、攻撃魔法よ。爆発系が得意で、確かに領地の鉱山では有用だったけど、ラズンマ学園では要らないわ」
「イングラハム領の鉱山で秘密を握ったわよ!」
勢い込んで言い放ったカレンが立ち止まった。
「へえ、騎士服に似せた乗馬服は、なかなかセンスを感じるわ。でも、体に合ってないわね。ほら、女学生に見えないほどの体型だし、顔も、子供って感じよ」
入学の朝に領地から来たため、雨の中をシャルロッテはハンスと共に騎乗した。濡れた乗馬服は、部屋に掛けてあった。
シャルロッテの部屋を、まだカレンが覗き込んでいる。
「あら、生活魔法が得意なシャルロッテは、まだ荷解きもしていない。だらしないわね。十六歳の乙女としての嗜みが足りないわよ」
激しく揺れる肩を押さえた。
「乙女って」
何が伝わってしまったのだろうか? 名札はなくとも、黎明の乙女だとバレたのだろうか? 手落ちがあったのだろうか?
「シャルロッテは、入寮が遅かったの。これから嗜みを身に着けるのよね。カレンは世話焼きだわ。それに、鉱山には何の秘密もない。だって王宮にも申請済みだもん。もっと、カレンは慎重に考えれば? シャルロッテを虐めないでよ」
開いた扉からカレンは次々と部屋を覗いていた。カレンの興味は蓮の上の雫のように思いがけない動きで、瞬く間に移り変わっていく。
シャルロッテは雑巾を握り直した。床を拭く。
「煩いのはお互い様よ。オリヴィアは、お菓子の持ち込み過ぎだわ。食べるのを手伝ってあげる」
見上げると、カレンが持ち出したボンボニエールの中に、宝石の煌めきが見えた。
「大切な琥珀糖を、勝手に持ち出さないでよ」
オリヴィアの手が届く前に、カレンは素早く琥珀糖を一つ頬張った。
「今度は隠しておくわ」
硝子のボンボニエールを抱えて、オリヴィアは半眼で睨みつけている。
「やだあ、アンナは童話を持ち込んだの? 黎明の乙女の童話の全巻が、綺麗に揃っている。ちょっと子供部屋みたいだわ」
「好きなのですわ」
アンナニーナは微かに頬を紅潮させていた。
「え?」
シャルロットの驚きが声になった。
何が好きなのだろうか? 童話の全般が好きで、童話作家を目指していると答えて欲しい。縋るような眼差しを懸命に堪えて、シャルロッテはアンナニーナの声を待った。
「勿論、黎明の乙女でしょ? 任せて」
カレンの胸が、シャルロッテの前で漲る。
「は? 何をお任せするのでしょうか?」
「間抜けな顔のシャルロッテ、お聞きなさいな。私は黎明の乙女なのよ。間違いないわ」
廊下に沈黙が落ちた。
「馬鹿々々しい。今更、黎明の乙女が出現する訳ないでしょう? 童話の話よ。さっきから何度も行っているけど、カレンはもっと考えて行動しなさいよ」
果敢に沈黙を切り裂くオリヴィアの言葉は、シャルロッテの思いも鋭く抉った。
絶対に、黎明の乙女だとバレたくない。隠さなければならない。黎明の乙女は、童話を信じ切った愚かな人間だと断定されるだろう。
確かに、タツフジ王国は国の組織は揺るぎなく確立している。文化も繁栄し、経済も発展した。豊かな国だとアンブロシウス大陸で名を馳せている。もう黎明の時期は過ぎた。黎明の乙女はお呼びじゃあない。
「嫉妬ね。私が美しくて、王子に見初められる黎明の乙女だって分かって悔しいって顔に書いてあるわよ。オリヴィアは見っともないわね」
思わず疑問が零れる。
「エビデンスは何でしょうか? 黎明の乙女だと名乗る根拠は、何ですか?」
シャルロットは、手で口を塞いだが間に合わなかった。黎明の乙女の話題は、避ける必要があったと思った時には遅かった。エビデンスの必要性が、伝わるとも思えない。手で押さえた口の中で、舌打ちをした。
「また、シャルロッテは堅いわね。変な音が、口から聞こえたわよ。聞かせてあげましょう。エビデンスを求められたら、示すのが黎明の乙女です。童話にも書いてある」
「エビデンスを、知っているんですか?」
アンナニーナとオリヴィアの首が、見事に揃って首肯した。
「エビデンスと報・連・相は、黎明の乙女の決め台詞ですわよ。過去十一代に渡る黎明の乙女は常に、エビデンスを求めました」
アンナニーナは自室に入って、本の前に立っていた。うっとりと本を広げた。
「報告と連絡と相談は、我がイングラハム領でも徹底してるわ。だって、鉱山って危険な場所だもん」
アンナニーナの手の中で、エビデンスの旗を掲げる黎明の乙女が、騎士を率いていた。
驚愕した。シャルロッテは、黎明の乙女の童話を見るのは初めてだった。黎明の乙女の考え方は、タツフジ王国で広まっているようだ。
「これなら、黎明の乙女は必要ありませんね」
安堵の息が零れた。
「必要よ。今こそ、求められているわ。私が黎明の乙女たるエビデンスを示すわよ。しっかり聞きなさい」
カレンがくるりと一回転して見せた。廊下の窓から差し込む光が、銀鼠色の髪を浮かび上がらせる。
「舞台女優か?」
廊下で立ち竦んだままのシャルロッテは、輝くカレンと毒づくオリヴィアの間で首を左右に動かした。
「エビデンスは、まずは美しい顔よ。当然でしょう。次に、この豊満な胸。触りたくなるでしょう? 髪の色も瞳も、我が家にある黎明の乙女の童話と一緒なのよ。疑う余地なし。黎明の乙女の近くに侍るのを、許すわ」
雑巾を振り回し、カレンが嫣然たる笑みを浮かべて立ち去った。
「ごきけんよう」
オリヴィアがぞんざいに手を振って見送った。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
明日も投稿予定です。よろしくお願いいたします。




