3 紅雨に紛れて
雨が降った。
「くっ、帰って来た甲斐があった。いや、待った甲斐があったかな? 浮かれちゃうよね」
笑いが堪え切れない。ジルベルト・タツフジは心の底から、震えるほど歓喜していた。
ラズンマ学園は入学式は、雨が多かった。春の花に降り注ぐ慈雨にちなんで、紅雨の式典と呼ばれる。春を告げる雨の中で行われる入学式だ。
近年、入学式は呆れるほどの晴天の中で挙行されていた。
「珍しく、はしゃいでおる。冷静沈着で、象牙色の髪は凍るほど冷たかったはずだ。留学先のレスラリー王国からの手紙に書いてあった。おおっ、睨むと瑠璃色の瞳で心まで凍結する。ジルには珍しい、熱のある顔となっておる」
同じ色合いを持ったヴィクトール・タツフジから、顎を上げて顔を背けた。
「王太子殿下は、紅雨の式典には参列できない。もう二十六歳だしね、おじさんに近い。俺は、二十歳だけどまだ卒業していない。堂々と学生を謳歌しちゃうよ」
眦を下げたヴィクトールが、身体を嗅ぎ出した。
「加齢臭はないと思う。昔みたいに、ヴィー兄様って呼んでおくれ。十六年ぶりの、雨の入学式であるぞ。黎明の乙女が何処の家門か、王宮には記録が残っておらぬ。惜しいことだ」
互いに額を寄せあった。声を潜める。
「臭いか?」
「問題ないよ」
王太子の執務室は、人払いがされている。誰にも聞こえないと分かっていても、憚る内容だ。
「王太子殿下が童話に塗れているって、王宮での噂になってたけど、まあ、しょうがないよ」
ジルベルトの手から、瑠璃色の靄が立ち昇った。隠された本棚から、一冊の本を取り出す。ジルベルトの魔法は、瞳を基軸としていて瑠璃色を纏う。
「黎明の乙女については、情報が圧倒的に少ないのだ」
「おまけに王族が女子学生を囲い込みたいなんて、知られたくない。醜聞の一歩手前って感じじゃん。黎明の乙女は、十六歳で出現するんだよね」
ヴィクトールが、童話を持って重々しく頷いた。
「全ての話で、十六歳の黎明の乙女が王族と出会う」
建国から四百余年の歴史を、タツフジ王国は重ねて来た。人間と獣人が暮らすアンブロシウス大陸の西側にある国だ。四方の全てが陸で隣国に繋がる。大陸の中でも国土は広い国だ。
魔力を持つ人間が多く暮らしているタツフジ王国は、魔法大国だ。身体能力が高い獣人は少なく、貴族の中に僅かにいるだけだ。
「きっと驚くほどの美人だ。希望だから、会えば直ぐ分かる」
黎明の乙女は、タツフジ王国の希望だ。二十年から三十年に一度現れ、タツフジ王国に繁栄をもたらすと信じられている。乙女の働きによって、タツフジ王国では学術が進み、国が発展した。新しい物事の始まり。夜明けが黎明の意味だ。
「黎明の乙女は、確かに国の仕組みの始まりに大きく関わっておった。しかし、もう何十年も現れない。現陛下も、先代の陛下も、黎明の乙女と出会えなかった」
黎明の乙女は、多くの謎に包まれている。王族の近くに突如として出現するらしい。いつとも誰とも、分からない。黎明の乙女がいた事実と、確固として成果を残して、忽然と消え去る。
「だか、ジルは確信しておるのだろう? 十六年前の大雨と、今日の雨は黎明の乙女の先触れであるぞ。入学を渋る貴族が多かったもの、今年の特徴だ」
「お見舞いが多かった」
病弱の娘には医師を向かわせた。
ラズンマ学園が領地から遠いとの声には、馬車を出した。
親の職場に王太子が出向き、入学を促した。
今年は、十六歳になった貴族子女の全員が、ラズンマ学園に集う。
王都のマッシカにある王宮は、一つの大きな街だ。王宮城壁の一番外側に近衛騎士団が配置されている。城壁の西側にラズンマ学園があり、東側に不知火マッシカ神殿がある。南には商業地が広がり、北に貴族たちの王都の邸が集中している。
中央に位置する王宮から、歩いてラズンマ学園に行ける。
「黎明の乙女の名前も判明していない。まあ、直ぐに分かる」
ヴィクトールが童話の挿絵を愛おし気に撫でた。指に込められた象牙色の魔法の火で、絵が輝く。
ヴィクトールは髪を基軸としていて、魔法は象牙色を纏う。
「王太子殿下の魔法は、俺より美しいよ。黎明の乙女は、どっちの色が好みかな?」
タツフジ王国では、身体の一部を基軸として魔法が展開される。基軸となった場所が、魔法に色を与える。輝きが強いほど、魔法の威力が強い。
「黎明の乙女の色を、忘れるでないぞ」
「赤銅色の髪に牡丹色の唇。瞳は鉄紺色だ。他に見ない心が惹かれる色だよ。王族の魔法によってのみ、童話の挿絵が真実の色を見せる。堪んないよ。そそられる」
「派手に、復学しておいで。ジルが頼りだ。紅雨が色々と隠してくれる」
「がっつくと、嫌われちゃくよ。黎明の乙女も隠れているかもしれない。王太子殿下は、如何したいの?」
分かりきった答えを、あえてヴィクトールに問うた。
「詮無いことだ。引き摺り出してごらん」
ジルベルトとヴィクトールは、がっちりと拳をぶつけ合った。
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