2 乙女ギャラリー
三百五十四年前に、タツフジ王国に一人の乙女が降り立った。そう、空から降って来たらしい。
「初代黎明の乙女となったガルロッテが、十六歳の時に、異世界から転生した。本当ですよ。これを信じて初めて、黎明の乙女は成立します」
呟きながら、シャルロッテは信じ切れていなかった。
「黎明の乙女がいた異世界って、何処にあるのかしら? 空の彼方ってねえ。行ったこともありません」
信じるほうが難しい。難しいが、事実として黎明の乙女の歴史が目の前にある。好むと好まざるとにかかわらず、シャルロッテは黎明の乙女となる。
シャルロッテを取り囲む肖像画が十一枚。ガルガドル伯爵家には、今までに十一人の黎明の乙女がいた。
優雅な弧が四方の壁から立ち上がり、天井で交差する。天井から壁の上部に黎明の乙女たちの様々な絵が描かれている。騎士と腕組みをして話す乙女。洞窟の中を這い蹲る乙女。魚を両手で突き上げる乙女。どれも唇を引き締めて、意志を持った瞳をしている。
「いずれも、雄々しい乙女の姿です。ガルガドル伯爵家自体が、不可思議な成り立ちをしています」
ガルガドル伯爵家は、雲龍神を祀る不知火神殿に仕えた神官のガドルを祖とする伯爵家だった。神官から騎士になった異例の経歴を持つガドルは、騎士団での活躍で叙爵された。
「でも、事実は違います。当時の王族から逃れるために、ガルロッテがガドルと計略を廻らし、結婚してしまった。よっぽど王族が嫌いだったのでしょうね」
二代目以降の黎明の乙女は、全てがガルガドル伯爵家に生まれた娘だった。黎明の乙女の子供とは限らない。乙女の兄弟姉妹の娘も多くいる。事実、シャルロッテも十一代目の乙女の、弟の娘だ。
「共通するのは、髪と目と唇の色」
ガルロッテが転生した時に、色が変化したらしい。同じ色を持つ娘にだけ、黎明の乙女の素質が強く表れた。
シャルロッテはテーブルの上に現れた本を持ち上げる。勝手にページが開いた。乙女ギャラリーは、常に必要な物をシャルロッテに与える。
明るい光が窓のない壁から降り注ぎ、シャルロッテの意識を本に向けさせる。穏やかで慰撫する風が頬を擽り、ページを否応なく指し示す。いつまでも甘えていたいと思った刹那、立ち上がって前に進みたくなる。乙女ギャラリーは居心地が良いが、長居ができない場所だ。
「常に気が急きます。性格でしょうか?」
シャルロッテを包み込むような柔らかなソファに腰かけた。
「もう覚えてしまいました。『強い興味と明確な目標を持つ。エビデンスを持って興味にアプローチをし、常に分析を続け、対応を改善する。報告と連絡と相談を徹底して、仲間を纏める』って、要求が多過ぎです」
次代の黎明の乙女を、十六歳になるまでに先代の乙女が教育した。
十六歳になった黎明の乙女は興味のある物事をしっかり持ち、目標を定めた。明確な旗印を掲げて、王族と共に新たな国の仕組みを作っていった。黎明の乙女として生きるのは、十六歳から一年ほど。どんなに長くても三年。二十歳を迎える時には、誰にも知られずに生きて行った。
「『忘却の魔法を用いて、自らの姿を消す』のは、徹底して身を引いて、無用の争いを避ける方法です。私は、今すぐに忘却の魔法を使いたいです」
黎明の乙女の働きをきっかけとして、タツフジ王国は他国に先駆けて、国の仕組みが成り立った。文化が次々と花開いた。やがて、黎明の乙女が誕生するまでに長い年月が開くようになった。
シャルロッテが生まれたのは、先代が九十六歳の時だった。
十一代目の黎明の乙女の名前は、ヨニロッテだ。音楽に興味を持ち、音楽の齎す生産性の向上を数値で計測し、エビデンスとして示した。
「音楽で鶏が沢山の卵を産むって、粘り強く計測を続けました。その事実を、音楽堂の建設に繋げました。ヨニロッテは、エビデンスの示し方が独特です」
ヨニロッテが目標に掲げたのは、身分に関わらず音楽に触れる機会の創設だった。後にヨニロッテは『音楽の乙女』と典雅な名前を得たが、鶏に塗れた始まりを知るのはシャルロッテだけだ。
その後八十二年間、黎明の乙女は生まれなかった。
次代の黎明の乙女に教育を施す機会を失うと恐れたヨニロッテは、乙女ギャラリーに魔法を込めた。
「九十六歳の乙女って、ヨニロッテは凄まじいです」
乙女ギャラリーは、黎明の乙女の歴史と記憶を残し、必要に応じで手助けをする。
シャルロッテは、黎明の乙女の成し遂げてきたことを乙女ギャラリーで学んだ。考え方や、目標の持ち方や、王族との遣り取りを理解した。黎明の乙女たちの喜びや悩みを知った。学習し、考察して、シャルロッテは一つの疑問を持った。
「黎明の乙女って、今も必要なのでしょうか?」
シャルロッテは、何にも興味を惹かれていない。目標の見当がつかない。王族に会っても、何をするのか全く分からない。
八十二年間、黎明の乙女がいなくてもタツフジ王国は平安だった。隣国の戦いにも巻き込まれなかった。産業は豊かに国を潤し、文化は爛熟期となり、騎士団は他国を圧倒する。
シャルロッテは悟った。
すでに、国の黎明は終わった。黎明の乙女も要らない。
「私は、何も興味を持てません。目標だってないのです」
乙女ギャラリーで赤褐色の魔法が展開する。鉄紺色が爆ぜて、牡丹色が揺れる。テーブルの上にいくつかの物が現れた。
「乙女ギャラリーから、必要な物は与えられました」
シャルロッテは拳を振り上げた。
「入学しても、静かに過ごすぞお!」
乙女ギャラリーの扉が開き、外に向かって風が吹く。風に促されて、足を動かした。耳に微かな笑い声が聞こえた。目の端に笑顔が過った。振り返ったシャルロッテの鼻の先で、扉が閉じた。
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