12 青踏の集い
長いお休みになってしまいました。
入学から二週間が過ぎた。ピロティで茂みの向こうから聞こえた声に応じて以来、シャルロッテは少しだけ男子学生に慣れた。
男子学生と話すことが、僅かに怖くなくなった。立ち止まって質問に応じるようになった。エスコートに手を伸ばさないが、顔を見て断りを入れた。逃げ出す時も多いが、優雅な礼をしてから走り去った。
退学が時々頭を過るが、シャルロッテはラズンマ学園に留まっていた。
「エスコートに応じるのも、必要ですわよ」
アンナニーナの手を取っているのは、侯爵家の次男と名乗った一年の男子学生だ。身元の人物も申し分ないのだろう。垂れた兎の獣耳を揺らして、アンナニーナも寛いでいる。
「いろんな手を取るって、選択をアンナニーナはしたんだね。今日は二人で後をついていくわ。ねえ、シャルロッテ。気持ちの良い、青踏の集いね」
のびやかなオリヴィアの声が、陽の光に溶けて行く。青踏は、春の野遊びを指す。ラズンマ学園の新入生が、学園敷地内の散策をするのは青踏の集いだ。
「今日は、ジル兄様のお話も聞けますわ」
浮き立つ心に、重く雲が圧し掛かって来た。学生なら学園の行事を免れない。行事に関わる王族からも逃れられない。ジルベルトが青踏の集いで、一年生に歓迎の意を込めて話をする。
「楽しみだよね。『留学における黎明の意義を、共に集いし一年生と考える』って意味が分かんないし。難しい話なのかな? まあ、目の保養にはなるもん」
オリヴィアが大きく伸びをした。
「眠いのでしょうか?」
「ちょっとねえ。連日、調べものしていてさあ。シャルロッテの意見も聞きたいんだあ」
のどかに広がる空に、胸を塞ぐ重い雲が僅かに晴れた。オリヴィアに笑みを向けた。
「何が、気になっているんですか?」
「シャルロッテの指摘に乗ってみたのよ」
分からず、小首を傾げた。
「可愛いねえ。ふふっ、あのね、エビデンスが必要なんでしょう? 黎明の乙女の根拠を、外見に求めるためにアンナニーナの本と図書館の本と、全て検証したの」
立ち止まって、眼鏡を鼻に押し付けてからオリヴィアを見詰めた。風がおさげを揺らした。男子学生のエスコートを受けたアンナニーナが、遠ざかる。兎の丸い尻尾が、弾んで見えた。
慎重に言葉を探しても、何も出て来ない。是も非も、ない。
言葉を返さないのが、オリヴィアに最後の一押しをしたようだ。性急な仕草で肩を抱いて、オリヴィアが耳に口を寄せた。
「言いたくないなら、待っている。報告、連絡、相談は我がイングラハム家のモットーだもの」
オリヴィアが辿り着いた結論を考えて、肩が震えた。シャルロッテも、童話を読んで、黎明の乙女に共通する容姿が、正しく伝わっていると感じた。
礼拝堂に向かって、足を何とか前に出す。おさげを掴んだ。握り締めた掌からは、何も出て来ない。当たり前だ。シャルロッテには出せる答えが何もない。
「答えなくていいのよ。生徒会だって、色々と盛り上がっている。ねえ、困っているなら相談して欲しいわ」
案じるようなオリヴィアの声に、小さく答えた。
「私には、何もないのです」
「ふふっ、良いんじゃないの? 皆が望むからって、応えないのもありでしょう? 今度は、ランチを一緒に食べましょうね」
目まぐるしく変わるオリヴィアの言分に、心が迷子になった。
「ランチですか?」
毎日のランチは、未だにピロティの茂みで遣り過ごしていた。誰にも見つからない場所で、一人になっていた。カラカラっと笑うオリヴィアの顔に、気遣いが見えた。
「今日はジルベルト第二王子殿下を見て、少し男とか王族とかに慣れる。ランチに現れても逃げないで欲しい。王族が苦手なのは分かるけど、でも、友達との時間を、私はシャルロッテと過ごしたい。色々あって悩んでいるのは、アンナニーナだって同じだよ」
前を行くアンナニーナが、小さく目を伏せた。確かに、獣耳がいつもより垂れ下がり過ぎている。
「王族に関わることは、ちょっと――」
言外に滲ませた懸念を、オリヴィアは笑い飛ばした。
「勿体ないわよ。私はシャルロッテと仲良く過ごしたいの。王族なんかに、私たちの時間を搾取されたくない。だって、ラズンマ学園では身分は関係ないはずよ。ランチは一緒に、決まったわ」
オリヴィアの断言が、嬉しかった。固くなっていたシャルロッテの心を解していく。
「話すのは楽しいです」
言葉に込めた感謝は、オリヴィアの笑みを見れば伝わったようだ。
「じゃあ、毎日、『報・連・相会議』をしようよ。我が家は鉱山でも、もちろん家族でも毎日『報・連・相会議』を実践している。今夜は私の部屋よ。誘うのはアンナニーナと、カレンは要検討だわ。夜は、しょっちゅう外出していて、捕まらない」
黎明の乙女の血脈の確かさに、シャルロッテは小さく苦笑した。黎明の乙女の残したものは、タツフジ王国に根付いている。
「楽しみにしています。ああ、時間が迫っていますね」
顔を上げて答えると、オリヴィアが走り出す。おさげを揺らすほどの勢いでシャルロッテは丘を駆け上がった。
開けた丘に、礼拝堂が立っていた。王宮とラズンマ学園の境にある不知火神殿の礼拝堂だ。雲龍神が勇ましい姿で出迎えていた。
中には、学生が集まっていた。シャルロッテは遅かったようだ。座った途端に、声がする。
「今日は、一年生と共に話をする時間が持てて嬉しい。タツフジ王国の第二王子、ジルベルト・タツフジだ。留学先で知り得た見聞を、共に分かち合う時としたい」
「ジル兄様は凛々しいですわ」
アンナニーナが唇を噛み締めている。声を掛けるのを躊躇われるほどの張り詰めた表情が見えた。
滲む感情がシャルロッテには読み切れないが、憧れや愛しさだけでない思いをアンナニーナが持っているのは分かった。
「声も良いから、寝ちゃいそうよね」
第二王子はあんな顔をしているのだと、シャルロッテはジルベルトを目の端で捉えた。相手に印象を残さないように、素早く俯いた。
「これは『鏡カメラ』と言って、レスラリー王国で開発された魔道具だ」
「素晴らしいですわ。最先端の技術を、私に教えてくれています。ああ、ジル様」
カレンが感極まって、手を振り出した。
「そこの淑女は、やや心が浮ついてしまっているね。皆に伝えたいから、少しだけ口を閉じていようね。出来るかな? そう、良い子だ」
潜められた歓声が上がった。
上目遣いに確認すると、確かに見目が良い。ダリルよりも涼やかな瞳だ。ハンスと同じ上背だが、筋肉が付き過ぎていない。引き締まった身体の中でも、肩幅が逞しい。魔道具を操作する様子は、弓を構えるマチルダよりも俊敏だった。
「王子様は麗しいです」
呟きに、アンナニーナが頷いた。
「ああ、見てなかった。眼福より睡眠よ」
オリヴィアが目を擦った時に、『鏡カメラ』が映し出す姿に、シャルロッテは衝撃を受けた。
「うわあ、まあ裸です。嫌だあ。二人っきりの時にしてください。ジル様、何を――」
顔を手で覆って、指の間からカレンの目が覗いている。
肉体が、激しくぶつかる姿に男子学生から太い雄叫びが開かった。
「素晴らしいぞ」
「ああ、これはレスラリー王国で復活したって聞いてます。父様も見に行ったんですよ」
アンナニーナが手を叩いた。
「この『鏡カメラ』の性能も伝えるには、この映像が一番だよね。素晴らしい動きだろう」
ジルベルトの声にシャルロッテは激しく頷いた。
「相撲だ」
相撲と、ジルベルトの声を口の中で繰り返した。甘美な蜜が口腔いっぱいに広がる。言葉を繰り返して、シャルロッテは暫し酩酊を味わった。
「二年前に、レスラリー王国で相撲が復活した。彼の地では、獣人が相撲の力士となっている。これは廻しといって魔道具なんだよ。尻尾を収納している」
ジルベルトの話だけがシャルロッテの耳を打った。
凄まじい勢いで、思考が巡っていく。『鏡カメラ』が映し出す相撲に惹きつけられた。
「相撲です」
顔を上げて、ジルベルトを見詰めた。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
まさか、九州場所が始まるまで投稿が再開できないとは…
週に一、二回の投稿ペースになると思いますが、よろしくお願いします。




