11 茂みを隔てて
「家族に心配をかけるのは、感心せぬ。追いかけられるほど、優秀なのであろう? 明晰な頭脳で、考えてみよ」
ヴィクトールは自然に応じていた。茂みの中から聞こえるのは、愛らしい女子学生の声だ。ラズンマ学園に戸惑っている内容だから、一年生だろうか? 声を掛けたら怯えさせるとの逡巡が、心の中で頭を擡げた。
「そうですよね。もうランズマン学園で学ぶことがない。如何でしょうか? 優秀過ぎて、放り出される。傲慢でしょうか?」
ヴィクトールの警戒心が溶けて行く。此方の姿も見られない。相手も声しか聞こえない。畏怖を与える王太子と避けられることもない。
「一考に値する。良い風が吹いておる」
退学を引き留めても、今は助言を聞かないと分かる。追い詰められた人間は、否定を感じると逃げ出す。肯定から入る。受け止められたと感じて、初めて一歩を踏み出すほうが賢明だ。
「ああ、此処の風は心地良いです。あの、解けていない疑問があります」
「ゆっくり考えればよい。午後は、出席必須の授業がないだろう」
授業は、基本的に男女共に午前中に基礎教科がある。語学は、隣国の言語やタツフジ王国の古典語を学ぶ。文章の読解や、詩作の授業もある。数学や魔法学基礎は、女子学生に人気がない。アンブロシウス大陸の地理学や歴史学は、概略を一年をかけて学ぶ。
午後は、男女が分かれて授業が組まれている。女子学生は、音楽や絵画に舞踏や作法などの淑女教育が並ぶ。茶会の開催の授業もある。入学前に身に着けている内容が多く、ほとんどが課外活動とも言える。授業の選択も出席も自由で、図書館や神殿や王宮に出向くことも、推奨されていた。
「入学してから、分からないことが多いのです。王族と黎明の乙女の恋問題。まあ、これは勘違いの相乗効果だと、結論付けました。童話は所詮、歪みがあります」
「恋が勘違いとは、一考に――」
被せ気味に、茂みから疑問が飛んで来た。
「でも黎明の乙女と雨の関連は、童話を読んでも出て来ませんでした」
驚いた声で、答えをヴィクトールは返す。
「黎明の乙女がタツフジ王国に到来して、紅雨となる。春の花をしっとりと濡らし、渇いた国土の慈雨となる。黎明の乙女の存在は、タツフジ王国の希望だ」
紅雨と黎明の乙女の関連を知らない貴族子女がいた。驚愕なる事実を前に、物知らずを責めない言葉を、ヴィクトールは懸命に選んだ。
「びしょ濡れで、どんよりした入学でした。私の気持ちには合っています。黎明の乙女がいると、雨が降るのですね」
「十六年ぶりの雨だった。暖かに晴れた春麗らかな入学式が続いた。忌まわしい日々だ。それも終わった。紅雨がやって来た」
「雨が、黎明の乙女の存在を示してしまった。迷惑です」
隠さずに率直な物言いをする姿に、興味が乗って来る。黎明の乙女を疎んじている女子学生に、学ぶ意味をヴィクトールは聞いてみたくなった。
「百二十七年前の『学びの乙女』が、このラズンマ学園を創設した」
「知ってます。学ぶ場所を与えてくださった現状には、感謝しています。それに、友と呼べる人たちとも出会いました」
悩みながら退学を望んでも、充実した時間も過ごしているようだ、学ぶのは好きな女子学生だ。
「現状の女子学生の教育課程を、どう思うだろうか? 優秀な女子学生も増えておる」
「結婚が、全ての目指す場所になっています。間違ってはいませんが、他の選択肢は、今もないのでしょうか? 社交界に興味がない貴族子女だってます」
恐れない女子学生の考えに、ヴィクトールは引き込まれていた。嗾けてみる。
「感覚ならエビデンスにはなり得ぬ」
「必要な情報だけでなく、考えるべき事実を突きつけて来ていますわ。考えます」
考えることが喜びなのだろうか? 弾む声で意見を繰り出す。
「実際に女子学生の二年次進学率と、就労の相関関係を見るのは如何でしょうか? それに、社交界やアンブロシウス大陸での卒業生の活動を見るのも大切です」
「数値で示せるだろうか?」
茂みが揺れた。曲がった枝におさげが見えた。
「数の理論だけではありません。聞き取りをして、個々人の卒業後のエピソードを追うのも必要です。エビデンスは、個別の状況の集合体です」
考えかたに引き込まれた。もっと話したい。ラズンマ学園で学んで欲しい。
「何故、退学を考えたいんだい?」
零れたのは素直な疑問だった。
もう居なくなってしまったのだろうかと、ヴィクトールが茂みに手を伸ばした時に声が返って来た。
「私が此処にいなくても。居る必要がないんです」
随分と逡巡したのだろう。か細い声だ。
「黎明の乙女を、名乗りたい人もいます。恋を担う人もいます。私には何もない。それに、優秀だから学ぶこともないんです。傲慢です」
消え去って欲しくない。
「あったはずだよ。紅雨の話だって、知らなかったであろう? その――」
質したいことが、ヴィクトールの中で膨れ上がって来る。黎明の乙女なのだろうか? 此処で聞いたら、追い詰めてしまう。茂みに隠れてランチタイムを過ごして、退学を検討している女子学生だ。言葉を選ぶ。
「何か求められているのかい? 私も求められる姿に、圧し潰されそうになる。でも、私にしかできないことがあると、信じておるんだ。君にしかできないことを、私は知っておるよ」
「私は、何もできません」
励ましたい。側で、一緒に手を取りたい。隔てる茂みは密に込んで、女子学生の姿も見えない。思いを伝えるのは、言葉のみだ。
「恥を忍んで、伝えよう。実は、年下の女性から遠巻きにされておる。笑わぬ堅物で、話し方も硬いらしい。上背もあって、怖い」
「ええ? 怖さは感じませんだって、あれ? 誰ですか?」
「話す練習になった。今、君は役に立っておる。有意義であった。明日からランチタイムをしっかりとお食べ。パンだけだとひもじいであろう。退学はまだできぬな。まずは、現状分析が必要だ」
立ち上がって、腕を振るった。執務室に帰る頃合いだ。
「うわあ、誰かと話してしまいました」
若芽の茂みが揺れる。ヴィクトールは歩き出した。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
今週は、投稿をお休みします。体調を整えて、来週月曜日に投稿を予定・・・です。




