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1 招集がかかった

悩んで逃げ出したい伯爵令嬢と、必死で捕まえたい王族の話です。

 サンルームの空気が冷えていく。

「まっぴらごめんです」

 届いた魔法通知書が、十六歳のシャルロッテ・ガルガドルの手の中で震えた。

 シャルロッテの暮らすタツフジ王国で緊急の場合のみ使用されるのが、魔法通知書だ。破れない。汚れない。必ず宛名の相手に届く、優れ物だ。

「信じられません。『(こう)()の式典』への招集って書いてあります。私宛ですわ。ダリル兄様が、入学は辞退届が受理されたって豪語したのは、聞き間違いだったのでしょうか?」

 陽の光を取り込む大きなガラス窓に見える空を、凄まじい速さで厚い雲が覆っていく。ガルガドル領の空は、シャルロッテが声を打ち込む毎に、輝きを失っていくようだ。風が重くなってくる。朝のサンルームに、冷気が満ちた。

「ラズンマ学園の入学式を、紅雨の式典と呼ぶのだと承知しています。うわあ、入学したら『黎明(れいめい)の乙女』だってバレてしまいます」

 一つに縛った茶褐色の髪を揺らして、空色のダリル・ガルガドルの目が泳いだ。

「春なのに今朝は寒いし、サンルームが暗い。落ち着こうね、シャルロッテ。誤解だよ。豪語って、俺は見込みを伝えた。名札を付ける訳じゃないから、直ぐには露見しない。そんなに喚くと、可愛い顔が台無しだよ」

 ダリルの顔を見据えて、盛大な舌打ちをかました。どの口が、慰めにもならない戯言をほざいているのだろうか?

「ちって、変な音がした。顔が怖ろしいよ。おかしいな。如何したんだろう? 確かに妹への見舞が来て、それも辞退したんだ。見舞いは王宮からだった」

 ダリルは二十六歳で、王宮文官でやたらと見目も良い。涼やかな瞳に合わせて、鼻筋と唇は収まりが良い。全体としてあっさりと、くどくない顔だ。

「王宮からの見舞いの意味を、どう計算をしたのですか?」

 数に強いダリルは、心外だとばかりに眉を(ひそ)めた。

「シャルロッテは疑い過ぎだよ。王宮の文官は、真面目だ。王族も臣下も、慈悲に溢れている。見舞いを辞退したからって、入学が決まった訳じゃあない、と思うよ。なあ、そうだろう?」

 同意を求めて首を廻らすダリルの声が、不安げに掠れた。指に褐色の魔法の光を灯し、宙に数字と記号を書き連ねる。

「不確定関数を王族の動きとした場合に、変数は――」

 シャルロッテには理解不可能だが、ダリルは数式の中で何かの失体に気付いたのだろう。顔が青褪め、書かれた褐色の文字が震えている。

「ダリル兄様の格別のお働きに、感謝申し上げます」

 外見も内面も、文句なく整っているダリルは悪くない。だが、今のシャルロッテには全てが迷惑だ。文官なのに、やたらと引き締まっている身体も、気に入らない。

 ダリルと同じ色合いのハンス・ガルガドルに向き合った。

「父様からは、娘は虚弱で、領地で静養が必要だって噂を流したって聞きましたわ」

 太い腕を握り締め、ハンスは胸を叩いた。

「ああ、噂は完璧だ。俺は、入学決定を知らないぞ。虚弱で心配だとヴィクトール王太子殿下が、わざわざ騎士団に駆けつけたんだ。親切な御様子だった」

 頭が痛くなってきた。ハンスも、シャルロッテの入学辞退を認めていたはずだ。王太子が出てくる意味が、恐ろしい。

「王太子殿下に、何を伝えたんですか?」

「身体が弱いというより、ヴィクトール王太子殿下はシャルロッテの愛らしさに、御興味を示された。タツフジ王国でも、滅多に見られないほどの可憐な娘で、亡くなったキャロルにそっくりだって、話して、キャロ――」

 堪え切れず泣き出したハンスの声が詰まった。

 近衛騎士団団長を務めるハンスは、ダリルと同じ空色の目を歪めた。シャルロッテとダリルの母のキャロルは、美しい肖像画がサンルームに飾られている。今は、闇に沈んで見えない。

「アーモンド形の瞳はキャロルと同じ。整った眉から鼻にかけての絶妙な配置も、キャロルと一緒だ。頬と唇は俺と同じ形で、でもシャルロッテは、キャロルに生き写しなんだ」

 ハンスは、鍛え上げた筋肉を全身に纏う。太い眉で、瞳と鼻梁は逞しく整う濃い顔の美丈夫だ。今は、滂沱たる涙が止まらない。ガルガドル伯爵の爵位を持ち、剣を持って国王に忠誠を誓っていた。裏表がない。真摯に過ぎる人柄で、亡き妻を一筋に愛し続ける実直さがある。怖ろしい程に真面目だ。

 シャルロッテの存在を、如何して王太子と話したと責めても徒労になるだけだ。

「父様も、お嘆きならないでください」

 泣きたいのはシャルロッテだった。萎んだ肩の筋肉を握り潰しそうになるのを堪えて、シャルロッテは懸命にハンスの肩を撫でた。

「自慢の義妹ですってお応えした。抜かりはないわ。ジルベルト第二王子殿下からは、王宮の廊下でお声を掛けて頂いた。あれ? 留学中だったのに、お戻りになったのね」

 弓矢の如く刺さる声に、シャルロッテは呻く。

「マチルダ義姉様まで――」

 役に立たない、と出掛かった声を呑み下した。

 マチルダはダリルと一年前に結婚した。褐色の髪に萌黄色の瞳が美しい。マチルダは近衛騎士団の女性騎士で、ハンスの部下になる。必要な場所が出て、搾る場所は引き締まった鍛え抜いた身体をしている。邸に居ても、背には常に弓を背負う優秀な射手だ。

「でも、待ってよ。あらら、黎明の乙女だから、王族と恋に落ちるのかしら。きゃあ! 一目惚れで、激しく引かれ合う。シャルロッテなら間違いないわ」

 矢を番えないで欲しい。弓を構えた手を、シャルロッテは満面の笑みを湛えた瞳で押さえた。

 夢見がちで、愛らしい思考を持つマチルダはとても優しく気立てが良い。明朗な好意を、素直に示す。

「行きたくありません。入学をしないで済む方策を、ガルガドル伯爵家一丸となって考えてきました。父様も兄様も、義姉様だって、協力してくださったのに、嫌です」

 項垂れた頭が、シャルロッテの前に三つ揃った。

「文官として、俺は力不足だ。王族を退ける書類を積み上げたが、足りなかった。数式に組み込む変数に、改善の余地がある」

「もっと噂を広げていれば、良かった。騎士団だけでは足りなかった。一段上の鍛錬目指す必要があったのに、無念だ。筋肉が役に立たなかった」

「恋の矢を放つだなんて、浮かれてしまったのね。近衛騎士ですが、王族を避ける手立てをさらに講じる必要があったわ」

 各々が、内省を始めた。シャルロッテを可愛がり、溺愛し、支えてきたガルガドル伯爵家の面々は、善人が揃っている。

 凍てついたサンルームで、ダリルが手を打った。

「ランズマン学園の制服は支給だし、寮の飯は旨い」

 集っている家族は、三人共に学園の卒業生だ。各々に学園を懐かしむ言葉が紡がれていく。

 シャルロッテは身体が傾ぐほどの衝撃を受けた。立ち直りの早い家族の中で、もう入学は決定事項となっている。

 食い縛った歯で抗弁する。

「制服も、食事も、心配していません。私は――」

 入学したくないとの絶叫は、続く言葉に呑まれた。

「大丈夫だ。王都まで、二時間で行けるぞ。俺の馬で明日の早朝に出れば、昼前の紅雨の式典に十分に間に合う」

 力強く宣言したハンスの声に、仰け反ったシャルロッテの身体がソファーの上で崩れた。

 ハンスは騎士団の団長だ。当然に優れた騎手で、駿馬を駆る。

 負けた。入学が決まってしまった。

 マチルダがシャルロッテの髪を撫でた。

「似合うわよ。制服の裾にレースが付いている。赤銅色の髪に映える。鉄紺色の瞳に牡丹色の唇。誰もが魅了されるわ。ちょっと小柄で、でも、豊かな胸に細い腰よ。可愛いシャルロッテ」

「残念な情報を、ありがとうございます」

 赤銅色の髪は煌めいて、人目を惹く。牡丹色の唇は無闇に艶めいて、誘う。鉄紺色の瞳は視線を捉えて、離さない。タツフジ王国に伝わる黎明の乙女の色だ。

「何も持たなくても、入学できる。紅雨の式典だ。明日? 忙しいな」

 シャルロッテは赤銅色の髪を靡かせて、立ち上がった。

「待って、準備を手伝うわ。着飾るんでしょう?」

 引き結んだ唇で、シャルロッテは首を横に振った。

「乙女ギャラリーに入ります」

 三人が息を呑んだ。

「マチルダは止まれ。上官命令だ。乙女ギャラリーに入れるのは、黎明の乙女だけ。シャルロッテしか入室はできない。八十二年ぶりの乙女誕生だ。隠しきれない」

 ハンスの声を雷鳴が掻き消した。

 廊下を走り切った。扉の前に立つ。シャルロッテは、両手で取っ手を掴んだ。

「此処を出る時には、私は黎明の乙女となってしまいます!」

 魔力を込めて、扉を押し開ける。目の前に乙女ギャラリーが広がった。


お読みいただきまして、ありがとうございます。

連載物です。応援していただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

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