欠片集め2
**** 欠片3 髪飾り ****
十一月八日の朝。
「碧真君。もう九時だよ。起きて」
肩を揺すられて目を覚ますと、既に身支度を終えた日和が立っていた。
「丈さん達は、さっき結人間家の迎えの車が来て、お仕事に行っちゃったよ。私達は丈さんの車を使っていいって、鍵を預かってる。あと、丈さんが、碧真君の朝ご飯を買ってくれてるから食べてね」
一時間前に「朝食を食べに行こう」と日和に起こされたが、碧真は辞退して他の三人より長く寝ていた。
本当はまだ寝ていたいが、丈から頼まれた買い物に行かなければならない。碧真は渋々と体を起こした。
「碧真君、よく寝てたね」
(……逆に、よく眠れなかったから、今まで寝てたんだよ)
昨夜も警戒せずに呑気に眠りこけていた日和とは違い、碧真は中々寝付けなかった。
一昨日は丈と壮太郎が行方不明になった事態に気を取られて考えずに済んだが、目を閉じても聞こえる吐息や衣擦れの音で、改めて日和と同室である事を意識させられたからだ。
イヤホンを着けて適当な音楽を流し続けて眠る事が出来たが、だいぶ神経が擦り減らされたように感じる。
碧真は眠気と闘いながら洗面所で身支度を整え後、ソファがある場所まで戻った。
「碧真君。何か飲む? コーヒーがダメなら、紅茶も緑茶もあるよ?」
「……水でいい」
何やら、日和はいつも以上に上機嫌だ。
ペットボトルの水を受け取った碧真は、日和の頭にある赤い色に気づく。
祭りの夜に碧真が渡した山茶花の髪飾りだった。
視線に気付いたのか、日和が少し照れ臭そうな笑みを浮かべながら碧真を見上げる。
「早速、着けてみたよ。どう? 似合う?」
柔らかな赤い色の花びらがふわりと広がった髪飾りは、派手さは無いが、ふとした瞬間に目を惹く。思った以上に日和によく似合っていた為、碧真は無意識に見惚れていた。
「何か言おうよ!?」
沈黙の気まずさに耐えきれなくなったのか、日和が視線を泳がせながら言う。
「いいんじゃないのか」
「はいはい。どうせ似合わないって……へ?」
予想外だったのか、日和が間抜けな顔で固まる。思わず出た言葉に、碧真自身も驚く。変な空気になる前に、碧真は咄嗟に嘲笑を浮かべた。
「脳内花畑っぷりがよく表れていていいんじゃないのか、という意味で言ったんだ」
「で、ですよね!? 碧真君は褒めませんよね!? 貶す事しか出来ませんよねえ!?」
「俺に褒められても、気味が悪いとか言うんだろう?」
「そんなことっ! …………ナ、ナイヨ」
日和はサッと目を逸らす。うまく誤魔化せた事に、碧真は内心安堵していた。
「俺が貶している方が、日和は安心するんだろう? 優しさだから感謝しろよ」
「そもそもの元凶が何言ってんの!? 碧真君が、普段から人に対して褒め言葉を使ってたら、違和感なく受け取れたよ!」
「普段から他の奴に対して褒め言葉を使っていても、褒めるところが無い相手だと意味が無いだろう?」
「私、怒っていいよね!?」
「一人で御自由にどうぞ」
「この怒りをセルフサービスにしないで! 碧真君が原因だから、ちゃんと対話しよう!?」
「今相手してやっているだろうが」
「うっ……。もういいよ!」
日和は言い返せなくなったのか、プイッと顔を逸らした。
「……もういいもん。このシュシュ……」
日和は、今にも髪飾りを外して床に叩きつけそうな険しい顔で口を開く。碧真はハッとした。
処分するか所持するかは日和に権利があるとはいえ、贈った物を捨てられるのは流石に複雑な気分だ。
(今から言い直すなんて、出来る訳が無い。だが……)
碧真が”似合っている”という言葉を素直に伝える事を躊躇っていると、日和がガバリと顔を上げた。
「こうなったら毎日着けて、眼鏡と同じくらいに、私が着けている事が当たり前のポジションにしてやる! 逆に着けてない事が違和感あるレベルになれば、貶せないよね!」
日和は謎理論を展開して胸を張った。碧真はポカンとした後、戸惑いながら口を開く。
「捨てないのか?」
「え!? 何で捨てるの!? 可愛くて気に入ってるのに! それに、大事に使うって言ったじゃん! もしかして、捨てさせる気で貶したの!?」
日和は驚いて、シュシュを取られないように頭に手を添えながら後退した。
「捨てさせる気は、さらさらない」
「よかった。てか、碧真君みたいにデリカシーの無い人に聞いた私が悪かったよね。ごめんね」
「日和を締める気は、たっぷりとある」
「すみません、調子に乗りましたあっ!!!」
睨みつけると、日和は碧真から離れてテーブル前に逃げた。
「碧真君。朝ごはん食べよう! お腹いっぱいになったら、心穏やかになれるよ!」
攻撃を回避する為に朝食を用意する日和。
日和の頭に咲く赤い花を見て、碧真の口元に僅かに笑みが浮かんだ。
**** 欠片4 蛍の光 ****
「ありがとうございましたー」
店員の言葉に見送られ、日和と碧真は店を出る。
碧真の手には、丈に頼まれたおつかいの品が入ったビニール袋が下がっていた。
「お饅頭、無事に買えてよかったね」
小さなお店で手作りしている為、お一人様一箱の数量限定。日持ちが三日しかなく、販売時間も十時半と十三時半頃と曖昧な為、タイミングが合わないと購入出来ない人気商品らしい。
店に来た時には残り三箱になっていたので、あと一歩遅ければ買えなかっただろう。
「あと二つ買えば終わりだな」
碧真は面倒臭そうに溜め息を吐く。
「残っているのは、果物シロップと美容クリームだっけ?」
「ああ。どちらも違う店だが、昼前までには終わりそうだな」
次の目的地に向かって、碧真は車を走らせる。
窓の外を流れていく景色を眺めて、日和は上機嫌だった。
太陽の光に照らされて、穏やかに風に波打つ木々。少し薄暗い緑のトンネル。小学生の夏休みに来ていたら、きっと「冒険だ!」と叫んで駆け出していただろう。
綺麗に澄んだ川の前にある看板を見て、日和の脳裏に鮮やかな光景が浮かんだ。
「碧真君って、蛍見たことある?」
「無い。いきなり何だよ」
日和の唐突な質問に、碧真は怪訝な顔をした。
「さっきあった看板に蛍の絵が描かれていたのを見て、初めて蛍を見た時のことを思い出したの」
今年の六月上旬。日和は生まれて初めて蛍を見た。
日和が今のマンションに引っ越す前に住んでいた地域には、蛍が見える公園があった。
日和の実家も田舎だが、川が汚れていた為、それまではアニメやニュースなどの映像の中でしか蛍を見たことがなかった。
アパートからバスで十五分移動して、暗闇の中を歩いた先にあった光の粒達。
映像で見た時は蛍の光は緑だったが、日和が見た蛍の光は青色に見えて驚いた。
星の光よりは弱いが、柔らかくて優しい光の粒が宙を舞う光景は幻想的で、とてもとても美しかった。
「見た事がないなら、是非見てみて。本当に素敵だから」
「虫が光っているのを見て、何が面白いんだよ」
碧真に「くだらない」と吐き捨てられ、日和は苦笑する。
「私にとっては、凄く意味があったの」
正社員の仕事を辞めて、無職期間の後にようやく決まった派遣社員の契約を一ヶ月で切られた。
先が見えない不安、頑張ってもダメになる恐怖、生きる意味が見出せない虚無感に心が掻き乱された。
生きて何になるのか、もう死んでしまった方が楽になれるんじゃないか。
生きたいという思いと、死にたいという思いが交互に襲ってくる中、気分を変えたいと見に行ったのが蛍だったのだ。
ただ、生きる。
淡く明滅する命の光の美しさに見惚れた。その光景も、胸の中に込み上げた温かな熱も、鮮明に思い出せる程に心が震えた。
「蛍は、人間を喜ばせようなんて欠片も思っていない。でも、蛍を見た時に、私は凄く嬉しくて、周りの人達も綺麗だって笑って幸せそうだった。生きているだけで、誰かの力になっているんだなって思った」
誰の役にも立てないのなら、生きている意味なんてないと思っていた。
失敗作だと自分を責めて、綺麗な景色を見せることも、楽しむことすら許していなかった。
そんな思いで、このまま人生を終わらせるのは悔しかった。
それに、死ぬのはやっぱり怖くて。こんなに綺麗なものを見られるのなら、自分や誰かを一瞬でも笑顔に出来るのなら、もうちょっとだけ生きてみようと思えた。
碧真は興味がないのか黙っていた。日和は気恥ずかしくなり、誤魔化す為にヘラリと笑う。
「ちょっと遠いけど、来年も見に行こうかな」
前に住んでいた場所は田舎なので、バスは一時間に一本、多くて二本だ。二十一時が最終便になるが、何とか見に行けるだろう。
「……来年、連れて行ってやろうか?」
「へ?」
碧真の言葉に、日和は驚く。碧真は視線を前に向けたまま口を開いた。
「蛍。見に行きたいんだろう?」
「いいの?」
「覚えてたらな」
日和はパアッと顔を輝かせて前のめりになる。碧真が驚いた顔をした。
「大丈夫! 私、記憶力には結構自信あるから!」
「記憶力に自信があるのなら、何で道に迷うんだよ」
「それは別。方向が変われば見える景色も違うから、わからなくなるの」
「ホテルの部屋から出る方向を三回間違えたのは?」
「……。楽しみだなあ、来年!」
「スルーするな」
目的地だった店の駐車場に辿り着く。
車から降りた後、駐車場に設置された看板にあった求人募集の張り紙を見つけて、日和は固まった。
「てか、それまで私は仕事が続いているのかな?」
祭りの時に壮太郎にお願いした事が叶うまでは仕事を続けようかと思っているが、実際のところはわからない。死ぬ確率も高い上に、精神的に参ってしまうことも有り得る。
「ああ、無能すぎてクビになるかもな」
「……碧真君。何度も職を失っている人間に、そういうことを言うのはやめようか? 冗談にならないんだよ、本当に!!」
「有能なら、誰か拾うだろう」
「有能じゃないなら?」
「……。早く行くぞ」
「待って! スルーしないでよ!」
碧真は足早に店に入る。日和は碧真の背中を追いかけながら、ふと思う。
(そういえば、碧真君の力の色は、蛍の光に似ている)
暗闇の中、手が届く場所まで降りてきてくれた青く優しい光。
自分が感動した光景を一緒に見る相手が碧真になりそうな事に、日和は笑みを浮かべる。
未来はわからないが、少しだけ遠い約束が果たされる事を願った。
二周年企画にお付き合い頂き、ありがとうございました!
いつも日和達の事を温かく見守ってくださって、本当に感謝しかないです。
これからも、登場人物達の物語を楽しんで頂けたら幸いです。