3 私は貴方が怖いと思っている
午後のティータイム時なのか、カフェの店内はかなり混んでいた。最近、アフターヌーンティービュッフェなるものが始まったこともあり、店内は女性だけではなく子連れの家族までいた。
そんな人達をかき分けて、私はテラス席へと足を進めた。
テラス席もかなり混んでいたのだがいつもの場所に彼はいた。
「こんにちは、連城先生」
「……こんにちは。橘さん」
漆黒の髪に、孔雀石の瞳。端正な顔立ちの好青年……私の担当編集者の橘秋世さんは私と目が合うとにこりと笑った。
今日は珍しくスーツ姿ではなく、ラフな格好をしていて以前と違う印象を受けた。
「どうぞ、おかけになって下さい」
「……」
橘さんは、自分の向かいに座るよう促してきたが私の身体はすぐには動かなかった。
彼も察したのか申し訳なさそうな表情を浮べる。
「大丈夫ですよ。何もしませんから」
「分かってます……けど、すみません」
私はそう言って、やっと動くようになった身体を無理矢理動かして橘さんの向かいに座った。
どうしよう、もの凄く気まずい。
あの事件があって以降、橘さんと会うのはこれで二度目である。一度目は謝罪と、今後についての話し合い。そして、今回は単純に仕事関係である。
しかし、自分では切り替えが早いほうだと思っていたのだが、あの時橘さんに襲われかけて狂気的な愛を向けられてから、橘さんの印象というものががらりと変わってしまった。
彼の様子はいつもと変わらないのに、それでも私は何処か距離を取ってしまうと言うか身構えてしまう。
そんな私の様子を見てか、橘さんは店員さんにレモンティーをホットで頼んでくれた。
「連城先生、いいですか?」
「は、はい!」
いきなり声をかけられたので、私は勢い余って起立してしまった。
そんな私を周りの人は白い目で見ている。恥ずかしいことこの上ない。
私は軽く咳払いをして、着席し橘さんが持ってきた資料に目を通した。
イヴェールの物語を完結させたと同時に新たな物語の執筆を初め、書籍化されると言うことで絵師を選ぶ作業をするのだ。本来なら、別に会わなくても資料を送ってくれればいいのだが、私は常に橘さんと直接会い意見を交しながら決めていたため、今回も同じように直接会って決めることにした。
本当は、あの事件以降あいたくないと思っていたのだが、仕事のスタイルを変えると生活や心身の疲労にも繋がるので今回は仕方なく会うことにしたのだ。
何人かの絵師のイラストを見て、あれこれ意見を交した。本当に、いつも通りだった。いつも通り……何も変わらない。
橘さんは変わっていなかった。
そして、意見を交した結果絵師が決まり橘さんはその絵師に連絡を入れてくれる……ということで落ち着いた。
「そういえば、この間言い忘れていたんですけど、連城先生がシナリオ担当した乙女ゲーム売れ行き順調だそうですよ」
「あ、はい……あの、『召喚聖女ラブラブ物語』ですね」
橘さんの言葉に相槌を打ち私は紅茶に口を付けた。さっぱりとしたレモンティーは疲れた心身に染み渡る。
『召喚聖女ラブラブ物語』とは、私がシナリオを担当したスマホ用の乙女ゲームである。題名は企業との話し合いの結果あちら側が付けることになったのだが(私の仕事が立て込んでいることもあって、話し合いをする気分ではなかったため)、通称召喚聖女は六人の攻略キャラを攻略していくありきたりな乙女ゲームである。ただ1つ違うといえば、悪役のストーリーを用意した所だろうか。
(あのゲームの皇太子……夏目……エスタスがモデルだなんて言えない……)
ゲームないに出てくる皇太子のリースはいってしまえば、エスタスに引っ張られているところもあり、きっと気づくファンには気づくだろうと。
そうして、紅茶を飲み干しふぅ……息を吐き、顔を上げると橘さんと目が合った。
彼の目には、まだどことなく狂気が残っているようで怖かった。
しかし、怯えているわけにも行かないと私から橘さんに尋ねてみた。
「あの……まだ、私のこと好きだったりするんですか?」
橘さんは驚いたような顔で私を見た後ふいっと顔を逸らした。
これ、自意識過剰だったらもの凄く恥ずかしい。
橘さんも切り替えが早いほうだし、世の中にはもっと私より素敵な女性は一杯いると思うし、橘さんも格好いいし……選び放題だろうし。
そんなことを考えていると、橘さんは私と向き合って好きですよ。と一言告げた。
「言ったじゃないですか、僕は貴方だけを愛してるって」
「……ひゅッ」
その言葉が呪いのように、甘く棘を持ったその言葉は私の身体にまとわりついた。
孔雀石の瞳に影が、赤黒い何かが垣間見えた気がして、体温が一気に下向する。カップを握っていた手が震えていると気づいたのはそれから少し経ってからだった。
しかし、橘さんは依然笑顔で私を見つめ、付け足すかのように言葉を紡いだ。
「怯えないで。もうあんなことはしませんよ。担当編集まで外されたら、本当に貴方と関わる機会が、チャンスがなくなってしまうので」
「それは、恐縮です」
何が、恐縮なのか自分でも可笑しなことを言っている自覚はあったのだが、自分を一度襲おうとした相手、気は抜けないと思った。
「まあでも、しようと思ってもあの人が目を光らせ、監視しているのできっと出来ないでしょうし」
と、橘さんは苦笑した。
橘さんの言うあの人とは、夏目のことだろう。
夏目の前世、エスタス・レッドベリルを唆しイヴェール・アイオライトを手に入れようとした騎士団長イェシェィン・マカライト。
今世も同じように私と夏目を引きはがそうとしたが、結果は見ての通りである。
前世のことを持ち出されても、私は覚えていないし……イヴェールが死んだ後の事など本当に知るよしもなかった。エスタスが皇位を譲った後に自殺したとか、イヴェールが滅亡した国の皇族だったとか……
もしかしたら、まだ見落としていること知らないことがあるのかも知れない。
しかし、前世は前世であり、今世とは全く関係無い。
前世結ばれなかった者達は、今世結ばれるなんて言うけれど……もしそうだったとしても、私は信じたくない。
これは、私が勝ち取った幸せなのだから。
それからは、雑談をする事もなく会計を済ませ私達は別れることになった。
私は早く夕食の材料を買いに行かねばと、頭の中でセールの文字が躍りしそそくさと橘さんから離れようとしたのだが、彼に呼び止められてしまった。
「冬華さん」
「まだ何か?私も忙しいので、橘さん」
「……もう、名前で呼んでくれないんですね」
と、橘さんは眉をさげた。
そういえば、本性が分かる前に名前で呼び合おうなどといった記憶がある。しかしながら、橘さんも私のことを冬華ではなく連城先生と呼ぶのだから変わらないのだろう。
私は、そんなことで呼び止めたのかと苛立ちを感じながら橘さんを見た。
「僕はまだ好きですよ。冬華さんのこと」
「そう……」
「もし、彼に飽きたら僕を恋人候補の一人として会いに来て下さいね」
「今のところそんな予定はないので」
厳しいですね。と橘さんは小さく笑って私を見送ってくれた。
その言葉に本気がうかがえて、また私は身震いするのであった。