7 ファンだなんて聞いていない
「――――と言うことだ、父上。俺と、冬華の結婚を認めて欲しい」
(本当にそれでいいの!?何で、上から目線っぽいの!?)
ということだ、じゃない。と心の中でツッコミをしつつも、私は口を挟める立場にいないと、夏目の後ろで突っ立っていることしか出来なかった。
目の前には高そうな椅子に腰掛け、双馬市をバックに私達を品定めするように見つめる夏目の父親がいた。先ほどから、眉すら動かない、瞬きだってしたかも分からない。それぐらい、私達のことをじっくりと観察しているのだ。吟味といった方が良いのかも知れない。
でも、そんな威厳ある偉い人を前にしても、夏目は同様一つ見せず、更には、「ということだ」と、私との馴れそめ云々を語った上で、認めろ、と言い放ったのだ。
私の手のひら、体中から汗がにじみ出して、シミになっていないか怖いぐらいだった。
「君が、連城冬華くんかね?」
「は、はい」
ちらりと、夏目の父親と目が合った。夏目のレッドベリルの瞳とは違い、父親はどちらかというとガーネット……ルビーにちかい、それでも宝石のように美しい瞳だった。そんな、財閥のトップにふさわしい瞳で、顔で、口で私の名前を呼んだのだ。私は、いきなり名前を呼ばれて、ビクリと肩が動いた。
何故今更、名前を尋ねられたかと言えば、部屋に入ってすぐ、夏目が、結婚を認めろ、と言いだしたからだ。それは、日常茶飯事なのか、父親は全く動揺していなかった。器が大きいというか、夏目という人間を理解しているからか。どちらにしても、夏目の非常識な態度に何も言わないところを見ると、かなり大物らしい。
(夏目はそれでいいと思っているのかしら)
一応、大事な顔合わせ。普通なら、私の所に来て娘さんを下さいみたいなことを言うのだろうけど(現代では、古いやり方かもだから、勝手に結婚して事後報告と言うこともあり得なくはないのだけど)、私の両親は今どこにいるかも分からない状況だから、こちらに顔を出すのが正しいのだろう。そして、そんな顔合わせに、夏目は服装こそきっちりとしていたが、態度はいつものままだった。かしこまろうとかそんな気持ちは一切見られない。いつもの俺様、通常運転。全くこれで、良いのかと、先が思いやられる。
と、いってはいられないのが今の状況なのだが。
「は、はい、申し遅れました。夏目さんと交際させていただいている連城冬華と言います」
私は持ってきた、仕事用の名刺を差し出して、夏目の後ろに戻る。夏目は呆れたように、私の腰を抱いて、隣に立たせた。
「ちょ、ちょっと」
「奥ゆかしい、だったか。純日本人という感じがするな」
「その言い方だと、貴方は日本文化が大好きな外国人に聞えるわよ」
こそりと、悪態をついてやれば、夏目は「その調子で良いんだ」と笑っていた。いや、こんな失礼なことも態度も彼の父親の前では出せないだろうと、私は思う。夏目はそれでいい、と言うが、全くよくない。これは非常識である。
(というか、本当に夏目ってたまにあやふやなこと言うのよね)
まるで、日本語が理解できていないというか、日本に馴染めていないというか。容姿は確かに、こっちでは見かけない物だし、視線を独占するのは分かる。でも、これまで聞いた話で、外国にいたとかそう言うのではないから、日本で暮らしたのだろうと。なのに、未だに日本語について毎回のように、「だったか」とか「というんだったな」と身につけた知識を披露したがる子供のように言うのだ。二十数年生きていて、未だに何で此の世界になれていないのかと、私は頭が痛くなる。彼が、前世に囚われていた期間を捉えると、記憶を保持したまま転生して、あわせれば四十、五十そこらに精神年齢はなるはずなのだが。
(夏目のことは良いのよ、置いておいて、そうじゃないでしょう!)
夏目のそうで、気が散ってしまったが、私は、まず彼の父親に認められなくてはいけないと思ったのだ。問題はそこから。夏目がどうとか、そう言うのではなくて、彼の父親に私が夏目にふさわしい人間だと言わせないといけないのだ。
「君は、小説家と聞いたが、本当かね?」
「あ、は、はい。そうです」
「『暴君の彼を落とす方法』や『それでも暴君を愛しますか?』の作者の連城冬華先生で会っているか」
「は、はい!?」
素が出た。
いけないと思って、口を閉じたが、先ほどまで強ばっていた、というか険しかった夏目の父親の顔はみるみるうちに柔らかいものになっていった。それはもう、オタクが推しを目の前にした時と似たようなそんな表情だ。
「え、えっと……」
説明しなさい、と私は、目線を夏目に移す。彼は知っていた。知っていて、私に言わなかったのだと思った。先ほどの、面白いことになりそうだの顔はこういうことだったのかと、私は彼を睨み付ける。私と視線が合った夏目はフッと口角を上げると顎に手を当てた。
「この顔合わせというのも、父上がお前に会いたいからと早めた物だ。俺が提案したのではない」
と、夏目は何処か勝ち誇ったように私を見ている。まるで、私だけ何も知らない、取り残されたようなに。
(つまりは、夏目の父親は私の小説のファン?)
夏目の父親は、次から次へと私の書いた本への語りを初めて、私は口を挟むタイミングを逃してしまった。私が聞いていないこと何て、きっと彼は気づかないだろう。それぐらい、熱心に私の小説の話をしているのだ。
「夏目から、君の話を聞いたとき、あの連城冬華先生かと聞いたんだ。だが、夏目はそういうのに疎くてな。勿論、私も初めこそ疎かったが、君の小説を読むたび引き込まれていって」
「あ、ありがとうございます。そんな、デビュー当初の本まで読んでいて下さったなんて」
ファンであるというなら、まず、ファンでいてくれたことに感謝すべきなのだろう。私は、そう感謝の言葉を述べつつ、握手を求められたため、握り返す。それで、気をよくしたのか、夏目の父親はにこりと笑った。笑顔が似合う人だなと思うと同時に、夏目にあまり似ていないようにも感じた。目の色だろうか、それとも雰囲気が? 夏目は、母親似なのかも知れないと思いつつ、ようやく興奮が収まった夏目の父親は私の方を見た。
「夏目から、君の両親のことは聞いているよ。大変だったね」
「大変……そうですね。でも、慣れてしまえばそうでもありません」
思い出したくもない過去。
実の母親に「愛」とは何か、「愛」とは「嘘」から出来ていると伝えられたような物で、捨てられて、求めても手に入らない物だと思っていた。また、一生与えられる事なんてないんだろうなとも諦めていた。家族は、私の事なんてどうでもよくて、一人で生きていくと決めていた。だから、今こうして愛されていることも夢みたいで。
家族のことは思い出したくない。過去の事なのだ。そうはいっても、やはり、皆家族のことは気になるのだ。財閥の御曹司である夏目の恋人の家族なら尚更。
だけども、彼は何も言わなかった。夏目の父親は大変だったね。と言っただけで、それ以上は何も言わなかったのだ。気遣ってか、その気遣いが温かくて、向けられる慈愛の目を見ていると、それが嘘じゃないと思えるぐらいに。
「慣れるなんて、そんな悲しいことを言わないでくれ。これからは、私のことを本当の顔Z苦と思ってくれて良いから。連城冬華くんもう、君は一人じゃないんだ」
と、今日初めて会ったばかりなのに、全てを理解したように、夏目の父親は言う。
私は、そんな薄っぺらい言葉……と思ったが、彼の目を見ていると、嘘でも、薄っぺらくも無いと思ってしまった。不思議なことに。
(夏目の父親って感じがしないのよね。夏目の性格から考えて……)
遺伝はしないのか、何て馬鹿な事を思いながら、私は頭を下げた。
私の家族のことで、認められないと言われるものばかりだと思っていたから、以外というか、こんなにあっさり認められる物なのかと。私のファンだからとか、そういうのは理由じゃない気がしたけど、でも、何て言うんだろう。
「だからいっただろう。大丈夫だと」
「大丈夫って、貴方ねえ……」
「それで、いつ式を挙げる予定なんだ。まあ、まずは夏目。お前は大学院を出てからだろうが、式は早いうちが良いだろう」
そういってきたのは夏目の父親だった。私達は、一旦冷静になって、彼の方を見る。父親は待ち遠しいなと言うように私達を見ている。
いや、待って――――
「すみません、私、まだプロポーズされていないので。式の話とかは……まだ」
そう私が言えば、夏目の父親は目を丸くした。それから、夏目の方を向いて、どういうことだと説明を求める。夏目は、まさか暴露されると思っていなかったようで、私の方を見た後、明後日の方向を向いて、自分は知らないという風に振る舞いだした。これがいけなかったのか、私は一旦外に出されて、夏目が説教を喰らっている間待っていた。
暫く立って、夏目が部屋から出てきたときにはセットした髪の毛もぐちゃぐちゃになっていた。さすがに、殴り合ったとかではないだろうけど、かなりむしゃくしゃしているようで、部屋から出てきた瞬間の第一声が舌打ちだった。
まあ、プロポーズされていないのは本当なのだが、そういうのは親に言われたくないだろうし、怒られたくも無いだろうなとは想像は出来たのだが。
「ああ、冬華」
「何?怒られていたの?それとも、親子げんか?」
「……お前が気にすることじゃない。ただ、人格否定というのはくるな……」
と、夏目は眉間に皺を寄せる。
あの人が、人格否定するような人なのかと、私は気になってしまい、本当にそうなのかと尋ねた。すると、帰ってきた夏目の返答に呆れてしまう。
「お前の計画のなさと自己中な所が嫌いだと言われた」
「いや、それ人格否定というよりか……いや、事実だし」
「……だったとしてもだな」
「プロポーズされていないのは事実でしょ。まあ、全てすましてきている者だと思っていたんじゃない?だから、怒ったとか……」
私がそう言うと、夏目は黙ってしまった。自分に落ち度があると認めたのだろう。まあ、彼が認めようが、認めまいが、事実は事実だ。
「そんな顔しないでよ。プロポーズ期待しているんだから」
「……そうか、なら、とびきりの言葉を用意する」
「物じゃなくて?」
「お前は、そういうの苦手だろう。金銭感覚が……と、また言われたら、耳から離れなくなる」
と、夏目は言う。
私のこと理解してくれるようになったんだと思う反面、言い方がまた相変わらずだなあと私は思った。それが、夏目なんだって理解しているけど。
それから私達は、もう一度彼の父親と顔を合わせ他愛ない話をした後、財閥の本部をあとにした。すっかり日は沈んでいて、烏の鳴き声が遠くから聞える。今日は、昨日買った材料を使って、夕ご飯を作ろうと私は歩き出す。その後ろを夏目がゆっくりとした足取りでついてきた。
別にプロポーズの言葉は気にしていない。ただ、一言でいいから結婚してくれ、とか、一生側にいると誓うとか、そういうのが欲しい。自分はリアリストだと思っていたけど、ロマンチストになってしまったかも知れないと、夏目と出会ってから、自分が変わったと自覚していた。良い影響も、悪い影響もあるけれど、幸せだとは思っている。
そんなことを思っていると、曲がり角から、オレンジ色の髪が姿を現した。
先回り? 付けられていた?
色んな想像が膨らんだが、あの鮮やかな髪色を見間違うはずもなかった。
「……相葉、君」
「冬華先生」
私の名前を呼んだ相葉の目には、私じゃなくてイヴェールが映り込んでいた。
 




