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5 ◆


◆◇◆◇◆



 皇宮には、イヴェールのために用意された空間があった。そこには、部屋と、小さな庭があり、庭には、赤い薔薇が咲き乱れていた。だが、皇宮の敷地内にある庭園よりも小さく、手入れがされていない感じだった。まるで、初心者が手入れしたような、そんな印象を受けた。だが、それがよかった。赤い薔薇は、その手入れしている人に愛されているようで赤々と、大きな花弁を付けて咲いていたのだから。



「……何故、俺を呼んだんですか?」

「お茶してみたいと思ったの。それじゃ、ダメ?」



と、目の前の女性に微笑まれて、セイズーンは小さくなっていた。


 優しく微笑む女性は、自分が恋している人間で、一度拒絶されたと思っていた女性、イヴェール・アイオライトだったため、セイズーンはどういった風の吹き回しか、彼女を見つめていた。彼女の青い瞳からは何を考えているのか全く想像がつかず、セイズーンは困惑を隠しきれなかった。

 それを、面白がるように、イヴェールは見つめてくるので、たちが悪い。こういうのを魔性の女だと言うのだろうと、セイズーンは理解しながらも、そんな女性に心を奪われてしまったのだから、仕方ないと、自分を正当化していた。



「貴方は、一度俺を拒絶した物だとばかり、思っていたので。こんな機会を……それも、自分のテリトリーに入れて貰えるなんて思っていませんでした」

「テリトリーだなんてそんな。まあ、ここに来る人はいませんけどね」



 そう、イヴェールは悲しそうに言うのだ。青い瞳から今にでも涙が零れそうで、セイズーンは彼女に大丈夫だと言って、肩を抱いてあげたいという衝動に駆られる。どれほどの、男を過去に落としてきたのだろうと思える女性を前に、さすがのセイズーンも何も言えない。彼女に、自分の前に二度と現われないで、と言われればきっとそれを受け入れるぐらいに。

 本来の依頼なんてとっくに忘れ、機嫌など越えているのに、皇宮に使用人という形で忍び続けているのは勿論イヴェールがいるからであり、彼女をどうにか、連れ出せないかと未だに考えている。

 その計画を、この間、彼女自身に否定され、拒絶され、そして、彼女を好きである男に見つかってしまった。完全なる打算だった。だが、諦めきれなかったのだ。

 まだ、チャンスはある。そう、こうして、自分はイヴェールのテリトリーに入れた。と、セイズーンは、顔には出さなかったが思っていた。



「あの、騎士はいないですか?」

「イエシェインの事ですか?」



と、イヴェールは尋ねる。


 いいや、名前なんてどうでもイイと思いつつ、「はい、その騎士です」と取り敢えずは返事をするセイズーン。セイズーンが知っている情報と言えば、皇太子の名前と、イヴェールの名前、そして本来のターゲットであるプレメベーラの名前ぐらいだろう。それ以外の情報は不要だと、頭に入れていないのだ。

 セイズーンは賢かった。それは、不要な情報を頭に入れないからである。記憶力はいい方だが、無駄をなくせば、完璧になれると考え、常に無駄を排除して生きてきた。それが、正しい、生きていくためには必要だと、彼自身が判断したからだ。



「イエシェインは、別に私の護衛ではないので。私には、そもそも、護衛などつきませんし。皇太子殿下のおかげで、ここに置いて貰っているだけで……でも、今は置物みたいな物ですけどね」



 そう、イヴェールは自傷気味に笑う。その笑顔にも、また心打たれ、セイズーンは、皇太子への怒りも湧いてきた。自分がどうなっても良いから、皇太子の命を奪って、そして、彼女の悲しみの種を取り除いてあげたいとすら。

 だが、イヴェールがそれを願っていない以上、勝手に動けば、また彼女を哀しませることになるのでは無いかと思った。それに、皇太子殿下というのは、一応イヴェールに愛された人間であるから。彼を失えば、イヴェールはまた苦しむことになるだろう。

 けれど。



(憎い、羨ましい。イヴェール様の愛を独り占めするなんて……)



 セイズーンは机の下で拳を握った。


 イヴェールに愛されながらも、他の女を選んだ皇太子のことがセイズーンは酷く憎たらしく、妬ましく思ったのだ。


 セイズーンは愛されたことがなかった。母親という存在はいた。だが、金を稼いでこいと言われ、金を稼ぐことが出来なければ暴力を振るわれ、そして、殺されかけた。最後は、どんな親心が働いたのか。いや、あの女に親心という物はない。此の世界で生きることが辛くて自害を選んだ。セイズーンが金を持って帰ったときにはもう、母親は冷たくなっていたのだ。

 セイズーンは、それに酷く呆れた。


 そして、セイズーンは一人になった。


 何のために生きてきたのか、分からなくなった。だが、人一倍生きていたいと言う気持ちが強く、生にこだわり続けた。汚い道を選んで、日陰で生きることを選んで、殺しをした。殺して金を貰った。そう生きてきた。だから、憎まれることと、恨まれること離れていたい。寧ろ、そういう汚い感情しか知らなかった。愛など知らなかった。

 だから、自分が今こうなっていることに、違和感を覚えた。


 愛を知らないくせに、人を愛している。でも、きっと気づいていたのだろう。根本的には、愛されたいから、愛していると自分に思い込ませているだけだと。


 愛が欲しい、愛に飢えていたのだ。


 そして、似たような境遇の、愛されないイヴェールに惹かれたのだと。それを、勘違いして、愛しているといっているのかも知れないと。

 もう、この時のセイズーンには自分の心が分からなかった。でも、目の前の女性を幸せにしてあげたいという気持ちは確かにあったのだ。自分と同じような思いをして欲しくないと、そう思ったからかも知れない。

 何にしろ、どちらにしろ、イヴェールのことが好きだった、イヴェールから目が離せなかったのだ。



「そんな、貴方は置物じゃない。誰かの所有物じゃない」

「セイズーンさん?」



 名前を呼ばれハッと顔を上げる。

 自分が、感情的になっていたことを。そして、押し殺していた思いが溢れそうなことも。セイズーンは、目の前のイヴェールを見て、ようやく正気を取り戻したようだった。



「すんませ……」

「いいの。大丈夫よ。ありがとう。貴方の気持ちは、嬉しいわ」



 そう言って、イヴェールは笑う。その笑顔を見ていると、幾らか救われるような気がした。だから、救いたいという気持ちが出てくる。



「イエシェインには、貴方に近付かないようにって言われているんだけど、私は貴方が本当に悪い人じゃ無いような気がして。だから、こうやって、お茶に誘ったの」

「そう、だったんですか。それは」



 俺の事を信頼しているから?


と、セイズーンは言葉を飲み込んで、イヴェールを見つめた。彼女は、自分の心なんて考えていること何て分からないというように首を傾げていた。その仕草は可愛らしくて、全て目で追ってしまうほどだった。



 ああ、魔性だ。



 でも、そんな彼女に惹かれていて、心まで溶かされているのだ。

 セイズーンは、うっとりとした目で彼女を見つめていた。汚く生きてきた。だから、そういう生き方しか、今は出来ない。でも、彼女といれば、それも変わっていくのではないだろうか。贖罪。彼女といれば自分の罪は報われるんじゃないだろうかと、救いを求めた。正当化しようとした。



「貴方は悪い人じゃない。目を見てれば分かるわ。私と似ているように感じるもの」

「そう、ですか」

「だからね、貴方の話を聞かせて欲しい……の……」



 そう言った、彼女の手から紅茶のはいったカップが落ちた。音を立てて、カップは散らばる。セイズーンは、椅子を引いて立ち上がった。


 今は、こんなやり方しか出来ないけれど。きっと彼女のことだから許してくれると。

 すまねえな、といつもの口調で取り繕うのをやめて、自分の仕込んだ睡眠薬で眠ってしまったイヴェールの身体に触れる。冷たくて、雪のように白い肌に、自分のあとを残せたらどれほど良いだろうかと、舌なめずりしながら、欲を抑え、まずはここから抜け出すことを優先した。彼女をひょいと抱きかかえて、部屋を出、これまで皇宮に来てから調べた人通りの少ない通路を通って、皇宮の外に出ることが出来た。あとは、ひたすらに森の中を走る。イヴェールは自分の腕の中で小さな寝息を立てて眠っていた。起きる様子は全くない。

 何処に行くと言うことは考えていないが、兎に角后宮から離れなければと思った。どうせ、皇太子は、プレメベーラに夢中なのだから。イヴェールがいなくなったところで、哀しまないだろうと、セイズーンは考えていた。後に、その考えは甘いと理解することになるのだが。

 暗い森をもう少しで抜けられる、といった所で、気配を感じ、足を止める。木の陰から出てきた男にセイズーンは舌打ちを鳴らした。



「何処へ行くつもりですか?」

「おいおい、先回りか?それとも、俺がこうすることを知っていたのか?」

「さあ、僕はここで一人素振りをしていただけですが?」



 現われたのは、あの憎き騎士、イエシェインだった。素振りなんて、嘘だと分かっている。だが、何処から情報が漏れたのか、何処から見ていたのか全くセイズーンには考えられなかった。

 全て読まれている。相手の顔には余裕の笑みが浮かんでいた。

 上手だった。セイズーンでは、イエシェインに勝てないと。そう、分かっているのに。



「イヴェール様をこちらに」

「嫌だね、誰が渡すものか。これから、二人で生きていくんだ。彼女は、俺を愛してくれる!」



 セイズーンはそう豪語した。

 だが、イエシェインの顔は変わらなかった。寧ろ、自分を哀れむように見下し、フッと口角を上げた。



「誰が、誰に愛されるって?笑わせないで下さいよ。誰も、貴方を愛しませんよ」



と、イエシェインは笑うと、剣を鞘から抜いた。


 イヴェールを抱きかかえている自分にどうして剣を向けることが出来るのだろうかと。こちらが、イヴェールを盾にするとは思わないのかと。

 正気じゃない、狂ってる。

 そう、セイズーンは、目の前の騎士を見て思った。自分よりも、汚い感情を持っているのではないかと、そこが計り知れないと、セイズーンは冷や汗を流す。だが、同時に口角が上がった。


 自分だけだと思っていた、愛に飢えている人間は。


 だが、どう考えても目の前の人間も、愛されない側の人間だと、セイズーンは同類だと思った。それと同時に、同族兼をにも陥る。

 此奴には負けたくないし、此奴が幸せになるのも絶対に認めない。いいや、初めから、自分もイエシェインも幸せになれない人間だと分かっていた。だから、さらに、足を引っ張ってやりたいと思ったのだ。



「愛されないのは、お前もだ。クソ騎士」

「勝手にほざいてて下さい。イヴェール様には、もう貴方はあいに来ないと伝えといてあげますから。苦しんで死んで下さい」



 そう、倫理観の欠如している、自分よりも遥かに狂っている騎士はにこりと笑った。



◆◇◆◇◆


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