2 相変わらずの嫉妬、束縛にうんざりだわ
「当たり前だろ。冬華とデートしたいに決まってる。俺がどれだけ、冬華と一緒にいたいか……」
「はいはい。分かったわよ。いいからもう邪魔しないで」
「俺より、仕事が大切なのか?」
「勿論」
そう即答すると、さらに夏目の顔は歪み彼の周りの空気が一気に重くなったのを感じた。
まだ結婚していないし、プロポーズも受けていないし私からもする予定が今のところない。仮に結婚したとして専業主婦になる気は無いし、作家活動を続けたいと思っている。
まあ、それは夏目も納得してくれているし好きなことをすればいいし応援してくれると言ったのだが、だか……言った側から邪魔してくるとはどういうことなのだろうか。
恋人との時間はそりゃあまあ、必要だろう。
しかし、私は彼と違い学校に通っているわけでもなければバイトをしているわけでもない、私の収入源は本の印税である。
稼ぎたいから書いているわけじゃないが、〆切というものは存在しているわけで、締め切りを守れなければ社会的にもアウトだろう。
「俺は、何よりも冬華が大事だと思っている」
「学生のうちはそうでしょうね。でも、貴方はいずれ財閥を継ぐんだからそしたら、そんなこと言ってられないし、私との時間も減っちゃうんじゃない?」
と、私が皮肉交えて言うと彼は私の手首をいきなり掴んで壁際まで追い詰めてきた。
そして、そのまま壁に手をつき私に逃げ場を与えないようにしてきた。
所謂、世間でいう壁ドンという状態だ。
けれども、私の心はちっともときめかない。何故なら彼の目が……爛々と輝くレッドベリルの瞳が鋭く私を射貫いていたから。
「痛い」
「痛くしてるんだ」
そういうと、壁についていない方の手で私の手首をギュッと締め付けた。痛いぐらい力を入れられ、骨がミシッという音を立て悲鳴を上げていた。
こういう所は、変わっていないというか子供っぽいと言うか。
「俺が財閥を継いだら、冬華と一緒にいる時間が取れなくなる」
「なら、一般企業にでも就職する?」
「……」
「冗談よ。私は、夏目のこと応援してるし、そうなることを望んでる。御曹司から、財閥の長になる事」
私が、彼にそう告げると夏目は掴んでいた手を離し狂気が垣間見えたレッドベリルの瞳からスッと怒りの感情が消えていった。
しかし、未だもう片方の手は壁についていて私を逃がしてくれない。
「冬華は……」
「そうね、私も夏目との時間が無くなるのはほんの少しだけ悲しいわ」
「ほんの少しだけか?」
「……ちょっと」
「ちょっと?」
「…………悲しいです」
半場強制的に言わされた気がしたが、私の返答に満足したのか夏目はフッと笑った。
それから、夏目は私の顎に手を当て上を向かせた。顔を背けようにも背けられず、私も抵抗する気など無かった。
「キス……していいか?」
「何で聞くの?ダメって言われたいの?」
「……」
私が意地悪にそう言うと、彼は俯いてしまう。
彼は以前、私が嫌がることをしないと約束してくれた。私を傷つけたくないとも言ってくれた。多分、そういう彼なりの優しさの表れなのだろう。
だが、勢いのない夏目は矢っ張り夏目らしくない。
「して……いい……」
「冬華っ」
私がコクリと頷くと、彼は目を見開いてそれから嬉しそうに笑った。喜びに満ちたその表情を見ているとなんだか恥ずかしくなってくる。
そうして、顔を近づけてくる夏目。私は恥ずかしさのあまり目を閉じてしまった。目を閉じてでも夏目の存在を近くに感じ、心臓がはねる。そして、後数㎝……と言うところでけたたましいほどの着信音が部屋に鳴り響いた。
「待って、仕事のかも知れない」
「ッチ……」
私は思わず、夏目の口を手で覆ってしまい、彼からスルッと抜けて机の上で震えていたスマホを手に取った。
『連城先生……今、いいですか?』
「あ、あき……橘さん。はい、仕事ですか?」
『はい、少し聞きたいことがありまして』
電話越しに聞こえた爽やかだが艶のある声に私の身体は一瞬だけビクリと大きく揺れる。
電話の相手は、担当編集者の橘さんだった。
橘さんから電話があるたびに私はあの日のことを思いだしてしまい、身構えてしまう。もう終わったことといえば終わったことなのだが、やはりショッキングな出来事だったこともあり、深く傷が残っている。
そんな私の様子を見ていた夏目は、何も言わず私の頭を優しく撫でてくれた。
いつもなら電話の邪魔をして、勝手に通話を切ってしまうのだが……そう思うと矢っ張り彼は少しずつ変わって来ているのだなあと思った。
『今度の新作の絵師のことで』
「それなら、資料送って貰っていいですか?」
私が橘さんに尋ねると、数秒の沈黙の後橘さんは悲しげな声色で言ってきた。
『直接会って話したいんです。連城先生と』
「……分かりました。いつものカフェでいいですか?」
『はい、お待ちしております』
そういって、通話は切れプープーと無機質な電子音が鳴った。
私は、夏目に目配せすると彼は渋々と言った様子で私から離れていった。
「出かけてくるわね。夕食の材料も買ってくるから遅くなるかも」
大きなため息を吐いてから、私は夏目に仕事に行ってくると伝え鞄に必要なものを詰め込み始める。すると、夏目が後ろからまた先ほどと同じように抱きしめてきた。
今度は、行かせない……と強く。
「彼奴からか?」
「ええ、でも……大丈夫。橘さんとは約束してるし、もしまた手を出してきたら担当編集者変えて貰うからって言ったし」
「信じられない」
「私は覚えてないけど、イェシェィンって騎士なのよね。自尊心とか忠誠とか……約束事はしっかり守ってくれるわよ。橘さんは」
「それだと、俺が約束を守らない男だと聞こえるんだが」
「そうね」
私が即答してあげると、夏目は苦虫を噛み潰したような顔になる。
まあ、実際そうなのだから仕方がない。
夏目は、感情にまかせて動くことが殆どだからたまぁに約束を破る。それは大きな約束事ではないが、破られた側の気持ちになって欲しい……といっても、夏目は破ったつもりないのだろうから話にならない。
と、それは置いておいて、夏目と橘さんだったら圧倒的に橘さんの方が誠実で、約束事をきちんと守ってくれる可能性が高いのだ。
「まあ、別に許せる範囲だし……私なら。それが夏目なんだし、私はそれでもいいと思ってるから」
「褒めてるのかよく分からないな」
「今のままでいてってことよ」
そういうと、夏目は渋々納得し玄関まで見送ってくれた。
「もし、何かあったらすぐに連絡してくれ」
「はいはい。でも、そんなことがあったらまず、私が突き飛ばしてると思うから相手側の人を」
「ほんと、お前は強いな……そこら辺の女とは違う」
「嫌いじゃないでしょ?」
「ああ、勿論」
靴を履いて、ドアノブに手をかける。
そして、私は振り返り夏目に微笑みかけた。しかし、夏目はと言うと名残惜しそうに私を見ている。
何かを待っているかのように……
「冬華……」
「……口には出来ない、けど……頬ぐらいなら」
私は少し背伸びして、夏目頬にキスをする。
自分から口にする勇気はない。前は、春音さんとの勝負でヤケになってしてしまったけど、今思い返しても恥ずかしくて闇に葬りたい記憶なので当分出来そうに無い。
夏目をちらりと見ると、満足げな表情をしていたので多分これで良かったのだと思う。
その満足げな表情を見ていると途端に恥ずかしくなり、私はドアを開けて夏目に背を向けた。
「そ、それじゃあ行ってくるわね」
「ああ」
なんだか、このやりとりも新婚夫婦みたいで……そう考えるとまた体中の体温が一気に跳ね上がりそうな感覚に襲われる。
私は逃げるようにマンションから出た。そして、そのまま駅に向かい電車に乗り込んだ。