2 プロポーズも受けてないんだけど?
ジュエリーランドの一件から、早一週間が過ぎた。
自宅で課題をこなす夏目はいつも以上にピリピリとしていた。何だって、もう既に財閥を継ぐ為の準備が始まっているから。幾ら夏目でも、日本三大財閥の一角である久遠財閥を継ぐんだから、軽い気持ちで引き継げるわけがない。それなりの覚悟を持って望むこと、それが夏目に今求められているものだった。
まあ、夏目なら何でもそつなくこなしちゃうんだろうな、って側から見て思うけど、それでもあんな夏目の顔は初めて見る気がした。
(詰まってるんだろうなあ……)
私も締め切りに追われたらあんな顔するけど、あそこまで人って険しい顔になれるんだと思った。何かしてあげたいけれど、邪魔をするのもあれだと、私は見ていることしか出来なかった。今日の分の原稿はすませたし、紅茶でも淹れてあげるかと、席を立つ。すると、奥の部屋から夏目が出てきた。
「もう終わったの?」
「一段落ついた。だが、まだ残っている。それは、後からやる」
「後回し?」
「俺に休暇すら与えてくれないのか。酷い女だ」
「そんな、女に惚れたのは何処の誰?」
そう言ってやれば、ムスッとした物の、夏目は何も返してこなかった。惚れた方が負けと言うけれど、全くその通りだと思う。かくいう私も、惚れてしまったのでお互い様なのだけど。
夏目は、私の前にやってくると、その美しいルビーの瞳で私を見下ろした。じっと私を見つめて、何をするかと思えば、手を広げ、そのまま包み込むように抱きしめる。私はされるがまま、そして、彼の背中に手を回した。私よりもたくましくて硬い背中。身長差もあって、すっぽり彼の腕の中に収まってしまう。よほど根を詰めてやっていたのか、彼が腕を動かすたびこき、こき……と骨が鳴る音が聞えた。
甘えられているのはすぐに分かったし、私もこういう時だからこそ甘やかしてあげたいという気持ちはあった。
「甘えたがり」
「……少しぐらい、冬華を補給しても良いだろ」
「何、水分補給みたいな。吸われて、ひからびたらどうしてくれるのよ」
「大丈夫だ。その分、俺がお前に愛を注ぐ」
何て、臭くて少し鳥肌が立つような台詞を言うものだから、思わず笑みがこぼれてしまった。夏目は「何故笑う?」と問うてきたが、これを笑わずして、いつ笑うんだと私は思ってしまう。
いつも怖い顔して、高圧的で傲慢、強欲、俺様だけど、私には弱いところを見せるなんて最高じゃないかと。彼は、私に弱いところを見せなかったが、恋人になってからは、弱さも見せるようになってきた。私が、受け止めることを知っているからか、受け止めて欲しいとそう思えるようになったからか。お互いに、変わったんだと思う。変われて、通じ合えたからこそ、今こうして恋人になれているのだと、私は思う。
夏目は、手加減をしてくれているのか、強くも優しく私を抱きしめてくれていた。それが、嬉しくて、でも態度に出したら調子に乗るから、私は口には絶対に出さない。
世の中の恋人は、そういうのですれ違ったりして破局になるらしいけど、夏目の場合、私にご執心なので大丈夫だと思っている。まあ、たまに言ってあげないと拗ねるから、そこは要注意だけど。
「はいはい、よく頑張ってるわよ。夏目は」
「何故、お前に上から目線で言われないといけないんだ」
「自分は上からよく物を言うのによく、そんなことが言えるわね」
「俺だからいい」
「本当に、傲慢なんだか」
自分はよくて、私はダメなんてどんな屁理屈なんだろうと、私は思った。でも、それが夏目だと理解しているから、少しは気が楽だというか、何というか。
私の肩に顔を埋めて、呼吸を繰り返す夏目は子供のようだった。甘えられる人がいなかったというのもあるだろうけど、さっきも思ったように、彼も変わったから甘えられると。
(ベタベタされるのは好きじゃないけど、許してしまう私がいるのは事実で)
私も、大分柔らかくなれたんじゃないかと思っている。
ただし……
「あれから、なんともないか?」
「何のことよ。そんな、神妙な顔して。似合わないんだけど」
「……冗談で言っているんじゃない。分かってるだろ、あのオレンジ色のいけ好かない奴のことだ」
「ああ、相葉君の事」
きっと聞かれるだろうなってそういう雰囲気だったのは分かった。でも、私の口から彼のことを離そうという気は一切無かった。悩んではいるけれど、最近付けられている感じはないし、鉢合わせになる事もない。彼が諦めてくれた……と考えるのが普通なのだろうが、彼は俳優で、今ロケに行っているからと言う理由がある。それが終わったらどうなるか分からない。幸いなことにも、と言うか、絶対しないって決めていたけれど、連絡先を交換しているとかそう言うのではないし、電話がいきなりかかってくるてこともないだろう。考えるだけで恐ろしい。
でも、それでも夏目は心配なんだろう。
鏡の迷宮の事、エスタスだった頃……の話は私は好きじゃないし、前世と今世は関係無いって割り切っているけれど、彼が知らないところで、イヴェールは大変な思いをしていたとなれば、気に病んでしまうのも分かった。ただ、私は他人事のようにそれは考えている。
魔性の女とはよく言うもので、イヴェールはそうだったろう。愛されたい相手以外も引きつけて、こんな今世まで面倒くさいことを纏わせてしまって。
自分の前世だと分かっていても、頭が痛くなる。
「冬華、それで何だが」
「それで、何?どうせ、ここまでこれないわよ。それに、橘さんにも頼んでいるし」
「随分と彼奴を信用しているようだな」
「信用も、信頼もしていないけど。まあ、その恋愛面を抜きにしたら彼が一番最適だと思って。こういうの、橘さん得意そうじゃない」
なにげに、夏目と橘さんが連絡を取っているというのは驚いている。嫌いと言いながらも、相葉の監視を黙認していたり、裏切られたとはいえ、前世は皇太子と騎士という関係だったからか、それなりにエスタスもイエシェィンに頼っていたからか。
「そうだが……それは認めるが、そうじゃない」
「はっきりしてよ。何が言いたいわけ?」
そう私が聞けば、夏目は少し分が悪そうに、目をそらし、ゆっくりとこちらに視線を戻した。何を口ごもることがあるのだろうかと。
「何?」
「いや……近いうちに父親に挨拶をと思ったんだ。ああ、俺の父親にだが」
と、夏目は、頬をかきながら言った。
(え、今なんて言った?)
頭の中で、父親に挨拶。という言葉がまわっていく。いや、言われたとおりの意味で、その通りなのだが、それってつまり……
「待って、貴方私にプロポーズいつしたの!?」
「待て、まだ……それは言っていない、が、お前が俺のものになるのは確実だろう」
「だから、私は物じゃないって何度も言ってるじゃない!信じられない。勝手に話を進めないで」
「進めていない。挨拶を……籍を入れてしまえば、彼奴はもう手を出してこないと思ったからだ」
「はあ……」
呆れと怒りで溜息が出る。きっと語尾が上がっていたに違いない。
それは良いとして、置いておいて、私は頭を抱えた。
相変わらずぶっ飛んでいるし、発想が斜め上を言っている。いや、正しいのかも知れないけれど、正しくない。そんな微妙な位置だ。でも、夏目らしい。
(まだ、プロポーズも受けていないんだけど……そりゃ、ゆくゆくは……って考えたけど、いきなり)
それも、理由が理由だ。
籍を入れてしまえば、人妻には相葉も手を出さないからだろうというそんな理由でだった。何だか、結婚がそういうものの理由に使われてしまうのが気にくわなかった。それなら、もっと他のやり方だって……まあ、そもそもに相葉が恋人のいる女性に手を出してくること自体が可笑しいのだが。
「それと、今度財閥関係のパーティーがあるんだ。それにも一緒に出席して欲しい」
と、これは当然であるかのように夏目は言った。さすがの夏目も親への報告となると、考え物だ……という感じな態度を見せたが、パーティーに関しては私が出席するのは当然である、見たいな感じに言うので、これもまた腹が立った。
「だから、私、そういう所が嫌いなのよ。貴方の勝手に決める、そういう所が」
私はそうって、夏目に指を指した。




