1 side春夏秋冬
欲しいものは手に入れた。
勘違いしないで欲しいが、俺は、欲しいものが何でも手に入る恵まれた人間ではなかった。温かい家族とか、普通の青春という奴とか、他にも、人が普通だと思えるものを手に入れるのはそれなりに苦労した。普通に生活できればそれでいい人間だった。だが、俺の母親はそれを許さなかった。
だから、俺は新たに与えられた環境で、俺の為に用意された舞台で、欲しいものを努力して手に入れた。
業界に入った頃は、そこまで顔が良いとかいわれなかったし、演技も下手だとだめ出しを喰らった。それが、悔しかったのか、この業界で生きていけれればお金が貰えると思ったのか、もうどういう理由でがむしゃらに走ったかなんて覚えていないが、兎に角俺は努力した。
そうして、勝ち取った今の席を、『相葉春夏秋冬』という俳優の俺を、俺は薄っぺらい仮面みたいな物だな、と思いながら過ごしている。
俺にとって『相葉春夏秋冬』というものは、ただの器でしかなかった。
「久しぶり、兄貴」
「っ、久しぶりだな。灯華!どうした?何か用があったか?まあ、いいや、上がっていけって」
「まあ、そのつもり出来たんだけどさあ」
と、少しだけ困ったように眉をひそめた目の前の男。俺の両親が離婚して、父親の方に引取られた弟、今は日比谷灯華という苗字の弟は、俺をじっと見つめている。
母親は今いないのかと、キョロキョロと辺りを見渡しているところを見ると、灯華は、母親のことが好きではないようだった。俺も苦手だし、育てて貰ったという感覚で、母親と認識していない。何て言ったら、頬を叩かれるかも知れないが。
「ああ、母さんならいないけど?いたら、不味い感じ?」
「え、だって、母さん俺の事好きじゃないじゃん」
そう、灯華は言った。
実の息子に何を言わせているんだと思ったが、俺は口にしなかった。俺は、灯華のことは好きだった。従順で、真っ直ぐで、ツッコミがアホみたいに面白くて。そんな弟が、たった一人の弟のことは、好いていた。だから、灯華と離れるとなった時、一緒に連れて行きたかったし、一緒にいたかった。残っていたかった。この気持ちだけは、本当だと言える。
(何て、俺の全てが嘘みたいじゃねえか)
俳優なんて、業界にいる奴らなんて皆薄っぺらい仮面をはっつけてんだから一緒だろうと、冷めた心で思った。汚れ仕事も、憎まれ役も、嘘も何もかも飲み込んで貼り付けて生きていくと決めたのに、それが自分だと思っているのに、どうもしっくりこない。
いいや、しっくりきすぎて怖いのか。
俺は、灯華を家に上げて、自分の部屋に案内する。一応、何度も連絡を取り合っているし、そこそこの頻度で、勿論母親のいない時を見計らってくるのだが、灯華は慣れない様子で、俺の部屋に入る。
「んな、かしこまるなって~」
「……いや、でも、何か兄貴遠い存在に感じるんだよ」
「俺が、俳優として売れてるから?」
「まあ、そうだな」
と、そこは、はっきり言った灯華は、腰を下ろした。
俺は、今でも仲のいい距離の近い兄弟だと思っているのだが、灯華は違うようだった。そこが、悲しくて、少し辛い。認識のずれというか、考え方のずれというか。
灯華は、学校で俺が兄だと言うことを話していないらしい。灯華曰く、話したら、サインを強請られるからという事だそうだ。灯華はそこまで目立つのが好きじゃないといっていたし、地味ではないが、表だって何かをする事はなかった。いつも縁の下の力持ちだ。
母親は、よくそんな俺と灯華を比べては、灯華を貶していた。だから、もしかしたら、本当は灯華も俺の事嫉んで、嫌っているんじゃないかとたまに不安になる。
変な話だが。
(前世の記憶を取り戻したからか、何となく他人に思えちまうんだよなあ……)
少し凪いでしまった心。
つい先日、ジュエリーランドにて冬華先生と出会って、あの鏡の迷宮に入った時、前世を思い出した。冬華先生とはどこかで顔を合わせたことが会った気がして、その疑問があの時スッと晴れた。だが、冬華先生は俺の事なんてちっとも覚えていなかった。まあ、他の奴らのことも覚えていなかったみたいだから、よしとして。
俺以外にも転生をした奴がちらほらといた。一番憎いのは、あの冬華先生の担当編集者という橘という男だろう。彼奴とは因縁がある。
俺がそんな風に考え込んで、上の空の状態でいると、灯華が俺の名前を呼ぶ。
「兄貴」
「ああ、ごめん。何だっけ。てか、何でここに来たんだっけ?」
「はあ……聞いてなかったの。てか、連絡入れたし、俺」
と、灯華は呆れたように俺を見た。
連絡なんてきていたかと確認すれば確かに連絡が入っていた、と言うことが画面に表示されている。仕事のメールで灯華のメッセージの通知が追いやられていたのだ。こういうことが度々あるから嫌になる。でも、これも仕事のうちな訳で。
灯華は、これが初めてのことでは無いので、肩を落としつつも「分かるけどさ」と、軽く流してくれた。そこにも距離を感じてしまう。
それでも、灯華は弟で、でも、記憶を取り戻した今、今世は血の繋がっている他人で……と、思ってしまう自分がいるのも事実だった。思い出さなければよかったと思えるぐらいに。前世の俺は、良い暮らしをしていなかった。家族の温かさも知らなかった。泥の中を生きて、生きる為に人を殺して、そういう依頼を受け続けて。それが当たり前に染みついた前世だった。だから、こうやって、弟に慕われることも、弟のいる温かさや、幸せが受け入れたくても、完全に受け入れられずにいたのかも知れない。
灯華が距離をとっていると言うより、俺が勝手に壁を作ってしまっていたのかもと。
(今世の俺は何でも手に入るはずなのに)
努力すれば、手にはいる。それは、前世ではあり得なかったことだ。努力しても報われないことだってある。でも、今世の俺は違った。相葉春夏秋冬という男は違うのだ。
「えっと、単刀直入に言うけど。兄貴、今付きまとってるよね。えーっと、人の彼女さんに」
「ん?何で、それ知ってんの?」
「聞いたから。俺の知人から」
「へーほー」
「ちょっと、俺真剣に話してんだけど」
そう言って、眉をつり上げる灯華。
全く、その話を何処から仕入れてきたのか、もっと問い詰めたいところではあったが、それよりも、誰かが俺の弟にそんなことを言わせているという事実の方が重かった。
「兎も角、やめた方が良いって……俺怒られたし」
「お前が怒られる理由あんの?」
「えーと、俺の友人の親戚だから」
「ふーん」
「だから、何でそんな他人事!?」
ガタン、と机に体重をかけて立ち上がった灯華は、嫌そうに顔をしかめていた。
灯華の友人ネットワークなんて把握していないから分からないが、灯華が「友人」というのは一人しか思いつかなかった。俺の嫌いなルビーの瞳をした奴に似た、赤い瞳をした男のこと。まあ、灯華が世話になっているわけだし、そこまで何とも思わないが、灯華の友人と、久遠夏目が繋がっていたのは意外だった。縁という物は、本当に何処で繋がっているか分からない物である。
「だって、俺のかってじゃん。好きなように生きて、好きなように恋して」
「恋、してるのかよ。兄貴」
「そりゃあ、前世からの長い恋で」
嘘くさ。と、灯華は吐き捨てた。
まあ、信じられないだろうけどさ。俺には、前世がある訳よ。
そう、心の中で言って灯華を見た。灯華は相当悩んでいる様子だった。略奪恋というのは、いけない事だと、そう俺に訴えかけるように見てくる。
「別に、まだ籍を入れてないなら奪いようがあるじゃん?」
「その考えにいたる兄貴が恐ろしくて仕方ない」
「ハハハッ」
「うわ……怖いんだって、兄貴。ほんとやめとけって。これ以上面倒くさいことになったら俺、助けてやれないから」
そう言うと、灯華は、俺を宥めるような目で見る。
灯華に何と言われようが、前世からの恋を俺は叶えたいわけ。片思い、一方通行。あの時、前世見せた冬華先生……いいや、イヴェール様の悲しげな顔が脳裏に張り付いて剥がれない限り。今だって、あまり幸せそうな顔しないし、きっとまだ幸せという物を知らないんだと俺は思っている。なら、俺が冬華先生を幸せにしてあげるべきなのじゃないかと。
略奪愛って燃えるし、そっちの方が面白いだろ?
俺が、一人げに笑うと、また灯華は顔を引きつらせて、ぽつりと零す。
「俺忠告したから。どうなっても知らないんだけど……」
「まあ、まあ。灯華は関係無いじゃん?俺が俺の道を進むだけって」
「……相葉春夏秋冬っていう俳優の顔に泥を塗らないように。それだけは、俺願ってるし、気をつけてって、ほんとそれ」
と、灯華は歯切れ悪く言った。
別に俺は『相葉春夏秋冬』というブランドというか、器にそこまで興味ない。確かに、努力して認められた存在であっても、俺は満たされなかった。元から器用な物で、そういうのをそつなくこなした結果が今にいたるわけで。
俺が欲しいのは、そういう大衆からの目線とか、遊んで暮らせるお金とかじゃなくて、今は冬華先生一筋なわけ。
灯華も、好きな奴が出来れば分かってくれると、俺は勝手に思っているけれど、灯華に好きな奴が出来る未来なんて想像がつかない。失礼な話にはなるが。
「何だよ、兄貴……変な目でみんなよ」
「お前も、恋すれば分かるって。燃えるような恋すればさ」
そう俺は良いながら、灯華の頭を撫でる。灯華は、嫌そうに、俺の手を払って、反抗的な目を向けてきた。そういう目はゾクゾクする。
「いるし……」
「何が?」
「だから……俺にだって、好きな奴ぐらいいるって言ってんだよ!バカ兄貴!」
鼓膜を裂くように叫んだ灯華の言葉を聞いて、俺は唖然とするしかなかった。
「え、は……お兄ちゃんそんなこと聞いてないんだけど!?」