7 よりにもよって
「え、えっと……橘さん、何でここに?」
「そこまで距離を取られると、少し傷つきます」
「あ……いや、ごめんなさい。矢っ張り、ちょっと」
どうせなら、春音さんや夏目がよかったとは口が裂けても言えず、助けに来て、探しに来てくれたのに、そんな失礼なことは言ってはいけないと、少しばかり残っているわたしの良心に従って口を閉じる。橘さんは分かったように苦笑いしていたけど、相変わらず目が笑っていないのが怖い。
(……よりにもよって、この人とはね)
橘さんは前科がある為、あまり信用出来ない。でも、頭がきれるという点や、頼りになる点で言えば、もしかしたら夏目と同等かそれ以上かも知れない。夏目も頭はきれるし、カリスマ性があったりするのだが、頼りがいがあるかと言われればちょっとと、またこっちも失礼なことを思ってしまうのだ。そういう態度を日頃から取っている夏目が悪い気がするけど。
私はスッと橘さんに握られた手を払って、距離を取った。露骨だと分かっていても、やはりこれぐらいの距離感は欲しい。安心できるから。
橘さんは私の手を握っていた手のひらを見つめた後、もう一度私を見た。
「何?」
「いえ、信用されていないんだなって思いまして」
「……前科がある人間はね。なかったら今まで通りだったかも知れないけれど、こういう関係になってしまったのは、橘さんの責任よ」
「でも、僕を頼ってくれたじゃないですか。それはどういう進境で?」
「…………それは、貴方が信用出来るからよ」
「ほう」
「でも、勘違いしないで。人として信用出来るかは別。ただ、仕事に関しては責任感があるし、客観的に物事を分析してくれそうだと思っただけ。人としての信用の回復はそれからの問題よ」
そう私が言えば、素直に引き下がったのか「分かりました」と頭を下げた。そういう律儀なところは嫌いじゃないし、前々から好きだったんだけど。
(その笑顔の裏に隠されている、どす黒い感情をみてしまったから、もう戻れないのよね……)
人間腹の中では何を考えているか分からないとはまさにこのことだった。春音さんだって、可愛らしいお嬢さんって感じなのに、かなり面食いで、大食いで惚れやすい体質だもの。
と、兎に角親友に対して悪口を心の中で言いながら、橘さんの話に戻る。
取り敢えず、信用出来ないけれど、探し回ってくれていた橘さんが何故ここにいるかの話からだ。
「橘さんは何故ここに?」
「そりゃ、連城先生を探していたからですよ」
「橘さんだけで?」
「いいえ、停電があってから皆さんで一緒に」
「じゃあ、はぐれたって事?」
そう私が質問攻めにしたのにもかかわらず、快く橘さんは話を続けてくれた。いつもの癖で、分からない事はすぐに聞いてしまうのだ。感情論じゃなくて確かな答えが欲しかった。橘さんは誠実な人だから、嘘はついていないと思うけど、それでも何か知っているんじゃないかって思った。隠している……とまでは行かないかも知れないけれど。
どうなのだと追い詰めれば、観念したように手を挙げた。
「多分ですが……お二人方は一緒にいるんじゃ無いでしょうか。さすがに女性である一条さんを一人にはさせられませんしね、あの暴君も」
「それは、前世の話じゃない?」
「そうでしたね。それはそうと、本当に貴方は面倒なのに好かれますね」
と、橘さんはいうと私を抱き寄せて、私の背後に立った誰かを睨み付けた。相手側が気配を殺していたためか全く気づかなかったが、そこには先ほど私を追いかけていたはずの相葉がいて、殺気ましましといった感じに私達を睨み付けていた。否、橘さんの方を睨み付けていた。
「女性を追いかけるなんて、立派なストーカーだと思いますが。相葉春夏秋冬さん」
「アンタに言われたくないね。そう変わらないと思うけどな?俺達」
そう二人の間にまた火花が散る。どうやら相性が悪いと言うことは確定らしく、私の勘違いでも何でもないようだった。
(二人に接点はなかった、と言うことは、また前世絡みの?)
そう考えると、橘さんの言ったことも理解できるし、成る程、そうかも知れないと頷ける。前世の自分とは言え、記憶がないから言えるけれど、イヴェールは本当に何をしてくれたんだって前世の私を呪いたい。今でこそ、相葉は有名人で芸能人、そして夏目は財閥の御曹司、橘さんは私の担当編集者と皆異色揃いなのだが、どう絡まったらそうなるのかと問いたいぐらいに、イヴェール、私の周りには面倒な人達が集まってきてしまっている。
これをイヴェールは想像して、死んだのだろうか。
誰かに愛されたいとは思っていたけれど、それはエスタスであって、多方面から愛されたいとは彼女は思っていなかったはずだ。何度も思うけれど前世とは言え、本当に呪いをかけられたのか、賭けたんじゃないかってくらい、それぐらい面倒事にここ最近巻き込まれている。
(そのおかげで、夏目を好きになれたって言うのは、一つ悪くはない事かも知れないけれど)
でもマイナス面が多すぎて、それどころじゃないと思った。
兎に角、この状況をどうにかしなければと、私の力じゃどうせ何にもならないだろうけど、橘さんの腕の中で祈る。
夏目と春音さんが来てくれればどうにかなるかも知れないと、一瞬だけ思いつつ、それでもこんな抱きしめられている現場をみられた日にはさらに火に油を注ぐことになる。だから、取り敢えずは離して欲しかった。
「橘さん、離して」
「離すと、何処かに行ってしまいそうなので。もう少しこうしていただけませんか?」
「……それは、貴方の願望も混ざってるんじゃない?」
そうかも知れませんね。何て悪びれた様子もなく言ったので、私は思わず橘さんの足を踏みつけてしまった。それすらも笑顔で受け流しているところをみると、騎士の片燐が見えるというか、主人に対しては口出さない忠実な家来という風にも見える。そういう所は、ちゃんと記憶がなくてもあっても引き継がれたんだろうとか思ってしまう。
「イヴェール様、その男は危ないので俺のところにきてくださいよ。俺なら幸せに出来ますよ」
「だから、何度も言わせないで。私はイヴェールじゃないし、貴方なんかに興味ない」
「では、僕に?」
「橘さんは黙ってて!話がややこしくなるのよ!」
何故口を挟んだのか問い詰めたかったが、生憎そんな余裕もなくて、私は相葉を睨み付けた。相葉は呆れたとでも言うように肩をすくめる。余裕そうなその顔を殴ってやりたいが、欠片ほどに残った両親が、芸能人の顔を殴るなんてダメだ。とストップをかける。もしなかったら今頃橘さんにアッパー、相葉に顔面ストレートを入れていたところだ。感謝して欲しいぐらい。
そうして、暫く対峙していれば、橘さんはようやく私を離した。
「ハッ、諦めてくれたかな?騎士様よぉ」
「諦める?そんなわけないじゃないですか。僕は一度たりとも連城先生を諦めたことなどないです。しかし、嫌われたくもない。そんな思いを抱えながら生きています。過去にした過ちに報いるため」
「……騎士魂とか?ここは現代だぞ?そんなの通じるわけ」
「なら、貴方も連城先生の事を『イヴェール様』など呼ばずに、連城先生と言えば良いじゃないですか。連城先生は、前世の記憶がないんですよ?それを無理に思い出させようとしている貴方が、よくも、連城先生を愛しているなど言いますね。やはり奪うことしか脳がないんですか?」
と、橘さんは煽るように言った。
相葉の額に血管が浮き出ているのが見えて、これ以上言うのは不味いんじゃないかと、私は止めようとしたが、橘さんは下がっていてくださいとでも言うように私の前で腕を出す。
「アンタ、ほんと気にくわねえよ。イヴェール様の何が分かるって言うんだ」
「貴方は……貴方には途中で手を引いて貰いましたが、イヴェール様はあの後大変な目に遭ったんですよ。その原因は僕にもありますし、殿下にもありました。それを貴方は知らない。結局、イヴェール様が何で苦しんでいたかなんて、貴方は何も知らないんですよ」
「テメェ……」
そう、殴りかかってきそうな相葉をみて、このままじゃ殴り合いになるんじゃないかとギュッと目を閉じたときだった。
「冬華!」
と、私の名前を呼ぶ夏目の声が聞えたのだ。
パッと顔を上げれば、眩い金髪が目に入って、私は途端に身体の力が抜けた。倒れ込むようにして洗われた夏目の胸に保たれかかる。夏目は優しく抱き留め、抱きしめた。
「大丈夫だったか、冬華。本当に俺は心配して」
「……ええ、まあ。橘さんが……あ、えっと、相葉君は?」
辺りを見渡せば、そこに相葉の姿はなく、停電もいつの間にかなおっていた。




