1 side秋世
連城冬華という女性は氷のように冷たく、それでいて雪のように儚い……自分の意志を貫き生きる強い女性だった。
僕はそんな彼女に惚れていた。
出会った時から……いいや、今世で出会う前から彼女に惹かれ、彼女に恋い焦がれてきた。
彼女は前世のことは覚えていないけれど、その分僕は彼女を忘れないようにと前世彼女にかけられた呪いを愛おしく思いながら過ごしてきた。
彼女が好きだと言う気持ちだけは橘秋世になってからも、けっして忘れていなかった。
だから、彼女の近くにいられるように必死に努力した。
しかし、僕の努力虚しく彼女は僕のことを一人の編集者としてしか見てくれず、そして、いつの間にか他の男のモノになっていた。
それも、前世自分が敗れた相手に――――――
腸が煮えくりかえりそうだった、黒い黒い嫉妬の渦に呑み込まれて自我を失うところだった。
それでも、まだ僕にはチャンスがあるかもしれないと諦めずに頑張ってきたが、もう無理なのだろうか。
抑えが効かず、彼女を監禁……軟禁し、襲いかけてしまったこともあった。
でも、彼女は許してくれたのだ。
けれど、彼女は僕のものになることはなかった。これからもきっとそうなのだろう……僕は。
――でも、やっぱり、好きなんだ。どうしようもないくらい。
盲目的で、狂気的な愛を彼女に向けているんだ。
「―――――ということもあって、何だか最近誰かに監視されているような気がして」
「何故、それを僕に?」
冬華さんはそう、僕に相談してきた。
誰かに監視されているような気がすると。この間一目惚れしたと男性に言われたと。正直、信じられない話ではあるが、実際に冬華さんはそう感じているのだろう。
「俳優の相葉春夏秋冬ですか……あの目立つオレンジ色の髪の」
「ええ……結構前にぶつかって、その時一目惚れだって……ほんと、今の若者ってどうかしてるわ」
こういう話を僕に相談してくる所を見ると、彼女の信頼はある程度取り戻せたのではないかと……いや、元からあった信頼を繋いでつなぎ合わせて彼女は、僕に相談してきたのではないかと思った。
それでも、好きな女性に頼られることは嬉しいことだ。例えそれがどんな相談であっても。
それにしても……まさか、冬華さんにストーカーがつくなんて……いや、実際ストーカーされているわけではないのかも知れないが、彼女の不安はぬぐえないだろう。
相葉春夏秋冬――――――、
今をときめく若手俳優である彼は、おそらく僕や夏目さんと同じく転生者だ。
あの鮮やかなオレンジ色の髪とラピスラズリの少し垂れた目……雰囲気からして甘く、常に道化を演じているような彼は僕の知る限り一人しかいないと。
(暗殺者……セイズーンか)
冬華さんは前世の記憶が何もないから覚えていないかも知れないが、冬華さんの前世イヴェール・アイオライトにはエスタス殿下と僕以外にも好意を寄せる男がいた。
それは、暗殺者のセイズーンという男で、プレメベーラを暗殺しようとしており皇宮に忍び込んでいた。そして、当初の目的を忘れイヴェール様を誘拐しようとした。
その時に、僕は彼と刃を交えたことがある。
最後はイヴェール様の許しを得て彼は姿を消したが、今世もまたイヴェール様の生まれ変わりである冬華さんに手を出すとは。
幸い、この話は僕しかしらない。エスタス……夏目さんは、この件に関しては関係無いのだ。
関係あるのは僕とセイズーン……春夏秋冬だけ。
彼の記憶の有無はわからないが、もし彼に記憶があった場合、冬華さんに危害を加える可能性はある。
いや、そもそも冬華さんを本気で狙っているのか? どちらにせよ、このまま放っておくわけにもいかない。
「連城先生、この件が解決するまでなるべく誰かと一緒にいて下さい。貴方の身に危険が迫っています」
「そんな、だって……あり得ないでしょ」
「連城先生」
僕は真剣に冬華さんと向き合い言った。
彼女はあり得ないと首を振るが、これは事実なのだ。
僕は知っている。彼が、春夏秋冬の前世が暗殺者であったことを。
今度も僕が冬華さんを守るのだと。
「でも、連城先生がこの話を僕にしてくれて本当に良かった」
「……どういうことですか?」
「これは、彼と春夏秋冬の問題ではなく、僕と春夏秋冬の問題だからです」
そう、僕だけが知っていて、僕だけがどうにかできる事だ。他の誰も知らないし、知らせる必要もない。
僕だけで片づけられる話だ。
それに、今は冬華さんの側にいることが一番重要だ。彼女を守るために、僕はいるのだから。
そう一人で考えていると、冬華さんがほんの少しだけ微笑みこう言った。
「それにしても、橘さんって矢っ張り優しいんですね」
と。何気ない一言だったのだろうが、僕は胸の奥底にチクリと痛みを感じた。
優しくなんかないと。僕はただ自分のエゴのために彼女を見ているだけだと。
僕は、彼女に嫌われたくないからこうして側にいるんだと。
けれど、彼女の笑顔をその言葉を聞いただけで、満足してしまう自分がいることもまた事実。
「矢っ張りって……僕が優しくするのは、優しくしたいのは冬華さんだけですよ。今も、昔も」
彼女の瞳を真っ直ぐ見つめながら言うと、冬華さんの顔は徐々に赤くなり、俯いた。
そして、僕から視線をそらし、申し訳なさそうな顔で呟く。
「私は貴方の気持ちには応えられない……」
「分かってますよ。それでもです」
そういって俯く彼女の手を僕は握った。これぐらい許して欲しいと、許されてもいいのだと。
「僕が永遠の忠誠と愛を捧げるのは、貴方だけです」
「……忠誠って、貴方はもう騎士イェシェインじゃないんだから」
彼女は困り果てたような顔をして僕を見た。
その表情に思わず笑ってしまいそうになるが、なんとか堪える。
今の僕は確かに騎士ではない。
けれど今も昔も、愛と忠誠を誓うのはこの人ただ一人。
この人にならば命を懸けても構わない。それは変わらないのだ。
「癖なんです……けど、これでも、欲深くなった方なんですよ。冬華さんに触れたいとか、自分のものにしたいとか……結局は叶いませんでしたけど」
と、僕は隠すようにいった。
本当は、抱きしめたいし貴方に触れたいけれど。きっと、冬華さんはそれを許さないだろうから。
僕の本当の気持ちを知ったらどう思うだろうか? 迷惑だと思うかもしれない。それとも、気持ち悪いと思うかな……どちらにせよいい感情は抱かないはずだ。
今の関係が崩れるのだけは、どうしても避けたい。
そんなことを考えていると、不意に彼女が口を開いた。
僕は、何を言われるのかと思い、身構えていると彼女は僕に見せてくれたことのない笑顔を向けてきたのだ。
それは、まるで雪解けて顔を出した美しく強い花のように。
「ありがとう、橘さん。貴方が私の編集者で良かった……貴方に出会えて良かった」
「冬華さん……はい、僕も貴方に出会えて良かったです」
(ははっ……僕が諦められないんじゃなくて、貴方が諦めさせてくれないんだ)
僕は心の中でそう思った。
こんなにも想われているのなら、いつか振り向いてくれる日が来るんじゃないかって思ってしまうじゃないか。
ああ、本当にずるいなぁ……
僕は、彼女に触れることも出来ないし、想いを伝えることも許されない。
だって、冬華さんには好きな人がいてその人は冬華さんを愛しているのだから。
僕の入る隙はない。
それでも夢を抱くぐらいは許してくれないだろうか。
僕は冬華さんに挨拶をし席を立った。これ以上いたら、さらに掻き乱され冬華さんに手を出してしまいそうだったからである。懸命な判断だと自分でも思った。
イヴェール・アイオライトは、奴隷にして滅亡した国の皇族だった。
黒く焼け焦げた髪に、貴族の持っているオーラを全く感じないどちらかと言えば平民のような女性だった。
しかし、そんなイヴェールに帝国の皇太子も、僕も、暗殺者も魅せられたのだ。
魔性……と言うべきなのかも知れない。
彼女の魅力、それは彼女自身も気づいていない。
その瞳に見つめられれば誰もが囚われ、その唇から紡がれる言葉はどんな人間も虜にするのである。
だからこそ、僕も、あの人も彼女に溺れたのだろう。
そして、醜い感情を引きずり出された。
「ほんと……冬華さんって罪な人ですね」
僕はそう呟き、春夏秋冬のことを探るため歩き出した。