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僕は死にたい

作者: 乾燥人生

皆さんおはようございます。

どうですか?今日も死にたいですか?

僕は死にたいです。

というより生きるのが面倒で仕方ないの方がしっくりきますね。

毎日何のために生きてるのか分からなくなります。

生きることに特別意味なんてないんですけど。

今回は毎日死にたい僕の人生観について適当に綴っていこうかと思います。



突然ですけどこれまでの僕の人生を軽く振り返ってみます。


幼稚園生

毎日何も考えずに幼稚園や保育園で遊ぶことが仕事でお昼寝する時間もあったのに夜21時を過ぎると自然と眠くなって布団の中に入ってましたね。


小学生

小学校の友達と休み時間はハンドベースやケイドロ、給食の時間になるとデザートをかけたジャンケン。放課後にはサッカーや野球、psp片手にみんなで集まってモンスターハンターや誰かの家でスマブラ。あの頃は毎日が本当に楽しくてただその日を一生懸命に遊べば良かった。公園で汗かいた後に飲むファンタも、夏の夕暮れ時にプールから上がった後に食べるアイスも全部もう二度と経験できません。

あの日に戻りたいって毎日思ってます。


中学生

意味不明な時間から朝練をして部活動で汗を流したり、よく分からない数式を見て眠くなったり筋肉の付きすぎで脇が閉まらない柔道部顧問の体育教師に怯えたり中二病発症で謎にイキがったり。この時期、親との喧嘩は毎日で発言全てにイライラしてました。好きな人が出来たり彼女が出来たりなんか色々幸せでした。修学旅行で当時好きだった子と回った南京町楽しかったなあ。


高校生

高1の担任の先生から3年間眉毛を引きちぎられ廊下で大外刈りをかけられる日々。高1のクラスマッチ、サッカーでイキってスポーツ特待クラスから反感買ってましたね懐かしいです。仲の良い友達2人と3人でシンプルにそこらへんのクラスから嫌われてました。廊下で騒ぎすぎたんでしょうか。高2の修学旅行は仲の良い男子とよく分からない暗めの男子と同じ部屋でその子にAV見せてテンション上がってました。クソガキです。

高3の冬、大学の合格発表を友達の家で見たんですけど僕よりも喜んでくれる友達とそのお母様に胸打たれたの覚えてます。

あったけえ。


大学生

恥ずかし気もなく親友と呼べる友達と出会えました。

時間にルーズなところも予定を予定と思ってないところもしょうもなさも謎に真面目な部分も全部僕に合いました。初めて会った時に「久しぶり!」と言われて「あ、頭おかしい人かな?」って思ってたんですけど4年間仲良くしてきた今、あの時の僕の直感は1ミリも間違って無かったんだと確信しています。かなり頭おかしかったけどしっかり者の意味分からない人間でした。ちなみに大学2年生くらいまでは別に死にたいと思うことも無く普通に生活してました。

大学3年生くらいから急に生きるのがめんどくさくなり始めて大学にも顔を出さずにパチンコを打つ毎日になりました。負けては借りて勝っては返しての繰り返しの日々。気付けばアコムとレイクから金を借りる多重債務者の完成。おめでとう俺。ちなみに夏場に水道止まった時は死を覚悟しましたね。あの日ほど水を欲した日は未だかつてありません。そこから毎日を何と無く消化するだけの日々を過ごして4年生になった僕がまともに就活なんてする訳もなく就活解禁後1ヶ月半くらいで辞めました。多分なんか色々理由あったと思うんですけど結局は普通に働く事がめんどくさかったんだと思います。

そんな僕は当たり前に留年しました。

未だに「否」の文字ひとつで僕の傷だらけの経歴にまた1つ傷がついた事で笑えてきます。



まあ僕の人生なんて簡単に書いたらこんな薄っぺらいもんです。そりゃ具体的に書けばもっと楽しい事も嫌な事も沢山ありました。

でも総合的に見たら恵まれている人生だと思います。仲の良い友達も居れば大学にまで行かせてくれる親の元に産まれる事もできた。今も屋根のある部屋で迎えたくもない明日を迎える事ができる。学校に行けない人も居たら屋根のない公園で寝るしかない人もいる。そんな世の中で見たら僕は幸せな人生だと思います。

でも死にたいです。当たり前に慣れた僕達は当たり前が幸せと気付けないのは有名な話ですね。その通りです。当たり前に与えられた幸せの中で人生を豊かにする努力を面倒臭がってしない僕にとっての人生最大の刺激は死ぬことであり人生最大の生きる希望は死ぬことでしかないです。

「価値のある内容の濃い人生を送れ」

なんて言葉もたまに目にしますよね。

僕は人生の価値は終わり方でしか決まらない派です。人生に元々価値なんて無いですけどあるとするならの話。

いつ終わるか、どんな過程で、とかは関係無いです。

人生の価値は終わり方一択です。

例えば毎日勤勉に働いて、それなりの収入と幸せな家庭があったサラリーマン。日々の労働が報われ宝クジが当たって億万長者になったとします。1週間後車に轢かれて亡くなったと聞いたら多くの人は「可哀想に」といった感情を抱くと思います。その瞬間にその人の人生は「可哀想」という剥がれ落ちることのない価値観で塗り固められます。どれだけ充実した毎日を送っていたとしても。


逆にホームレスの場合で考えてみましょう。

仕方の無い理由がある人も居れば完全に自業自得でホームレスになった人も居ます。その自業自得ホームレスは毎日働かずにダラダラと日銭を稼いで過ごすだけ。そんなある日ホームレスは稼いだ日銭を気分で全額募金したとします。その日の帰り道、車に轢かれて亡くなった場合、そのホームレスは「善人だった」という価値観を得る事ができると思います。


勤勉に毎日働いていたサラリーマンとたまたま最期の日に募金したホームレス

どちらが偉いとかは無いと思います。

でも終わり方一つで評価は異なります。

なので僕は人生の価値は終わり方一択派です。

そんな事を考えていると死ぬまでの毎日なんてどうでも良くなって早く自分の人生に価値を添えてあげたくもなります。

僕の夢はアフリカでヌーの大群に轢かれて僕の最高に薄っぺらい人生に「面白い」という貼り紙を貼ってあげる事です。


実は最近、4月18日のことなんですけど僕は人生で初めて本気で死のうとした事があります。死にたい理由なんて人それぞれですし、例えばイジメだったり借金だったり過労だったり本当に色々だと思います。僕はその日までに沢山の問題事が重なりすぎていた上、遂にその日ドンピシャで特大の悩みの種かつ人生における最恐の時限爆弾が投下されたお陰で「究極に生きるのめんどくせえ」「死んだら悩み全部消えるやんけ」って結論に至った事がきっかけでした。

こんな感じで色々な理由あると思うんですけど紐解いていけば、結局死にたい人の死にたい理由なんて「逃げたい」だけなんですよね。逃げる理由の方を潰せば良いって思う人も多いと思うんですけど面倒臭くて面倒臭くて、とてもじゃないけど死ぬより難しくて達成出来ないんですよねこれが。その努力するくらいなら死んだ方が楽、ってなります。

死にたい人は基本面倒臭がりなのかもとも思い始めました。

あと人間の思考って不思議なものでいざ死のうとすると今までと逆の思考になったりするみたいです。僕は死後の世界だったり来世だったりを全く信じて無くて、人間を含め全ての動物は死んだらただのタンパク質の塊になるだけだと思ってました。でもこれが不思議な事にいざ首吊りのデモンストレーションで梯子にかけたネクタイに首を通して少しだけ締まるようにしてみると、「来世何になるかなあ」とか「あ、俺もしかして地獄行きなんかな」「幽霊になったら二階堂ふみの背後霊になろう」とかいった甘えた考えがスラスラ浮かんでくるんですよね。精神論とか感情論が吐くほど嫌いな僕でもそうなりました。滑稽ですね。

でも結局死ねませんでした。

親ってすごいですね。

たまたま電話掛けてきてくれたんですけど「身体に気をつけて」の一言で僕は死ねなくなりました。

人生はやっぱり面倒臭いですし早く死にたい気持ちは1ミリも変わってないけど親より先に死ぬことだけは出来ないなあって思いました。親には大量の隠し事があるのでそれがバレたら死ぬつもりではあるけどそれまでは親の悲しむ顔想像したら流石にネクタイ緩みますね。なので今まさに死のうとしている人がいるなら親の声でも聞いて一旦踏み止まって親が死んでから死にましょう。

その時はぜひお供致します。

実際にその日首吊って死んでいたら第一発見者は友達でした。普通にトラウマの元気な苗木を植え付けるとこでした。話を聞いて笑ってくれる友達が居るって割とあったかい事です。

人間は他の人とバカみたいなことを話して居たら死ぬのなんて割とどうでも良くなってきたりもするものなので今まさに死にたいって思っている人はそこら辺の人間にでも適当に喋り掛けてみてください。

意外とスッキリしますよ。

あと嫌なことからは逃げれるところまでは絶対に逃げた方がいいです。これはマジで。

我慢が美徳とかいうクソみたいな風習で人生潰れるくらいならそんな風習押し付けてくる人間からの評価潰して昼間っから公園で野球している少年を肴に金麦飲む方が圧倒的なまでに有意義です。あともう1つ。道徳なんてクソ喰らえです。誰かが誰かの都合で作った価値観を如何にも世界の常識かのように、少しでもそのくだらない倫理から外れたら人外であるかの様な評価を下される道徳は無視で大丈夫です。僕には僕の道徳があるしあなたにはあなたの道徳がありますから。人は何かを批判して生きたがる完全に救えない生き物です。その為の絶対的盾になるのが道徳であるだけで、そんな内側からの攻撃で壊れるべき盾はあってないようなものです。なのであなたはあなたの道徳を守りましょう。頭おかしい、性格が終わっているって思われるでしょうけど僕はそうしています。僕と深く関わることのない世間からの評価なんて気にしていたらただでさえ死にたい僕の気持ちに加速ブースターが付随されるだけです。ちなみに僕は色々なことから逃げてきたお陰で今の最高に憎くて最高に愛おしい自分が居るので逃げて後悔していることは全く有りません。逆にやって後悔している事や逃げずに後悔している事は腐るほどあります。まあこんな事を言いながらも僕は結局自分の人生から逃げる度胸もなければ立ち向かう根気があるわけでも無いので今日も1日をただ浪費したし、死にたい明日を死ねずに生きていきます。いつかどこかで僕が野垂れ死んだ情報を手に入れたらその時は盛大に拍手をください。

最後にオススメの悩みの消しとばし方なんですけど

「マイジャグラーⅣ」のGOGOランプの光に当たるか

宇宙から見たら地球なんて、、、

の精神を保ち続けるかの2択です。

悩んでいる人はパチンコ屋に行くか

空を見上げましょう。


以上、僕の乱雑な人生観でした。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ギリギリで、親より先に・・・、は全ての良心の源かな。 感動しました。 [一言] 悲しいかな、世の中お金ですかね。 お金の周り、が良い時は、人生が豊かだと感じます。 ギャンブルに勝っている時…
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