気分は出陣のそれである
さて、とうとう着いてしまった訳だが。
見上げるほどの屋敷は侯爵家であるだけあって大きく、精巧で、如何にも「貴族の家!」って感じだ。なんかお腹痛くなってきたな。もう実家帰っちゃ駄目だろうか。
そんな気持ちで横目にメリーを見やると、つんと澄ました顔で玄関先に目配せをしてくる。行けと。はい、分かりました。さっきまで心配してくれてた君はどこ行ったんだ?
「ハティ様、フォーマルハウト卿をお待たせしているのですよ」
「う、痛いところを……そう、そうですよね、はい、頑張りますともご令嬢なので」
「自分で自分をご令嬢と言われるのは控えた方がよろしいかと」
分かってます〜! 言ってみただけです〜!
しかし推し、もといフォーマルハウト卿をお待たせしているという事実は私の胸にそこそこ重くのしかかる。推しを待たせてしまうなどオタク失格。アルハリガチ勢の名折れと言えようもの。
深呼吸をした私は背筋を伸ばし顎を引き、ハリエットとして培ってきた全ての淑女らしさを総動員して、フォーマルハウト家の使用人に案内されるまま、私を待ち受けているという彼の元へと向かう。
……しかし。私は歩を進めながら、つい先程、昼間書類を書きに来たときにも通った廊下を見渡した。
広い廊下は白い大理石造りの床と温かみのあるテラコッタの壁で出来ており、所々に綺麗な花の生けられた花瓶が置いてある。それでも侯爵家の割には質素だ。
侯爵家って言ったら結構な権力を持った貴族なんだから、もっと煌びやかな置物だのなんだの置いとくもんだと思っていた。
まあアルバートのことだから、あんまり華美なものは好みそうにないとは思うけれど。どっちかというと素朴でシンプルなものを好みそうなイメージがある。
いやまあ、それも私の自己解釈で、再三言うようだが公式ではその辺全く触れられていないのだが。
プレゼントで好みのものをあげて好感度をあげるシステムとかあったけど、サブキャラのアルバートとハリエットとメリーにはそんなもん適応されてなかったから、好みのものとか結局分からずじまいだし。
まああんまり豪華でも私が困る。どう扱っていいか分からないし、いかにも高そうなものはちょっと敬遠しがちだ。今の私はハリエットだけれど、一応元々は一般的な金銭感覚を持ったただのOLだったわけだし……
「ハリエット様、こちらでアルバート様がお待ちです」
「ぉあっ、はい!」
変な声を出してしまった。しかし使用人さんは別段気に留めることもなく、ついでに心の準備をさせてくれる暇もなくその扉を開け放った。オワア〜〜〜〜!!心の準備はさせて!?
思わず一歩下がってしまうと、メリーがすかさずその背中をぐっと腕で阻み、耳元で小さく囁いてくる。それはもうひっくい、私にしか聞こえないような声で。
「行きますよハティ様、先程もお会いしたんでしょう。何をビクビクしてるんですか」
「深呼吸、深呼吸させて」
「何を仰ってるんです、行きますよ」
なんて無情なメイドなのか。というかメリー、アルバートのことになるとやたらと私を焚きつけようとするね。なんかあるのか君。さてはアルハリガチ勢? んなわけないか。
さて、そんな無情なメイドに思い切り背を押された私は、つんのめって転ぶのを何とか誤魔化すために死ぬ気で体制を立て直さざるを得なくなった。
危ない危ない危ない! しかし私は腐っても令嬢、今日から自分ちとはいえ初日で婚約者の家ですっ転んだりはしたくない。婚約者って言い方照れるなやめよう。
すんでのところで、何とかふんばって前を向く。と、そこで私はまず呼吸を忘れた。
先程も見たはずだ。けれど目の前にその姿を見てしまうと、私の心臓はまるで恋する乙女のように高鳴ってしまう。それは推しだからなのか、はたまたハリエットが彼を、本当に好きになってしまったのか。恋などというものに長らく触れていない私にはまだ分からない、けれど。
やさしい白金色をふわりと揺らしながら、透き通るような銀灰色の瞳を細めながら、あまりにも美しい笑顔を私に向けながら。目の前の彼は、ゆっくりと口を開く。
「ようこそ、お待ちしていました」
う゛っ、好き。完全にチョロい女と化した私はいとも簡単にときめいてしまい、一瞬淑女の礼を返すことすらも忘れてしまった。
けれどそこは伯爵家の令嬢として育てられたハリエット、流石と言ったところか。フリーズした自我を、令嬢としての経験と令嬢のプライドがマッハで叩き起してくれた。
おかげで私は慌ててレディらしい振る舞いを繕うことに成功する。ハリエットが真面目にお嬢様のお勉強してて本当に助かった。
「お待たせして申し訳ございません。今日から付き人のメラニー共々、お世話になります、フォーマルハウト卿」
「ふふ、貴方もいずれフォーマルハウトと名乗るのですよ。どうか姓ではなく、別の呼び方で」
「あ、し、失礼を……では、あ、アルバート、様……と」
私はどうやら自分で思っているよりも緊張しているらしかった。
なんだアルバート様って。いや分かるよ? 私が推しの名前を呼び捨てにするのは確かにちょっと烏滸がましい気がしなくもないけれど、ガワと声はハリエットなんだから全然名前呼びしても許されるはずなんだ。しかもめちゃくちゃどもってしまった。うわあこれ引かれないかな私。
なお、この状況にもっとも突っ込みを入れて来そうなメリーはなぜだかだんまりを決め込んでいる。アルバートの出方を伺ってるのかもしれない。
ともあれ彼女に救援は望めなさそうだ。というかどうしよう名前呼んだだけなのに顔の火照りが凄い。前見れない。今私、絶対絶対顔赤いよね!? ああ、変に思われたらどうしよう……!
アルバートの反応が怖くて俯く。けれど、いつまで経ってもアルバートの声は返ってこない。
え? 何もしかしてガチ引き? そうだともう私は舌噛み切って死ぬ勢いなんだが、と怯えつつも怖いもの見たさでちらり、目線を上げてみると。
「……」
「……ぅ、お?」
また変な声が出てしまった。アルバートの真っ白な肌が、ほんのり、でも確かに赤く染っている、ような。ンン〜これ見間違いじゃないよね? 私の都合のいい幻想が見せた夢とかじゃないよね? そうじゃないならこれ、この反応は、えーと?
思い上がりじゃないと信じたくて思わずメリーを振り仰ぐが、メリーは完全に我関せずのポーズを貫いていた。オイ! 助けろ動揺しまくりの主人を! しかしめげずに目で訴え続けると、メリーは半ば面倒臭そうに親指を立てて、唇だけを動かした。
(ノープロブレム)
何がだよ。
「……あ、あのう、アルバート様……?」
助け舟はやってこない。それを理解した私は、この沈黙が続くのも耐え難いので勇気を振り絞ってアルバートに声をかける。
するとフリーズしていたアルバートははっ、と肩を揺らして、「すみません、ぼうっとして」と一言。その顔はまだ少し赤みを帯びていて、スチルは愚か立ち絵でもなかなか拝めなかったその顔にきゅんきゅんする。
女の子に名前呼ばれただけで照れるなんて、やっぱりいくら紳士でも十六歳は十六歳……待てよ、というか十六歳のアルバートって、原作にも出てきてない超超超貴重映像なのでは……!?
考えてみればそうだ。プレレガの原作開始時アルバートは十八歳。私のひとつ上のアルバートは今、ラクテウス・オルビス学園の一年生のはず。
原作が始まる時主人公シャルロッテは二年生なので、同い年の私も自動的に二年生。そしてアルバートは三年生になっているはずなのだ。
つまり入学前の私と一年生のアルバートが会合するシーンなどは、無論原作には出てきていなかったわけで。そのアルバートの、十六歳の、(暫定で)照れ顔!
これ、もしかして激レアなのでは。いっけねカメラあったっけ。あ、そういやプレレガの世界って「思い出を記録していつでも見直せるように」とかいうスチルやムービーやサブストーリーの見直しの大義名分のために、録画魔法とか写真魔法とかあったような。
いやでもそれ倫理的にどうなんだ……? シャルロッテは乙女ゲームの主人公だから、しかもゲームの世界だったから許されるようなもんだけど。
でもなんか高位魔法だからポンポン使えるもんじゃないたら、記録魔法で記録してるのが知れると魔力を狙われて身の危険がどうたらで、結局シャルロッテはその魔法についてはお相手候補に話したりしないし、なんならその魔法のことを知ってるのはハリエットだけだったはず。というか、あの魔法ってチュートリアル画面でハリエットが教えてくれたんだったっけ?
シャルロッテとハリエットのサブストーリーには確か、「シャルロッテの魔法の師はハリエットである」とかのエピソードもあったはず。作中屈指の最強魔法剣士シャルロッテに魔法を教えたということは、ハリエットももちろん素晴らしい魔術の才能を持っていることになる。
というかゲームでもハリエット、最強クラスの魔法ポンポン使ってるし。プレイアブルが二周目までいかないと解放されないのも納得の強さだ。
一周目からハリエットがプレイアブルだったら、お相手候補よりもハリエットのレベル上げ専念しちゃって、レベルと好感度足りなくて結局誰も攻略できない……とかありそうだし。二周目からは、道具を使うとお相手候補の好感度やレベルを引き継げるシステムだったから、なんとかなるんだけどね。
というかそもそも、アルハリ考察班の中ではアルバートは元々ハリエットの魔術センスを買って婚約を申し込んだとかの考察が上がっていたというし……
……まあここらはおいおいだな。アルバートに聞くのが一番早いだろう。目指せ、アルハリ裏設定全発掘……!
「ハリエットさん、挨拶も済んだことですし、そろそろ邸内をご案内しますよ」
「ホアッ、お、お願い致します……!」
急に話しかけないでくれアルバート、声もいいんだ君。
というか、ハリエットさん呼びなのね。ゲームではハリエットって呼び捨てにしてたけど……まあアルバート、プレイアブル化されないし、ストーリーにも深く関わってくるわけではないしな。
シャルロッテのハリエットへの恋愛相談……もとい、好感度確認イベントでちょくちょく名が上がるくらい(そしてその度にハリエットが笑ったり頬を染めたりするくらい)だったし、表に出る時だけハリエットって呼んでたのかも。
自分の妻をさん付けする貴族って、あんまり聞かないしね。
アルバートは紳士然とした仕草で私に手を差し伸べる。少し戸惑いもたつきながら、その手を取る。恐る恐る彼を見ると、ふわりと優しく微笑まれた。……なんて、優しい目をする人なんだろう。
「どこから、連れて行ってくださるんですか?」
「そうですね、まずは自慢の庭園から」
手を取った瞬間から不思議と緊張は和らいでいって、彼に身を任せるように、私は手を引かれて屋敷内を歩くのだった。