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冷夏への歩み

作者: 幸京

今日の最高気温は38度になると天気キャスターが言い熱中症注意を呼びかけると

タレント達からため息の様な神妙な声が流れた。

その言葉を聞きげんなりしながら家を出る。

午前11時、いきなりの太陽の洗礼、ため息をつき徒歩で駅を目指す。

自転車の鍵は一昨日無くしてしまい使えない。

車の鍵は玄関にあるが免許はない。運転は見よう見まねで多分出来るが、

フェラーリでは目立ってしまいあまりにも危険だ。

帽子を目深に被り、なるべく人に顔を見られないように歩く。

近所の人達は良い人達だが、それ程親しいわけではないからこの暑さでは僅かな立ち話でも辛い。

駅までは徒歩なら最短20分だが、知り合いに会いたくないため、所々に飲食店や雑貨屋、コンビニがあるがあまり人通りはない遠回りの閑静な道を行く。

ハンカチで汗を拭い、ペットボトルの水を飲む。

ただ、我が道を行くーーー。到底自分には恰好つかない言葉を独り言ちて苦笑する。

「ちょっとアンタ、この荷物を運ぶのを手伝ってくれない?」

一人で笑っているところを見られたのかと慌てて声の方角を見ると、無地の白タオルを首にかけ、腰をやや曲げ杖を突いている老女が俺を見ていた。

「えっ?」一瞬、何を言われたか理解出来ずに聞き返す。

「これらの荷物だよ。あの隣のビルの2階の部屋、ラーメン屋じゃない方に運んでほしんだよ。バイト代は弾むから」

よく見れば老女の足元と、杖で差された方角の民家の玄関先に段ボールの山が積まれていた。

2階建て和風の民家の横に5階建てのビルがあり、老女が眩しそうに視線を向けている。

「いや、俺急ぐから」

戸惑いながら駅に向かおうとすると

「全部運べばそれでお終い、バイト代は1万出すよ」

歩きを止め老女を見ると目が合う。

今の俺には必要なお金、それも自分次第でさっさと終わらせればその時点で1万円。

「これとそこの玄関にある段ボールだね。それ以外はやらないよ。俺、これでも時間がないから」

確認して老女の足元にある段ボールを持ち上げる。大した重さじゃない。

「時間がないならとっとやりな。じゃあ頼んだよ」

そう言い残して老女は開けっ放しの玄関から、積まれた段ボールの隙間を上手く抜けて家に戻る。

隣のビルはエレベーターもあり、2階のフロアには2室のみで、1室はラーメン屋で閉店中との札が下げられている。斜向かいにあるもう1室の玄関は開いており、室内は10畳程で机が2台向かい合って並べてあり、それぞれに電話とパソコンが置いてあった。とりあえずと部屋の隅に置いていく。このくらいの重さであの量なら1時間もあれば終わるな。心なしか足取りが軽くなり、階段を速足で降りる。

そこからはとにかく早かった、段ボールは全て大した重さではなく、20何箱はあったが民家とビルは隣同士で距離もなく運ぶ手間もそれ程かからなかったから、全て終わったのは30分後だった。

「すいません。終わりましたー」

俺は玄関先から居間に向けて声を上げる。

先程の老女が出てきてやや笑顔で応答する。

「おや、早かったね。どうもありがとう。これバイト代だよ。あとお昼ごはん食べてきな。素麺と唐揚げぐらいで簡単なものだけど。量はあるからさ、その体格と歳を考えればよく食べるんだろ?」

茶封筒の中の1万札を確認しながら、断ろうとすると美味そうな揚げ物の匂いがした。

・・・まぁ思ったより時間はかからなかったし、食費も1食浮いたと思えばいいか。

そう思い俺は居間に向かう。


「くそ、あいつら殺したい。何なの、あいつらがブサイクなのは親のせいじゃん」

居間には既に1人の先客がおり、テレビを見ながらブツブツと毒付いていた。

おそらく15~16歳かな?彼女は他人をどうこういえるだけの容姿ではあり、ハーフパンツにTシャツというラフな格好がまたその容姿を際立たせていた。

「物騒なことを言うなよ。第一そんな奴らのことで、人生台無しにするなよ」

初対面で誰かも知らないそんな他人からの言葉、当然ながら睨みつけられて思わず怯み苦笑する。

しかし美人は睨んでも美人なんだなと感心する。

俺の母親もそうだったのだろうかと、思い出そうとするが早々に諦める。

両親は俺が2歳の時に離婚して、母親は今どこにいるかも分からないと父親から聞いた。

中学生の時に母親はかなりの美人だったと法事で親戚達から聞いた。一人だけではなく、皆がみな、口を揃えて言うのだからきっとそうなんだろうと少し誇らしく、また寂しくもあった。

ただいない事が当たり前だったから、今更会いたいとは思わなかった。

離婚の原因は詳しくは聞いていないが、まぁ親父の浮気だろう。

医者で顔も良いなら、いくらでも言い寄ってくる女性はいたし、父親も女好きだから離婚は自然の流れだったのだろう。しかし俺の中学1年時の担任がアプローチしていたのには若干引いたが。

「男は顔で嫉妬とかされないの?」そんな事を考えていると、彼女はやや陰りある表情で俯きながら聞いてくる。

「さぁ?俺はしたことないけど、他の人はどうなんだろう?」俺には友達と呼べる人はおらず、

周囲の話題も興味がないから、実際のところ分からない。

男女問わず他人の顔を妬む人はいるのだろうか?

答えられず申し訳ないとは思わず、ただ分からないことをそのまま答えた。

「アンタ、絶対嫌われているよ。特に女子に」

彼女は俺を睨みつけながら忌々しく言う。

「そうか。俺は誰のことも嫌いじゃないだけに残念だ」そう言った瞬間、

いきなりティッシュ箱を投げつけられて顔に当たる。

「痛っ、何だよいきなり」

「死ね!」彼女はいきなり立ち上がり、そのまま階段を上り2階へ行ってしまった。

老女が香ばしい唐揚げと、器に彩を添えた素麺を持ってきて、

「あれ?和葉は?」と聞いてきた。

そうかあの子は和葉というのか。

「何か怒って2階に行ったみたい」

俺は淡々と答え、頂きますと言い唐揚げを食べる。



「今晩、民家の一室から県内の高校に通う橘香さんが遺体で発見されました。検死の結果、死因は刃物で刺された腹部からの多量の出血によるショック死です。発見者はこの家の家主で、本日深夜0時頃に帰宅したところ、異臭がしたため部屋を覗くと床に人が倒れていたとのことです。発見され部屋はこの家の18歳の長男が使っていたとのことですが、現在この長男と連絡がとれておらず、警察は何らかの事情を知っていると判断し、その行方を探しています」



「付き合ってくれないなら、楓を殺して私も死ぬ!」

何でいきなりそんな話になるんだ?何で橘の生死と俺が関係しているんだ?

出刃包丁を俺に向け、涙ながらに喚いているが近所迷惑だ。

そもそも美化委員の打ち合わせだったはずだ。

夏休みでも目的を言えば学校は使わせてくれるし、皆も集まりやすいのに橘は俺の家で打ち合わせをしたがった。連日の暑さで外出が億劫だったから別にいいかと思い了承した。

当日、橘は時間を間違えて早めに来てしまったらしい。

この暑さだし、皆がくるまで家で待たせてほしいと言うから家に上げ、ジュースを部屋に持っていくと羽織っていた半袖のチェック柄の上着を脱ぎキャミソールになっていた。

暑いのかな?エアコンは効いていると思い暑さを尋ねた。

「ううん、大丈夫。楓、優しいんだね」

橘は笑顔で答えると、ジュースには手を付けず、俺の横まで四つん這いでやって上目使いで聞いてきた。

「楓は彼女いる?」

「いや、いないよ」俺はあるがままに答える。

「どんな娘がタイプなの?私、楓のタイプの女の子になりたい」

橘は変わらず上目で俺を見ながら、胸を押し付けてきた。髪の毛からほのかな良い匂いがした。

「タイプとか特にないよ」俺はあるがままに答える。

「自分でも言うのもあれだけど、私、結構可愛いでしょ?努力したんだよ、楓に振り向いてもらいたくて。む、胸も結構あるよ、アハハハ、ゴ、ゴメン。何言ってるんだろうね。あのね、私、好きなの。楓が好きなの、だから、私と付き合ってほしいの」

橘の眼は潤んでいた。確かに可愛いし、胸もある。そして俺のことが好きらしい。

でもそれらは俺が橘と付き合う理由にならないだろう。

「ごめん、付き合えない」俺はあるがままに答える。

そして包丁を突き付けられている。

「何で何で何でよ!ずっとずっと好きだった。中学の頃からずっと。楓と一緒の高校に行きたくて、必死に勉強した。楓に振り向いてもらいたくて、努力して可愛くなったんだよ!」

そして包丁を向け慟哭しながら俺に突っ込んできて、包丁を払おうとしたら橘が転倒して横腹に包丁が刺さった。

慌ててすぐに救急車を呼ぼうとした。

慌てふためく俺を見ながら、荒れた呼吸を繰り返す橘のあの目はーーー。

お前のせいだーーー。そう語っていた。

その目を見た俺は、荒れた呼吸を繰り返す橘を横目にただ荷物をまとめ、行けるだけ行こうと準備に取り掛かった。まぁ逃げ通すことはまず無理、だから荷物は最小限だ。

小遣いは十分な程にもらっていたし、特に何も使っていないから、そこそこにはあった。

銀行で全額下ろさないとな、確か金額によっては書類手続きに時間がかかったような、美化委員には急用が出来たから中止の連絡しないと、親父は今日も女遊びで遅くなるから大丈夫---、そんなこと考えていると、橘から呼吸が聞こえくなった。


老女に昼食のお礼を述べて再び駅に向かう。

どこまで行けるのか、そもそもどこに行きたいのか、俺は何も分からない。

日本の警察は優秀だ、どこにも逃げ場はないだろう。

和葉、やっぱり人を殺してはいけないよ、人生が台無しになる。

自動販売機でペットボトルのスポーツ飲料を買い、3口ほど飲むと口が潤う。

お母さん、水滴まじりのラベルを見ながら自然とそう呟いていた。



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