命の旅
歩く
僕は歩く
ある処に行くために
僕は歩く
歩いていると、ひとりの男の子がふらつきながら歩いてきた。
男の子は両手にバケツを持っていた。
「こんにちは」
僕はあいさつした。
「こんにちは」
男の子はあいさつを返した。
「どうしてバケツを持っているんだい?」
僕は尋ねた。
「ああ、これはね」
男の子は答えた。
「家から遠く離れた井戸に水を汲みに行くところなんだ」
「それは大変だね。疲れないのかい?」
僕は尋ねた。
「もちろん疲れるよ。今も立っているだけで辛いんだ」
男の子は答えた。
「でも、家族が生きるためにはそうするしかないんだよ」
そう言うと、男の子はまた歩いていく。
それを見て、僕も歩き出す。
後ろから どしゃり と何かが崩れる音がした。
僕は歩く。
歩いていると、ひとりの青年が向こうから這ってきた。
青年には両足がなかった。
「こんにちは」
僕はあいさつした。
「こんにちは」
青年はあいさつを返した。
「どうして両足がないんだい?」
僕は尋ねた。
「ああ、これね」
青年は答えた。
「地面に埋まっている地雷を探すのが俺の仕事でね。この間、見つけた地雷がいきなり爆発してしまったのさ」
「それは大変だね。痛くないのかい?」
僕は尋ねた。
「初めは痛かったよ。でもどうしてか、だんだん痛くなくなっていくんだよ。だけど目もやられたようでね、今は君の顔もよく見えないんだ」
青年は答えた。
「困ったな。目が見えないんじゃ仕事ができないや。この仕事で家族を養っているんでね」
そう言うと、青年はまたずるずると這っていった。
それを見て、僕も歩き出す。
後ろから べちゃり と何かが崩れる音がした。
僕は歩き続ける。
歩いていると、ひとりの女の子がゆっくりと歩いてきた。
女の子は小さな袋を持っていた。
「こんにちは」
ぼくはあいさつした。
「こんにちは」
女の子はあいさつを返した。
「その袋には何が入っているんだい?」
僕は尋ねた。
「これはね」
女の子は答えた。
「お母さんのために買ってきたお薬なの。わたしも同じ病気だけど、お金が足りないからお母さんの分だけ買ってきたの」
「それは大変だね。君は飲まなくていいのかい?」
僕は尋ねた。
「お母さんはあなたが飲みなさいって言ってたけど、いいの」
女の子は答えた。
「だって、わたしはお母さんが元気なら、とっても幸せだもの」
そう言うと、女の子はまたゆっくりと歩き出した。
それを見て、僕も歩き出す。
後ろから どさり と何かが崩れる音がした。
僕は、振り向かずに歩き続ける。
歩いていると、目の前に大きな門が現れた。
その奥には大きな屋敷が建っていた。
屋敷の中では、たくさんの使用人たちがせわしなく働いていた。
忙しい使用人たちの間を抜け、屋敷のいちばん奥の部屋にたどり着いた。
そこにはひとりの老人がベッドで横になっていた。
老人はたくさんの機械とチューブで繋がっていた。
「こんにちは」
ぼくはあいさつした。
「こんにちは」
老人はあいさつを返した。
「どうしてあなたは、こんなにたくさんの機械に繋がっているんですか?」
ぼくは尋ねた。
「わしが生きるためじゃ」
老人は答えた。
「わしの体は、この機械どもなしではもうまともに動かないんじゃよ。だから膨大な金をかけてこいつらを動かしておる」
「それは大変ですね。でも、そこまでして生きたいんですか?」
ぼくは尋ねた。
「当たり前ではないか。人が生きたいと思って何が悪いんじゃ」
「ぼくはここに来るまでに、遠く離れた井戸に毎日水を汲みに行く少年や、地雷を探すことを仕事にして両足を失った青年や、自分も病気なのに母のために薬を買ってきた女の子に出会いました」
「それがどうしたというんじゃ。わしには関係なかろう」
「そうかもしれません。でも、あなたが持っているお金で、井戸を作ったり、地雷を撤去したり、薬を配ったりもできるはずです。なぜしないのですか? こんなにもお金があるのに」
「ふん」
老人はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「わしが持っている金は、わしのために使うものじゃ。他の者にくれてやるわけなかろう」
「先日、あなたのお孫さんが死にました」
老人は目を大きく見開いた。
ぼくは言った。
「強盗に襲われました。その強盗はお孫さんと同じくらいの歳の子で、その日の食事すらままならない生活をしていたそうです」
老人の顔は真っ青になっていた。
ぼくは言った。
「お孫さんはその子に殺されました。でも、あなたがその子のような子供に、家族に、お金や食べ物をあげていたなら、お孫さんが殺されることはなかったかもしれません」
老人は低く唸った。
ぼくは言った。
「お孫さんは、最期にこう言っていました。『僕のお爺ちゃんはとってもお金持ちなんだ。僕を襲った子みたいな人たちを助けてくれるように、僕の代わりに頼んでくれないか』と」
老人はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと話し始めた。
「あの子は、とても優しい子じゃった。醜く生きるわしに、心の底から優しく接してくれた。誰に対しても分け隔てなく優しくできる、そんな子じゃった」
ぼくは黙って聞いていた。
老人は言った。
「そんな、そんな良い子を、わしのせいで死なせてしまった。わしのせいで……」
ぼくは、老人に近づいてそっと言った。
「あなたの残りの命とお金の使い方はあなた自身に任せます。ただ、忘れないでください。小さな命を生かすのもころすのも、あなただということを。どうか忘れないでください」
ぼくは後ろを向いた。
もうここにいる意味はない。
歩き出そうとすると、後ろから老人が尋ねてきた。
「最後に教えてくれないか。お前は途中で出会った子らを助けたのか?」
「いいえ」
「なぜ助けなかったのじゃ? そういう者を助けるのが目的だったではないか」
ぼくは振り向かずに答える。
「命のためです」
ぼくは言った。
「もしぼくがその場で3人を助けようとしても、きっと何もできなかったでしょう。そして、その間に他の百の命が消えていたかもしれません」
「ではお前は、100の命を救うために3の命を見殺しにしたのか」
老人は尋ねた。
「いいえ、違います」
ぼくは答えた。
「あなたに会えたなら、話を分かってもらえたなら、103の命を救えると思ったからです」
「……そうか」
老人は言った。
「わしが持っている金の使い方を今決めた。お前の言う103の命を救うとしよう」
しかし、と老人は続けた。
「わしはすぐには死ぬつもりはないぞ。生きて子供たちを救ってやらなきゃいかん。すまんな」
「さっき言ったでしょう? あなたの命の使い方も任せる、と。あなたがそれでいいと思うのなら生き続けてください」
ぼくがそう言うと、老人は苦笑した。
「ああ、そうさせてもらうよ」
老人はそう言うと、枕元にある電話を取った。
その様子を見ることなく、ぼくは歩き出した。
どこからか、笑い声が聞こえた気がした。
歩いていると、お墓をひとつ見つけた。
その周りには、たくさんの花が咲いていた。
お墓には、ぼくの名前が書いてある。
ようやく安心して眠れるようだ。
どうか、この世の不幸がひとつでも消えますように。
どうか、この世の幸せがひとつでも在りますように。
みんなが夢を見る間に
どうか、優しい世界になりますように。
どうもありがとうございました。