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双望の継承者 〔 ゼンの冒険 第一部 〕  作者: 三叉霧流
第四章 王都までの道のり
99/218

幕間 獅子王と砂漠の王者の問答

悠久無形の砂漠。

空には雲を打ち払い煌めく満点の星空を従わせるように美しい三日月が白銀のごとく輝き、その光は大小様々な砂丘を照らし闇よりも濃い影を無数に揺らめかせる。その闇の中で蠢く魔物達は時折遠吠えのような物悲しい声をならして、沈黙した砂漠の山々に木霊する。初夏といえども昼夜の寒暖差は50度にもなり夜は零度近くまで冷え込む。砂漠における月の輝きは冴え渡る白銀であった。

その砂漠の一角にかがり火を焚き、多くの幕舎の布地を緩い風に靡かせる場所がある。


砂漠へ注意を向ける者、時たま地面に耳を当てて音を聞く者、テントの合間を哨戒する者、馬の世話と番をする者。生来の役割とでも言うように無駄のない動きでかがり火を持ち、夜だというのに眠気も感じない眼は鋭く監視の目を各方面に向ける。その者達には女性や子供、老人といった概念はない。この場にいるもの全てが戦士であり、家族を守る血の結束をした戦闘集団であった。


一際大きな、煌めく金と赤の布地が贅沢に使われた王の幕舎に一人の少女が少し慌てた様子で入った。

その少女の名はラクサ・ラーン。漆のごとく艶やかに光る豊かな黒髪を背中に垂らし、日に焼けた浅黒い肌が寒さで赤みを帯びている。目は大きく少しつり上がり高貴な猫の印象を受ける。赤い毛糸のケープと分厚くて固いシャツに赤いズボン。首にはストールのような物が巻かれている幕舎の中で着る服。だが、そのシャツの下には薄い革の鎧を着込み、腰には幅広の反り返った剣を佩刀している。

すらりと背筋を伸ばし、少し緊張した面持ちで足を俊敏に規則正しく動かすが、周囲に急いでいることがバレないように早足で歩いている。


『どうした、ラクサ。慌てて』

彼女が王の幕舎の垂れ幕をくぐり抜けて中に入ると、その先に鎮座していたムタイルがラクサの方を見て少し眉を上げてムシャルク語で聞いた。


ムタイルは革の紐結ぶ前開きになっ襟のないた毛糸のシャツをぴったりと閉じて黒い魔物の毛皮をマントのようにした服を着ている。その服全てに金の刺繍が贅沢に施されて、揺らめく火に煌めいていた。ラクサと同じ黒い髪を狼のように逆立て、浅黒い精悍な顔には一筋の傷跡が残っている。切れ長の目に理知で孤高の王の威厳を閉じ込め、誰もを圧倒させる戦士の威厳に満ちていた。膝を立って座ってはいるが、今この場に暗殺者が飛び込んでこようとも返り討ちにできるだけの雰囲気がある。


ラクサはその揺るぎない王の雰囲気を漂わせるムタイルを見ながら自分が慌てたことを指摘されて、自分の技術の拙さを悔しく思った。

歩法と呼吸法、それは人体の最も基本的な動きであり戦闘における鍛錬が最も難しい。それは生活で染みついているからだ。無意識下で行われる行動を制御するのは並の兵では到底不可能。ラクサはその最も難しいことをムタイルから幼少の頃より教え込まれている。ムタイルは砂漠の上でもほとんど足音を出さない。それに激しい戦闘でも平時と変わらぬ呼吸をして気配を極限まで削ることが出来る。


ラクサは幕舎までの道で自分がその歩法と呼吸が乱れていたことを少し嘆きながらも先ほど聞いた話をムタイルに伝えるために口を開く。

『お父様、先ほど妖魔使いの者から報告を受けたのですが・・・近くに人影を見つけたらしいです』

その知らせにムタイルは意外な顔をする。

『ほう・・・。このような場所で人影か。それこそ妖魔の類いではないのか?』

『いえ、妖魔使いならば妖魔は分かると思いますが・・・』

『そうだな。彼の者が間違えるはずもないか・・・わかった見に行こう』

ムタイルは側に置いていた剣を持って立ち上がった。

その様子を見てラクサは少し目を輝かせながら尋ねる。

『私も行ってよろしいでしょうか?』

腰に剣を佩刀していたムタイルは嬉しそうな娘の顔を見て、少し顔を顰めて言う。

『・・・。夜間の行動はまだ許すことができないが・・・まあよい。私と一緒なら許す』

その言葉にラクサは顔を輝かせて嬉しそうに笑顔を向けた。

『ありがとうございます。直ぐさまお父様の馬を用意して参ります』



ムタイルとラクサは部族の兵を20人連れて駿馬に乗りその場所に向かう。駿馬は砂を巻き上げて、一陣の旋風となって駆ける。

場所は馬を走らせてそう遠くないところだった。砂丘の山を一つ越えて、その谷間のようになっている暗がりに彼らは目を向ける。


そこは血の海だった。正確には魔物の血で濡れた狩り場。巨大なミミズのような魔物が数体、男の周りで切り刻まれて倒れている。

その血の海に立つのは人の丈を優に超えそうな程の大剣を肩に担いだ男。獅子の金髪は血で染まり、鉄の鎧には酸鼻にも魔物の血や肉片、毛が飛び散っている。

男は馬の足音を聞き、砂丘の上から覗くムタイル達を眩しそうに見る。

男から見ると丁度三日月を背負ったムタイル達の影が自分を覗いている。


「そこにいるのは人か!?」

アーベルン語が無言の砂丘に響き渡る。

その声を聞きムタイル達はそれが人であることを―――まだ疑う。妖魔の類いはオウムのように人語を覚える物がいる。それを警戒して、ムタイル達は武器に手をかけたままだ。

ムタイルはそれを確認するためにアーベルン語で声を張り上げる。

「名は何と言う、流れ者よ!?」

その意味の分かる言葉に男は嬉しそうに笑って返す。

「我が名はグレイガノフ・トランザンク!!トランザニア王国の国王なり!」

大剣を肩から砂漠に突き立ててグレイガノフは大声を張り上げた。

そのトランザンクという名にムタイルの兵達は驚いて声を失う。全ての言葉は分からずとも彼らはグレイガノフ・トランザンクという隣国の王子の名を知っていた。

だがムタイルだけは涼しげにその名を聞き流した。

「何者でも問わぬ!助けを求めるか、流れ者よ!?」

「ああ、頼む!迷子になって困っておった所だ!」

その答えにムタイルは兵を引き連れて、谷間を下って男の元へと行った。



「さて、流れ者よ。このような場所に流れ着いた理由を聞こう」

グレイガノフはムタイルと共に彼らの野営地にあるムタイルの幕舎に来ていた。温かい馬乳酒を美味そうに飲んでいるグレイガノフを見ながらムタイルはそう尋ねた。その言葉にグレイガノフは魔物の骨から削り出した杯から口を離し、ムタイルを嬉しそうに見る。

「ミッドバル国の王がアーベルン語を話せるのは助かる。そうだな・・・話すと長くなる。簡単に言えば客人として我を迎え入れてもらいたい」

その単語にムタイルは目を細めて、疑うような顔でグレイガノフを見つめた。

「ほう・・・トランザニア人が我らの古い習慣を知っているとはな」

「ああ、知己から聞いたのだ。お主らの部族では砂漠で迷った者を三日間だけ客人として手厚く歓迎すると」

グレイガノフは何でもないような素振りでそう言い、また馬乳酒を一口美味そうに喉へと流す。

その仕草をムタイルは見つめながらグレイガノフの服を見た。


グレイガノフは動きやすそうな鉄の胸鎧をして、後は軽量な固い革の鎧で手足を守っている。砂漠では鉄は日に晒されて熱くなり、夜は冷え込みによって冷たくなる。全身甲冑を着込むような馬鹿ならば一日歩いただけで体力を奪われて、次の日には動くことすらままならなくなる。それを考慮しての服ならばその男がこの国のことを調べ、何かしらの目的を持ってきているのだとムタイルは見据えた。それにその鎧や服には無数の血痕、少なくとも三日間は魔物の襲撃を受けたと思わせる跡が残っていた。

この地で三日間も魔物の襲撃を跳ね返せる者はムタイルの部族でも尊敬される。

ムタイルはグレイガノフの服装を見て彼の言葉を、トランザニア王国の中で高位の人物であると少し信じる気になった。真偽はどうであれ、かの国は力を持つ者が上に上がる。この地で生き残れるほどの戦士ならば敬意を払うつもりでいた。


「ならば正統な客人として三日間我が部族が歓迎しよう。ようこそミッドバル国へ。流れ者よ」

ムタイルは膝を立てて座ったまま少し頭を下げてグレイガノフを歓迎する。

グレイガノフはそのムタイルへ同じように頭を下げて声をあげ感謝を言ったが、頭を上げたとき困ったように表情を顰める。

「だが、その流れ者というのはどうにかならんか?我が名はグレイガノフだ。そのように宜しく頼む。ムタイル殿」




ラクサは両手に干し肉の入った籠を持ち、その不思議な男を見つめていた。

あれからグレイガノフという異邦人を客人として招き入れたムタイルの部族は俄に活気に溢れていた。その異邦人の周りには何故か不思議と人が集まる。最初は奇異の目から疑わしげに見て、慣習によって異邦人の世話をしていた部族の者達は、その世話をした者から順に男とよく喋るようになった。言葉も満足に言えない異邦人は身振りや手振り、大きな声で自然と彼らを笑顔にして彼に話しかける。

ラクサはその光景に少し腹が立っていた。彼女にとってムハ・シャルクは高貴な戦闘民族。その鋭利な武器のように冷静な彼らが嬉しそうに話しかけるのは彼女にとって納得できないものだった。あんな風に朗らかに笑い、陽気に喋る部族の民を一種の裏切りにも感じる。彼女が理想とするのは何者にも媚びしない、孤高で気高い戦士の集団。それが風紀を乱すような男の周りに集まるのは生理的に受け付けない。


ラクサはその男の後ろを歩くような部族の男をなんて媚びた獣のような汚らわしさだろうと、ふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らして荷物を再び運び始めた。



「やはりこのような少女がこのような過酷な地で生活するのは不思議なものだ」

ラクサは声をかけられ驚き振り返りその大きな男の顔を見た。太陽が男の背にあって、その顔がどのような表情をしているかは見えない。

彼女は油断したと心中で愚痴り、食事が終わった後で少しウトウトしていたことを後悔した。昨晩は、早く一人前になりたいからと言って夜警を手伝っていたために睡眠時間が少なかった。午前中の移動の間は結構な速度を出す馬に揺られていることと魔物の襲撃を警戒していて眠気がなかったが、食事を取るために休憩している間に急激な睡魔が襲ってきて、少し目を閉じていた。

彼女はグレイガノフから声をかけられるのを嫌い、彼の近くに行かないように立ち回っていた。グレイガノフを目の端に入れながら不審な動きをしたら自分こそが捕らえると心に決め警戒していた。それにあの媚びた獣のような集団には絶対に入らないと誓って、彼が近付く度に移動して距離を取っていたのだ。

ラクサはその自分の失敗を呪い、そのイライラを瞳に滲ませてグライガノフを睨む。

「ふむ。嫌われたものだな。まあよい。ムタイル殿の娘と聞いている。我が名はグレイガノフだ。宜しく頼む」

そう言いながらグレイガノフは笑顔を向けて、ラクサの頭をその大きな手でガシガシと撫でた。

『触るな、下郎が!』

ラクサはそれを侮辱と感じ、頭に血が上ったラクサは即座に剣を抜き、旋回しながら立ち上がりその刀身を返して峰でグレイガノフの胸に斬りつける。子供とは思えない剣速で閃き、ヒュウという風を斬る音共に走った。

突然斬りつけられたのにもかかわらずグレイガノフは僅かに身を逸らすだけでそれを鮮やかに交わして歯を見せて笑う。

「よい剣筋だ。うむ、我が稽古をつけてやろう」

『馬鹿にするな!私は気高きムハ・シャルクの戦士!その口黙らせてやる!』

激情をたたきつけるかのようにラクサは吠えると獣のごとき素早さでその剣を、その身を旋回させて舞のように刃をグレイガノフに繰り出した。

グレイガノフは腰にあった長い短剣を抜いて楽しそうにその猛攻を軽々と受ける。

剣戟が響き渡り、部族の者達が目を見開いてその様子を見た。

『『古の神々、砂漠の神々に我が舞を奉納し奉る。風の精霊達よ我が剣戟の調べを聞け!神々への舞を共に献上し奉れ!』』

ラクサが祝詞を口にするとその周囲にざわりと気流が吹き荒れる。その剣が気流に乗って、剣速が徐々に加速していく。その光景は優雅に舞を踊る剣舞士のような美しさであった。腕の動きは、激しいが独特のリズムを取って剣戟の拍を打ち、足裁きはコマのように大地を支えにして規則だだしく踊る。

『『一重一重に剣は舞う、風と共に旋風を巻き、逆巻き踊り狂う』』

鋭く閃く銀の剣、砂漠の色をその刀身に移し込み、互いの剣が打ち合い加速していく。グレイガノフは彼女の剣舞をその場から動かずに全て受け止め、いなす。それは人外の速度。猛攻が繰り広げられている間に誰も立ち入られない。否、誰もがその雄々しく美しい光景を固唾を飲み見守っている。

高らかに祝詞を上げながらラクサはひとたりとも息を詰まらさせずに舞を踊る。

『『風の弦をたぐり寄せ、剣の弓で我が楽を高らかに。調べを神の御許へと誘い、我はここに希う』』

ラクサの加速が頂点に上り詰める。もはや豪風のような剣戟がまるでフィナーレを迎えるオーケストラのごとく激しいリズムで緊張感を加速させる。グレイガノフですら軽々と受けてはいるが、油断すると即座に大怪我をするほどの技量。グレイガノフは息を飲みその娘が叩きつける剣を感心する。


剣戟が一瞬沈黙し、距離をとった。

ラクサは気高い歌い手のように告げる。

『『我が力と成りて奇跡を!『風神(マウシス)剣の暴風(サフイ・アシューファ)』』』

その瞬間、先ほどまでラクサが築き上げた剣の軌道に豪風と激しい気流の乱れが生み出す音が纏わり付き収束する。

それは真空の刃、鎌鼬。数刃の鎌鼬がその言霊をトリガーとして、グレイガノフに打ち出された。

気流の乱れによって髪をなびかせたグレイガノフの顔には最高の笑顔と武士に対する尊敬の念に彩られる。

グレイガノフは声を張り上げて、握っていた剣を掲げる。

「見事也!!」

鎌鼬がグレイガノフを襲う一瞬前にグレイガノフはその短剣を砂の大地に突き刺した。


轟音。

大地が揺れて、大量の砂がグレイガノフの正面に柱のごとく舞い上がる。大地の揺れは水面に石を落とした波紋のように広がり、部族の者達を襲って彼らをよろめかせ馬が驚きの声を上げて嘶く。

ラクサの鎌鼬はその土砂の壁に阻まれて霧散した。その一刃もグレイガノフに届かずに。

ラクサはその光景に圧倒されて、顔を襲う砂にも気づかずに茫然と立っていた。

ラクサにとっては威力を落としたとは言え自分が持てる最高の技をただ地面に剣を叩きつけただけで阻まれるとは思っていなかった。


「おっとすまぬ。手加減を忘れた。迷惑をかけてしまったな」

その茫然とするラクサに向かって少し頭をかきながら申し訳なさそうにグレイガノフは言った。

『馬鹿な・・・ただの流れ者に私の『剣の暴風(サフイ・アシューファ)』が防がれるなんて・・・』

『我に権能を使わせたのだ。その技、見事であった娘よ』

グレイガノフがムシャルク語で自分に語りかけたのをラクサは目を見開き驚く。

『お前、ムシャルク語が使えるのか?』

『難しいな。この言葉は。会話できるまで一年はかかったわ』

そう言ってグレイガノフは屈託ない笑みを浮かべる。


『ラクサ!お前は客人に向かって剣を抜くなど何をしている!』

ラクサが弾かれるように振り向いた先には怒気を張り巡らせたムタイルが馬上よりラクサを睨み付けていた。

ムタイルは偵察に向かって休憩場所に戻る途中に先ほどの地揺れを感じて馬を全力で走らせて戻ってきたのだ。馬が激しく呼吸を乱しながらしたたり落ちる大量の汗を砂漠の熱気で湯気のように蒸発させていた。

『お父様!・・・これはその・・・』

ラクサは自分が感情のままに走って慣習を破ったことに顔を青ざめさせる。叱咤所ではない。ラクサの部族は何よりも慣習を尊ぶ。それが族長の娘が破ったとなれば父がどのような罰を与えるかわからない。顔を青ざめさせながら彼女は怖がるように一歩ムタイルから下がった。

顔を青ざめたラクサを見て、グレイガノフはムタイルに近付きながら申し訳なさそうに言う。

『ムタイル殿。ラクサは我と稽古をしていただけだ。少し強すぎて我も思わず興が乗ってしまった。我が悪いのだすまぬな』

そのグレイガノフを見下ろしながらムタイルはその真偽のほどを見極めようとするが、グレイガノフは心底申し訳ない顔で頭を下げているのを見て、自分の溜飲を飲み込んだ。

『グレイガノフ殿。それが本当ならば許そう。だが、ムシャルク語を話せたのか?』

ムタイルは馬から降りて、疑惑の目をグレイガノフに向ける。

『日常会話程度であるがな。お主達の部族を知るためにワザと話せぬ振りをした。これもお主達を見極めるためだ』

グレイガノフは責めるような目を向けたムタイルに謝りもせずに堂々とそう言う。

ムタイルは黙ってその言葉を聞いていたが、無関心を装いながら彼に返す。

『客人は何やら隠し事があるようだ。だが、客人は客人。何も問わぬ』

『そうしてくれるとありがたい』


それからグレイガノフは戦士として部族の皆に尊敬の念を持って迎えられて、更にその周りには人だかりができるようになった。

ラクサも彼の力を認めるが、部族以外の者に負けたのがよほど悔しかったのだろうか、ことあるごとにグレイガノフに挑みかかり返り討ちにされる。グレイガノフはそのラクサに喜んで子供のようにはしゃぎ稽古の相手を務めた。

三日はあっという間に過ぎてゆく。


『ムタイル殿、世話になった。礼を言う』

赤い民族衣装を着た部族達が馬に乗って、一人砂漠に立ちそう言ったグレイガノフを見つめていた。

部族の者達は皆その別れに寂しさを忍ばせるが、何も言わずにただグレイガノフを見ている。

部族を代表してムタイルがグレイガノフに言葉をかける。

『よい一時を過ごせた。こちらこそ感謝を、客人よ』

『楽しい時間であったな』

グレイガノフはムタイルの言葉を満面の笑みで答える。

ムタイルはじっと彼の瞳を見つめながら言う。

『迎えは・・・来ているのだろう?』

『ああ。丁度今我が兵達が着いた』

ムタイルから身体を翻して広大な砂漠にグレイガノフは目を向ける。


その言葉と共に広大な砂漠の山々に小さい黒い人影が上る。それは騎乗した兵士達。隊伍を組み、積まれていく黒いレンガのように層を重ねて次第に厚みを増し、騎兵の城壁のような巨大な円がムタイル達を囲んだ。

その数、実に10万以上。

その数にムタイル以外の者達が目を見開いて声を上げて驚く。


グレイガノフと同じように鉄の胸当てをした兵士達は燦然と輝く砂漠の太陽を反射して、黒人影の城壁が煌々と白いかがり火を焚く。騎乗から旗が突き上がり、そのトランザニア王国の国旗が堂々とした勇壮さを誇り、風に靡いた。


その光景を誇るように見ていたグレイガノフはムタイルに振り返って大音声を上げる。

獅子のような黄金のたて髪、鋭く野心に満ちた野卑なる顔。だがその猛々しい顔つきは万の軍勢を率いる覇者の風格に充ち満ちている。

「我はトランザニア国王、グレイガノフ・トランザンク!その名で我はミッドバル総族長ムタイル・ラーンに問う!」

その言葉は遙かなる砂漠を駆けて、トランザニア軍、ムタイルの部族、無数の兵達に等しく轟く。その声を聞き、熱狂したトランザニアの兵達は旗を掲げ、軍太鼓を叩き、槍を砂漠の大地に突き刺し、音場を打ち鳴らす。

その10万を超える騒然とした音場の中で、その音を圧倒してグレイガノフは更に続ける。

「ムタイル・ラーンよ!我と共に世界を駆けようぞ!我と共に何処までも、永久に轟くその名を知らしめようぞ!」

「「「「応!応!応!」」」」

トランザニア軍の兵達が無数の声を張り上げる熱狂と猛々しい野心がムタイルの部族を強かに打つ。部族の者達はその音と迫力に忘念としながらも心の内に燃え上がる熱い魂を感じた。その熱狂が猛毒のように人の心を震わせて、涙が出るほどの心酔を呼び覚ます。

まさにムタイル達はその目の前にいる男が偉大なる王としての力を感じる。誰もを付き従わせて、等しき王の夢を夢想させる偉大なる王として。

「さあ答えよ!ムタイル・ラーン!砂漠の王者よ!偉大なるラーンの申し子よ!」

その暴風のように激しく巻き上がる見えない感情がムタイルを襲う。

だが、彼もまた王である。その荒れ行く熱狂の渦の中、ただ一人その目の前の男を見据えて、身じろぎもせずにその嵐を受け流す。

『我は偉大なるラーン砂漠の王、ムタイル・ラーン!返して答える!我ら一族の生きる場所はこのラーンである!偉大なるラーンにその命を捧げ、死した後はラーンの一部となり、我らは長久なる命を育む!その魂は例え無名であろうとも偉大なる戦士としての誇りがある!我らは行かぬ!この砂漠こそが我らの生きる場所だ!』

美丈夫が馬上より大音声を上げ、グレイガノフが巻き起こす熱狂の嵐を切り裂き、砂漠全てが轟いた。

「それもまた王としての意志!我は何よりも尊重し、敬意を払う、砂漠の王よ!ならばもう一度問う!この砂漠の民の中で我と共に行きたいと願う者はどうする!?」

グレイガノフは真剣な顔で問うた。

ムタイルはそれに迷いもせずに答える。

『それは砂漠を捨てた者!我らの民ではない!偉大なるラーンに生きる者のみが我らの一族!好きにするが良い!』

ムタイルの答えに満足したのかグレイガノフは満面の笑みと大音声で声を上げる。

「ならばそれを聞いて安心した!我らは剣を交えずとも良いとな!」

その言葉と共にトランザニア軍の人壁が一部崩れて、騎兵の集団が地響きを奏でムタイルの元に走った。

その数およそ1500の騎兵。


騎兵の一団から数騎の者達がムタイルの元に到着して、頭を下げ言う。

『総族長。我ら、アフマル族、サイフ族、ラエド族はこれよりグレイガノフ殿と共に大地を駆けます』

それはムハシャルク遊牧民族の三氏族の長であった。誰もがトランザニア軍と同じ輝くような鉄の胸当てを誇らしく赤い民族衣装に装着していた。

ムタイルはその者達を見て嘆きの声を上げる。

『砂漠の三大氏族がこのラーンを捨てるというのか。あの時のように』

『我らの心はラーンと共にあります。そのラーンをこの大陸全土に広げるため。我らの子孫のため。我らはグレイガノフ殿の友として、兵士として共に駆けようと思います』

『そうか・・・それもまたお主達の砂漠。ならば私はお主達のラーン砂漠が消えぬよう。ここを守ろう。だが努々忘れるな!我らはラーンと共に生きていることを!我らの魂を汚してはならぬ!我らの先祖の輝きと砂漠を汚すようなことがあれば私が許さぬぞ!!』

抑えきれぬ激情をもってムタイルは声を張り上げる。その声を重く受け止めて深く族長達は頭を下げて言う。

『はっ!総族長のお言葉、決して忘れは致しません。我らラーンと共に!』

『疾く行け。私が追いかけぬうちに。たやすく死ぬでないぞ』

ムタイルは怒気を滲ませているがその言葉の最後には部族の者達を心配するかのように悲しみを交えてそう言った。


族長達が連れてきていた馬に騎乗したグレイガノフは真剣な顔をしてムタイルに声を投げかける。それは今までの問答とは違って真剣ではあるが、決心をして故郷を離れる前、その故郷に残る友に語りかけるような優しさがあった。

「この者達はもはや我が友である。易々と死なせはせん」

グレイガノフの言葉にムタイルは族長達に向けていた視線を彼に向ける。

「砂漠を捨ててた者であろうとも我らの一族にかわりはない。それは王ではなくムタイルとしての言葉だ。この者達を頼むぞ。グレイガノフ」

「ああ、お主達の平穏を別った責任は果たそう、ムタイルよ。楽しかったぞ。お主達の一族として生まれるのも良いとさえ思うほどに」

「お前のような者はいらぬ。せいぜいのたれ死なぬよう用心せよ」

「ハハハハ!それもそうだな。ではさらばだ!」

グレイガノフはムタイルの言葉に嬉しそうに笑って、馬の手綱の握り彼らの元から、グレイガノフの兵達の元へと帰る。

その光景をムタイル達は砂漠の山々から騎兵達が消えゆくのをいつまでも見送った。


アースクラウン暦10027年、収穫期、使徒エヴォルの月、初夏の青い大空から砂塵を巻き上げる風が穏やかに騎兵達の影を追いかけた。


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