血の稽古
「今何と申した?」
ヴァルゲンさんが怖い顔つきでこちらを鋭く見ながら低く声を出した。
「ヴァルゲンさんの権能が見たいんです。祝福を使ってくださいと言いました」
俺はその武士の鋭い顔に対峙して、もう一度先ほどの言葉を告げる。
今は朝、日が昇り東の太陽が鋭く斜めから日を刺して、屋敷の周りを囲む木々が斜に影を落とす時間。生き物が動き始めた朝に俺は稽古をしていた。
チェニックにズボンといういつか見たときと同じ格好で俺たちは対峙している。その手には互いに木剣を握りしめて、大地を踏む。
「・・・本来なら見世物ではないと一蹴するところだ。だが、お主はワシに秘密を打ち明けた。ならばワシも見せよう。我が力の一端を。しかし心せよ。祝福を使えない者が祝福を使える者と同格という思い違いを今知らしめる。覚悟して構えよ」
厳しい言葉がヴァルゲンさんの威圧とともにこちらの肌をビリビリと震わせる。
ジャン中隊長との稽古で俺は知りたいと思った。
ヴァルゲンさんや父上のようなこの大陸でトップクラスの祝福持ちの戦い方を。俺が立ち向かうかも知れない敵の強さを知るために。
ヴァルゲンさんは俺が構えるまでは構えないと言った顔をしている。
俺はそれを見て、剣を正眼に構える。相手の動きを寸分も見逃さないと身体に誓い、その姿を眼に捕らえた。
ヴァルゲンさんは木剣を捨てて、拳を構える。
巨大な熊のような巨体の肩を上げて脇を締め左右の拳を顔の位置に上げる。
その瞬間にあらゆる音が消える。空気が凍り付いて割れる感覚に俺はたじろいだ。
ただ構えを見ただけで分かる。
これは決して敵対してはいけない。それは死を意味する。絶対的な恐怖という死がヴァルゲンさんの身体を更に大きく見せて、その背後から氷のような闘気が死神を連想させる。
俺は唾を飲み込み、その恐怖に打ち勝つために足に力を入れる。
俺はワザを見たい。その力を見極めたい。
全神経を研ぎ澄ませて、その技を見るため俺は攻撃に行動を移すことはできない。そうすれば余計なことを考えてしまう。その技をちゃんと見ることが出来なくなってしまう。
「来ぬか。ならばワシが行こう。血闘術―――」
空気に濃密な死が充満し、あらゆるものを霞ませる。俺の血液が恐怖で沸騰して、本能が悲鳴を上げ脳髄に警鐘が響く。震えが襲い目眩にも似た感覚が俺の動きを縛り付けた。
それは異様な光景だった。言葉を告げた瞬間にヴァルゲンさんの服から覗く身体に緋色の線が毒々しく幾何学模様に走り、その肌を浅黒く変色させる。緋色の入れ墨のような模様が拳を覆い尽くして、彼は続きを宣言する。
「『第一豪脚速歩』」
彼の足下が爆発し、土石を巻き上げて身体が消える――いや、違う。速すぎて駒落ちのようになったのだ。
俺の脳があまりの速度に処理しきれない。その動きについて行くためにはこちらもその速度を考慮して動かなければならない。
俺は駒落ちのようになった彼がボクシングのような体勢で猛進する中で、その腕の動きをなんとかとらえて木剣で鳩尾を守る。
それ以外の対処が出来ないうちに彼が俺の一歩半先にまで来ると旋風を巻き起こして右フックの拳を俺の鳩尾に抉り込んだ。
身体が反射して、後ろ足が下がってしまう。
「『血牙連衝』」
鳩尾への拳を寸止めして、彼はそう呟く。その呟きに今度はこめかみがゾわっと泡立ち、鳥肌が立った。
そう思った瞬間には既に豪風が耳を通り過ぎていた。シュと鋭い痛みがこめかみを襲い、浅く切れたこめかみから俺の血がはじけ飛ぶ。
動けない。動いたら確実に死ぬ。
ヴァルゲンさんは俺を殺さぬように寸止めをしている。だが、その緋色の拳は左右を使い致死の威力を込めて俺のこめかみ、心臓、肝臓、股間を縦横無尽に穿つ軌道を走らせる。もし一歩でも動けば寸止めでは済まない。僅かでも擦れるとこめかみが切れたように、引き裂かれるのだ。
拳の風圧だけで俺の小さい身体が揺れそうになる。それを必死で抑えながら俺は瞬きもせずにその軌道と彼の動きを見つめ続ける。
動きは人体の関節の可動範囲に限定、 筋肉は人体と同じように伸縮してい拳を突き出す、眼球の動きは行動地点を追跡、その体術は人の動きによって繰り出されている。
だが異様なのはその速度と拳の風圧だけで皮膚を切り裂きくこと、そして拳の軌道が緋の線で描かれていることだ。
まるで血煙が拳の先から出ているような・・・。
まさか・・・。
あり得ない。体外に血を発散して攻撃に使うなど人の技ではない。ただその血を微少なウォーターカッターように圧力をかければ・・・。あるいは血を凝固させて粒子として速度をつけて攻撃に使えば皮膚を切り裂くことができるのか?鏢を使うジャン中隊長のように血を操作して攻撃に使うとでもいうのか?
十数の軌道を描き、俺の急所を確実に寸止めしたヴァルゲンさんは動きを止めた。
黙って俺から距離を取り、彼は真剣な顔で口を開く。
「わかったか?これが祝福された者の力だ。力が目覚めぬ内は決して戦おうとするな、ゼン」
「・・・貴方は血の煙を使うのですか?」
俺は茫然と彼に向かってそう言っていた。このあり得ない妄想を否定してもらいたくてそう聞く。
ヴァルゲンさんは顔を驚愕に染める。体中の浅黒さと血の色した模様をジワジワと戻しながら。
「なんと言うことだ・・・先ほどの技を見ただけでワシの力を知ったと?あり得ぬ・・・」
「では・・・血を?」
「ああ・・・ワシの権能は血を使う。血を操作し攻撃と成す神の力だが・・・よもやただ一目で看破されるとは思ってはいなかった。それはまるで剣候の権能ではないか・・・」
ヴァルゲンさんも茫然として信じられない者を見たという表情をする。
「・・・血を操る神様なんて知りません・・・。真名はやっぱり?」
「ああ、教えられぬ。すまんな」
「いえ、無理にとはいいません。そのときが来たら教えてください」
「うむ。しかし、ワシはお主の評価をまた改めなければならぬ。お主はワシの予想をたやすく超える。何故だ?このような平穏な地にいて何故それほどの武術の才覚が育つ?」
「・・・それは俺もお伝えすることができません。そのときが来れば必ずお伝えします」
俺は自分の秘密を打ち明けきれない無力感に苛まれながらもそう言った。
ヴァルゲンさんは俺の言葉に頷く。
「それがよかろう。我らは友だ。だがそれ故に隠し事もある。それも友として大事にしよう。さあ、怪我を治すぞ。かなりの血が出ておるな。痛まぬか?」
ヴァルゲンさんは気遣わしげに俺の顔を見て、優しくそう言った。
俺はそんなヴァルゲンさんの優しい言葉に感謝する。怪我があったことは忘れていた。こめかみなのでダラダラと血が流れて服を濡らしている。目尻にも染みて確かに痛かったことを思い出す。
「忘れていました。戻りましょう。エンリエッタが薬と朝食を用意してくれています」
「本当に変わった奴だ。うむ。朝食を取ろう。ワシもそろそろ準備をしなければな」
俺たちは稽古を終えて、屋敷の方へ戻る。
それからヴァルゲンさんは何時ものような楽しそうな顔をして、俺たちの屋敷からオークザラムに戻っていった。
今度はこちらが驚かせる番ですからね、お伺いしますよ、なんて軽口を言い合ってヴァルゲンさん達が見えなくなるまで手を振って見送った。
少し寂しい気もするが、また会えるので良しとする。
さて、今日も領地のためにお仕事しますか。
俺は六月の陽気な空へそんな風に思って、ブーケファロスを走らせた。




