見学会とこそこそ話
俺達は馬でトックハイ村に行った。
俺の愛馬ブーケファロスはエンリエッタが乗って行ったので、俺はヴァルゲンさんの馬に乗せてもらう。ヴァルゲンさんと馬に乗って走り出すと騎士達がその後を追いかける。ヘルムート卿の近衛騎士達は誰も精悍な顔つきであまり喋らない。主が俺の屋敷にいた間は周囲の偵察と屋敷の前で門番をしていた。実直さと行動の速さは軍人として完璧だった。
ここまで訓練が染みこんだ兵士を育てるのにどれほどの時間と技術がいるかはよく分かる。
人は自分の意志がある。だが、軍人というのはその意志を曲げて、命令に忠実でなければならない。その忠実さは意識してではなく、無意識になるほど。それが秩序ある軍隊の最も重要なことだ。
命令と規範。
それを馴染ませる。上の者の忠実な手足であれ。
人権侵害も甚だしいが、そうでなければ戦時下の危機的状況で動けない。
それが出来るようになって、やっと第一段階。それから様々な事を学び、第二段階は統率。今度はその命令と規範を支配し、兵士達をまとめる。まとめるのにも才能が必要だ。人をまとめることが最も難しい。
その才覚はそれぞれ違う。ジャン中隊長のような過去の傷、ヴァルゲンさんのような冷静な判断と情、ゼルのような忠義の気高さ、父上のような無鉄砲だが輝くような可能性、人に夢を与える壮大な野心、人の欲望を刺激する快楽、人が理想とする高貴さ、圧倒的な力の絶対性、人の生活を豊かにする政治力と実績、人が熱狂する信仰、他の様々な才覚。それらが人を心酔させて付き従わせるカリスマ。
俺のように領主という立場を利用した統率なんて紙くずのようなものだ。人を誘導するための心理学と交渉術、それらは知識で学び手に入れた見かけのカリスマ。本物の輝きの前ではなんて無様なんだろう。
俺はヴァルゲン・ヘルムーという人物の大きさに憧れと少しの悲しさを心に秘めながら走る馬の力強さを感じた。
ヴァルゲンさんは我慢できないのか、馬をかなりの速度で走らせたので瞬く間に村に着いた。騎士達はヴァルゲンさんの後ろにぴったりと一定の距離をとる素晴らしい馬術を見せたが、遅れて馬の上でへばり込んだリザルールさんはどうやらあまり乗り慣れていないらしい。彼にとってここまでの道のりは相当厳しかったに違いない。だって手紙は11日前に出した。ヴァルゲンさんの元まで届くのにおよそ一週間、それから四日で来たと言うことはだいたい一日80キロ以上走ったということになる。一日80キロは俺でもキツい。乗り慣れていなかったら全身の筋肉痛と疲労感でヘトヘトになっているはずだ。今日はゆっくりと休んでもらわないと。
トックハイ村に着いたらまず初めに行くところは決まっている。
そう、トルエスさんの屋敷。
ヴァルゲンさん達を後ろにした俺はトルエスさんの屋敷の前にいくとその扉をノックする。
何度もノックしているとガチャリと扉が開きトルエスさんが出てきた。
ちょっと皺の目立つ代官服をだらしなく着崩して眠たそうな顔が俺の頭上を越えてその先にいる人物をとらえる。
「トルエス!なんだそのだらしない服装は!?総員身支度10秒!」
ヴァルゲンさんがトルエスさんに怒号のような声を響き渡らせて、注意をする。
バタン。
その声が終わらないうちに扉が勢いよく閉じられた。
俺はヴァルゲンさんの言葉通りに10秒間その扉を見つめた。
・・・30秒たっても出てこない。
俺はもう一度ノックする。
「トルエスさん!準備できましたか!?ヴァルゲンさんが来てくれてますよっ!」
「トルエス様はいらっしゃいませんわ」
中から裏声のような高い声でそうトルエスさんが言った。
「いやいや。ラミグラスさんのような口調はいいですから。早く出てきてください」
「・・・トルエス様は不在ですわ」
「だからもう観念して出てきてください!怒られますよ!」
そう言ったら着崩した服をなんとか整えたトルエスさんが出てきた。
「なんでいらっしゃるんですか?」
トルエスさんは俺ではなくヴァルゲンさんに向かってそう言った。その顔は凄く嫌そうな顔だ。
「うむ。ゼンが作った機械を見に来たのだ。隣の領地でこのような発明が行われたのだからな。仕事を全て残して来たわ!グハハハハ」
「司令官でしょう?ちゃんと仕事しててくださいよ。俺の平穏が・・・」
と、トルエスさんはため息をはき出しながら残念そうに言う。
俺はそのトルエスさんに笑う。俺もヴァルゲンさんが屋敷を訪ねたときに同じような事を思ったもんだ。
俺は笑いながらトルエスさんに肩をすくめながら
「トルエスさん、諦めてください。俺も諦めましたから。さっ、見学の案内をしましょう。俺たち二人でね」
その言葉でトルエスさんはじっと恨みがましく俺を見つめる。
「ゼン・・・。お前に全部任せるよ」
「ダメです。これは領地上げて歓迎しないと。我が領地の体面の問題です。代官殿」
俺はエンリエッタに言われたことをそのままトルエスさんに言った。
「ぐっ・・・わかったよ。ヘルムート卿の馬は私の厩舎を使ってください。全員分はないので他の人はエールハウス横の厩舎で。案内します」
トルエスさんはうめくように俺へ承諾すると、ヴァルゲンさん達に厩舎の方向を手で案内する。
楽し楽しい投資家様との見学会の始まりだ。
トルエスさんを迎えて、俺たちはまずラミグラスさんの工房とトスカ村の人達が作業している広場に向かった。
その広場に行く途中に俺達を見つけた村の人達が恐縮した様子で何時もよりも真面目に頭を下げて挨拶をする。どうやらエンリエッタがヴァルゲンさんのことを伝えていたみたいで人がたくさん集まってきて、ヴァルゲンさんに挨拶をした。その向こうからエンリエッタがアンとバーバルさん、女性の村人達を伴いながらこちらにやってくる。
「ヘルムート卿。トックハイ村にようこそおいでくださいました。申し訳ありません。こちらも準備が整っておりませんので歓迎の宴は遅くなりそうでございます。それまでの間、ご所望のことがございましたら村の者達に何なりとお申し付けくださいませ」
丁寧にお辞儀をしながらエンリエッタは畏まってそう言った。村の人達もそれに合わせて迷いつつもお辞儀をする。
それを見たヴァルゲンさんは頭をかきながら困った表情をする。
「うむ。申し出感謝する。だが、ワシも急に来たものでな。ワシには宴はいらぬ。その代わり、騎士達を労ってもらいたい」
頭を下げて聞いていたエンリエッタはちょっと戸惑いつつも答える。
「左様でございますか・・・ただ畏れながらヘルムート卿のご来訪は我が領地の喜び。出来れば領民達の喜びを示したいと存じます」
「うーむ。エンリエッタ女史。申し出はありがたいのだが、それはワシにとって窮屈でな。折角この小さき友ゼンの屋敷に来たのだ。友がどのように過ごしているか共に感じたい。できればゼンとトルイの屋敷で二人がくつろいでいるのと同じようにワシもくつろぎたいのだ。彼らの友としてワシをお邪魔させて貰えないだろうか?」
そう言いつつヴァルゲンさんは俺の頭をガシガシと撫でる。力が強いのでそれだけで身体が吹き飛んでしまいそうだ。
「旦那様とゼン様をそのように思っていただけているのはこれほど名誉なことはございません。閣下の御愛情に感謝と主の加護を。畏まりました。それでは屋敷にて歓迎させていただきます」
「うむ、宜しく頼む。酒は一樽ほど用意してくれれば、料理はそこまで手間をかけずともよいからな。皆のものもワシらに構わず仕事を続けてくれ!」
「仰せの通りに」
また深く頭を下げて、エンリエッタ達は辞退の言葉を告げるとその場から離れていく。周囲を囲んでいた村人達は互いに耳打ちをしてその場から離れていく。
「流石、辺境伯ですね」
俺は人がいなくなった後でそう軽口をヴァルゲンさんにする。その言葉にヴァルゲンさんはあまり嬉しくなさそうな顔をして言う。
「このような立場だからな。いいことばかりではないぞ?色々と頭を抱える問題がある。ワシはあまり好いてはおらん」
なんとなくリザベラ夫人やユルゲン卿の事を思い出して、俺は顔を顰めてしまった。
その暗い俺の雰囲気を取り払うようにヴァルゲンさんは少し明るい顔をして
「そうだな。だが、お主と出会えた。そしてこのような面白そうなことが見れる。それは楽しいことだ」
「なら、一生懸命接待しないといけないですね」
「ああ、頼むぞ。愉快にさせてくれ」
ヴァルゲンさんは笑いながらそう言った。
俺たちは広場に着く。それまでに村人に伝言を伝えたので広場では作業の手を止めたトスカ村の人達が一斉に頭を下げてヴァルゲンさんを歓迎した。
その先頭にいたラミグラスさんがこちらを見て満面の笑みでやって来た。
「なんて荒々しい筋肉!猛る熊のような張り詰め鍛え込まれた力強さ!それに太くてがっしりとした腰!濡れるわ!」
くねくねしてウットリしたラミグラスさんは立ち止まらずそのままヴァルゲンさんの元に行ってその腕をとる。後ろの騎士達が剣に手をかける。
ヴァルゲンさんはその行動に唖然としていて彼のするがままになっていた。腕をとったラミグラスさんはその腕に頬ずりし始めた。
「あ~ん!素晴らしい!何本もの荒縄を撚ったような上腕二頭筋!実戦で鍛え込まれたのね!私の優雅な筋肉とは違った野卑な魅力よ・・・食べてもいいかしら?」
その腕の先にあるヴァルゲンさんの顔を上目遣いに流し目を送りながら吃驚するようなことを言った。それで納得したのか騎士達は凄く嫌そうな顔で剣から手を離した。
「離せ!」
慌てたヴァルゲンさんはラミグラスさんを振り払い、距離をとって俺を見る。
「ゼン・・・この者はなんだ?変態か?」
「あー。この人は我が領地の大事な織物職人ラミグラスさんです。ちょっと行動が独特ですが、慣れてください」
「もう!ゼン様。私は天使の服織り、アミステリアよ!ヘルムート卿、紹介が遅れてしまい申し訳ございませんわ。私はこの領地で織物の監督をしているアミステリア。このような素晴らしい場所を紹介していただき誠にありがとうございます」
ラミグラスさんはちょっと畏まったように頭を下げて自己紹介する。それにヴァルゲンさんは頭を捻らせる。
「ラミグラスではないのか?アルテミシア?」
「そこは考えなくても良いところですよ、ヴァルゲンさん。とりあえずここの織物の監督を任せています」
俺は混乱するヴァルゲンさんに疑問を封じ込めるように言った。
「まぁ!ゼン様。名前は重要よ!アミステリアは私の魂の名前なのだから!」
「あーじゃあ、アミステリアさんでいいです。工房を見せて貰えますか?」
ちょっと面倒くさくなって俺は投げやりに言った。
「そうよ。それでいいのよ。分かったわ。私の素晴らしい工房を案内しますわ!」
工房の中にヴァルゲンさん達を入れるとラミグラスさんの解説が始まる。騎士の方々は工房の外で門番のように立っている。
そうなると俺は手持ち無沙汰になるのでラミグラスさんとヴァルゲンさん、リザルールさんの後ろでトルエスさんと密談を始めた。
「トルエスさん、ヴァルゲンさん達に紡績機を見せました」
俺は声をかけると考える素振りをしてトルエスさんが聞いてくる。
「そうか・・・秘密は守って貰えるんだろうな?」
「宣誓はして貰えましたから大丈夫だと信じてます。それとトルエスさんにもまだ言ってなかった考えを言ったんですよ」
「おい。そういうのは相談してくれよ。俺が対応できないだろ?」
「すみません。急に来たのものですから。それに急に来て、トルエスさんと相談させない意図があるのかも・・・」
「それは考えすぎじゃないか?」
「そうですけど。そう考えていても損はないですよ。まあちゃんと俺だけの考えとしましたから安心してください」
「具体的な内容は?」
「オークザラムの毛織物職人達全てをトスカ村に移住させることです。我が領地で生産をしてオークザラムで売ったらと考えています」
「そりゃまた壮大な考えだな。向こうは納得しないだろう?考えれば、貿易という可能性が跳ね上がって、結局は得するんだなが。あれはそれほどの可能性を秘めている」
「はい。かなり前向きに検討してました」
「ほう。でもそれはその先でかなり問題を生む可能性があるぞ。まずは、相手が貿易のために無茶な生産を要求すること。オークザラムだからある程度は信用できるが、相手の規模ほうが大きい。人員の流入は相手の発言力を高めて、こっちを飲み込んじまう。一番は秘密を守りにくくなる」
「はい。その可能性は考慮しています。生産の要求はこちらに紡績機があるのである程度の拒否権を主張できます。人員の流入と秘密の漏洩はトスカ村に限定をすれば、距離があるので操作しやすい。簡単に言ってしまえばトスカ村をオークザラムと共同管理する織物工場にして、特殊性を高めれば権利の采配はしやすいかと」
「なるほどな・・・。つまりトスカ村を経済特区にするつもりか?」
「はい。重要な施設は全部トックハイ村に置いて、警備の兵士をオークザラムから借りれば秘密の漏洩の可能性は少ないと思っています。もちろん兵士の質はかなり求めますけど」
「ふむ・・・。兵士はヘルムート卿に忠実で口が堅い者だな。あとある程度リーンフェルト領への利益が守れるような人物か?」
「はい。口が堅いのが最も重要ですね。ですけどリーンフェルト領の利益まで考えるような人は・・・あっ!」
「どうした?」
「アルガスがいるじゃないですか」
「おお!忘れてた!アイツなら最も適役じゃないか!これが実現するまでにアイツも兵士としてある程度訓練は終わっているだろうしな!」
「彼に任せましょう。それなら警備兵士の中で俺たちの発言力が上がります」
「その線でいこう。経済特区についての考え方はかなり複雑でヘルムート卿と合議を重ねて決めるもんだ。基本的な規則やら利益采配を考えるのには一年ぐらいかける必要がある」
「急がば回れって奴ですか?」
「だな。その規則は利益に直結する。確実に利益を守れるように話し合わないとな。それにそこまで来たらもう成功したも同然だ」
「はい。時間は掛かりますが着実にしていきましょう。・・・でも残念なのは俺が話に加わるのは入学までですね」
「安心しろ。俺がなんとかする。お前はちゃんと勉強してこい」
「ありがとうございます。それまでの基本的な規則の案と水紡績機はなんとか作ってみます」
「・・・お前は真面目すぎんだよ。あの紡績機だけでも十分だってのに。もっと遊べ。女でも口説いてろ」
「しょうがないじゃないですか。性分なんですから。損だとは時たま思ったりしますけど」
「まっ。人それぞれか。最近お前は楽しそうだしいいんじゃないか?」
「楽しいですね。とっても」
俺はニコリとトルエスさんに笑顔を向けるとトルエスさんも笑う。
「それが一番だな」
「ゼン様~。お話は終わりましたわよ」
その俺たちのこそこそ話にラミグラスさんが終わりの声を告げてきた。
俺とトルエスさんは二人で笑いながら彼らの輪に入っていく。
いつもご愛読ありがとうございます。
活動日記を更新しました。
これまでのことが少し解説(内容は疑わしいですけど)として出ております。もしよろしければお読みいただければと思います!




