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双望の継承者 〔 ゼンの冒険 第一部 〕  作者: 三叉霧流
第四章 王都までの道のり
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糸を紡ぐ問題

色々と問題があった。

本格的に織物に着手し始めて3ヶ月。順調に進んでいたが、やはり問題が出てくる。

織物には染めの工程が入る。羊毛を紡ぎ糸にするだけでは色はくすんだ灰色であまり綺麗ではない。それを染色剤を使って染めて商品にする。

その染色剤が原因で、トックハイ村の革職人が抗議に来た。

内容は、染めの工程で川を使うことだ。染めは川を汚染するので村から外れた川で行われ、革職人との作業とぶつかってしまうのだ。染めも革職人の作業も綺麗な水を必要とする。染めを優先すれば川はその色で染まってしまう。なめしを優先すれば臭いと油で商品がダメになってしまう。

革職人はトックハイ村に昔からいた。家族をもつ彼を蔑ろにはできない。

そこで川の使用する日取りを決めて、作業の分散をさせる。ただ、織物業は領地の重要な産業になるので革職人には我慢して貰って、週のほとんどが染め物を優先させている。革職人が仕事出来ない間は、雇って染め物のリーダーを担当して貰う。染め物に関しては革職人の方が慣れているのでこれで両者ともに問題は解決して、ちょっと効率的になった。

あとは川の汚染で他領、隣はヘルムート領なのでそこの村に続くトック川を汚染してしまうのだ。まだ染め物の量が多くないので問題にはならないが、規模が大きくなったら問題になりそうだ。

いっそのこと、ヴァルゲンさんに相談を持ちかけて、下流の川の農村地帯に一部の染色を任せるのもありだと思ってしまう。染色自体は賃金が安いしね。


他にもまだある。

羊毛が足りない上に、必要な糸を確保するには紡ぎ手をたくさん雇う必要がある。

雇うと言っても働いているのはトスカ村の人達で賃金は一律、俺が指示を出したらちゃんとしてくれる。つまり、この場合は紡ぎ手に人員が割かれているということだ。


織物には『羊毛刈り取る』『羊毛の選定』『糸を紡ぐ(紡毛)』『布を織る』『色を染める』『生地をフェルト状に整える(縮絨)』『剪毛して表面を整える』の工程が必要だ。これは羊の毛が短いものが取る工程で、長い良質な羊毛だと『糸を紡ぐ』の工程が、『糸の繊維を整えて糸を作る(梳毛)』に変わる。梳毛の生地の方が毛羽が少なくて、細かく滑らかな生地になるので高級品となる。禅の世界だとメンズスーツとかに使われたりする。

リアさんや父上の服を作るためには『梳毛』の生地の方がいいアピールになるので作れるようになりたいのだが、そのためには毛の長い良質な羊の種類と技術が必要になってくる。

現状はまだ毛の長い羊が少ないので、紡毛しかほとんどしていない。


そして、一番の問題はトスカ村の人の多くが紡毛に追われて、布を織る作業が滞ってしまうことだ。


紡毛には紡ぎ車と呼ばれる簡易な機械で行われる。

小さな紡錘と人の腕ほどある大きなはずみ車を導き糸でむすんだ機械。大きなはずみ車を回転させてると、導き糸が小さな軸をもった紡錘を何度も回転させる。その回転力で繊維を糸状にして紡毛する。女性達はこの機械をトックハイ村から何台か借りてきて、カラカラと手で回しながら紡毛するが、作業が追いつかない。足りない分は手紡みや紡ぎ車で夜までかかってしているために明かりの蝋燭台も彼女達の稼ぎを圧迫する。

紡ぎ車と手紡みでは質も変わってくるので俺にはそれも不満があった。

商品の均一な品質を守ることが商売の信頼にも繋がるからだ。


「ゼン様、それはしかたないわよ。ここでしていく分ならこれが限界。もっと糸を増やすには都市で糸を買う必要があるわ」

「そうだな。羊毛に専念するか、織物に専念するかの分かれ道じゃねぇか?」

ラミグラスさんとトルエスさんは椅子に座って、テーブルを挟んで俺に向かい合いそう言った。


今はこれまでに上った問題をラミグラスさんとトルエスさんに相談するためにラミグラスさんの工房に来ている。

ラミグラスさんの工房は、広場の横の裕福な農奴の家を借り上げて急遽作った民家だ。借り上げた農奴はトスカ村のリーダーとしてトスカ村に移住して貰った。それも一悶着あり、結構な額でなんとか確保できた場所だ。

広いワンルームの民家の壁に何台もつり下げられた垂直織機が巨大なポスターのように作りかけの布をぶら下げて、部屋の片隅には二台の水平式織機がその下に折り重ねられるように布をはき出している。他にも様々な糸が何箱もの木箱に入っている。ラミグラスさんは染色剤も自分で調合するので十個ぐらいある桶には何種類もの染色剤を溶かした色のついた水が入っていた。


そんな部屋の片隅に小さなテーブルと椅子に座って俺たちは話し合っている。

「んー。俺って欲張りなんですよねぇ。できれば全部ここで出来た方が利益が上がって嬉しいんですよね」

俺が腕を組みながら、口をへの字に曲げて言った。

香木茶を飲んでいるトルエスさんもラミグラスさんも雇われだからって呑気にしている。

トルエスさんは代案とばかりに声をかけてくる。

「なら、紡ぎ車を何台か買うか。水車のように高いものじゃないしな」

俺はトルエスさんの方を見ながら納得していない顔で言う。

「いえ、それは問題の解決にはなりませんよ。紡ぎ車があれば効率化しますが、それでも人手がかかります。出来れば二十台ぐらいの紡ぎ車を一人の人間ができるような感じじゃないと」

俺の言葉にトルエスさんは呆れたように声を出す。

「そりゃ無茶だ。回す人間がいないのにどうやって回るんだよ」

そのトルエスさんの言葉にラミグラスさんは鼻で小さく笑ってトルエスさんへ話す。

「トルエス様、無茶なのは領主様も大商人も一緒ですわよ。現場が分かってないのですから」


おー、ラミグラスさん。仕事の時は皮肉がキツいな。

この人も結構苦労したんだろうな。だからこんな辺境まで自由な仕事が出来るからって来たに違いない。


俺はそのラミグラスさんの率直な物言いに少し笑いながら答える。

「無茶なことを言えないようじゃ領主失格ってことですね。ええ、認めていただいて嬉しいですよ。それにしてもラミグラスさんの紡ぎ車はおっきいですね」

俺は皮肉を皮肉で返しつつ、ラミグラスさんの工房の片隅にあった大人の腰ぐらいまである巨大な紡ぎ車を指さして聞いた。

「大きいほうが紡錘がたくさん回転して効率いいのよ」

「なるほど。人の背ぐらいあるともっといいのでは?」

「そうね。王都じゃそれぐらいの大きさの物があったわ。それでいいんじゃないの?」

ラミグラスさんは俺が指さした紡ぎ車を見ながらそう言った。それにトルエスさんが反応する。

「ラミグラス氏、それは幾らぐらいですか?」

「そうね。金貨2枚ぐらいかしら?」

ラミグラスさんの言葉でトルエスさんは難しい顔をして顔をしかめて言う。

「それは高いですね。その金額があれば普通の紡ぎ車を4台以上買えます」

「世知辛いわね」

ラミグラスさんは気のない素振りで、つまらないことのように言った。

「確かに高いですね」

俺はそう答えた。


俺は二人を置いて立ち上がり、ラミグラスさんの紡ぎ車の側までいくとそれをカラカラと手で回す。

大きな弾み車が回ると導き糸も一緒に回って、紡錘がグルグルと何度も回転する。それを繰り返して眺める。後ろではラミグラスさんがトルエスさんの服装チェックを始めたのか、ちょっと騒がしい。

俺はそれを無視して、紡ぎ車を何度も何度も回しながら考える。


禅の世界では紡績機は巨大な鉄の塊で、そこに無数の紡錘と繊維が束担って回っていた。電力を動力源として、ギアを回して自動的に複数の紡錘が高速で回る。

この世界で動力源は、電力や蒸気といったものがない。あるのは人力、風車、水車ぐらいだ。

人力は既に紡ぎ車を動かしている。それは人手の問題がある。

風車は動力源だが、天候に左右されてあまり期待できない。必要なのは安定した動力源。

残るは水車。水車はこの世界でも比較的身近な動力源で、粉ひきなどによく使われている。


なら水車を使えばいいのでは?

水車を動力源にする。だけど水車一台で紡ぎ車一台では費用対効果が少なすぎて話にならない。だったら、禅の世界のように水車の動力源をシャフトに伝わらせて、何台もの紡ぎ車を連結させれば・・・。

いや、それではギアが合っていない。

水車はローギアのように力はあるが高速では回らない。ならばその水車を重くて巨大なはずみ車、つまりハイギアを作り出して、回転させればその回転力は紡錘をより早く回転させられる。

その回転を複数の導き糸に伝えれば、何個もの紡錘が回る。導き糸を複数回すには、はずみ車の幅を広げて、溝を作り何本もの導き糸を使えばいける。

自動的に複数の紡錘が水車で回ることが出来る。

技術的にいけるか?材料は全部木だ。鉄のような加工の難しさはないし、材料は領地の森の木を切ればいい。一年ぐらいかかってもいいので俺がすればタダだ。

いや一人じゃ無理だな。

紡ぎ車ならなんとか一人で出来そうだが、水車を作るのは大がかりな工事が必要だ。水車だけではなく、その水車の小屋を作る必要がある。最低でも10人は欲しい。三ヶ月間として職人の日当1大銅貨と考えて水車一台は、およそ45金貨程度。職人達の衣食住を確保するので更に一人当たり一日1銅貨、三ヶ月で9金貨。合計54金貨。それに加えて水車駆動式糸紡ぎ機を作るを一ヶ月として18金貨が飛ぶ。他にも職人達がここに来るまでの経費もかかる。

72金貨以上か・・・。

ほとんど不可能だ。だが一つ手はある。

腕を無くすように絶対にしたくないことだが、懐剣ゼラークスを売ればそれぐらいならすぐに用意できるだろう。

しかし、いい武器は俺にとって自分の腕の一部。それは流石にしたくないし、ゾルガさんやゼルの気持ちを裏切るようで悪い。

俺は金額のことを考えてため息がでる。折角のいい考えが出た喜びがため息とともに流れ出た。


「どうしたんだ?!ゼン。ため息をついて?」

そんな俺のため息を聞いて、トルエスさんがこちらに焦った顔をして、大げさに叫んで聞いてきた。

トルエスさんは横のラミグラスさんがトルエスさんの服を脱がそうとしているのに必死で抵抗しているみたいで、注意をそらせるために聞いてきたのがよく分かった。

ラミグラスさんもトルエスさんの声で俺を見た。

俺は肩を落としながら椅子へと戻り、座り直して口を開く。

「・・・いい案が浮かんだんですけどお金がかかってしまうので諦めそうなところだったんです」

「いいぜ聞いてやるよ。是非聞かせてくれ。それはもう是非にだ。今言ってくれたら頷くから」

すがりつくような表情でトルエスさんは言った。

俺は冷めた香木茶を一口飲んで彼の要求に応える。

「水車で糸紡ぎができないかって思ったんです。それを複数の紡ぎ車に連結させて」

俺の言葉にラミグラスさんが座り直して、ちょっと考えながら言う。

「ゼン様。それはどうかしら?糸紡ぎは雇用が安いから水車を使うなら縮絨工程の方がいいわ。縮絨職人の方が日当高いし」

俺はラミグラスさんの言葉を考える。


糸紡ぎは力を使わないので女性の仕事だ。時間がかかるが、この世界では人件費がとても安い。そのために力はいらないが、時間の掛かる糸紡ぎは賃金が更に安くできるように女性を使う。逆に、縮絨はある程度の技術が必要なのでそちらの方が賃金が高くなる。

でも俺はそれを鵜呑みに出来ない。

なぜなら、賃金が安い仕事が出来てもあまり領民のためにならないからだ。

領民が他の土地に逃げてもちゃんと生活できるようにする。あるいはここの領民の価値を上げるために技術力を養って貰いたい。それを果たすために彼ら、彼女らには糸紡ぎに時間をかけるよりも他の工程に時間をかけて学んでいって欲しい。

俺の目的とは、稼ぐことではない。

俺の目的は、俺の領地にいる人達がどこでも生き残れる力をつけてもらうこと。

領民達が移動する羊毛と毛織物職人の集団になれば、どこの領地に行ってもその門が開かれる。その価値のために守って貰える。


俺はラミグラスさんの目を真剣に見ながらその思いを伝える。

「それはダメです。俺はこの領地の人達が生き残ることができる力をつけるためにラミグラスさんを呼びました。それは彼らが稼ぎの多い職人になってもらうためです。何処に行っても受け入れて貰えるような。だから、賃金の安い仕事ではなく織物や縮絨の技術を学び、羊毛から織物までを一貫して出来る集団になって欲しいんです」

俺はゆっくりと気持ちを込めて言葉を言った。


ラミグラスさんは俺の言葉を聞くと、凄まじい音を立てて椅子をお尻で吹き飛ばして立ち上がり、恍惚とした表情で手を広げて、思いの限り叫び声を上げる。

「あああ!なんて愛!それはまるで子を守る美しい牡鹿のような気高く純粋無垢な愛なのでしょう!ああ、滾るわ!貴方の思いが私を熱くさせる!いいわ、作りましょう!その糸紡ぎ機を!」

トルエスさんも俺もラミグラスさんの叫び声で吃驚してしまって口をあんぐり開けていた。

「いや・・・作るって言っても費用はどうすんだ?」

ちょっと引き気味のトルエスさんは横のラミグラスさんとかなり温度差のある言葉を呟く。

その言葉にラミグラスさんは鬼のような形相をしたラミグラスさんが顔を近づけて、鼻息荒く言う。

「ちょっと、トルエス様。このゼン様の愛を無碍にできるの?!」

「あ・・・いや、でも・・・私はここの代官で運営を任されている責任者なんですが・・・あ、いえ・・・すみません」

トルエスさんはラミグラスさんの鼻息で前髪を逆撫でされて思わず謝っていた。

俺はその様子に可笑しくなって笑いながら言う。

「ラミグラスさん。とりあえず落ち着いてください。いきなり水車とはいいません。この考え方を使って、まずは複数の紡錘を回転させる紡ぎ車を作ってみます。もし実用化できるならそのときに動きましょう」

「そうね・・・それがいいかもしれないわね。でも誰が作るの?」

ラミグラスさんは頭を傾けながら聞いてきた。

俺は出来るかどうか分からないが答える。

「俺が作ってみます。一応簡単な工作は出来るんですよ」

トルエスさんは不思議そうな顔で口を開く。

「本当か?ゼン。お前が何か作っている所なんて見たことないが」

俺はその疑問に戯けながら答える。

「これからお見せするんですよ。しばらく領地の仕事はトルエスさんにお任せしても大丈夫ですか?」

「それは俺の仕事だからもちろん大丈夫だ」

「なら決まりです。俺、ちょっと屋敷に戻って考えてきますんで、そろそろ出ます」

俺はそう言って香木茶を飲み干した。

「なら俺も戻るわ」

俺が香木茶を飲み干した後でトルエスさんが慌てた声を上げながらそう言った。

「あら、二人とももう行っちゃうの?トルエス様だけでもここにいてほしいのに」

ラミグラスさんは流し目を送りながらトルエスさんに向かって、ウィンクをした。

それに身を震わせてトルエスさんは立ち上がり、作り笑顔を作って別れの挨拶をする。


俺はトルエスさんとともにラミグラスさんの家を早々と後にした。

これからしばらくは屋敷に籠もって試行錯誤しないと。

工作なんて久しぶりでちゃんと出来るかな?


そんな不安を抱えたまま俺は屋敷に帰った。


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