幕間 リア達の買い物の昼下がり
熱帯気候特有のモワッとした湿気を帯びている熱気が人の間を通って肌に触れる。
その風は人々の熱気と相まって、まとわりつくように感じられる。
そこは、トローレスの最南端の入り江にある港都市バンテ。ジャングルの奥地にある鉱脈からの錫と胡椒などが豊富に採れるトローレスでも有数の海上貿易主要都市であり、人口は10万人を軽く越える。入り江から更に両端の沿岸部には漁村と農業を兼ねた村落が数多くあり、それらを加えると更に多くなる。また、この都市はトローレスの王都とミッドバル国とトランザニア王国を繋ぐ要衝でもある。
都市は活気に溢れて、売り買いをする貿易商人達がひしめくように道を歩いている。
バンテは内陸部へ50キロも行かないうちにジャングルになり、木材があるためにその都市のほとんどが木組みの木造建築である。雨が降るために屋根は瓦で覆われて、階層ごとに横に長い切れ込みのような窓が幾つもあり、風を取り込みやすくなっている。家々は、腐食と少しでも熱さを紛らわそうと様々な色で塗装されている。そのために都市はあらゆる種類の絵の具をまき散らしたかのような極彩色に彩られていた。
商売人、荷運び人、貿易商人、船員達が肩をぶつけながら歩いている道である集団だけが、その周りを茫然とし足を止めさせていた。その左右に切り開かれた道をその集団の先頭にいる者は優雅に歩いている。
その集団は、この地の伝統衣装に身を包んで周囲に紛れた振りをしている。
だが、その顔を隠すように被っている薄い生地のかぶり物からちらりと見える美しい鼻梁や目元、唇を見るだけで誰もが息を飲んで振り返っていた。
民族衣装は、膝丈ほどまである長い亜麻のブラウスと襟首までもあるロングスカートに、目の粗い麻で編まれて裏に木の板を靴底にした靴。その色は家々のように鮮やかに染色されている。かぶり物はレースが施された長いスカーフのような物を目深に被って、直射日光が肌に当たらないように配慮されていた。
「座長~、嬉しそうですねぇ。今日の下稽古でもそんな顔して貰えると、ひじょ~に嬉しいのですよ」
フェスティナは黒い衣装を着て、黄金の長い髪を黒いかぶり物から覗かせて、金の花を装飾した赤い衣装のリアの横からそう呑気に言った。
いつもならその言葉に眉をつり上げるリアも今日は上機嫌で笑いながら言う。
「嬉しいわよ。だってゼンから手紙を貰ったんだから。偶々、トローレスの王都まで運んでいる手紙を受け取ることができたなんて、とても運がいいわね」
「そうですねぇ。ちょうど運が良くバンテに来た人から受け取ることができて良かったですよね」
「そうよ。フフ、折角ゼンが私のために服を作ってくれるんだから気合いを入れて選ばないとね」
リアはフェスティナを見ながら小さく笑って、今度は周りを見渡す。
リア達が歩いているのはバンテの中でも織物を扱っている商家が多くある場所だった。店先に山と積んだ色とりどりの布や織物がひしめき合い、店の奥には更に価値の高い絹や装飾が施された織物が並んでいるのがチラリと見える。商人は店先に立って、リアを見ると手をもみながら声をかける。しかし、かけようとしてリアの横顔を見ると誰もが言葉を飲み込んで突っ立っていた。
「座長、本当に私も選んでいいのですか?」
リアがその織物商店の中の一の店先に立ち止まって、並んでいる織物を物色していたらキスラが少々戸惑いながら彼女にたずねた。
キスラは薄い青色のシャツと同じ色のゆったりとしたズボン、腰には幅広の腰巻きのような男性用の伝統衣装に身を包んでいる。短く切りそろえられた黒髪が揺れて、柑橘類の香油の香りが爽やかに香る。
「大丈夫よ。ゼンならきっと喜んでくれるわ。どうせあの人のことだからそうした方が喜ぶと思うしね」
クスリと笑いながら織物を手にとってリアは言った。そのリアの顔を見ていたキスラは、まだ納得していないのか遠慮がちに織物を手に取り始める。
彼女達は5人。リア、リーシャ。フェスティナ、キスラと護衛役の剣舞士カイサ。カイサは一座の剣舞の踊り子で切れ長の目に明るい茶色の髪、凜々しい顔つきと高い身長に彼女の気品と神秘を潜ませている。黄色い衣装に身を包み、腰には反りのある幅広の刀剣を一刀佩刀している。
カイサはリア達が織物を選んでいる横で、背を向けて道を歩く者達に目を向け、護衛の役割をこなしていた。
昨日バンテに着いたばかりの一座の他の者は、公演会場の準備やその買い出しに忙しく、比較的時間のある者だけがリアの買い物に付き合っていた。ただ、キスラだけは各組合やこの地の領主と話し合いをするはずだったが、リアが彼女の仕事をそろそろ他に引き継いでもいいのではないかと言い出して、強引に買い物に付き合わせていた。
キスラが遠慮したのもそういったことがあったからである。
「キスラさん、そういうことなんで、遠慮なく選びましょ~。座長にご機嫌になってもらわないと今日の下稽古も胃がいたくなりますよ~」
フェスティナの言葉にキスラはなんとも言いがたい表情をしながら振り向いて言う。
「フェスティナ・・・それもそうだけど、その言い方はちょっと・・・」
「言いにくいことを言うのが道化師ですからねぇ~。まあボクはサボれてとても嬉しいんですよ~。あ、奥の方がいいのありそうじゃないですか?」
フェスティナは店の奥を指さし、キスラも奥の方を見た。そこには絹や極上の布に金糸、銀糸で彩られた一級品の織物が壁一面に飾られている。
だが、その二人の会話を聞いていたのかリアが声をかける。
「奥はダメよ。ゼンのところは織物を始めたばかりだから、絹や金糸を使った物は難しいわ。この辺に並んでいる物がいいはずよ」
そのリアの言葉でフェスティナとキスラは感心したようにリアに顔を向けて、フェスティナが言う。
「流石、座長ですねぇ~。そういう気遣いができるのならお慰み程度でもいいんで稽古中もお願いしますよ~」
「失礼ね。十分気を使っているわよ。いいからさっさと選んで」
腰に手を当てて、少し目つきを険しくしたリアがフェスティナをたしなめる。その様子を見ていたキスラが苦笑しながらまた織物を探す手を動かし始めた。
リアはフェスティナから目線を外して、隣で静かに織物を選んでいたリーシャに目を向ける。
「リーシャはそれがいいの?」
リアの言葉にリーシャは彼女に顔を向けると、手に持っていた淡い水色に白い糸で花が描かれている織物を大事そうに抱えたまま頷いた。
「そう、なら貴女のはそれね」
たっぷりと時間をかけて買い物したリア達は、港と領主の城を繋ぐ大通りに面した屋台で昼食を買い、その店が用意していた椅子とテーブルに座っていた。
テーブルには、竹籠に大きな葉を敷いた簡易の皿の上に麺を焼いたこの地方特有の名物がのっている。平たい米麺とエビや貝、魚の切り身などを一緒に炒めて麺に焦げ目がついてきたら溶き卵と癖の強いピリリと刺激のある香辛料をたっぷりと入れてチャティ・クティオと呼ばれる名物料理が完成する。彼女達は器用に箸を使って、お酒と一緒にそれを楽しんでいた。
お酒はトローレスでよく採れる物が原料となり、様々である。
ココナッツを原料としたドディは、酸っぱい香りが強いが口当たりは濃厚な甘さでまったりとしている。米を使ったワインは砂糖が豊富に採れるために大量に使われていて、これもまた甘い。製法は日本酒に近いため純米酒をリキュールにしたような物に近かった。
彼女達はその口当たりの甘いお酒を水や絞りたての果実汁で割って楽しんでいる。もちろんリーシャだけは赤いスイカのような果実汁を飲んでいる。
「座長~。また読んでいるんですか?」
フェスティナはチャティ・クティオを食べながら、手紙を嬉しそうに読んでいるリアに話しかけた。その言葉でリアは手紙を読んでいた目線を彼女に向けて、微笑みながら言う。
「ええ。手紙がこれほど嬉しいとは思わなかったわ」
「なんだか、本当に恋する乙女みたいですね」
「私は何時も恋する乙女よ。でも貴女の言うとおり、なんだか不思議な感じがするわね」
リアはチラリと手紙を見て、そう言った。
その様子を見ていたキスラは、ちょっと残念そうな顔をしてリアに言う。
「あと二年ですね」
リアはその言葉を気にした様子はなく落ち着いて横にいたキスラに顔を向ける。
「そうね。あと二年、だけど私にはとても楽しい時間だわ。ゼンがどんな風になるか楽しみだもの。それを想像しながら気持ちのいいベッドで寝るのもいいものよ、キスラ。貴女もいい人が見つかれば分かるわよ」
「いえ・・・私はそういうのは無理なんです。それにこんな男の格好をしている私を好きだと言ってくれるような人がいるかどうか・・・」
「貴女は気にしすぎよ。言ったじゃない。私達の一座に入ったからには新しく生まれ変わってもらうって。貴女は何も気にしなくていい。私達の仲間なんですから。まあ、いつかいい人が現れて、一座から離れていくのが少し寂しいけどね」
リアは慈愛に満ちた瞳でキスラに言う。キスラはリアの言葉を聞き、少し目線を外すが意志を込めた瞳でもう一度彼女を見つめ返す。
「私は老いで離れるまでは座長の団員の一人でいくつもりです。座長へのご恩は一生忘れません」
「いいのよ。そう言ったことは。私は好きでしているから、貴女も好きになさい」
二人は優しさに満ちた君主と忠義の騎士のような顔をして言い合った。
それを見ていたフェスティナは少し戯けた口調で声を上げる。
「キスラさんも座長も舞台じゃないんですからそういうのは演技だけにしてください。折角の楽しいご飯がゆっくり食べれませんよ~。座長、それでゼン君とは王都で会えそうなんですかね?」
リアとキスラはフェスティナの言葉で二人して小さく笑い合い、リアがフェスティナの方を向いて声を上げる。
「まだ分からないけど、もしかしたら入学の時期に重なって王都にいるかもって。デートできるわね」
リアの嬉しそうな表情を見ながらフェスティナは少し考えるように言う。
「ゼン君の領地の服を着てですか?なんだか裏がありそうじゃないですかねぇ~?」
「もちろん、分かっているわよ。ゼンらしいわよね。この抜け目なさって」
小さく苦笑しながらリアが言った。その言葉にキスラが難しそうな顔をして言う。
「でも、座長の服はその土地の吟遊詩人組合が用意しますよね?彼らはあまりいい顔をしないと思いますけど・・・」
キスラの言葉にリアは肩をすくめながら言う。
「いいのよ。どうせ組合はあの衣装でちゃんと儲けているんですもの。たまにはそれがなくたって関係ないわ。それに私がしたいと言えば、彼らも黙っているでしょうしね」
そのリアの言葉に小さくため息をついてキスラはリアに聞こえないようなほど小さく呟くように言った。
「いえ、座長に黙っているだけで私が嫌みたっぷりに言われるんですけどね・・・」
「キスラさん、それも座長の横にいる者の運命ですよ~」
フェスティナはとてもいい笑顔でキスラの肩に手を置きながら言った。
キスラは恨めしそうにフェスティナに向かって小声で言う。
「フェスティナはいいよね。気楽そうで」
「これまた、キスラさんは辛辣ですねぇ~。道化師に難しいことはできませんよ~」
「また嘘ばっかり。君が特別で、何かを隠しているのは知っているんだからな」
「さぁ?どうでしょうねぇ~。道化師は隠し事も得意ですから」
「君も人を煙に巻くのは舞台だけにしてくれよ」
「ちょっと、なに二人でこそこそ言ってるのよ」
フェスティナとキスラが二人で内緒話をしていると、じれたリアが不満そうに声をあげる。
キスラは少し動揺した様子で言葉を出せずにいるが、フェスティナは落ち着いたいつも通りのニヤニヤ顔をして言う。
「キスラさんに道化師の役割について教えていたところですよ~。それにしてもこのお酒美味しいですね。座長のも一口もらってもいいですかぁ~?」
「嫌よ。自分で買ってきなさい」
ぷいっと顔を背けたリアが自分のライスワインを水で割った飲み物を一口飲んだ。
「それもそうですね。キスラさんもおかわりどうですか?」
キスラはまだ居心地が悪いのか、慌てて首を振って言う。
「いいよ。私は自分で買うからフェスティナと一緒に行くよ」
これ幸いにとキスラはフェスティナと共に立ち上がって、お酒を買いに屋台の方へと向かう。
残されたリアは二人を疑わしそうな目で見送ってからお酒を飲みながら手紙を読み始める。
リーシャは既に食べ終わっていて、椅子から大通りを歩く人達を呆っと眺めている。カイサは竹籠のお皿を何段にも重ねて、一心不乱にチャティ・クティオを食べ続けている。
のんびりとしたトローレスの秋の昼下がり、雑踏に紛れてリア達は買い物と昼食を楽しんだ。
チャティ・クティオは造語です
あと、ゼンの手紙は第一通目です。二通目はこの時にはまだ書かれておりません。




