鎮痛剤の味
母上達に手紙の件を説明するのは、困難を極めた。
始め一番の問題としては、この話がどこまで進んでいるのかを俺が完全には把握できていないところだ。
父上とヴァルゲンさんとの話し合いもある。もし、今母上に全てを話すとしたら、ルーン王国で起きるかも知れない内乱を説明しなければならない。そして、俺がその矢面に立つ可能性にも。その可能性を母上が許すはずもない。母上が間に入ることで父上とヴァルゲンさんの話がややこしくなる。
マリアーヌ公爵夫人からの手紙が早すぎて、全てを話すことが出来ない。
俺の持ち得る全ての情報を母上に伝えていいものかどうかも非常に悩む。
俺の情報はヴァルゲンさんとの手紙の中で知っただけなので確証を確認できてはいない。
俺が知っているのは三点。
クローヴィス家が洗礼を受けて使徒となったこと。
王国がフッザラー家が嫡男を行政機関の中枢に置いたこと。
静かに内乱の火が点っていること。
それを聞いたら母上はやはり取り乱すだろう。
俺に何処にも行くなと言うはずだ。
だが、俺は冷静に今の俺を取り巻く状況を考える。
この王国は戦火に巻き込まれる。内部での抗争が起きれば、隣国からの進軍も許すだろう。真っ先にこのリーンフェルトが被害を受けるだろうと。
それを防ぐには権力が必要だった。ハスクブル公爵家と繋がれば、王国軍あるいは公爵家独自の兵力が借りられる。
それに望みを託すしか、この地を守ることはできない。
父上もいる、ヴァルゲンさんもいる。だけどそれだけだ。
本当にここを守っていくためには、もっと力が必要だ、兵力が必要だ。
俺は圧倒的な個人の力を持っていない。だから、俺がこれから望むべき力は人脈。
今回のトスカ村の羊毛業と服飾産業は、その人脈を構築する一つでもある。
強固な経済同盟は領地を守るだけではなく、もし何かがあったときに他の領地や他の場所に逃げることが出来る。
服を輸送することで街道を使って他の領地の領主や代官と交流を持つ。服を作る腕があればどこの都市でも受け入れて貰える。商人達がリーンフェルト領の商品を扱うごとに彼らは我が領地とその領民達の価値を知るだろう。一つずつその価値を積み上げることで巨大なシェルターができる。領民達が逃げ込める場所ができる。
だからこそ俺の役割とは、ハスクブル公爵家との人脈を構築し、様々な人の助けを借りやすくすることだ。
俺は自分の命で他の人が救えられればなんて英雄論で言っているわけではない。
この手段こそがもっとも合理的で、堅実な方法だと思っている。
平穏なときに人は好意で命を助ける。だけど、生き抜くのが厳しい時には利用価値によって人を助けるのだ。
俺は今状況で母上達に事実を全て話すのを止める。
俺が全てを利用して状況を有利にするために。
なんて冷たくて、卑怯な考え方だと思う。
だけどなんて言われようと俺の選択はそれしかない。
俺はこの婚姻の話を成功させるためにできることをする。
つまりそれは――隠し事。
俺は母上達を欺いて、俺が望む状況を作り上げるために隠し事をする。
隠し事とは一種の鎮静剤。
言葉を隠し事とのオブラートに包んで飲み込めば、落ち着いて自分も、周りも安堵する。
だが、それは一瞬の鎮静剤に過ぎない。飲み込みすぎれば、中毒を起こして人格も蝕まれる。
隠し事をするためには自分がその薬をコントロールする必要がある。
その薬の全てを把握して、適量に飲む。
母上達を欺くためには、薬の用法――現状をコントロールしなければ。
俺は、母上達に『ハスクブル公爵家』ではなく『ハスクブル公爵家勢力のさる大貴族』との婚姻と説明して言葉を濁す。
理由はヘルムート卿が父上に期待して、ハスクブル公爵家との繋がりを持ちたいからだと言った。
そして、それを知ったマリアーヌ公爵夫人が俺の人柄を知りたくて、思わず手紙を出したのだと。
母上達は納得できたのか、取り立てて質問はされなかった。
ただ、言葉を濁して、『マリアーヌ公爵夫人が少し思い込みの激しい人だから手紙には十分注意してね』とだけ言われた。
俺は思ったより短かった母上達との話を終えて、書斎に戻り手紙を読み返す。
『親愛なるトルイ・リーンフェルト卿のご子息ゼン・リーンフェルト卿に、ご挨拶とお便りを申し上げることを主に感謝し、貴方様にご加護を希うものです。
この度の突然の手紙は私が切に願っていたもののため、驚かれたことを伏してお詫び致します。しかしながら、ヘルムート辺境伯よりお手紙を拝見し、私の娘エリザベスとの婚姻について大変喜ばしく思います。爵位の件なども諸処問題はございますが、ヘルムート辺境伯のご推薦の件もございます。きっとお話が上手くいくように私も毎夜主に祈りを捧げております。
私は貴方様のお父上、トルイ・リーンフェルト卿に大変お世話になりました。王都ではご恩をお返しする機会がなく、私もとても心を気がかりでありましたので今回の婚姻のお話は、トルイ・リーンフェルト卿へのご恩を私の娘でお返しできることと思い非常に喜ばしく思います。
貴方様の色々なご高名を私の領地リューベでも耳に致します。
グラックという恐ろしい魔物の襲撃を撃退され、あのリア・アフロ―ディア様の『女神の抱擁』を授かったお方だとのお話。私事のように感じ、ご心配を申し上げ、また喜ばしく感じたりしております。
遠く離れたリーンフェルト領地の現状を勝手ながら憂いております。領地の再建はいかがでしょうか?不足された物がございましたらご遠慮なくお申し付けください。
先日、羊毛織職人を一名、ヘルムート辺境伯のご依頼で推薦させていただきました。彼は私のドレスなども作っていただいた腕の良い職人でございます。お気に召していただければ何よりと存じます。
季節は秋、そろそろ貴方様のリーンフェルト領も黄金色に色づいているかと思います。お忙しい季節、お体にご留意いただきご自愛くださいませ。
できれば、私を義母ように思い、またお手紙をいただけることを切に願っております。
貴方様のご健康と御領地の再建に全知全能の主神トールデン様のご加護がありますように。
ハスクブル公爵夫人マリアーヌ』
この手紙を読む限りだと、マリアーヌ公爵夫人は非常に教養があり、心遣いの細やかな女性だと思ってしまう。
母上を殺そうとした怖い女性だとは思えなかった。
だが、トルエスさんの話では彼女は素直で純粋な女性だった。
一途すぎるが故の過ちだとして、彼女を手紙通りの人物だとは判断できない。
手紙ならいくらでも印象良く書けるからだ。
俺は手紙を読み返して、返事を書くために手を動かした。
自分の返事を書くときには複写も忘れてはならない。返事を送ってしまえば、その返事をメールのように参照できなからだ。
夕方過ぎでも少し、日が陰って薄暗い。
俺は蝋燭を二本だけ灯すと、手紙の書簡二枚用意して、羽ペンを持つ。
マリアーヌ公爵夫人の手紙が終わったらヴァルゲンさんに、婚姻の話の現状を確認しなければ。
カリカリと羽ペンが紙をひっかく音だけが書斎に響き渡った。




