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双望の継承者 〔 ゼンの冒険 第一部 〕  作者: 三叉霧流
第四章 王都までの道のり
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幕間 母娘の伽藍堂

「お母様・・・」

少女は静かに震えながら伏し目がちにその女性を見て、躊躇っているかのように声をかけた。


その先にいた女性は、青くて露出の少ないドレスを着込み艶のある黒髪を腰の辺りまで、長い睫の上にまで前髪を垂らしている。その横顔は欠けた満月のように鼻梁も頬も美しく細い線で形取られている。生命力あるというよりもその神秘的な輪郭の中に、瑞々しい肉感を閉じ込めていた。近付きがたい高貴な美がそこにはある。静謐さが美しい氷になった虹彩は、静かに波行く水面のように感情が余り出ていない。

その女性は頬を傾けて見ていた窓の外から、ゆっくりと声をかけた少女に振り向いた。


その女性の瞳に少女が映り込むと、その女性は微笑み答える。

「どうしたのエリザベス?」

小さいがどこか人の心の奥底を掻き立てるような声が少女の耳に届く。


少女―――エリザベスはじっとその様子を見ていたが、意を決したように顔を上げて今度は少し明るい表情をして声をかける。

「お母様・・・楽しそうですね。何かいいことがあったのですか?」

エリザベスの言葉にその女性は、上品に微笑んだ。

「ええ、そうよ。私が出したお手紙がそろそろ届くかと思ったのよ」

その言葉にエリザベスは、少し後ずさるように身体を引かせると、顔を歪ませてその後ずさりに対抗する。

彼女は無意識にその場から離れたくなる思いを押しとどめて、唇を少し噛み声を上げる。

「お母様、私は誰とも結婚なんてしません」

エリザベスはそういいながらじっと母を観察するのを止めない。

まるでそれが敵だというようにじっと母を見つめながら、そのまだあどけないが美しい顔立ちに憎しみの色を滲ませた。

それを見ているのか、いないのか。彼女の母はエリザベスを見ながら困ったような微笑みを浮かべる。

「ダメよ、エリザベス。このお話はとても素敵なのよ?」

その言葉にエリザベスは火を灯したように反応を見せる。

「素敵なんかじゃありません!それはお母様が・・・お母様だけが望んでいることでしょう?私は・・・嫌です」

「・・・そうね。エリザベスにはいつも言っていたでしょう?私が愛している人は、この世界で貴女とあの人だけよ。だからその人の子供と貴女が結婚する。とても素晴らしいわ。きっと貴女も気に入るわよ。だって・・・あの人の子供ですもの」

女性は自分の言葉に酔っているのか、喋り終わるとクスリと笑う。


その母の表情にエリザベスは絶望に近い諦観を覚えながらも必死に抗っていた。

言葉を交わしても、その話題だけは自分の母に届かない。

その無力感が、一層彼女を孤独にしていた。


彼女は母の美しい微笑みを泣きそうな面持ちで批判する。

「違います!私はエリザベス・ハスクブル!お母様とお父様が愛し合って生まれた娘です!だから・・・お母様・・・私を見てください・・・」

少女の小さな胸から悲痛な叫びが響く。

その悲しみに暮れた相貌は悲しくもどこまでも慄然として美しかった。


父親譲りの長い金髪も、母譲りの青い瞳も整った眉もそれら全てが彼女の悲しみを受けて、凜と咲く一輪の白薔薇のように純粋で愛を求める少女の美しさであった。エリザベスは上質なチェニックにベルトと革靴という男のような格好でその部屋の扉の前に立って、母親のマリアーヌ公爵夫人と向かい合っている。


その言葉を聞いてマリアーヌ公爵夫人は、エリザベスを静かに見て、僅かに視線を外しながら答えた。

「そう・・・よ。でも、許して頂戴。私は・・・まだあの人の姿を忘れられない。逃げ場所もなくて泣いていた私を助けてくれたあの人を忘れることが出来ないの」

マリアーヌ公爵夫人は自らの罪を告白する罪人のように自分の思いをエリザベスに告げる。


その言葉にエリザベスは言葉を無くす。

自らの母が、恋い焦がれた男を忘れられないという一言は彼女を強かに打った。その痛みは激しい衝撃と共に彼女の心の底へと辿りつき、黒い血があふれ出す。

その黒い血とは―――憎悪。

自らの母の愛を奪い去ってしまう者に対する子供の嫉妬心だった。全身にその憎悪の黒い血が駆け巡り、エリザベスは嗚咽を上げそうになる。

例え子供の嫉妬心でも、母親の女の性を見せつけられて、生々しい感情に全身が拒否反応を起こす。防衛本能が雄叫びとうなり声を上げて、その邪魔者を排除せよと命じる。


エリザベスは、そんな自分の滾る憎悪を沈めるために、身体を震わせながら黙っていた。

その様子をマリアーヌ公爵夫人は静かに見守っている。

窓から流れる温かい風を二人は感じながら黙っていた。


「大丈夫よ、エリザベス。貴女も私の娘ですもの。きっとあの人の子供の事が好きになるわ」

その沈黙を破り、マリアーヌは取り繕うようにそう言った。

その言葉はエリザベスの心に致命傷を与える。あふれ出る憎悪を抑えきれずに歯を食いしばっていた口から怨嗟の声が漏れた。

「お母様は間違っています!そんなの!私はお父様の娘です。お父様は・・・お母様が・・・アイツを・・・アイツがいるから・・・・アイツがいるから私を愛してくれないんです!お母様と私の側にいてくれないんです!」

エリザベスはあふれ出る涙を抑えきれずに頬を濡らす。自分が泣くことすら悔しくて、唇が白くなるほど噛みしめながらそう叫んでいた。

その怨嗟の叫びを受けて、マリアーヌは悲しげに微笑んでいた。

それはまるで彼女がその微笑みしかしらない人形となってしまったように。


その母の顔を見て、エリザベスは更に孤独に打ちひしがれる。

自分がここまで言っても母はただ黙って微笑んでいるだけ。自分の苦しみも悲しみも母には届かず、自分は幾ら手を伸ばしても届かない深い穴の底にいる。何時も美しい母と大貴族で紳士な格好いい父。それを彼女は愛している。その二人の仲が、もはや取り返しもできないほど破綻していても自らの両親を愛して、二人が愛し合ってほしいと願う。

もう小さな頃から何度も何度も願い、祈ってきた。だが、それは叶えられなかった。届かなかった。


その母の顔はどこまでも続く穴の深さのようだった。暗くて、空っぽの空洞。

それが悲しくて、苦しくて・・・そして怖い。

もう、それが希望も何もない伽藍堂の母の心だった。


「お母様・・・どうか・・・私を見てください。やっぱり私が・・・強くないとダメですか?アイツのようにこの国を守れるほど強くないとダメですか?」

それ故に彼女は求めた。母が振り向いてくれる希望を。

それは母が愛する人と呼ぶ者が持っている力だ。泣いていた母を助けたという『力』を求めた。

彼女の瞳には母マリアーヌが悲しみに暮れて泣いている。それを助けるのは自分だと思い込み、彼女は自らの心に空いている空っぽの穴に蓋をする。そうしなければ、憎しみと孤独に苛まれて自らを失ってしまいそうになる。心が支えを失って崩れて壊れてしまいそうだった。

「だったら・・・私は強くなります。今よりももっと・・・もっと強くなって・・・アイツを倒します」

エリザベスは自分に言い聞かせる呪いのようにその言葉を呟いた。憎悪が黒い呪いの言葉となって、全身を魂を縛り付けるように彼女は自分に言い聞かせている。


その娘の様子にもマリアーヌ公爵夫人はじっと見つめたままだった。

彼女にとっても自らの感情を抑えることは出来ない。彼女はどこまでも純真が故に、その白さ故に他の色を拒絶する。

彼女にはその人物と娘以外は他の色だった。自らが受け付けることの出来ない汚らしい色にしか見えなかった。

マリアーヌ公爵夫人は娘エリザベスの様子を不思議な面持ちで見ていた。


彼女には分からない。娘が何を想って悩んでいるのかを。

マリアーヌ公爵夫人は、愛されていた。美しく可憐で、純真な元王女はそれこそあらゆる人々からの愛を受けて育った。

だから愛ということを拒否されたのはただ一人きり。それは今でも想い続けているために、愛されないという言葉を知らない。彼女は愛されすぎた。愛されすぎていて愛を求める娘の事を理解できない。彼女は目の前で泣いている娘になんと言葉をかけていいのか分からなかった。


「エリザベス・・・」

マリアーヌ公爵夫人の口から出たのは娘の名前だけだった。

その自分の名を聞いて、エリザベスは顔を上げる。

そこには先ほどのまでの悲しみと憎しみを精一杯取り除いた笑顔があった。頬に今だ涙の筋を作りながら、彼女は凜とした顔を母に向ける。

「お母様。大丈夫です。私はハスクブル公爵家の家名を背負い、立派に名を馳せます。もうアイツの事を思い出さなくていいんです。だから見ていてください」

その言葉にマリアーヌ公爵夫人は、娘がどこか自分の手の届かない所にいってしまうような気がした。

でもそれを彼女が止めることなどできなかった。

何を言ったら良いのか、何をしたら良いのかがわからない。全てはあの日から・・・あの人の妻アイリを殺そうと決意した日から、もう彼女は透明な檻の中に閉じ込められた罪人だった。

全ては自分の手の届かない所にあって、何をしても無駄だと思っていた。透明の檻はどこに逃げ込もうと彼女の心を縛り付けて罪を許さない。

唯一、彼女は娘が側にいるとその檻を忘れることが出来た。

だが、今彼女の娘はその檻から自分を残して、どこかへと去ろうとしてしまっている。


「わかったわ・・・貴女もそうなのね」

ゆっくりとマリアーヌ公爵夫人はエリザベスに近寄りながら諦観を込めて言う。彼女はエリザベスの側までくると、その頬を撫でようとして手を上げるが、途中で拒むように手を戻した。

その仕草を見てもエリザベスはじっと黙っていた。黙って母を見つめている。

「ごめんなさい、エリザベス。こんな母を許して頂戴」

マリアーヌ公爵夫人にはそう言いながら悲しげに微笑むことしか出来なかった。


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