幕間 新たなる使徒
凍てつく壮麗なる山脈、煙る吹雪、あらゆる音が凍り付いて静かに沈黙している。
そんな中、人々は列を作り坂道に鈴なりになって並んでいた。
そこはアースクラウン神国のキャッスルヘイム大聖堂に続く道。一定の間隔ごとにたき火をおいて、暖をとるがその火すら凍えそうなほどの寒さ。
列を見守るため、聖騎士達が剣を佩刀して起立している。その寒さの中でも彼らの信仰心は凍えない。
参列者は例え自分たちが中に入れずとも、その上にある大聖堂にいる者を崇めて静かに仰ぎ見ている。
そして、幾ばくかの時が経ち、大聖堂から巨大な轟音が鳴り響く。
その音は凍る山々を切り裂き、遙か彼方へとその知らせを轟かせた。
降神祭の始まり。
アースクラウンで最も厳粛かつ過酷な祝祭日。この大陸で最も崇高かつ喜びに満ちた祝祭日。
その始まりの鐘であった。
その鐘が鳴り響く少し前、
豪奢な大聖堂内。
あらゆる国が望んでもたどり着けないほどの時間と財を集めて、作られた人類の至宝の建築物。
巨大な空間を支える列柱した大理石の柱には最高の素材と祝福された名工達の装飾が施されている。数百の参列者が座る椅子でさえも小さな国の王座よりも高価であり、巨大な窓にはミリ単位で切り抜かれたステンドグラスが厚い雲に閉ざされた太陽の光を入れいていた。大聖堂の真ん中には耐熱レンガで囲まれたたき火台が存在し、炭が煌々と赤く染まり明るさと暖を取り込んでいる。その左右に列席者が沈黙して座り、その周りを聖騎士達が直立不動の体制で守っている。
中央から大聖堂の奥は、見上げるような巨大な祭壇が設えてある。大司教が天井まで届くその祭壇に傅いていた。
天井には一面の宗教画、神が住まう天上の光景が描かれていた。それは青い空に舞う美しい女神や天使が主神トールデンを囲み、屈強な男神達が武器を構えて主を守っている。
その主神トールデンの真下には全て金で作られた聖座が存在した。
教皇アーセラルは参列者を睥睨しながら静かに聖座に座っている。
咳ひとつ、呟きひとつも漏らさずにその場にいた人間達は教皇に頭を垂れて、伏している。
教皇はその光景を見つめて、おもむろに立ち上がった。
「さあ、我が子らよ。いまより降神祭を執り行う。はじめよ」
教皇が手を僅かに上げると、人々は立ち上がって答える。
「「「主の導きによりて、我らのすべてにおいて」」」
人々が厳かに和唱する。その声とともに大聖堂を振るわせるような鐘の音が響き渡る。
降神祭は賛美歌で始まり、粛々と進む。
それは列席者による奉納の儀の段になって起こった。
顔を伏したまま、列席者が列を成して奉納品を大司教に手渡しているときに声が上がる。
「待て、そこの者。汝はルーン王国クローヴィス家の者だな」
教皇がそう声を上げると、列がピタリと止まり、声をかけられた者以外は彼から距離を取った。
伏していた者は、顔を上げずその場で傅き答える。
「はい。私の名前はタルイン・クローヴィス。ルーン王国クローヴィス家の当主です」
その男はタルイン・クローヴィス、信仰都市ヴァラチネス領主であり巨壁城ベルガルザルドの主、ルーン王国の北の守護者であり北部総督。
伏した顔は少しこけてはいるが、並々ならぬ強い意志を携え、理知的で無慈悲な雰囲気がある。齢は40代後半、白いローブの下には黒いジャケットに金の刺繍、裏地には良質なゴーラキアの毛皮が使われており、その毛は袖を豪華に飾っている。この場に似つかわしくない服装だが、それは彼の立場をこの場でハッキリと示していた。
自らの立場を誇示し、それを白いローブで覆う。
その意味に気づいた者は教皇を除いて誰もいなかった。
「汝は洗礼と懺悔を余に申したいと言っておったそうだな」
伏すタルインを見ながら教皇はそう聞いた。
「畏れながら、我が一族の罪を主に申し上げ、洗礼を授かりたいと願っております」
「よい。この場で申せ」
「感謝と光栄の極み。我が一族の愚劣王タイトスがルーン王国君主として主の聖戦に参加しながら惨敗。我が一族は王座を他者に明け渡すこととなりました。それからというもの我がルーン王国は退廃の一途をたどっております。民の信仰は地に落ち、ルーン王国は信仰を唄う獣が君主となり、信仰の無法が横行しております。それも全て我が一族の罪。我が一族の恥。愚劣王タイトスと我が一族の大罪を主に告白し、懺悔をここに述べさせて戴きたい」
タルインの独白が静かに大聖堂内に響く。その響きをまるで醜悪な物と感じた参列者は一同にその話に顔をひそめる。
教皇は黙ってそのタルインの話を聞き、口を開く。
「余は覚えておる。愚劣王タイトスや汝の祖先達のことを。確かにあの聖戦は汝らの罪である。魔を打ち払えなかった汝らが罪。だが同時に、余は汝らの苦しみを知っておる。汝ら一族の後悔と罪は余に祈りとなって届いておる。故に―――」
教皇は言葉を止めて、聖座から立ち上がり、その段を降りた。
降りながら教皇は続ける。
「故に汝の罪を許そう。汝らの後悔も、汝らの罪も。等しく余の苦しみである。余は秩序と慈愛を司る主神トールデン。汝ら全てを余の慈愛によって許そう。面を上げよ。タルイン・クローヴィス」
参列者の驚愕を顧みずに教皇はタルインの元に降りて言った。
それは主が人に歩み寄った。降神祭の聖座より教皇が降りることは歴代の中でもあり得ないことであった。
それは信者にとってはまさに主が霊峰より人を祝福した神書の一場面であった。
信者達はあまりにも寛大な主の慈悲に涙を流す。
タルインは頭を上げた直ぐ側に教皇、いや主がいることに畏れる。
暖を取っていても、いくら厚着の服装でも寒い大聖堂で冷や汗を流す。彼がこれまでこのような恐れを抱いたことはなかった。
あらゆるものを冷静に、無慈悲に処刑してきた彼ですらそこに立つ者が何者かがわかる。人を越えた存在。神の存在を。
「どうした?タルイン・クローヴィス。余は面を上げよと言った」
重ねられる言葉にタルインは心臓が止まる思いをする。
いくら子供だといってもそのお方は神の戴きの頂点に立つ者。そこからあふれ出す神気が心臓に冷たく触れる。
震える声を必死に抑えてタルインは声を上げる。
「畏れながら!我が身が主を仰ぎ見ることなど恐れ多いことになりますれば」
「よい。許す。『面をあげよ』」
その瞬間、タルインは驚愕する。自分の意志とは関係なく、自分の顔が上がる。
その目が教皇の姿をとらえると、そこには絶対の支配者がいた。
極上の絹で編まれた白くて長い巻頭衣に金の装飾が施された高い司教帽、首元を金と白いストールで巻き、細い袖からは極彩色の極楽鳥の羽で彩られている。その眼差しは全てを見つめて、そして全てを見通す全知の青い瞳。それが静かに、タルインを見つめていた。
何者もその言葉を返すことはできない。何者にもその存在を否定できない絶対の存在。
あふれ出す冷や汗に全身を濡らしながらタルインは、自らの策謀、知謀でも悉くを粉砕する存在を敵に回さないようにと心を決める。
教皇はタルインが自分を見たことを確認すると、その手をタルインの顔にかざす。
「余は汝ら一族の罪を許し、そして我が子らと同様、我が手に包まれた尊き人として迎え入れよう。汝は初めて人となる。我が創造し、見守る愛しき人として生きる。また、これまでの汝ら一族の苦しみに報いるため、汝らの国が真に秩序ある平和を手に入れるため、汝に洗礼と使命を言い渡す」
「使命・・・もしや・・私が使徒に・・・?」
茫然のあまりタルインは教皇を仰ぎ見ながら、呟くようにいった。
「さよう。汝らの国には余も心を痛めておる。余の使徒となり、余に仕え、余のために永久にその命を捧げる覚悟はあるか?タルイン・クローヴィス」
この瞬間に一切の迷いを見せてはならない。それはまさしく自分の死と一族の滅亡を意味している。
それを理解しているタルインは一瞬の迷いもなく答える。
「我が一族の最高の名誉と存じます。我が一族のすべての命をとして、その使命を拝受させていただきます」
「うむ。なれば」
教皇はその白い手で首に巻かれていたストールを取ると、そのストールをタルインの顔に被せ、告げる。
「洗礼はなった。ここに使徒タルインの誕生を祝そう。使徒タルインよ。汝の使命はルーン王国で聖騎士団を組織し、聖騎士団長タルイン・クローヴィスとなり、余とこの大陸を守護せよ。余の守護者の列席となり、汝の国の秩序を守り、平和と繁栄をなせ。さあ、我が子らよ。使徒タルインとクローヴィス聖騎士団の誕生を祝して歌を捧げよ」
その言葉とともに教皇はまた聖座に戻り、座る。
大司教達は使徒タルインの手をとり、祭壇の前に彼を連れて行く。
タルインは大司教と同じ位置に来ると仰ぐような祭壇と聖座に傅いた。
列席者達は無言でその誕生を祝しながらまた自分たちの席に戻り、跪く。
鐘が12度叩かれる。
それは神国に使徒の誕生を告げる鐘の知らせであった。
大聖堂を振るわせる鐘が鳴り終わると同時に使徒の誕生を祝う聖歌が歌われる。
その歌は大聖堂だけではなく神都アースクラウン全ての者が歌い、その誕生を祝す。
凍える寒さと吹雪の中、その聖歌は鐘の余韻のようにいつまでも山々に木霊する。
アースクラウン暦10025年 使徒ノヴァの月 降神祭 新たな使徒、クローヴィス聖騎士団長タルイン・クローヴィスの誕生であった。




